2022年6月27日 (月)

熊野街道 島地峠

第2回きほく発見アカデミー「知られざる中世の熊野古道 島地峠を歩く」というのに参加しました。くまの体験企画の内山さんがガイドを務めるというので参加したのですが。

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紀伊長島地区の熊野街道は、江戸時代は荷坂峠を越えて入ってきました。もう少し前の鎌倉・室町時代、いわゆる中世の熊野街道はツヅラト峠越でした。下図をご覧ください。

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紀伊長島から尾鷲までには七つの峠が有ったと言われますが、ツヅラト峠を越えて志古へ降ってきた旅人は、次に中桐を経て島地峠を越え、更に一石峠・平方峠を越えて古里へ向かいました。

今回はその中桐から島地峠越を歩きながら、歴史散歩を行うようです。

2022年6月25日(土)

11時に紀伊長島駅に着きました。受付が12時からなので、どこかで昼食と思いましたが、せっかく紀伊長島まで来たのだから、海を見ながら弁当を食べようと、近所のスーパーで弁当を買い、海岸に向かいました。

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弁当を食べていると、突然・度々、大きな鳥の影が地面を覆います。鳶ですね。ここは鳶が多いですね。弁当を取られるかと心配しました(笑)。

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紀伊長島駅の隣のまんどろで受付です。

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熊野古道伊勢路を当時の皇太子殿下、現在の天皇陛下が来られた記念碑からスタートしました。

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13時のバスで中桐に向かいました。13分位で到着しました。ここには円通閣が有ります。

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内山さんの説明では、中世の熊野街道は、上図青色点線のようなコースを辿って中桐に来たそうです。

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現在は上の写真のように小さなお堂に、聖観音菩薩が祀られています。手前左は庚申さんです。ご本尊の左に毘沙門天、右に不動明王が立つ三尊像の形は天台宗の古い形だそうです。

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境内にある石塔は墓ではなく、中世にここを治めていた豪族の子孫が、先祖を忘れないように建てたものだとか。

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円通閣のすぐ上に泉福寺という曹洞宗のお寺があります。

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その境内の石仏の一つに、餓死者を供養する文字がありました。飢饉の餓死者を指すのか、旅人を指すのか不明だそうですが。

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この泉福寺の釣り鐘は、民家のような鐘楼にあります。江戸時代に、前の鐘が壊れ、付近の住民が6銭ずつ出し合って、津の鋳物師に注文して出来上がったという謂れがあるそうです。良い音色でした。

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ところで、先ほどの円通閣の聖観音さまですが、昔、西国三十三札所を決める観音様の会議が行われたときに、つい寝過ごして会議に遅れたそうです。それで一番は那智の青岸渡寺に決まってしまいました。それで、円通閣の聖観音は三十三か所の導き観音となられたそうです。

なので別名を、導き観音とか朝寝観音と呼ばれて信仰を集めているそうです。その当時は長福寺と言って、この泉福寺がある辺りにあったそうです。

13時45分頃、泉福寺を出て、島地峠に向かいます。途中、振り返るとツヅラト峠が見えます。中央鞍部の右側が峠です。

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奥村墳墓の手前付近は山すそを歩きます。その辺りには昔から泉があり、旅人ののどを潤したそうです。

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14時20分頃、国道422号から赤羽トンネルを経て国道42号線に出る車道を横断します。その交差点に奥村墳墓があります。

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鎌倉幕府滅亡の折、北条家の家臣であった奥村氏がこの地域に逃れ、紀北一帯に勢力を張った。その後、一時紀伊長島城も手に入れたが、北畠氏によって滅ぼされた。一族は分散して紀北一帯に土着した。彼らが建てた宝篋印塔の一部が残されている。

ここからの古道は荒れ果てて辿れないため、現在の熊野街道で島地峠を目指して登ります。

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20分ほどの登りで島地峠です。特に峠の名前は表示されていません。表示してほしいですね。

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ここからは下りです。古道は、この下のトンネル工事の際、破壊されて、一寸辿れないそうです。12~13分下ると紀勢道の下を潜りますが、その付近では古道が残っているそうです。

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現在は左折して10分も歩けば、JR紀勢線の踏切に出ます。その手前に加田の石仏道標がありますが、本来は先ほどの古道のどこかに有ったものが、ここに移されたのではないかと思われます。

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15時25分頃、ここを出て、国道42号線で造船所の横を通って、紀伊長島駅方面に引き返します。右手は江の浦です。

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途中休憩しながら20分一寸で国道を離れ、魚町へ入っていきます。

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入るとすぐ長嶋神社があります。須佐之男命をお祭りする当社は、由緒不明ですが、相当な歴史があるのは事実でしょう。1591年に北畠氏の代官加藤氏の居城で有った長島城が焼き討ちされたとき、当神社の社殿も焼失した事実が残っています。

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この辺りまで来た所で、帰りの電車の時間が迫ったので、一人だけグループから抜けさせてもらいました。なにしろ1本逃すと次は1時間半後しか無いので。

気持ち良い1日を過ごさせて頂いて、紀北町観光協会の皆さん、案内の内山さん、地元ガイドの樋口さん有難うございました。

終わって、駅で飲んだ一杯はたまりませんでした(笑)。

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また社内で多気までに一寸一杯。

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多気から快速みえでまた一杯。

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自宅へ帰って〆に一杯。

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体中にお酒が沁みていくようでした。お疲れ様。

 

 

2022年4月19日 (火)

久しぶりの熊野 1日目は赤倉街道

「熊野あらけ隊」のOさんが、フェイスブックに赤倉街道を紹介されたとき、大いに興味を持ちました。紹介された地図がこれです。

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これだけでは一寸判らないと思いますし、赤倉街道って何だろう思いますよね。そもそも〇〇街道と言うのは、〇〇へ行く街道と言う意味です。

例えば奥州街道は奥州へ行くために白河の関を目指す街道。日光街道は日光東照宮へ行く街道と言った具合です。所が赤倉は現在、特に何もありません。養魚場がある位です(笑)。その赤倉へ何のために行くの? と言うわけです。

でも私は12~13年前、下図の茶色のコースを歩きました。

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熊野市育生町尾川から絶景の大丹倉へ登り、赤倉へ降って、今度は一の水峠を越えて熊野市駅まで。そのとき、丹倉と赤倉の間に穴山関所跡というのがあり、その説明がありました。

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それによると、ここは過って熊野本宮へ通じる主要道だったというのです。そうでなければ関所なんて作りませんよね。そのことが頭の片隅に残っていたので、赤倉街道に興味を持ったのです。

現在、この地方の熊野街道は、花の窟神社から産田神社を通り、横垣峠・風伝峠を通る、いわゆる本宮道がガイドブックには紹介されています。でも、この穴山関所を通るのが主要道だったとすれば、どういうルートだったかと考えてみました。その結果が下図です。

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説明には、木ノ本より一の水峠を越え、赤倉・丹倉を経て本宮に至るとあります。多分、丹倉から尾川へ降り、赤木を経て板屋で本宮道と合流したと考えるのが自然ですね。その木ノ本(熊野市駅付近)から一の水峠までの正しいルートが今回の赤倉街道らしいので。興味を持ったわけです。これはガイドブックに載っていない、重要な熊野古道だなと。

という訳で、Oさんにお願いして詳しく教えてもらって出かけることにしました。

2022年4月16日(土) 風は強いものの天気は晴れです。

桑名を8時25分発の南紀1号で、熊野市着は11時13分です。もう1時間早い列車があると良いんですが。

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オークワで弁当を買って、11時40分頃出発し、井戸川沿いに歩き始めました。

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まずは一乗寺と言うお寺を目指します。

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15分弱で図のA地点に到着しましたが、折り返す道が細いので躊躇していました。たまたま地元の方が通りかかり、確認できたので助かりました。ここに道案内欲しいです。

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急な登りを登っていきます。

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5分で一乗寺らしきお寺の下にでたので登ってみました。

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でもそこは墓地で、お地蔵さんだけがありました。名前も龍泉寺でした。一条寺は更に上らしいので止めました。熊野市街が見えます。

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再度、道に戻りました。12時2分です。ここで一寸勘違いしていました。もらったイラストに、一乗寺の横に庚申書かれています。なので、庚申様と書かれています。なので庚申様を過ぎて右折と考えていました。でも実際は右折して山道に入ってから庚申様が有るのでした。危うく通り過ぎる所でした。一乗寺から1分でB地点、右折です。標高は50mほどです。

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こんな山道です。

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すぐ右手に庚申様があります。12時06分です。

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ここからは熊野あらけ隊さんの道案内や赤テープがあるので迷わないでしょう。でも棚田跡なので、水平な道は歩かず、登っていきましょう(笑)。

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庚申様から6分でC地点、最初の車道に出ました。

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横断して登りますが、あらけ隊さん、苦労がしのばれます。感謝。

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更に5分で、二つ目の車道横断、D地点にでます。

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車道を一寸右手に歩くと展望が開けています。鬼ヶ城や熊野灘が一望でした。

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登り始めるとすぐ石畳が現れてきました。

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5分ほど登ると、右手に炭焼き窯があります。完全に近い形で残っているのですね。

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石畳は更に続きます。

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炭焼き窯から15分弱、12時41分に第一ベンチに到着しました。標高は200mでしょう。

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5分ほど休憩して出発しました。ちらほら竹林に掛かるころ。地面にタケノコの皮が落ちています。イノシシが食べたのでしょうか。

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しばらく竹林が続きます。

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竹林を抜けると棚田の石垣が目立ちます。この石垣を見るたびに思うのですが、昔の人は小さな水田を作るために、よくこんな手間をかけて石垣を作ったなと。よほどお米は大事だったんだなと。

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ベンチから15分弱、13時03分にF地点、帰りの分岐点を通過しました。

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そこから5分でライオン広場です。名前の由来は、道にかぶさる枯れ木がライオンかな。

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その右奥に四角い石の台座のようなのが見えますね。何か有ったかもしれない。ここからまた、素晴らしい石畳が続きます。他の熊野古道にも、これほどの石畳は少ないですね。

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でも一寸道幅が狭いので、大名行列どは無くて。庶民だけが通る参詣道だったかも。石畳を5分ほど登ると、右手に桃太郎岩があります。流れてきた桃が二つに割れて、赤ん坊が生まれたのですね。

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柳生街道に有ったら十兵衛岩だなと思いました。そこから17~18分、13時33分に、今日の最高地点、西ノ峠H地点に着きました。標高は430mでしょう。

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そこから7分、一寸下り気味の水平な道を歩くと、今日の目的地、作業道広場でした。標高は420mかな。A地点から登り始めて1時間45分でした。

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ここにも立派なベンチが作られていたので、ゆっくり弁当を頂きました。

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一の水峠への道のりは、ここで半分位みたいですね。一寸覗いてみました。

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14時過ぎに出発して引き返しました。30分ほどでF地点・分岐に到着し、右折しました。特に迷う所も、危険な個所もなく、13分ほど歩くと小さな案内がありました。

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図のM地点だと池川方向へ行ってはいけないので、一寸迷ってkumanotrailの示す方向へ降りかけました。でも道が非常に悪いので、引き返して池川方向に進みました。10分ほどで車道に出ました。J地点だったようですね。14時56分です。

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Uターンして引き返します。次のK地点で車道から分かれるのですが、ここも一寸判りにくい。小さな案内に一乗寺と書かれていますが、見落としそうです。

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地道に入って下ると3分で展望台への案内があります。

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5~6分下ると展望台です。岩の上に苦心の場所が作られていました。

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絶景です。鬼ヶ城や明日行く予定の猪ノ鼻岬が指呼の間です。

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15分ほどで往復して引き返しました。20分ほど下ると苔の生えた舗装道路に出ました。15時38分。

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そこから10分で、行に分かれたB地点に戻ってきました。15時47分です。

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一乗寺の門札を見ていないので、疲れた足を引きずって見に行きました(笑)。

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引き返して最初のA地点に戻ってきたのが、15時59分。

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そこから12分か13分でイオンまで戻ってきました。お疲れさまでした。七里御浜へ出てきました。台風の影響か波が荒いですね。

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民宿に入ってひと風呂浴びて、またイオンに引き返して、食料を調達しました。獅子岩に月が掛かっています。

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一人寂しく夕食ですが、この時間もまた楽しい。

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月明かりに照らされた熊野灘を見ながら、夜は更けていきました。おやすみなさい。

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明日は紀伊半島みる観る探検隊に参加します。

 

 

 

 

2022年2月13日 (日)

東海道から伊勢街道へ

山仲間のNさんから「歩かないか」と誘われて歩いてきた。「飲まないか」と同意語だと思ったから(笑)。なので街道トレッキングではなくダイバー散歩に書いています。

コースは東海道四日市宿から日永追分で東海道と分かれて伊勢街道へ。神戸宿のあった鈴鹿市駅まで12キロほどです。

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2022年2月11日(金)

朝9時過ぎに近鉄四日市駅に集合しました。Nさんは、近鉄のあみま倶楽部アプリとかを入れて、スタンプを集めているそうです。以前ブームになったポケモンGOみたいなものですね。最近ではマンホールを探す奴もありますね。

近鉄四日市駅を9時18分に出て、旧東海道に入ったつもりが1本間違っていました(-_-;)

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でもまあ、すぐに旧東海道と合流しました。東海道の旗が立っています。

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近鉄線の下を潜ってあすなろう線に沿って進み始めると、一挙に車が多くなります。この道はいつ歩いても狭い道なのに車が多く苦労します。dでも四日市市は隣の鈴鹿市と違って、東海道の案内が親切です。

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街並みの感じは街道の面影があります。駅から30分ほどで鹿化川を渡りました。「かばけ川」と読むようですね。すぐに大宮神社があります。天照大御神を祀っている。

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10時丁度に天白川を渡った。鈴鹿山脈がきれいです。

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渡ると両聖寺というお寺があるが、その門前につんつく踊りの説明がある。

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そこからすぐに日永神社がある。たまには参詣することに。最近はおサイフケータイで小銭を使う機会は殆ど無いが、お賽銭だけはそうもいかないので小銭が要る。なんとかならないかなあ(笑)。

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この境内に追分道標があった。1656年に追分に建てられたが、1849年に現在の大きな道標が建てられた際、不要になって他へ移されたらしい。貴重な道標ですね。

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すぐ近くに東海道の総合案内図がありました。Nさんは日永一里塚跡のチェックポイントを探しています。

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日永は江戸時代団扇が有名で、東海道を歩く旅人がお土産に買っていったそうです。近年、需要が減少し、産業としては成り立たなくなっていると思いますが、技術の伝承はされているようです。

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一里塚跡はすぐ近くにありました。ここでアプリを開くとスタンプが押せるそうです。

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一里塚跡から5~6分歩くと街道名残の一本松があります。

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泊駅への入り口を過ぎ、10時35分頃、味噌・醤油の醸造元がありました。以前は販売店の建物も昔ながらで風情があったのですが、現代風の建物になって一寸寂しい。

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そこから5分で日永追分です。ここで東海道は右へ、伊勢街道は直進します。昔はあの鳥居を潜って伊勢神宮へ向かったそうです。

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ここで湧水を飲みながら10分ほど休憩しました。ここから伊勢街道に入ります。

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国道1号線の下を潜り、一路南下します。途中、コンビニでトイレ休憩。内部川の手前で右に旧道へ入ります。以前は内部川の旧橋を渡れましたが、今は渡れないので河原田橋を渡ります。渡って堤防を右折、旧道へ戻ります。11時25分です。

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旧道に入るとすぐ左手に大きな道標があります。宇治山田へ十七里とか刻まれています。

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道標から5分、11時33分に河原田神社の前に来ました。

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ここもお参りしていこうかと近づくと、本殿は100段ほどの階段の上にありました。階段の左側に坂道があり、明治の元勲が、そこで伊勢湾を眺めて帰るのを忘れたという「亡歸處」という高台の案内がありました。登ってみました。

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高台はこの本殿の上にあり、標高は41.6mです。

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景色も良く、風もなく、うららかなので、一寸持参の酒肴で一休みすることにしました。

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12時丁度に出発しました。また坂を下り街道に復帰します。15分ほど歩くと県道635号に出て横断し、その先のJRの踏切を渡ります。

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右折してその先の、先ほどの県道の下を潜ります。潜って右折すると高岡神社ですが、街道は直進して鈴鹿川の堤防に登ります。

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堤防に登り、その先の高岡橋を渡ります。渡って堤防道路を右折して、その先すぐの道を下らず、もう少し先の、常夜灯へ下るのが正解です。

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12時37分に常夜灯を通過しました。左側は住宅、右側は田んぼの道に入ります。住宅はすぐ途切れ、田んぼの中を進みます。15分ほどでまた集落が始まり、常夜灯があります。

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ここから7分、神戸の見附があります。神戸宿の入り口で、夜は木戸を閉めたそうです。

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梅が咲いていました。

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神戸宿へ入ると右側は宿場を忍ばせる家並みです。旅籠だった家もあるようです。13時03分。

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5分ほど歩くと近鉄の踏切です。鈴鹿市駅は渡って左ですが、一寸そのまま歩くと大橋という橋があります。

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渡ってすぐが札ノ辻で、昔は高札場もあったのでしょう。角の旅館も風情があります。

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ここで伊勢街道と別れて鈴鹿市駅に向かいました。13時12分。鈴鹿市駅はすぐそばです。

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ここからは若松乗り換えで四日市まで30分ほどです。そこで軽く反省会をして今日のウオーキングは終わりました。

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Nさん、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年5月10日 (月)

新緑の加太越奈良道

東海道の関宿から分かれて、JR関西線に沿って加太・柘植を経て奈良方面に向かう道を大和街道という。一名加太越え奈良道です。加太川沿いのこの道は国道の旧25号線で、並行して名阪国道(新国道25号線)があるので、車の通行も少なく。ハイキングやサイクリングにも最適です。

2021年5月8日(土)

この道を柘植から関宿まで16キロほど、山仲間のHさんと新緑を求めて歩いてきました。

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ところでこの関西線ですが、柘植駅から加太駅辺りが鉄道遺産になっています。加太地区まちづくり協議会があり、ホームページも作成されています。そこから地図を拝借しました。

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上の地図の青い線が我々が歩いた大和街道ですが、13ケ所の鉄道遺産の半分以上は道沿いに有ったので、それも見ながら歩きました。10時40分頃柘植駅に到着。この建物も鉄道遺産の一つに入っています。三重県で最初に出来た駅舎だそうです。明治23年。

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駅前に芭蕉句碑があります。ここは伊賀市で芭蕉の生誕地なのです。43分に出発、大和街道を目指します。

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途中の田圃で奇妙な縄飾りを見ました。疫病退散か豊作祈念でしょうか。

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街道で左折、加太へ向かいます。11時一寸すぎ、道沿いにお堂と石灯籠がありました。太神宮といって、天照大神を祀っているようです。

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すぐに国道25号線に合流します。合流して10分ほど、やや登ると鵜山池と言う貯水池があります。一寸小休止しました。大和街道を歩く場合は関から歩く場合が多いので、その場合はこの池を見ると「今日の目的地へ着いたなあ」と思うのです。

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11時27分、線路を潜りました。これは鉄道遺産で無いみたいです。

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潜って20分ほど、伊賀市から亀山市へ入ります。ここまでは歩道がありましたが。

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そろそろ空腹なので弁当適地を探しながら歩きますが、ありません。周囲の新緑はすばらしく、藤の花がまたきれいです。

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12時ちょっと前、不動の滝への道が左にあったのですが、もう少しと思って通り過ぎました。砂利工場の設備がしばらく続いて弁当適地は見つからず、結局道端で食べることになりました。12時10分頃です。

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12時半頃出発しました。道端にちょこちょこ地蔵さんがあります。

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14時05分、また線路を潜ります。これは鉄道遺産で大和街道架道橋と名付けられ、明治23年にできたそうです。

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潜ってすぐ二股に分れますが、右が大和街道と勘違いして間違えました。すぐおかしいなと気が付き、街道に復帰しました。12時56分です。東北在家というバス停があります。

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右手に川俣神社の境内を見ながら歩きます。神社の参道入口に川俣城址の石標もありました。

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バス停板屋を過ぎると本陣跡の案内がありますが、板屋宿というのか加太宿というのか不明です。名阪国道の板屋IC付近を13時06分に通過、橋を渡ると、板屋川橋梁という鉄道遺産がありました。13時09分。

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5分歩くとまた鉄道遺産で尾淵川橋梁です。

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尾淵川橋梁から5分で右手に小公園があります。

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旧大和街道の案内がありました。

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ここは珍しく古道が残っています。13時20分、古道に入りました。

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右側は生物観察路みたいな遊歩道です。

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5分で峠です。この辺り梶ヶ坂というようですが。

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すぐに人里で、街道は車道を横断して下って行きます。

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すぐ四国の四万十川の沈下橋みたいな素朴な橋があります。後方の山は錫杖岳です。

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道なりに歩いて5分で国道に合流します。逆から来ると、国道から分かれて左折ですが、案内が無いので判り難い場所です。

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上の写真の左下の石標は問屋場跡です。ここから7~8分で加太駅です。街道から外れますが一寸寄ってみました。この駅舎も鉄道遺産の一つだそうです。何年か前、この駅の裏山へ「鹿伏兎城跡」を探しに一人で来たことがありました。13時45分。

駅のすぐ傍に、市場川橋梁と言う遺産があるので一寸見に行きました。

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近くに2~3、石仏がありますが、この2体地蔵は珍しいですね。信濃の道祖神のようです。

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すぐに坊谷踏切を渡りますが、その先の坊谷隧道というのが、この遺産群の最後です。

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街道沿いでは、その付近に栗の木地蔵があります。

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国道はその後金場トンネルを潜りますが、街道はそれを避けて右に巻いて行きます。

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再度国道に復帰した辺りです。ここに列車が来れば加太川と鉄道で絵になるのですが、なにせ1時間に1本です。

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14時45分、小さな橋を渡りますが、この二つの川の合流点から下流は加太川で無く鈴鹿川となるようです。

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ここまで来れば関宿はもう直ぐです。5分ほどで東海道関宿西という三叉路の交差点に到着し、関宿西の追分で小休止しました。

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15時丁度に出発、昔の面影残す関宿を歩きます。

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関の地蔵さんです。

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15時25分に関駅へ到着しました。Hさん、お疲れ様。

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反省会は桑名へ帰って、焼き蛤ならぬ串カツで軽く。

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家路に着く頃には真っ赤な夕焼けがきれいでした。

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