2024年12月20日 (金)

伊勢西国最終回 伊勢の3寺

伊勢西国17回目で最終回の今回は、女房とお伊勢参りを兼ねて車で行くことにしました。下図、五十鈴ヶ丘近くの松尾観音、御園の宝林寺、二見の夫婦岩近くの太江寺は、20キロ位離れているので、自転車でもバスでも、1日で廻るのはなかなか骨です。

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その点、車なら大丈夫です。ただ最近、長距離運転してないのと、亀山付近の雪が心配ではありました。

2024年12月19日(木)

我家から松尾観音寺は115キロ、途中2回休憩して、雪も無く、2時間弱で順調に到着しました。

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車は石段の下に3~4台置けます。近くの二つ池の龍神伝説があるそうです。

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受付は常時開いていて、御朱印も押して頂けます。

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ご本尊は行基が神宮参拝後に彫った十一面観音菩薩ですが秘仏です。

次に宝林寺へ行くのに失敗しました。スマホのカーナビを使っているのですが、違う宝林寺を指定したようで、ナビに従って走ると、名古屋方面への高速に入ってしまいました。気が付いた時は遅く、Uターンも出来ないし、逆走するわけにもいかないので、伊勢西の料金所で間違って入ったと言ったら、玉城ICまで行って帰ってきてくれと言われた。

料金は請求されなかったが、25キロ程走って、30分以上ロスした(泣)。で、宝林寺到着は11時20分頃だった。

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ここは宮川が伊勢湾にそそぐ河口にあり、江戸時代は人や物資の往来も多かった。山田奉行所が置かれ、大岡越前守も在任したとか。

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車も、門前や門の中に、なんとか置ける。受付も常時開かれている。

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いくつかの寺が合併した経緯もあるそうで、ご本尊は阿弥陀如来、観音様は十一面観音立像。秘仏です。

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次は一寸離れた太江寺。11時50分頃到着しました。

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ここは20年以上前ですが、自転車で桑名から走ってきて、宿坊で一泊した思い出があります。当時はユースホステルでしたが、今は宿坊として宿泊を受け入れているそうです。

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ここは伊勢西国一番札所です。ここが最後になってしまいました。ご本尊は千手十一面観音菩薩。やはり行基の開山だそうです。

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近くの夫婦岩のある二見興玉神社は、元はここにあったそうです。その興玉神社にやってきました。12時半頃です。

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今日は日本海側は大荒れだそうですが、ここも風が強く、波高しです。

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久しぶりに夫婦で記念写真です。

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今度は伊勢神宮へやってきました。内宮の宇治橋です。

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12月のウイークデイですが、相変わらず参拝者は多いですね。

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正宮へお参り。正月の準備で、お賽銭いれなどの工事中でした(笑)。

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おはらい街は、もっと人出がおおいです(笑)。

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赤福も並んでいます。

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これで、今年の行事は終わりです。あとは新年を待つばかりです。帰りの名阪が事故渋滞で遅れました。お土産の天麩羅とスーパーの弁当で疲れを癒しました。

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お酒は大吟醸より、飲みなれたワンカップが落ち着きますね(笑)。赤福ともよく合います(笑)。

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お酒無くなったので、泡盛を出してきました。

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石垣島の泡盛と伊勢の赤福。よく合うのを、赤福さんに教えてあげたいですね(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年12月16日 (月)

伊勢西国 16回目 玉城・度会の2寺

残り5寺となった伊勢西国ですが、腰痛が再発して歩けないのでストップしています。でも年内にお参りしてしまいたいので、出かけることにしました。

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上図、北勢・中勢地方のお寺は全て参拝済みで、残るは南勢地区の5寺です。今回は青〇の2寺を計画しました。下図を見てください。

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この地方は伊勢街道や熊野街道が入り乱れる街道のメッカです。そこに柳原観音、國束寺、田宮寺があります。柳原観音は今年2月、熊野街道を歩いたとき参拝しました。田宮寺は一寸離れているので、そのときは参拝できませんでした。國束寺は遠すぎて考えにも入りませんでした。

その後検討すると、JR栃原駅から國束寺、田宮寺を経てJR田丸駅までが20キロ、國束寺は丁度真ん中で、田宮寺は田丸から2.5キロです。自転車なら可能ですが、大日山から玉城IC辺りの山越えがネックです。

以前なら20キロ程度は歩くのに問題はなかったのですが、腰痛の現在はとんでもない話です(笑)。更に調べると、伊勢市駅から三重交通バスが國束寺の近くへ有ることが判りました。それで計画が一気に進んで、今回の実施になりました。

2024年12月14日(土)

10時40分に田丸駅に着きました。駅舎の改装が行われて、立派のなっています。お正月の門松が取り付けられていました。

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田丸は伊勢本街道から熊野街道伊勢路が分かれる場所なので、熊野古道伊勢路出立の地を売り物にしています。

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地図を見てください。

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田丸駅から田宮寺は往復5~6キロ、徒歩1時間半として、お寺の滞在時間15分として、帰ってくるのが12時30分。12時33分発の列車で伊勢市に向かう。逃すと1時間待ちです。腰痛が心配なので無理が効かない。それが心配でした。

でもレンタサイクルを見つけました。丁度駅から5分ほどの道沿いに、松田自転車さんがレンタサイクルを550円でやってました。これで余裕です(笑)。

駅を出て熊野街道にでる手前に「鳥見役所跡」の石碑がありました。

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説明を読むと、午後から行く予定の國束寺の裏山「國束山」一帯は、紀州の殿様の鷹狩場だったそうで、その見張りだそうです。熊野街道に出て左折、踏切を渡ると熊野街道の案内があります。

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街道はここで右折、左折しながら続いていました。この先でレンタサイクルを借り、そこから自転車で向かいます。県道13号線で右折すると大きな石碑があります。県道が熊野街道です。

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右くまの、左たなはし等と刻まれていますが、棚橋方面が熊野脇道です。少し先で熊野街道と別れて左折します。集落の入口に小さな石仏群がありました。

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さらに5分位進むと謂れありそうな地蔵さんの祠がありました。

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通り過ぎて、サニー道路を渡ります。道を尋ねながら11時22分に田宮寺へ到着しました。

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田宮寺は伊勢神宮の神官、荒木田家とゆかり深いそうです。明治の神仏分離令で廃寺となり、現在も檀家は居なくて、地元有志の方々で守られているそうです。従って御朱印は自分で押します。

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ご本尊は二体の十一面観音菩薩だそうです。なかなかどの寺もご本尊にはお目にかかれませんね。

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お寺に隣接して田宮寺神社があります。

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謂れはよく解りませんが、とりあえず参拝しました。

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12時10分に田丸駅に帰ってきました。余裕ですね(笑)。よく見ると、赤い郵便ポストがレトロで、駅名の看板も古いまま利用されていますね。

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中に交流スペースが作られていました。ここで一寸、弁当を食べさせて頂きました。

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予定通り伊勢市に向かい、13時15分の注連指行きのバスに乗りました。注連指、読めますか? しめ縄のしめ「注連縄」に「指す」で「しめさす」と読みます。20年位前に熊野脇道を歩いたとき覚えました(笑)。

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元気なら、借りた自転車で田宮寺から往復するところですが、今の私には峠越えが嫌でした。それとこの日、北風が強く、自転車には向きませんでした。バスは35分ほどで平生のバス停に着きました。

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すぐ後ろが参道です。ここから600mとか。

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熊野脇道を歩いたときは、伊勢西国は頭に無かったので、國束寺も眼中にありませんでした。もともと國束寺は國束山の山頂に有ったそうです。戦後、GHQの農地改革で寺領を失い、山頂の維持が困難となり、縮小して里に降りたとか。

バス停から5分歩くと、前方中腹にお寺が見えました。

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近づくと國束山の案内図がありました。お寺が里に下りていて、助かりました(笑)。

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一寸登ります。

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ご本尊は大阪の四天王寺から移された十一面観音菩薩だそうです。

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ここは珍しく納経所がありました。

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受付の女性の方が、「よかったら、鐘を撞いていってください」と言われ、久しぶりに撞いてみました。はらわたに響き渡りました。

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本堂の横に、愛染明王が祀られていました。

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無事、次のバスで、伊勢市駅に帰ってきました。予定通り、15時25分の快速みえに乗れました。今日のご褒美に、神宮御料酒を頂きながら帰りました。

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後、残る3寺です。年内に行けるかな。

 

 

 

 

2024年10月22日 (火)

伊勢西国15回目 鈴鹿の3寺

今回は下図中勢の青〇3寺を参拝してきました。これで番外や元を含めて39寺中34寺が終わったので、残りは南勢の5ヶ寺になりました。

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さてこの3ヶ寺ですが、下図のように離れています。林光寺は近鉄沿線ですが、府南寺は平田町駅から4キロ先です。府南寺から観音寺へ歩くと7~8キロ。帰りはJR加佐登駅から帰るとして、15~16キロは歩くことになるなと覚悟しました。

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でも念のため、鈴鹿市のコミュニティバスを調べると、府南寺へも観音寺へも平田町駅からバスがあることが判りました。ラッキーです。でも本数はそんなに多く無いので、時間調整が重要です。

2024年10月21日(月)

朝10時前に近鉄の鈴鹿市駅にやってきました。

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この辺りは伊勢街道(東海道から分かれた伊勢神宮への参宮街道)が通っているので、何回か来たことはあります。

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上図、緑の線が伊勢街道です。上が四日市の日永追分、下は白子方面です。林光寺方面に歩くと、見覚えのある場所に来ました。伊勢街道です。南北に通っています。

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林光寺へは10分ほどで着きました。裏門ですね。

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実はここ林光寺へは、以前三重四国を廻ったとき来ていたのですが、すっかり忘れていました。表門に回ります。

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聖武天皇の勅願所というから古いですね。行基上人の開基で、千手観音がご本尊です。一名、えんま寺ともいうそうで、閻魔大王も祀られているそうです。

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住職さんも居られて、御朱印は押して頂けます。本堂もゆっくり拝観させて頂きました。

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10時28 分に出発しました。平田町まで歩くつもりでしたが、バスの時間が迫っているので、安全を見て、隣の三日市駅まで歩くことにしました。途中、夜泣神社というお宮がありました。参拝する時間も無かったのですが、気になる名前ですね。

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10時50分に三日市駅に到着、54分に電車が来るので、ぴったりでした。

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5分で終点の平田町駅です。ホンダのある鈴鹿市の中心地ですね。

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28分のバスまで時間が有るので、付近を一寸散策。飲食店も多いですね(笑)。コミュニティバスのバス停は、一か所にあり、すぐ近くでした。

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11時28分に出たバスは、鈴鹿ハンターというショッピングセンターを経て、国府郵便局バス停に11時52分に着きました。

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バス停には府南寺の看板がありました。

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府南寺さんも三重四国に入っているので、前回も来ました。ここは何年か前の正月に来たのですが、そのとき賽銭泥棒があり、警察が来ていたので、よく覚えています。バス停からは3分です。

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ここも勝手口かもしれない。別の門へ行く。ここに運慶作の仁王像がある。

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ここの住職さんは熱弁です。仏教伝来時に聖徳太子により建てられた府南寺は千手観音がご本尊。一方、聖武天皇勅願の無量寿寺は阿弥陀如来。二つの寺が合体した泰平山府南寺は、現在も本堂が二つある。

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この難しい話を立ち話で聴かされた(笑)。でも良く判った。外へ出て庫裏の屋根を見ると、天平の甍でみたような「しび」が載っていた。唐招提寺の屋根を思い出した。

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12時27分頃出ました。帰りのバスは12時53分です。隣のバス停にコンビニが有るので、そこでお握りを買うことにした。お握りを買って、すぐ近くの三宅神社を食べながら参拝した(笑)。

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看板には伊勢総社とあったので、由緒ある神社だとは思いますが、詳細は不明です。バスで平田町へ帰ります。

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13時12分に平田町に着き、椿行が19分発、順調な乗り継ぎです。

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バスはイオンモールを経由して鈴鹿川を渡ります。

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渡って国道1号線を横断しますが、この辺りで思い出しました。1号線を亀山へ車で向かうとき、いつもこの鈴鹿へ入る道を眺めていたのです。横断して古い狭い道に入りました。

また思い出しました。ここは旧東海道庄野宿だと。歩きでは何回も来ているのです。

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庄野宿の案内です。

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JR加佐登駅の前を通って坂道を登ります。左折してしばらく走り、13時44分にフラワーパークバス停に着きました。ここは荒神山観音寺に入口です。

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ここも三重四国と重なっています。結局、今日の3ヶ寺はすべて重なっていました。こんなことなら前回、三十三ヶ所の御朱印も頂いておけばよかったのですが、そのときは再度来ると思っていませんでした。

ここは伊勢七福神も含めて、3種類の御朱印があるようです。

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ここは参拝者も多いとみえて、お守りや御朱印の事務所があり、女性の事務員さんが居られました。

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ここは弘法大師の開基云々ですが、それより荒神山で有名です。清水次郎長外伝、吉良の仁吉の話で有名です。その仁吉の碑が浪曲師広沢虎造により建立されています。

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全国の博徒が仁吉にあやかろうと、石碑のかけらを削っていくそうです。

これでようやく今日の参拝を終わりました。近くの加佐登神社は日本武尊ゆかりの神社で、参拝したかったのですが、帰りのJRの時間があるので諦めました。14時頃出ました。白鳥池です。

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街道の風情ある旧道を2キロほど加佐登駅に向かって歩きます。

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駅近くまで来て、14時34分の列車に間に合う確信が持てたので、お寺や高台で風景を楽しみました。浄安寺。

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鈴鹿市中心部を望む。

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JR加佐登駅です。

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さっき行った荒神山観音寺の女性が、今日は弘法大師の縁日なのでと、お酒のおつまみを呉れました(笑)。

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そう言えば、子供の頃、21日は東寺の縁日によく行ったものでした。そこで古銭など買った思い出があります。

お疲れさまでした。

 

 

 

 

 

 

2024年9月29日 (日)

伊勢西国14回目 伊賀街道沿いの近田山長谷寺

近田山長谷寺は大和の長谷寺を模して西暦701年頃に創建されたとか。戦乱で廃絶していたのを、江戸時代、藤堂藩2代高次が再建した。藤堂藩は津と伊賀上野を結ぶ伊賀街道を整備していたので、街道にほど近い、当寺を再建して菩提寺にしたのではないか。

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2024年9月28日(土)

暑さも少し和らいで歩けそうな気候になってきたので出かけることにした。津市では津観音などいくつかお寺があったが、海沿いの交通の便が良いお寺は既に参拝した。山沿いのこの長谷寺だけが残っていた。

調べてみると、近鉄津新町駅から三重交通バスに乗り、忠盛塚で降りてコミュニティバスに乗り換えて、片田長谷で降りると良いことが判った。9時27分に津新町に着き、45分発のバスに乗った。忠盛塚着が9時58分、コミュニティバスが10時4分に出る。丁度良いと思っていたら、到着が5分ほど遅れて、一寸離れたコミュニティバスが出て行ってしまった(泣)。

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3キロ程を歩くことになって予定が狂ってしまった。コミュニティバスの本数は少ないので往復は使うのは無理で、行き帰りどちらか1本は乗ろうと思っていたのに、往復歩きになってしまった。実はこの時点で勘違いしていた。

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コミュニティバスのバス停は忠盛塚の前に有る。ここが伊勢平氏発祥の地、つまり、平清盛の父、忠盛が生まれた場所だそうです。

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平氏は元々東北が地盤でしたが、平将門の乱などで源氏に追われ、伊勢を地盤にすることになったそうです。

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伊賀街道の案内も有りました。バスが行ってしまったので、ゆっくり説明が読めます(笑)。

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目指す長谷寺へは、地形図やグーグルマップで見ると県道を3キロ程歩きますが、車が多い。いやだなあと思っていると、地図にない道が県道に目的の方向につながっているようです。迷わず、その道を選びました。10時17分です。

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正解でした。あぜ道ですが1キロ位、車を気にせず歩けました。

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合流して5分ほど県道を歩いていると、長谷山ハイキングコースの案内がありました。

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車に怯えながらさらに歩きます。津市の浄水場の入口を過ぎます。10時40分。

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更に12~3分で、右手にハイキングコースが分かれます。津カントリーの入口が左前方に見えます。

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ここを右に入り、ハイキングコースではなく、長谷集落への道が左にあります。

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5~6分登って行くと、立派な石仏があり、直進が長谷寺の参道のようです。

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更に10分弱で、長谷山学園と長谷寺の分岐になりますが、参道は通行止めで学園へ向かいます。

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3分で学園です。

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長谷寺はここを直進して、一寸登ると、本堂の裏に出ました。

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11時16分、到着です。忠盛塚から1時間掛かりましたね。標高は170m位ですね。

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ここも御朱印は自分で押します。御朱印料は賽銭箱に入れてくれとのことです。

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一寸休憩して帰途に就きました。12時32分頃かな。10分一寸下って、県道へ出ると、津市のコミュニティバスが追い抜いて行きました。あれっと思って時刻表を見ると、12時40分に忠盛塚行がありました。

検討していたときは、行はバスだったので、帰りのコミュニティバスには1時間近く待ち時間があり、それなら帰りは歩こうと思っていたのでした。でも行を歩いたので、帰りのバスが丁度よくなっていたのです。後の祭りです。

泣く泣く帰りも歩きました。忠盛塚から津駅までバスに乗り、駅前の居酒屋で反省会を一人で開きました。

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お疲れさまでした。

 

 

 

2024年8月22日 (木)

伊勢西国13回目 亀山その2

今回は亀山駅から離れた2寺、能登寺(やとうじ)と宗徳寺(そうとくじ)です。

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能登寺はもともと鈴鹿山脈南部の野登山(ののぼりさん)851mの山頂付近にありましたが、江戸時代に麓の池山に下寺ができたそうです。三重四国にも入っているので、一度来たことがありますが、その時は自家用車できました。宗徳寺は初めてです。

能登寺の先に景勝地石水渓があり、安楽川を詰めると安楽峠に出ます。この道は安楽越へ京道と呼ばれ、東海道の鈴鹿峠の間道でした。関所が無いので安楽と言われましたが、道は厳しいです。歩いてみたい方は、ここを参照してください。

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1583年、秀吉は滝川一益を討つため、兵7万五千で京から鈴鹿山脈を越えて伊勢に入りました。その際、兵は三つに分け、一軍は上図五僧峠越で上石津へ、二軍は治田峠越で大安町へ、秀吉は三軍を率いて安楽峠越で入ったそうです。太閤の腰掛石が残っています。

2024年8月19日(月)

この日は小雨模様で気温も32~33度、これなら歩けそうと12時過ぎに亀山駅に着きました。12時14分発のコミュニティバスで能登寺のある池山に向かいます。

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バスはあちこちの病院や団地に寄りながら能登り地区に入って行きます。

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降車予定の池山東の手前で、バスはどんどん山登りはじめてびっくりしました。日本の棚田百選に選ばれた坂本棚田を往復しました。

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13時13分に池山東に到着しました。

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新名神の亀山西ジャンクションも近く、能登寺の案内も有ります。

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10分ほど集落の中を登って到着しました。

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境内です。左の石像は弘法大師、本堂手前右の木の立て札が伊勢西国の案内です。

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神武天皇の東征を案内した三本足の八咫烏と同様、醍醐天皇の使者を能登山の千手観音へ案内した三本足の鶏の伝説があるそうで、鶏足山能登寺というそうです。

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自分で御朱印を押した後、縁側で一寸休息していました。前方は能登山なのでしょうか。

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13時48分、寺を出て、坂を下ってバス道である県道302に向かいました。

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14時頃道が左右に分かれました。左バス道、右旧道のようです。右へ。

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旧道側の石仏です。

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すぐにライオンズゴルフクラブの入口がありました。

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バス道に貴重な酒屋さんがあるので一寸寄りました(笑)。

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冷たい飲み物を舐めながら歩いていると、道路工事のおじさんが笑っていました。坂を下ると、安楽川の右手に両尾(ふたお)の街並みが見えてきました。

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この中に宗徳寺があるはずです。14時34分、両尾橋を渡りました。

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渡って振り返ると鈴鹿山脈が見えます。真ん中が能登山と仙ヶ岳かな。

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10分ほどで集落を通り抜け、一寸高台に宗徳寺はありました。ここは観音堂は別棟で、しかもお寺のものではなく、自治会のものだと聞きました。

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でも御朱印は奥さんが押して頂きました。本堂へ入れて頂き、お参りさせて頂きました。

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曹洞宗のお寺で珍しいなと思いましたが、奥さんの話では、この辺り曹洞宗の信者さんが結構多く、両尾の集落も殆どが檀家だそうでした。真宗ばかりじゃないんだ。

歩いて廻っているのを、ひどく感心してもらいました。飲みながらお恥ずかしい(笑)。石造三重塔を見るのを忘れてしまいました。15分前に両尾のバス停に着きました。飲み物の準備万全なので、待ち時間は怖くありません。

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宗徳寺は集落の上に見えています。

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帰りのバスは行とルートが違い、寄り道なしで亀山駅に帰ってきました。行きの半分の時間です。駅手前の市役所前で降りました。

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亀山は街道歩きで何回も来るのですが、ゆっくり亀山城址を見たことがないので、一寸見てみようと思ったのです。

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城の天守などは残っておらず、この多門櫓だけみたいです。

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他に亀山神社がありました。

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亀山演武場というのがあり、心形刀流の道場だそうです。珍しいですね。

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明治天皇行在所もありました。来られたのですね。

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見終わって駅に向かうと旧東海道と交差します。左桑名方向からきて、右へ歩くと、野村一里塚があります。

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帰りの列車の中は、心地よい疲れの中、至福の時間があります。

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お疲れさまでした。これで30ヶ寺になり、残り9ヶ寺です。

 

 

2024年7月26日 (金)

伊勢西国12回目 亀山市

酷暑続きますが、なんとか伊勢西国を続けようと頑張っています。最大の敵は熱中症で、歩いている間に倒れては物笑いなので、工夫しています。

さて亀山市には4ヶ寺が入っています。図を見てください。亀山駅の右下2キロほどの所に蓮光寺。ここは歩いて行けそうです。

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亀山は図のように旧東海道が横断していますが、その沿線には無いようです。駅から左上3.5キロに円福寺、更に4.5キロ離れて宗徳寺、さらに3.5キロ離れて野登寺です。幸いコミュニティバスが近くまで行っていますが、本数が少なく、片道しか利用できないようです。

そこで今回は、亀山駅から蓮光寺を徒歩で往復する。そしてバスで円福寺へ。そこから徒歩で宗徳寺、さらに徒歩で能登寺へ、帰りはバスで亀山駅へと計画しました。

2024年7月25日(木)

11時30分発円福寺行きのバスに乗るため、亀山駅に10時7分頃到着しました。蓮光寺往復に1時間一寸と見ています。亀山駅前は再開発が終わってきれいになりましたが、コンビニもキオスクも何もありません。駅前で缶ビールが買えない、最悪の再開発ですね。

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線路沿いに引き返して、今乗ってきたJR関西線の踏切を渡ります。

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そしてすぐ今度は亀山から津へ向かう線路も横断します。

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そして鈴鹿川を渡ります。

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右手奥に鈴鹿山脈が見えますが、この付近だと左が明星ヶ岳、右は野登山ぐらいでしょうか?

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途中、適当な所で細道を左折しましたが正解でした。その後は道なりに、再度、津行きの線路を渡ります。

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駅から30分一寸、10時39分、蓮光寺の案内がありました。

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そのそばに謂れありそうな石灯籠がありましたが、謂れは不明です。

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右折するとすぐ蓮光寺でした。

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正面が観音堂、右手の修理中が本堂のようです。

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昔、慈眼寺という十九番のお寺が有り、そこの千手観音を当寺が受け継ぎ、元十九番と称しているそうです。観音像は秘仏で見えません。

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御朱印は自分で押します。

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門の脇にキリシタン灯籠がありました。この辺りも隠れキリシタンがいたのでしょうか。

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10時54分、参拝を終え、急いで亀山駅に引き返しました。30分弱で亀山駅に到着し、余裕で円福寺方面行のバスに間に合いました。バスはうねうねと廻って、30分近くかけて円福寺前駅に到着しました。11時58分です。写真のジャンボタクシーがコミュニティバスで、右手が円福寺の勝手口みたいですね。

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勝手口から入ると黄檗宗の表札がありました。八十八ヶ所巡りは弘法大師の遺跡巡りなので、殆どが真言宗のお寺ですが、三十三札所巡りは観音霊場なので、いろんな宗派のお寺があります。でも黄檗宗は珍しいですね。

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黄檗宗は京都の宇治に有る万福寺が本山で、江戸初期、隠元禅師が伝えました。普茶料理が有名ですね。

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ご本尊は聖観音だそうです。

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ここも御朱印は自分で押します。

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入ってきたのが勝手口だったので、正門のほうへ歩きました。

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時刻が12時10分で、空腹なので、持ってきた弁当をどこかで食べようと思いましたが、適当な場所がありません。ここが正門です。

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この辺りのどこかで弁当を食べて、宗徳寺・能登寺と2時間ほど歩くわけですが、暑いので嫌になりました(笑)。行きのバスの運転手さんが、途中の医療センターまで歩けば、亀山駅行きのバスが出ていると言っていたので、ここで止めることにしました(笑)。

引き返すと、多分ここが昔の円福寺の参道らしい所に来ました。12時14分です。

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医療センタ¥まで歩いて、そこのベンチで弁当食べることにして、ひたすら歩きました。12時32分に医療センターに到着しました。

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バスの時刻表を見ると13時丁度に亀山駅行があります。丁度良いので、ベンチで弁当を食べました。

バスは10分一寸で亀山駅に着きました。名古屋行のJRは13時24分発で、13分の乗り継ぎです。ここで致命傷なのが売店が無いことです。近くのコンビニまでは450m、6~7分は掛かります。

泣く泣く、何も持たずに列車に乗りました。桑名駅で待ち時間が有ったので、一寸途中下車しました。すると、昼間から開いている立ち飲み屋がありました(笑)

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冷たいビールを一寸頂いて生き返りました。

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駅前広場に屋台ができていました。再開発中の仮店舗です。

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亀山駅みたいに、最悪の開発にならないことを祈ります。

亀山市の残り2寺は近々また出かけます。

 

 

 

 

 

2024年6月24日 (月)

伊勢西国11回目 白子と四日市

4月に足首骨折以来、中断していた伊勢西国を再開することにしました。骨折は90%以上治っていると思うが完全では無い。それで梅雨の合間に軽く歩いて行ける2寺を選んだ。

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これまで全39ヶ寺のうち赤〇24ヶ寺を参拝している。今回は青〇の2寺です。

2024年6月22日(土)

まず19番の子安観音寺。結構有名な寺で、参拝者も多いと思います。前にも何回か来ていますが、伊勢西国として来るのは初めてです。朝8時25分の近鉄に乗って、9時23分に鼓ヶ浦駅に到着しました。

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駅を出て5分も歩けば到着するはずです。

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駅前広場の駐輪場を横切って右折、すぐに釜屋川という小さな川を渡りますが、既に参道の感じです。

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渡るとすぐ1~2分で子安観音寺です。

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白衣観音がご本尊だそうで、徳川御三家の安産祈願も有ったとか。

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ここは参詣者も多いので、納経所もしっかりしています。自分で押印はありません。

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境内に不断桜とう天然記念物があり、1年中花か葉が絶えないとか。あかごの男女見分けの霊験もあるとか。

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三重塔は知恵の塔だそうで、建立は新しいそうです。

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隣接して由緒ありそうな神社があるので、納経所で訊いてみると、明治以前の神仏習合の時代には、同じ境内に有った、比佐豆知神社だそうです。

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15分ほどで参拝を終え、帰りは伊勢街道を歩いて、急行停車駅の白子まで歩くことにしました。何回か歩いた道ですが。

門前の道です。西方寺というお寺の土塀ですが、石臼が埋め込まれているのが珍しいですね。

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伊勢街道に突き当たって左折します。街道の風情ですね。

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目付役所跡とか同心屋敷跡とかあります。

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観音寺から20分、10時2分頃に「さんぐう道」の大きな石標があります。ここを右折します。

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この辺りは曲がり角が多いので建てられたそうです。少し行くと1500年以上の歴史とかの久留真神社があります。謂れは一寸見当たりませんでした。

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10時17分、右手に公園があり、旧河芸郡役所跡の案内があった。

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ここを右折してすぐ左折、広い通りを左折して5分ほど歩けば白子駅です。

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10時24分、観音寺から40分でした。すぐに急行が来たので、それに乗り、10時50分に四日市に着きました。

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お気に入りのサイゼリアが有ったので、一寸早いけど昼食にしました(笑)。

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ワインもしっかり飲んで、これで950円は安いですよね。料理が出てくるのが遅いのが玉に瑕ですね。四日市駅前の繁華街を入念に見て歩き、どんな店があるのか再確認してきました(笑)。

12時23分発のバスに乗りました。阿倉川駅の傍を通って垂坂へ向かいます。

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12時50分頃垂坂バス停に到着しました。団地の中を横断して右折すると立阪神社がありました。式内の神社だそうですが、謂れは知りません。

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バス停から10分で到着しました。

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ここは垂坂山観音寺というが、ご本尊は元三大師みたいだ。

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元三大師はおみくじの元祖として有名で、比叡山延暦寺の中興の祖として知られています。

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御朱印はご住職らしき方が居られて押して頂いた。その元三大師手彫りの千手観音が観音堂に祀られているとは、後で調べて知りました。寺の一寸離れた山すそに、気になる祠がありました。

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気になって見に行きましたが、空で、小さな布袋様が置かれていました。

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これで今日のお参りは終わりです。後は霞ヶ浦駅まで3キロほどを歩きます。一寸道を間違えたりしながら、垂坂公園の坂を登りました。

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登りきると25分経っていました。13時50分です。そこから羽津中学の前を通って、一本道の下りです。

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30分下って14時20分に霞ヶ浦駅に到着しました。

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お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年3月30日 (土)

伊勢西国10回目 菰野の2寺

2024年3月30日(土)

明日は団地の老人会で花見の予定ですが、今日も天気が良いので出かけることにした。菰野町に元25番尾高観音、元26番慈眼寺の2寺があるが交通の便が悪い。近鉄湯の山線の菰野駅から10キロ近く離れている。コミュニティバスの便も悪い。自転車でとも思ったが、この際女房と車で行くことにした。

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我家のある長島から、東名阪に乗り、四日市東インターで降りて、途中、竹成の五百羅漢に寄りながら行くコースにした。9時15分過ぎに家を出て、竹成到着は10時だった。

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ここは伊勢西国には関係ないが、五百羅漢が面白いので寄ってみた。この辺りはこの地方の交通の要衝のようで、立派な道標がありました。確か、巡見街道も近くを通っていたと思います。

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2体の大日如来の木像がご本尊です。

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この辺りは天台宗や真言宗が盛んだった土地柄だそうで、室町時代の作だそうです。

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その境内にある五百羅漢が有名です。

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19世紀中ごろ、江戸時代の後期に完成したそうです。いろんな仏像500体は珍しい。

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境内の桜は満開でした。

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ここから元26番の慈眼寺はそう遠くありません。

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ナビの案内で行ったので遠回りですが、15分位で着きました。ナビが無いと行けない、辺鄙な場所にあります。また、駐車場が無いのも困りものです。10時25分着。

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この辺りの寺々は、織田信長の伊賀攻めの際、北畠に着いて焼き討ちされた寺が多い。この慈眼寺もそうらしい。住職は居られるようですが、御朱印は各自です。

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ここで元25番の尾高観音の御朱印も頂きます。御朱印の価格で思い出したのですが、四国八十八ヶ所の御朱印代が、4月1日、明日から200円上がって500円になると新聞に出ていました。

ここで元25番尾高観音の御朱印も頂きましたが、やはりお参りしないといけません。15分ほど走って、尾高観音の駐車場に来ました。

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もう一寸、近づけるかと車で入りましたが、駄目で、引き返して駐車しました。ここは観光協会の駐車場で、尾高高原や釈迦が岳にも行けるのかな。5分で参道入り口です。

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なかなか趣のある参道ですね。現在無住ですが、往時は先ほどの慈眼寺なども含めて、地域を統括する寺院だったようです。ただ、過っての信仰寺院や藩主の菩提寺などは、一般の檀家が居ないため、時代と共に没落せざるを得ない運命になったようです。

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一寸寂しい気がしますね。特に、三重県は真宗高田派の力が強く、檀家も殆どが浄土真宗なので、そう感じますね。

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ただこの尾高観音は、我々が参拝している短い間にも、二組の参拝者がありました。他にも登山者も参拝していくので、結構参拝者は多いですね。これで今日の参拝を終えたので帰途に着きました。

11時20分頃出発し、今度は下道で、木曾三川公園センターに向かいました。チューリップ祭りをやっているので。途中スーパーで買い物等したりして、1時前に着きました。着いてびっくりしました。駐車場が満杯なのです。

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今日は土曜日、春休み、桜の季節、チューリップ祭りと重なっていたのです(笑)。いつもはウイークデイのイベントも無い日に来ているので、駐車場はがらがらです。こんな車は初詣以外、初めてみました。会場も大勢の人です。

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公園関係者も大満足でしょう。ここは環境省管轄の国立公園と違って、国交省管轄の国営公園です。チューリップきれいでした。

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桜も咲いてました。

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屋台も出てました。

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春ですねえ。家に帰って、運転で飲めなかったビールを、軽く頂きました。

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お疲れ様でした。

 

 

 

 

2024年3月20日 (水)

伊勢西国9回目 勅願院観音寺

今年は3月20日がお彼岸で、前日の19日に墓参りに行った。我家のお墓は四日市市の塩浜に有る。その塩浜霊園から2キロほどの場所に25番札所の勅願院観音寺があるというので、帰りに参拝してきた。

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地図の上部、JR南四日市駅の近くに観音寺がある。お墓は下部で、近鉄塩浜駅に近い。

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当寺は天台宗から浄土宗に転じ、ご本尊は阿弥陀如来です。また聖武天皇、後奈良天皇、後陽成天皇の三代の天皇の勅願所となっています。

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ですが、その右手に祀られる如意輪観音が有名です。6本の腕を持つ如意輪観音は各地で見られますが、4本の足、八つの頭を持つ霊鳥に乗った姿は、ここだけだそうです。

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残念ながら秘仏なので、パンフレットの写真を頂きました。

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今回で22寺お参りしました。番外・元を含めると39ヶ寺なので、半数は越えましたね。

 

2024年3月12日 (火)

伊勢西国 東海道富田宿2寺

旧東海道は桑名宿の七里の渡しを出ると、ほぼJR関西線に沿って四日市宿に向かいます。江戸から桑名が42番目、四日市が43番目の宿場です。ただ桑名・四日市間は15キロと長いので、中ほどの富田に間の宿が置かれ、休憩所(立場)などが置かれていた。

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富田宿は漁業の町で、焼き蛤などをふるまったらしい。東海道中膝栗毛を読んでみても、弥次さん喜多さんは桑名宿を出てから蛤を食べているようなので、桑名の蛤というのは富田かもしれない。

最近、寒いし風も強いので、伊勢西国巡りもできていなかったが、今日は天気も良かったので、午後から散歩がてら、旧東海道沿いに有る2寺をお参りすることにした。

2024年3月10日(日)

午後1時前に朝日駅に着いた。富田は四日市市ですが朝日駅は朝日町です。ここから一寸旧東海道を歩きながら、お参りしようと思ったのです。

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駅のすぐ東側が旧東海道です。この辺りは街道が南北に通っています。何年か前に東海道ルネッサンスという催しが有ったようで、そのとき、いろいろな案内が整備されました。でもこの朝日町はそれ以上に東海道を大切にしているようです。

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親切な案内に導かれながら10分ほど歩くと、両側に並木を植え、行燈のような常夜灯を整備してありました。そこに東海道の説明板がありました。

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旅人の息遣いが残る町 朝日町。この図の朝日駅から歩いています。

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5分ほどで伊勢湾岸道の下を潜り、朝明川を渡ります。御在所岳と鎌ヶ岳がきれいです。

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朝明橋を渡ると四日市市松寺のようです。小公園がありました。東海道を説明しています。

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力石が置かれていました。27貫目、約100キロだそうです。

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四日市市は三重県で最大の都市ですが、意外に東海道を大事にしています。隣の鈴鹿市はあまり力が入っていないように、歩いていて感じます。

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小公園から5分、13時28分、街道の左奥に酒蔵が見えました。

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その先に松寺の立場跡の案内がありました。

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その奥の碑は輝子という女性の碑で、3千人もの子弟の教育にあたったそうです。そこから7~8分、13時37分に28番宝性寺の前に来ました。御厨神明神社と同じ境内のようです。神仏習合ですね。

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江戸時代、富田は桑名藩の領地でした。なので宝性寺の本堂の再建は桑名藩主が寄贈したようです。現在、住職は不在で、地域住民がお世話しているとか。

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なので御朱印は自分で押します。

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神明社は天照大御神をお祀りします。御厨とは伊勢神宮に収めるお米の水田のことだそうです。

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13時52分にお寺を出ました。

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5~6分でJRの踏切がありますが、その上を三岐鉄道が通っています。

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富田の市街地に入ってきます。踏切から10分ほどで、今度は近鉄の下を潜ります。

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潜るとすぐ、富田の一里塚跡の石碑があります。

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さらに5分、14時10分に、八幡神社の前に来ました。応神天皇をお祀りし、源氏の守護神ですね。

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ここにも力石がおいてありました。

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すぐ近くに、行敬記念道路という石碑がありました。大正天皇が皇太子時代に富田中学を視察されたそうです。田舎の中学を視察なんて異例ですから、当時は大騒ぎだったでしょうね。

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少し先で東海道は右折します。判り難いのですが、電柱に案内がありました。

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右折して2分、近鉄富田駅の近くになりますが、ここを左折して東海道と分かれ、27番長興寺に向かいました。すぐです。

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東寺は真言宗から曹洞宗に変わって現在に至る。ご本尊は大日如来さま。近代的な建物です。

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ここも御朱印は自分で押しますが、本堂の中を覗けないのは寂しかった。また、鯨供養が行われる寺とかで、往時はこの浜でも捕鯨が行われていたのですね。紀州の大地だけじゃないんだ。

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14時26分に出て、12~3分でJR富田駅に着きました。無人駅です。

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今日は歩いた距離も4キロほど、長島までの乗車時間も15分もありませんが、ご褒美だけは欠かせませんね(笑)。

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お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

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