2022年9月27日 (火)

マレーシアの話その2

東南アジアの工場立地調査をやっていた頃から何十年か経って、私は他の業種の会社に移っていた。ところが、今から25年ぐらい前でしょうか、その会社がマレーシアに工場を建てることになり、担当することになった。

会社設立の申請から始まり、マレーシア政府の出先機関に行くと、マレー半島の東海岸に工場を作ってくれと強く要請された。東海岸側は日本の裏日本以上に過疎地なのです。そこに進出してくれれば税制など優遇措置はいろいろ有ると。

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でも結局、積出港に近いジョホールバルに進出した。そんあこんなで、マレーシアには行く機会が多く、何か所か観光もした。その中で気に入った場所を紹介します。

まず、上図下部の最南端。ここはユーラシア大陸の最南端です。あまり知られていないのでお勧めです(笑)。タンジュンピアイと言ったかと思います。

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次に、上図右端のティオマン島。ここはダイビングです。図のメルシンから連絡船で行ったのですが、一人で行ったので、一寸苦労しました。

魚はめちゃくちゃ居ました。

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島のムードも最高。

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でも回教徒の国では誰も酒を飲んでいない。私もこんな料理を酒無しで3日間食べました。頼めば飲める場所もあると知って、2回目からは飲みました(笑)。

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次は国立公園のエンダオラオピン。ここはお勧めです。最近は知りませんが、私が行ったときは、まったく未開発で、蛭やのみ・しらみの世界でした。一緒に行った友人は2度と行かないと言っていました(笑)。

ジョホールバルからメルシンへ向かう途中で左折して、がたがた道を相当走ります。

食事は自炊で。

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ガイド付きのジャングルトレッキングができます。

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象の糞なんかあります(笑)。

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次はマラッカ。ご存じマラッカ海峡の街ですが、昔の街並みや文化が残っています。観光ガイドに出ているので割愛して、ニョナ料理について。中国料理とマレーシア料理の融合だそうです。

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それから鄭和博物館。鄭和は中国明の永楽帝に仕え、コロンブスより1世紀も前に、大船団を率いて、東南アジアからアフリカまで航海した人だそうです。

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次はKLを越えて、マレー半島の北半分へ。

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ここでトップは国立公園のタマンネガラです。ここは先のエンダオラオピンと異なり、よく整備された国立公園です。

ここもジャングルトレッキングですが、白人の女の子も多数来ています。

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いろんな動物にも出会えます。

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川登の体験も

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でも食事はホテル並みです。

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次はキャメロンハイランド。ここは標高1500mの高原避暑地です。ジャングルトレッキングもありますが遊歩道です。

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お茶の産地で、紅茶や緑茶が有名です。レストランからの眺めが素晴らしい。

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最後にペナン。ここは有名なリゾート地です。

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ロブスターを食べに行きましたが、高いです。

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終わりです。また行きたくなりますねえ(笑)。

 

 

 

 

 

2022年9月24日 (土)

マレーシアの話

今回は思い出話。

今から50年以上前、私は合板会社に勤めていました。日本の合板会社は東南アジアからラワン材を輸入して合板に加工していました。ラワン材の輸出国は主としてフィリピン、マレーシア、インドネシアです。

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輸出3国は、原木のまま輸出するのでは自国に産業が育たないため、自国で合板に加工して、製品として輸出したいと思っていました。そのため原木の伐採権を持つ日本の商社に、自国に合板工場を作るよう要請しました。

商社には工場運営のノウハウが乏しいため、取引先の合板会社に現地工場の採算性調査を依頼しました。その調査に出かけたのがマレーシアでした。生まれて初めての海外旅行です。1ドルが360円の時代でした。

台北、バンコクを経由して、初めて外国の土を踏んだのがマレーシアの首都クアラランプール(KL)でした。1泊55ドルのホテル代が非常に高く感じたのを覚えています。

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実際の調査地はマレー半島の右上、タイ国境に近いコタバルの山奥でした。後で知ったのですが、太平洋戦争の初期、日本軍がコタバルに上陸し、自転車でマレー半島を南下、シンガポールを攻略しました。銀輪部隊と呼んだそうです。

現地の仕事のことは忘れましたが、コタバルの飛行場が、夜になるとキャバレーに変わるのは感心しました。日本では考えられませんが、1日2~3便しか来ないローカル空港なら、使わない時間を活用するのは合理的ですよね。

森林の蓄積量とか品質の調査、工場予定地の労働力、電力、水、補修部品の有無、積み出し港の有無や施設、などを調査して工場の採算性を判断します。このときは不適だったと思います。

帰りは車で東海岸を下りました。銀輪部隊も通った道でしょうね。クアラトレンガヌに1泊し、翌日KLに着きますが、カーブがひどく、腸がよじれる思いをしました。

翌日はまた車でシンガポールに入りました。シンガポールはマレーシアから分離した中国系民族の国ですね。当時からマレーシアで多数を占めるのはマレー系民族ですが、商売は華僑が牛耳っていました。これは他の東南アジアの国も同じです。それで、このままでは国を乗っ取られると思ったマレー政府が、中国系民族をシンガポールに移住させて?、分離したとか聞きました。

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ところでマレーシアには東と西があります。東は今書いたマレー半島、西はボルネオ島の北半分がマレーシアです。一部はブルネイ王国。南半分はインドネシアです。

シンガポールからボルネオ島のコタキナバルへ飛びました。近くのキナバル山は有名ですね。キナバル空港ではカメラなどのぜいたく品の海外からの持ち込みは税金が掛かります。でもKLのホテルの便せんを見せて、KLから来たと言ったら許してくれました。

コタキナバルからサンダカンへ飛び、ホテルに入り、一人でバーへ行きました。そこで値段表を見てびっくりしました。サントリーウイスキーのだるまとジョニーウオーカーの黒ラベルが同じ値段でした。

1ドル360円だった日本では、ジョニ黒なんて高嶺の花でだるまの5倍くらいしていたのではないでしょうか? ジョニ赤でも飲めませんでした。でも外国ではジョニ黒とオールドは同じ扱いなのです。初めて、為替というものを実感した日でした。

1度、こういう仕事をすると、話は伝わるものですね。この後いろんな商社からも依頼が来て、フィリピン、インドネシアも含めて10回近く現地調査をしたのではないでしょうか。

続く。

 

2019年3月18日 (月)

エジプト紀行 ナイルクルーズ2日目午後ルクソール

最後の観光です。
午後まず最初は香水店の案内でした。
自分には関係ないと思っていましたが、お土産に若干買ってしまいました(笑)。
P1210464 午後からはナイル川東岸の生者の街です。つまりお墓でなく神殿の見学です。
最初に訪れたのはカルナック神殿。
BC2000年頃の中王朝時代からADのプトレマイオス王朝やローマ時代まで、2000年に渡って建設されていった最大の神殿です。
P1210472 ここもまあ、すごい人です。
P1210477 ラムセス2世の像とお妃です。ラムセス2世は恐妻家だったとの声も。
P1210484 エジプトの神殿はむやみに柱を立てるのがはやりみたいですね。その柱も、いくつかのモデルに統合されています。パピルスの形、ロータス柱、椰子の木柱などです。
P1210496 この尖塔はオベリスクと言って、先端は金箔が貼られ、太陽信仰にかかわるものだそうです。
P1210497 5時頃見学を終わり、最後の見学地ルクソール神殿に向かいました。
ここはカルナック神殿の副神殿とかで、直線距離で3.5キロ、その間は遊歩道で結ばれていたそうです。
その遊歩道は、発掘再現途上で止まっているそうです。下の写真。
P1210534 すべてラムセス2世の像らしい。
P1210535 石積みの上まで土砂に埋まっていて、その下に遺跡があると気付かず、その上にモスクが建てられた。そのモスクは今も使われているそうです。
P1210538 ツタンカーメン王と王妃の像
P1210547 王妃の手は背中に廻され、睦まじさを表している。珍しい像。
P1210548 ローマ時代には、キリストの絵が描かれていたのか。
P1210551 6時前、遺跡に夕日が降りてきました。
P1210567 6時20分、ナイル川も夕日に染まっています。
P1210572 最後の晩餐です。
Dscn9830 最後の夜はベリーダンスです。
Dscn9839 エジプトでは痩せた女性より、少しぽっちゃり型の女性がもてるそうです。
お疲れ様でした。
2019年3月11日(月)
朝8時10分のエジプト航空でルクソール空港からカイロへ向かいます。
Dscn9860 カイロ空港で国内線から国際線へターミナルが変わります。でも国内線の荷物がなかなか出てきません。1時間近く掛かってしまいました。
Dscn9867 乗り継ぎ時間が4時間あるので、余裕でしたが。
中東諸国はエジプトに限らず、テロの警戒が厳重で、空港では3回位手荷物検査を受けます。でも、金属は煩いですが、水には無頓着です。ペットボトルの水はいつも素通りでした。
国際線のフードコートで一寸昼食。ここの肉が一番美味かったなあ(笑)。
Dscn9870 アブダビまでのエティハド航空で夕食?
Dscn9877 カイロ空港もアブダビ空港も免税店は充実していますね。
エジプトのワインをカイロで買って見たら、透明ビニールの袋に入れ、封をしてくれた。これでアブダビ空港のセキュリティもフリーパスなんですね。
Dscn9879 機内です。
Dscn9882 アブダビからは結構中国人が乗ってきた。中国から中東へ出稼ぎの帰りみたいだった。
2回目の夕食です。「とうふうどん」と聞こえて注文しました。
Dscn9891 初めて食べる食材で、高野豆腐の親戚みたい。ハラルかベジタリアン向けかな。
振りかけをかけて食べました。
Dscn9892 帰りは偏西風の関係で、2時間ほど早く着きます。
北京からセントレアへ帰って来たら、こんな宣伝があった。
何時からセントレアは忍者空港になったのかしら(笑)。
Dscn9894 今回のエジプトは結構面白かった。
Kさん、お疲れ様でした。

ナイルクルーズ2日目王家の谷

2019年3月10日(日)
水門を通る時刻は寝過ごして、6時前に外を見るとルクソールでした。
工場は黒い煙を上げていますね。
P1210215 6時半、ナイル川の朝日です。
P1210216 川を渡っているのでしょうか
P1210220 ルクソールは川の東側が生者の街、西側は死者の街と言われます。
今日はまず西岸の王家の谷を観光します。ツタンカーメンの墓もここにありました。
船は東岸に着くので、ここからバスで西岸に行きます。今は橋も架かっています。
7時に船を出て、40分ほどで西岸のメムノンの巨像に着きました。これは王様の葬祭殿のの入り口にあったもので、像だけが残っています。
P1210250 15分ほど見学して、王家の谷に向かいます。
途中の山の洞窟は貴族の墓だそうです。
P1210260 8時頃王家の谷入口に到着しました。すでにすごい人出です。
P1210263 ここはピラミッドは無く、BC1500年以降のファラオの墓が造られた。
現在までに64基の墓が見つかっている。入口からは電気自動車で5分。
P1210266 ここはやはりカメラの持ち込みが2000円です。
深い谷の奥で、盗掘にあいにくいので、王家の墓に選ばれたのですが、ほとんど盗掘されたようです。ツタンカーメンの墓のように、完全な形で残るのは稀です。
P1210270谷の入り口近くにある集落は、盗掘者の村だったとも聞きました。今は盗掘は無くなっているが、それは盗り尽くしたからだと(笑)。
3ケ所入場券でお墓に入ります。何カ所公開されているか知りませんが、そのうち3カ所に入れる券です。
P1210271 中は大体こんなものです。
P1210273 少し下ると水平になって、いろいろな壁画が
P1210280 一番奥にお棺が置かれていたのでしょう。
P1210289 3000年も前の色彩が、鮮やかに残っているのは、砂漠地帯で湿気が少ないからでしょうね。ともかく人は多いですね。
P1210298 内部は渋滞するので、ガイドによる説明は禁止されています。それで、外で説明してもらってから入るのですが、すぐ忘れますから、どこも同じになります(笑)。
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初雪氷削機の旗を持った現地のおじさんが居ました。懐かしい。
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3つ目の墓です。
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内部はこんな風とか。
P1210333 エジプトの古代文明を語るには紙芝居の絵と象形文字を勉強しないといけません。
日本でも曼陀羅の絵解きが出来るといいですよね。
P1210350  ガイドが入る前に絵葉書で教えてくれますが、とても無理ですね。
P1210349 でもまあ、ストーリーは皆同じなので、一つ覚えれば、後は簡単だと思うのですけどね。
P1210362 最後にツタンカーメンの墓に入ります。ここは62番目に発見された新しい墓ですね。
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そして、今までの入場券の他に別の入場券が必要で、カメラは持ち込み禁止です。
P1210376 そんなに大きな墓ではありません。それと実物はカイロ博物館に飾られて」います。
P1210379 記念写真です。
P1210385 10時頃見学が終わりました。近くに王妃の谷と言って、王妃や貴族の墓80基が発見された谷がありますが、そこはパスのようです。
次に向かったのはハトシェプスト女王の葬祭殿です。バスで10分ほどです。
P1210412 警備員のおじさんが像と同じ格好をして、写真のモデルになっている。勿論チップを請求するそうです。
P1210430 元来エジプトはチップの国で、月収の3分の2はチップだそうです。だから、何事にもチップが必要なのです。
ここにも、混雑するからガイドは中で説明するなの案内がありました。
P1210434 まあ中はそこそこに(笑)。
P1210435 午前中の観光はこれで終了です。
P1210444 昼食は船に帰ってきました。昼でもコックさんは笑いを振りまきます。プロですね。
Dscn9824 午後へ続きます。

2019年3月17日 (日)

エジプト紀行 ナイルクルーズ

エジプトの地図再掲します。
昨夜アスワンでクルーズ船に乗り込み1泊しました。
Ejiputo01 今朝船は出向して、コムオンボ・エドフを経由して1泊2日でルクソールまでクルーズします。その日の夜も船に泊まるので、結局船に3泊することになります。
2019年3月9日(土)
話変わりますが、エジプトは金曜日が休みで日曜日は平日だそうです。他のイスラム諸国もそうかもしれませんね。
今日は7時朝食、8時出発です。船は4時頃には出航していました。
船は0階が食堂、1階がラウンジバー、2階が客室、3階が客室とフィットネスクラブ、4階がデッキです。
6時頃明るくなって窓からナイル川を眺めると、何艘もの船がクルーズしています。
アスワンの港には数十隻あったと思うので、逆コースも考えると100隻以上あるかもしれませんね。
Dscn9803 家ではやらないモーニングティを飲んだりしてみます(笑)。
P1210036 7時40分頃コムオンボの港に到着、8時に船を降りました。
P1210049 歩いて5分の所に神殿跡があります。コムオンボ神殿です。
P1210053 ここは一つの神殿で二つの神を祀るので、入口が二つになっています。
左がハヤブサの神様、右がワニの神様かな。
ここの警備員も自動小銃を持っていました。
P1210058 やはり柱列廊がある
P1210068 何千年も前の色が残っているのが凄いですね。
P1210069 壁画はどこも似ている気がする(-_-;)
P1210082 白人もやりたいことは同じ
P1210108 ここでワニを飼っていた。
P1210106 ワニのミイラの博物館もある。
P1210113 帰りは必ずお土産通りを歩かされる。
P1210116 帰ってくると、下船の時渡されたカードを返す。これで、置き去り出航を防止している。
P1210117 9時半頃に帰ってきて、4階のデッキへ出てみた。
P1210118 朝から一寸一杯やることにした。バスではこうはいきませんねえ。
P1210122 船が動き出したので、またデッキへ登ってビールを一杯。良いですねえ(笑)。
P1210135 そのうちデッキで昼食になった。
P1210141 午後のゆったりとした時間が流れていきます。
P1210145 2時過ぎに午後の観光地エドフに着きました。ここは神殿が少し離れているので、馬車を使います。
P1210149 10分一寸でホルス神殿に到着しました。2時半頃です。
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ここはハヤブサの神ホルスを祀る神殿だそうです。
神殿の入り口塔門の両側にホルス神の像がある。
P1210157 中庭です。
P1210160 黒こげの天井は、迫害を逃れたキリスト教徒が、ここで生活したなごりとか。
P1210167 入口のはやぶさ像ホルス神
P1210192 4時過ぎに船に戻った。船はルクソールに向けて出港する。
5時頃のデッキです。
P1210203 夜は7時からカクテルパーティとか
Dscn9812 船は今日、エスナの水門の手前で夜を明かすようです。
明日4時~5時に水門(閘門)を通過するそうです。

エジプト紀行アブシンベル神殿

2019年3月8日(金)
今日はカイロ空港朝6時の飛行機でアスワンに行きます。
それで、朝3時半にホテルを出ました。朝食は弁当で、空港で食べました。
Dscn9614 7時半頃アスワンの飛行場に着き、8時頃バスに乗り込みました。
Dscn9620 エジプトの地図を再掲します。アスワンはエジプト北部に有って、有名なアスワンハイダムがあります。ダム湖がナセル湖です。ナセル大統領にちなんでいるのでしょうね。
Ejiputo01_3 アスワンからは砂漠の中を260キロ、バスで走ります。事前の話では、警察に護衛されて途中トイレ休憩も無い3時間と聞かされて、いやだなあと思っていました。
でも現地で、今は途中にトイレ休憩の施設ができたと聞いて安心しました。
砂漠です。
Dscn9623 延々と
Dscn9626 蜃気楼です。
Dscn9629 10時頃、トイレ休憩。
Dscn9632 ともかく何も他にはありません。あるのは蜃気楼だけです。
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更に1時間一寸砂漠を走ります。途中、ナイル川から取水した用水を見ました。この辺りの砂漠を灌漑する計画が進んでいるそうです。
Dscn9656 ガイドのMさんは大反対でした。エジプトは食料が充分足りているのに、何故こんな場所に畑を作るのか?周囲に人は居ないので、出来た作物はカイロまで運ばなければ消費できない。高い運賃を付けた野菜を誰も買う人は居ないと言うものでした。
私もアラル海の悲劇を思い出しました。中央アジアのアムダリア川やシルダリア川を綿花栽培のためソ連が取水して、アラル海が干上がってしまったのです。そんなことにならなければ良いが。
11時半頃、アブシンベル宮殿にたどり着きました。ここも例のラムセス2世の建設です。
ファラオの中のファラオと言われるラムセス2世は、国中に建設するだけでなく、これまで有った他の王の像も、自分の像にレリーフを変えたそうです。
世界に有名なラムセス2世の像です。
Dscn9678 ここには、この大神殿と、隣に小神殿があります。
Dscn9684 この神殿はアスワンハイダムの建設で水没の危機に有ったが、ユネスコの協力で、5年かけて60m上に分割移設されたのだそうです。
ここは外部は写真フリーですが、神殿の内部は有料です。多くの場合、カメラは持ち込み禁止ですが、スマホはカメラと見なされず持ち込み自由です。そしてそのスマホで撮影は黙認されているとか、いないとか。
まあ私は2000円のカメラ代を払って撮影しました。
まず、小神殿からです。
ラムセス2世の戴冠式
Dscn9689 牛の耳をしたハトホル女神
Dscn9690 同じような壁画がいろいろあります(笑)。
Dscn9697 小神殿の入り口の像です。左右3体づつのうち中央はラムセス2世の奥さんネフェルタリで、残り4体はラムセス2世です。
次に大神殿入口。ここは全てラムセス2世本人です。
Dscn9701 入るとすぐ大柱列室、すべてラムセス2世の像です。
Dscn9704 戦うラムセス2世
Dscn9707 最奥の4人の神々、2月と10月の22日に、朝日がここまで差し込む設計になっています。
Dscn9726 壁画はもう色々あります。
Dscn9714 Dscn9743 Dscn9735 出口から見えるのはナセル湖です。
Dscn9753 ナセル湖は海のようです。
Dscn9760 午後1時頃見学を終わり、近くのレストランで食事になったのは1時半頃です。
Dscn9767 Dscn9766 帰りはトイレ休憩せずアスワンへ直行するので、必ずレストランのトイレで済ませるようガイドに言われる。
ホテル・空港・レストラン以外のトイレは殆ど有料です。大体2~3ポンドらしいのですが、その小銭がありません。国全体でも小銭は完全に不足しているそうです。
ガイドの提案で、トイレチームを8人で組み、1USドルを8人分として払えという。今回のツアー中、その8人は固定で、毎回交代で1ドルづつ払いました。初めての経験です。
2時15分頃店を出て、砂漠の中をまた3時間強、5時25分頃、旧アスワンダムを渡ってアスワンの市街地に入りました。
Dscn9777 このダムはアスワンハイダムが出来たので、現在はダムとしては使われていないそうです。ホテルに入る前に宝石店へ寄りました。
Dscn9784 今日から3日間のホテルは、このナイル川クルーズ船です。明日は荷物を動かさなくて済むので、今夜はゆっくりできます。ビールとワインをゆっくり楽しみました。
Dscn9792 誕生祝をやっているグループも。
Dscn9794 夕食後は、ヌビアショーとかで楽しむ人たちも居ました。
Dscn9798 でも私たちは寝ました。
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2019年3月16日 (土)

ギザのピラミッド

人気のレストランでしょう、外国人も一杯来ます。
P1200915 ピラミッドを観る前にエジプトの古代紙パピルスの店に案内されました。
葦の繊維を縦横に編んだものに、古代エジプトの図柄を描きます。高級品です。
P1200921 彼女が手に持っているのがパピルスです。これを模したのがパピルス柱です。
日本語の上手い彼女が、製法を教えてくれました。でも買えない。
P1200923 1時過ぎにピラミッドに戻ってきました。
P1200931 正面が第一ピラミッド、右が第二、第三まであります。
P1200934 第一ピラミッドはクフ王の墓で、ピラミッドの中で最大です。BC2590年頃。
高さ147m、底辺は230mです。
P1200936 右下の穴から中に入ります。10分近く中腰で登るので、この季節でも汗だくになります。
夏なら耐えられないでしょう。行き帰りは同じ道なので、渋滞も起こります。入場制限はしているみたいですが。
第二ピラミッドです。カフラー王だそうです。上部の色が違いますね。
P1200958 本来の姿は、すべてこのように化粧してあったそうです。それが時を経て剥がれ落ちて、積み上げた石がむき出しになり、今のピラミッドの形状になったのだそうです。
三つのピラミッドが見える展望ポイントもあります。
P1200965jpgc 絵になる風景ですね。
P1200975 第一ピラミッドの横に、太陽の船博物館があります。世界最古の木造船だそうです。30mほどの大きな船が展示されていますが、写真は有料なので止めました(笑)。
P1200992 最後にスフインクスに行きます。
日本の神社に狛犬がありますね。あれは参道に直角に向いています。
でもスフインクスは正面を向いています。
P1210006 だからスフインクスはピラミッドの番人ではなく、それ自体が信仰の対象だったと聞いたことがあります。
P1210013 スフインクスへの入り口は巨大な石を加工して作られていた。
P1210012 様々な国の人が来ていますが、何故か中国人は少ないような。
P1210019 4時頃、3時間に及ぶ見学は終わりました。ここにもお土産通りはあります。
P1210024 「ワンダラー、ワンダラー」とか「価格破壊だよ」とか言いますが、すべて嘘だそうです(笑)。
5時頃ホテルに帰ってきましたが、明日は3時半出発とかで慌てて寝ました。

エジプト紀行ピラミッド編

2019年3月7日(木)
今日はピラミッド見学の日です。
その前にエジプトの地図を。
Ejiputo01_2現在我々はカイロ周辺に居ますが、古代王朝の首都は少し上流のメンフィスでした。
ナイル川は南から北へ流れて地中海に注ぎますね。でも私は太平洋側で生まれ育ったので、川は北から南へ流れて海へ注ぐイメージが抜けません。エジプトでいゆも方角を錯覚しました。
カイロの北、地中海沿岸のアレキサンドリアは王朝末期の首都でクレオパトラも住んでいました。今もギリシャ系の人が多いそうです。
今日はナイル川を少し登ってメンフィスへ先ず行きます。バスで1時間一寸です。
所で、BC1300年頃、ツタンカーメンの一寸後に、ラムセス2世というファラオが居ました。非常な権力者でエジプト中に多くの自分の像を作りました。その巨大な寝像のある野外博物館に8時過ぎに到着しました。
P1200785 交通警察官もそうですが、警備員もすべて銃をもっています。
P1200787 スフインクスも有ります。ギザのスフインクスに次いで大きいそうです。
P1200799 ちなみにスフインクスはピラミッドの番人のように思っていましたが、そうではなくて、スフインクス自体が信仰の対象だったようです。
ラムセス2世立像です。
P1200810 今度はメンフィスの墓場だったという近郊のサッカラへ向かいます。
エジプトはやはりイスラムの国です。田舎ではロバ車も健在です。
P1200819 20分ほどで到着です。
ここにはBC2670年頃ジェセル王が造ったとされる、世界最古の階段状ピラミッドを中心に、祭壇・神殿などで構成されるピラミッド・コンプレックスが残っている。
元来ピラミッドは単独で構築されるものでなく、祭壇、神殿、河岸神殿、参道など複合体で建設されたようです。
ピラミッドへの入り口を入ると、パピルス柱の柱廊がある。
P1200841 そして階段ピラミッドの広場へ出てくる。
P1200845
この階段ピラミッドは中には入れない。周辺は発掘中なのか、神殿などの遺跡が散在している。
P1200863 遠くには他のピラミッドの影も見える。大体エジプトには100以上のピラミッドがあるらしい。一説には150基と言われている。土産物売りは、どの観光地にも多数いて、観光客はそのお土産通りを歩くようにできている。
ウナス王とかのピラミッドの中に入った。特に何もない(笑)。撮影は禁止。
P1200872 ラクダは全て観光用です。
P1200861 10時頃サッカラを出てギザへ引き返します。
1時間ほどでギザのピラミッドへ帰ってきました。一大観光地みたいです。皆バスに手を振っています。
P1200894 ピラミッドを窓から一望できる絶好のロケーションのレストランで早めの昼食です。
P1200907 お酒は出さないレストランなのでグアバジュース。
P1200909 日本ではあり得ない、甘いお粥のデザート。
P1200910 レストランの窓からの景色です。
P1200911 午後へ続きます。
 

2019年3月14日 (木)

エジプト紀行出発からカイロ考古学博物館

エジプト旅行の目的は「ピラミッドが見たい」という単純なものです。
従来のエジプト認識はお粗末で、砂漠とピラミッドそしてクレオパトラ位です。
今回クラブツーリズムの5泊8日のツアーに参加することになって、直前に一寸調べました。
まず緯度と気候が気になります。着ていく服を決めなければなりません。
地図です。
Sekai_2  エジプトと言うと砂漠のイメージが強いので、熱いという印象ですが、日本の九州から沖縄にかけてという感じで、熱帯では無いですね。ただ雨は降らず乾燥しているかな。
周辺の国はこんな感じです。
Nairu02 アフリカ中央部のタンザニア辺りに有るビクトリア湖から流れるナイル川が生命線の国ですね。今回の旅もナイル川クルーズが含まれています。
2019年3月5日(火)
セントレアを午後9時25分発のエティハド航空で出発です。エティハド航空って知らなかったのですが、アラブ首長国連邦の国営航空でエミュレーツ航空より大きいとか。
横浜から参加のワンゲル仲間のKさんと5時頃名古屋駅で落ち合いました。セントレア手前の常滑で名鉄を降りて、前祝をしました。
Dscn9429 今回の参加は22名、若い人は居ません(笑)。
フライトは直行ではなく、北京経由でアブダビまで、そこで乗り換えてカイロです。
北京まで3時間半、そこで1時間ほど機内待機で、翌日2時頃出発の筈でしたが、北京空港の混雑で1時間ほど遅れました。
北京-アブダビ間は約9時間、午前11時頃着予定ですが、時差が5時間あって午前6時頃です。
Dscn9449 食事は北京までに1回、北京アブダビ間で1回だったか2回だったか。
これは北京アブダビ間です。
Dscn9451 結局、実際の到着時間は12時半頃で、現地時間では7時半頃でした。
Dscn9454 カイロへの便は現地時間の9時半発なので、行程は狂いません。
アブダビ-カイロ間は4時間ほど、日本時間の午後7時頃、日本を出てから22時間ほどで着きましたが、時差7時間で、現地時間では12時頃でした。
ビザは現地空港で入国時に取得します。時間は掛かりません。
入国手続きを終えて、午後1時にはバスに乗り込みました。
Dscn9469 気温は20度位だったと思います。バスの冷房は要らない位でした。
さて今日はこれからカイロ考古学博物館に行きますが、これからの観光がエジプトの何を見に行くのか、よく解っていません。
おいおい覚えた豆知識をここで書きます。
エジプトの歴史は5千年と言います。それを大雑把に3つに分けます。
古代エジプト王朝期----BC3000年~0年頃まで
ギリシャローマ時代----AD0年頃~650年頃まで
イスラム王朝時代-----AD650年頃~1950年頃まで
クレオパトラは古代エジプト王朝の末期に現れたのですね。
それで、これから我々が見に行く、ピラミッドや神殿は、全て古代王朝のものです。
その王朝は5~6王朝に分けられるようですが、ややこしくて覚えきれません(-_-;)。
有名なツタンカーメン王はBC1300年頃かな。
エジプトの人口9000万人のうち2000万人はこのカイロに住んでいます。
Dscn9474 車も多いので交通マナーは最悪です。車線変更・割り込みが当たり前の状態ですね。
モスクの尖塔ミナレットがあちこちにあります。
Dscn9475 午後2時頃、博物館に到着しました。
Dscn9482 ここはツタンカーメンの黄金のマスクをはじめ、古代王朝時代の12万点のコレクションがあり、必見です。カメラは50ポンド払えば撮影できます。1ポンド=7円弱。
Dscn948712万点を丁寧に見ていたら1週間居ても駄目でしょう。我々は現地ガイドのMさんの案内で要所を見ました。それでも2時間半かかりました。
そのまた一部を順不同で載せます。
まずツタンカーメンの黄金のマスク。ここは別室で、撮影禁止です。部屋の外から写しました。
Dscn9532 ツタンカーメンのお棺はこの黄金の箱の中に、更に3重の箱があり、その中に有った。
Dscn9526 ミイラ制作台。使者の魂は現世と天国を行き来すると考えられ、現世に肉体を残しておかないと帰ってこれないため、ミイラとして残す必要があった。
Dscn9494 ジャッカル、これはミイラ造りの神様です。
Dscn9537 顎髭を見てください。真っ直ぐ伸びているのは生存中のファラオなどです。先が曲がっていると神様の像です。死ねば神様になります。
Dscn9499 Dscn9500 その他、別料金のファラオの本物のミイラ室やワニや動物のミイラもあります。
写真はワニのミイラです。
Dscn9568 疲れ果てて、午後4時半頃、博物館を出てきました。
Dscn9575 今日のホテルはナイル川を挟んで西側のギザ地区に有ります。
ホテルに行く途中、バスの車窓からちらっとピラミッドが見えました。
明日はあれを見に行きます。
Dscn9595 5時45分頃ホテルに到着しました。
Dscn9600 バイキング料理を食べて、ワインを飲んで、バタンキュウで寝ました。
Dscn9602 Dscn9609 明日はピラミッド見学です。

2017年12月14日 (木)

帰国も大変でした。

2017年12月11日(月)

最後の昼食をBさんと食べて

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タクシーでシンガポールに向かいました。新しくできたターミナル4です。

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フードコートでビーフヌードルを食べました。400円ほどです。

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待合室もなかなかです。

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タイガービールのバーもあります。

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ホーチミンまでの機内食です。

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ホーチミンに着いて2時間ほどで乗り継ぎ、0時30分発で12日の7時過ぎにセントレアに着く予定でした。

ところが、名古屋上空が強風で出発延期になり、翌朝7時10分発と7時間の遅れになっていました。

ベトナム航空のラウンジで、一晩をあかすことになりました。

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ようやくセントレアへ辿りついたのは12日の午後2時頃でした。

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お疲れ様。
















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