2022年8月19日 (金)

伊坂ダム

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三重県の北部、桑名と四日市の間に伊坂ダムがあります。四日市コンビナートなどの水需要に応えるため作られたようです。その貯水池を一周する3.6キロサイクリングロードが整備されています。

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でも今はウオーキング需要が上回っているようですね。管理事務所があり、自転車の貸し出しを行っています。二人乗りなど、様々な自転車があって、親子連れで楽しめるようです。

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2022年8月19日(金)

我家から下道で30分一寸で到着しました。実は初めてでした。10時過ぎに着いて、びっくりしました。車の数が多かったので。トイレを済ませて歩き始めました。

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鈴鹿山脈がきれいです。

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すぐに伊坂城址がありました。なかなか珍しい山城だそうですが、私には理解不明です。

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今日も女房と一緒です。新名神の傍を歩きます。

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自転車の家族も居ましたが、今日は95%が歩きでした。もっとも管理事務所が休みでしたね。金曜日が休みらしい。

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歩き出して15分、赤い橋を渡りました。

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渡るとすぐ神社があり、お参りしました。先日行った、川上村の丹生川上神社から分霊をお迎えした水源の守り神です。伊坂丹生水神と称します。

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コースは自転車が時計回り、歩行者は反時計回りで内側を歩きます。その距離が表示されています。

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伊坂ダムは水面利用はできませんが、桑名西高のボート部だけが使えるそうです。

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カワセミを狙っているカメラマンの方が3人いました。今日も1回来たそうです。

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コースはすべて舗装されています。

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歩き出して50分、一寸疲れたので休憩しました。このコースは平坦でなく、少しアップダウンが有るので、丁度いい疲れ具合です。

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ポプラ並木みたいな展望の開けた場所に来ると、ゴールは近いです。

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右手はゴーカート場のようです。過ぎるとダムの上を通ります。東名阪あたりから見える堰堤ですね。

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1時間15分ほどで1周してきました。健脚の方は1時間弱でしょう。喫茶店があるのですが、ここも金曜休みでした。

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持参の弁当を、ダム湖畔のベンチで食べました。

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なかなか良いウオーキングコースでした。

 

 

2022年8月 1日 (月)

川上村

2022年7月30日(土)

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朝6時ごろ起きて散歩に出た。山鳩館から先は道路地図には無いが、地形図には点線で載っている。

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そこを上流に向かって歩いてみた。10分一寸歩くと広場になり、振り返ると上の写真の風景になる。しかしすぐにがけ崩れがあり、まあこの辺で引き返した。

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今度は逆に旅館を通り越して、ダム湖に掛かる入之波大橋に向かった。

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川の名前を見ると「きのかわ」だった。ここ紀の川なんだ。そう言えば下流は吉野だったな。吉野川の上流は紀の川なのか?

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橋を渡っていくと温泉が見える。昨日、あそこからこの橋を見たなあ。

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渡り切ると道案内があった。筏場・三之公方面。

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そう言えば、大台ヶ原の道標に筏場という文字が有ったな。

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筏場には、何十年か前には集落があったそうです。三之公はトガサワラの原生林があり、台高山脈への登山路があります。

帰り道に出会った山仕事の方の話では、筏場から大台ヶ原まで6時間だけど、若い頃は4時間位で登ったとか。またこの辺りは「伊勢の川喜多家の山が多い」とか。百五銀行創始者の半泥子さんの家ですね。

帰りに下を覗くと、筏釣りをしていました。ここはダムつり公園なんだそうです。

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ところで入之波をシオノハと読むのは難しいですよね。旅館の壁に貼ってある古地図には塩葉村の文字があり、この辺りが語源らしい。

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朝湯に入り、美味しい朝食も食べて、9時に宿を出発しました。因みにここは川上村入之波というのが住所です。川上村は水源の地として売り出しているそうです。

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私の理解では吉野から上北山村へ向かう途中の、通り過ぎる村でした(笑)。事実、十数年前、吉野から上北山村へ歩いたことが有って、そのときこの川上村を、ほぼ徒歩で縦断しています。参照

昨日来た道を引き返して大迫ダムを渡り、国道169号線に入ります。途中、湯森温泉の道の駅で休憩しました。お土産に鮎の塩焼きを買いました。昨日食べた鮎も美味しかったので(笑)。

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ここに入之波温泉から筏場や三之公への案内がありました。

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次に蜻蛉の滝へ行きました。雄略天皇の狩りの邪魔をした巨大な虻をトンボが退治してくれた故事から蜻蛉の滝の名が有ります。入り口は子供の水遊びの公園になっていました。

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登り口に梵字岩があります。大峰奥駆道の青ヶ峰から流れるこの滝で修業した修験者が開いた仙龍寺があったそうです。

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滝の落差は50mほどだそうです。

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でもなかなか滝の全貌を写真に収めることはできません。

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ここ蜻蛉の滝から、奥駆道の青ヶ峰まで、2時間一寸で行けます。そこから吉野へ降るのがお勧めです。

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滝を見ていると雨が降ってきました。あわてて、次の匠の聚へ出かけました。道の駅に一刀彫作品展の案内があったので。

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コテージや研修室、カフェなどがある村営施設みたいでした。今日は松本一平さんの木彫り昆虫展。

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これはフンコロガシです。フンコロガシは古代文明では太陽を表し、大切にされています。

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今回の行程はこれで終わり。後は帰るだけです。お疲れさまでした。

 

 

 

2022年7月14日 (木)

赤目四十八滝

赤目四十八滝は何回か行っています。近鉄赤目口から5キロ程で入口があります。

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上の地図で入口から終点の岩窟滝まで1時間半、その間に大きな五爆など20位滝があります。元気な頃は、そこから出合茶屋を経て香落渓の落合まで2時間のコースを歩きました。最短で1時間15分位で歩けました。

今回は珍しく女房と一緒なので、図の百畳岩までを往復しました。

2022年7月13日(水)

梅雨明け宣言が有ると、台風やら低気圧やらで連日雨です。その晴れ間の13日に車で出かけました。我家から2時間です。お店で山菜弁当と草餅を買って10時47分頃出発しました。途中でトイレに行ったりして、11時07分に入口に到着。

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一人500円を払って入ります。前回は300円の頃だった。大きなサンショウオが居ます。

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5分ほど水槽を見て出発しました。いろんな滝があります。

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赤目の名前の由来はこの牛です。

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役の小角が赤目の牛に乗った不動明王を見たのが由来だそうです。不動の滝です。ここまで5分ほど。

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不動の滝から10分ほどで八畳岩に。ここにトイレがあります。

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ずっと木陰を歩くし、清流沿いで、涼しくて良いです。所々、滝を高巻きするので石段がありますが、それ以外は遊歩道です。

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布引の滝です。11時40分頃。

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遊歩道です。今日は平日なので、ハイキングのお客も少ないです。

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百畳岩まで700mかな。

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ここを曲がれば百畳岩です。

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百畳岩到着は12時17分。

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お弁当です(笑)。

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コンビニで買っておいたお握り。

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お疲れ様でした。

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2022年5月31日 (火)

東大寺散策

2022年5月30日(月)

先日、信貴山へ行ったとき、近鉄の3日間フリー切符を買ったので、今日は奈良へ出かけてきた。11時頃奈良について、まず県庁ビルの屋上へ行ってみた。写真は南側、興福寺の五重塔と中金堂です。中金堂は多分新築で見るのは初めてです。

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今度は東側の大仏殿です。芝生の手入れなど行き届いてはいませんが、無料で奈良公園が見られるのは嬉しいですね。

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下の食堂で昼を食べました。生駒山を見ながら、安いお値段で、ここもお勧め(笑)。

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正倉院へ行こうと歩いていると、無料公開の日本庭園があったので入ってみました。吉城園と言って、民間の所有だそうです。何故、無料公開しているのか解りませんが、立派な庭園でした。

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大仏殿の傍を通って正倉院へ向かっていると雨が降ってきました。

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順序変更して大仏殿に入りました。今日は晋山式という、新任の住職が任命される儀式の日で、大仏さんは脇からしか見られませんでした。

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それと今日は新しい東大寺の管長のお披露目があったそうです。虚空蔵菩薩と大仏さんの2ショットです。

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大仏殿を出ると雨もあがってきて、正倉院へ向かいました。そうそう、今日は珍しく女房も一緒でした。

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大仏殿に比べると、正倉院は静かです。内部や宝物は見られません。外観だけです。

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お水取りで有名な二月堂です。

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最後に東大寺ミュージアムに入りました。初めてです。国宝の日光月光菩薩や四天王像がありましたが、重文の千手観音像が圧倒的な迫力で目を奪われました。

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帰りの車中はやっぱりこれですね(笑)。

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お疲れ様。

 

 

 

2022年5月29日 (日)

信貴山

山歩会の仲間と信貴山へ行ってきました。私は京都で生まれ育ったのですが、信貴山は行ったことありませんでした。信貴山縁起絵巻というのを中学か高校の歴史でならったような位です。

大阪と奈良の間にあります。

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2022年5月28日(土)

近鉄で大阪近郊の河内山本で待ち合わせました。ビスタカーの先頭はパノラマがなかなかですね。

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河内山本から信貴山線で一駅が信貴山口です。そこからケーブルに乗ります。これも近鉄です。標高差350mほどを7~8分で登ります。

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11時15分頃、近鉄高安山駅、すなわち山頂駅に到着しました。

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ここから朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)へはバスが出ていますが、我々は歩きです。

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歩きの道は駅の横から、生駒山方面への縦走路です。

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比較的平坦な快適な道です。

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駅の標高が420mほど、高安山が487mで一寸登る訳ですが、そんなに感じません。15分ほど歩くと、高安山気象レーダーがありました。

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そのすぐ先辺りが高安山近くで、標高470m位かなと思います。一寸下って11時35分頃、バス道路を横断します。

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それからも、どんどん下って、こんなに下って良いのかなと思いながら歩きます。

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バス道から17分、11時53分に弁財天の滝への分岐に着きました。標高は370m、100m下ったのですね。

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ここから登りです。10分一寸登ると、奥の院のすぐ下の広場にでました。

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すぐ上に信貴山城址があります。松永弾正が織田信長に背いて立てこもった城です。

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隣が奥の院です。

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3人足りませんが今日のメンバーです。

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周囲にはいろいろ神社が祀られています。お稲荷さんみたいですが、神仏習合と一言でかたずけられました。

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下の広場に戻って弁当タイムです。25分ほどで出発しました。12時37分頃です。下りは奥の院への参道を下ります。舗装された遊歩道ですが、登ってくる人は大変だと思います。

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20分ほど下って本堂近くに降りてきました。朝護孫子寺は信貴山寺とも呼ばれます。

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起源は聖徳太子が刻まれた毘沙門天に遡ります。後醍醐天皇の病気平癒を祈願して「朝護孫子寺」の名を賜る。高野山より独立して信貴山真言宗の寺となった。本堂です。

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本堂の舞台からは斑鳩方面が見えるのかな。

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本堂の下の戒壇めぐりをしました。暗闇を歩くのは久しぶりの体験です。5分ほどです。

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本堂の横に宝物館があり、そこも見学しました。国宝の信貴山縁起絵巻は奈良国立博物館に貯蔵されていますが、閲覧はできないので、レプリカでも、ここでしか見れません。初めて見ました。

千手院の傍を通って降りてくると、大きな張り子の虎が居ました。あっ、今年は寅年なんだ。

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聖徳太子が毘沙門天を会得されたのが、寅年の寅の日、寅の刻であったそうです。信貴山寺は虎の寺なのです。

13時43分、信貴大橋のバス停に着きました。ここからバスで信貴山下駅に向かいます。

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近鉄生駒線の信貴山下駅です。戦前はここからもケーブルが有ったそうですが、大阪側のケーブルに客を取られ、廃線になったそうです。

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ここから近鉄で生駒乗り換えで鶴橋にきました。

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鶴橋と言えば反省会でしょう(笑)。

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お疲れ様でした。

 

 

2022年5月27日 (金)

御浜町神木を歩く

2022年5月22日(日)

今日はおなじみの「紀伊半島みる観る探検隊」に参加です。「神々が宿る里・神木を歩く」というイベントです。神木は「こうのぎ」と読みます。内容は深く確かめもせず、参加しています(笑)。

朝起きて、目の前の七里御浜を一寸散歩しました。気持ちいいですね。

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獅子岩近くの牛丼屋さんで朝食。安くて早くて旨いですね。

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外に出て見るこの景色はいつ見ても良いなと思います。

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昨日、歩いた紀宝町のお隣が御浜町です。この神木歩きのイベントに参加するので、前日、紀宝町を歩いたというのが実情です。神木に最初に来たのは、多分20年以上前に、一人で熊野古道の本宮道を歩きに来たときです。

本宮道は熊野市の花の窟から生田神社、横垣峠、風伝峠を越え、紀和町の板屋・楊枝を経て熊野本宮大社へ向かう道です。

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その本宮道の横垣峠登り口が神木です。でも今は、大規模な土砂崩れで横垣峠は通れません。もう10年以上通行止めではないでしょうか。神木流紋岩という緑色の石畳が、滑って、怖かったのを思い出します。

今日は御浜町の、この辺りを歩きました。

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9時になかよしステーション近くに集合です。

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午前中は下半分の日与加久良へ行きます。国道311号線を一寸歩いて杉山地蔵さんへ。

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なんの変哲もない地蔵さんで、説明されなければ通り過ぎてしまいますね。でもこうして屋根付きの祠に安置されるのは、それなりの歴史と謂れと地元の人たちの信仰があるのですね。

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しばらく歩くと木和田の庚申さんです。

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庚申信仰の謂れは省きますが、つい最近まで庚申の日はメンバーが集まって夜通ししたそうです。信仰より飲み食いが楽しみで、集落の数少ない娯楽だったのかなと思いますが。最近は体力が衰え、8時か9時ごろには終わるとか(笑)。

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10時前に日与加久良への登り口です。

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一寸だけ山道です。

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付近の木は板根が目立ちます。板根は土壌の土が少ないとき、通常の根では自分を風雨から支えきれないと思った木が、根を板状にすると言われています。サンゴ礁の上にできた沖縄の島々で、サキシマスオウの木などに見られます。この付近も岩が多くて、土が少ないのでしょう。

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登り口から15分ほどで巨岩の下に着きました。

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やはりここも巨岩がご神体ですね。紀伊半島には巨岩のご神体が多いですね。花の窟しかり、昨日の神内神社しかり。この日与加久良もそうですか。やはり1400万年前の熊野巨大噴火の名残でしょうね。

裏に回ると信仰の日与加久良(ヒヨカクラ)です。ノアの箱舟みたいな伝説があるそうです。

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祠の上は、こんな感じです。花の窟・神内神社・日与加久良、皆似ていますね。

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10時40分頃下り始めました。10分ほどで集落にでました。少し歩きながら前方を見ると、神木集落の奥に聳える明見山が見えました。中央に3個並ぶギザギザの左側の岩が山頂で、やはり神社があるそうです。

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出発地点に帰る手前で写真のギャラリーを見ました。良い写真ばかりです。

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11時15分頃、今度は午後の部で歩く神木集落に向かいました。

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周囲を山に囲まれた風景は、この地方ではよく見ます。尾呂志なんかと似ていますね。

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この神木では、旧家の方々は皆、自分の家の守り神として小さな祠を祀っておられるようです。また道端や敷地内の石仏や石塔なども丁寧に守られているようです。

敷地内の八幡宮は見られませんでした。すこし先の道端の地蔵さんが、丁寧に屋根付きの祠で守られていました。

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12時一寸前にイヌマキの巨木へ来ました。「神木のイヌマキ」として有名です。全国で2番目の巨木だそうです。この根元で昼食休憩となりました。

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12時40分に出発しました。神木の集落の家は立派な厚さ1mほどの石垣に囲まれています。防風や狼よけには一寸高さが低いので、用途は何でしょうか。その石垣にも祠があります。

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これは「原の宮」。原家の祀るお宮さんです。

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これは家の外の八輪の塔ですが、多分、昔の人が付近に転がっていた石塔の部品を適当に積み重ねたものでしょう。

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大きなナギの巨木に来ました。速玉大社のナギの木は有名ですね。あのナギの木は平安時代に平重盛が植えたそうですが、この原地神社のナギの木も樹齢400年以上だそうです。

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原地神社です。神木は元々、平安時代に京都の三千院から原家一族が移ってきて住み着いたとか。その原七家と言われる一族の氏神がこの原地神社です。

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次に行った「宇城の宮」はその後にやってきた宇城家の守り神だそうです。今日の案内はその宇城家の方です。

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継が榎木家の墓碑群。鎌倉時代に産田神社の神官として熊野に来た榎木家一族の榎本家の屋敷跡にある。

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14時15分頃、神木集落の高台にある善昌寺に来た。禅宗のお寺です。そこからは、ずーっと下って「辻の宮」へ。ここも原家の後から住み着いた家の祠です。

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最後に訪れたのが原地の庚申様。日本各地の庚申様の代表例みたいな三体が祀られていました。

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14時半ごろには帰ってきました。いろいろ見て知恵熱がでてきました(笑)。

スタッフのFさんに送ってもらって尾鷲に帰ってきました。帰りのJRには時間もあるので、Fさんのお店で一寸一杯。

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JRに乗る前にいつも腹ごしらえする、おじさんの食堂へ一寸顔出して、いつもの焼きそばで〆て帰りました(笑)。

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お疲れさまでした。

 

 

 

 

 

 

2022年5月25日 (水)

紀宝町を歩く

紀宝町って何処?という人も居られるかもしれませんが、三重県の南の端、和歌山県との県境です。私が熊野古道を歩き始めた二十何年か前の三重県南牟婁郡はこんな感じでした。

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現在は合併により、紀和町は熊野市になり、鵜殿村は紀宝町になりました。なので郡部として残っているのは、御浜町と紀和町ですね。御浜町と紀宝町は熊野古道の浜街道が通っています。御浜町と紀和町には、やはり熊野古道の本宮道が通っています。

今回の紀宝町歩きは下図のように、浜街道沿いの神社や石仏を、街道にはとらわれずに歩いてみました。

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紀宝町のJRの駅としては、鵜殿と紀伊井田ですが、いずれも特急は停まらないので、和歌山県の新宮から引き返します。

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2022年5月21日(土)

南紀1号は11時34分に新宮到着です。もう1時間早い列車が有ると良いんですが。上図の青い太線は熊野古道です。とりあえず、駅前の徐福公園で徐福さんの顔を拝みに行きました。雨がパラついているので、合羽上下に傘をさして完全装備です。

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徐福は秦の始皇帝に不老不死の薬を探せと命じられ、一族郎党を連れて日本に渡ってきました。その上陸地点が、熊野の何処かだったとされています。

熊野川を渡って紀宝町に入るのですが、その前に阿須賀神社へ行きました。

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熊野権現は神倉山に降った後、この阿須賀神社の地に移り、その後現在の速玉大社へ移ったとか。熊野参詣道の阿須賀王子がここにあります。

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また、この手洗いの石が、二千年も前のものと聞いたことがあります。

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また境内に弥生時代の竪穴住居跡があります。参拝を済ませ、新宮城の前を通って熊野大橋に向かいます。

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最近では速玉大社は勿論、神倉神社もメジャーな観光地になってきました。今日は割愛して熊野川を渡りました。12時20分頃です。

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渡って左へ1キロほど行くと、牛鼻神社と言う5千年の歴史があるという神社がありますが、今日は右折しました。

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熊野川沿いに10分ほど歩くとJRの線路を潜ります。すぐに左に入っていくのが熊野古道です。最近は地面に案内が描かれていますね。

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今回は直進します。この付近、中村神社や貴祢谷社など謂れありそうな神社がありますが、私のお目当ては烏止野(うどの)神社です。熊野川の河口、紀州製紙の辺りに、高速道路ができると見えて、いま工事中です。

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その手前を左折すると烏止野神社はあります。雨はあがってきました。

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実は熊野権現が神倉山へ降った後、最初に移ったのはここだというのが現在の定説になりつつあります(笑)。その後、阿須賀神社とか速玉大社に移ったのではないかと。

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参拝を済ませ、鵜殿地区を歩いていると、道路工事の最中でした。勢和多気からの高速は、今、熊野市の大泊まで繋がりました。でもここまで来るには、まだだいぶ時間が掛かりそうですね。その間は熊野川を渡るだけでしょうか?

紀州製紙の煙が見えます。13時02分。

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熊野古道に合流して、13時10分頃、R42を渡りました。そして古道沿いに新宮方向へ歩くと、熊野古道の道標がありました。新宮まで2キロとあります。

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そして、そのすぐ傍が粥森様です。この粥森様が何なのか、以前から疑問に思っていますが、謂れは不明です。

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この地区は飯盛と言い、近くに飯森神社というのがありますが、関係あるのか?釈迦が苦行を中断して粥を食べたという逸話に関係あるのか?わかりません。もう一つ、御浜町の浜街道に「ビキシ様」というのが有るのですが、これも解りません。

こんどは熊野古道から離れて、神内神社を目指します。13時15分頃です。

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15分位歩いて神内へはいってきました。神内は「こうのうち」と読みます。

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右前方に見える小学校の建物で、現在位置を推測しながら歩いていきます。13時40分頃、鷹の巣倉の案内がありました。

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2分で善光寺参道、さらに2分で道祖神の案内です。信州では多いが、紀伊半島で道祖神は珍しい。また道祖神を守るようにトラの石像があった。

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その向かい側の道に入っていきます。

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道案内がいろいろ親切にあります。神内は観光に力を入れているようですね。5分で古神殿です。大岩があり、神内神社の元宮と言われています。

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13時55分に神内神社に到着しました。以前はそうでも無かったのですが、今はパワースポットとして大分有名になってきました。

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神内神社は子安神社とも呼ばれます。拝殿です。

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天照大御神など5神をお祭りしていますが、ご神体は巨岩です。

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ご神体は境内から出て、探すと見ることができます。

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14時20分に出発しました。今度は近くの子安延命地蔵さんを目指しました。道案内があるので迷わずに行けます。10分一寸で入り口に到着しました。一寸登ります。

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滝の近くにあり、滝の地蔵さんとも呼ばれるとか。苔や岩が滑るので、慎重に登り降りします。

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さて今度は熊野古道沿いにある横手延命地蔵を目指します。14時40分の出発です。お多福岩とかの傍を通って神内川を下ります。途中は川の狭い土手道も歩いて、近道します。

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神内小学校の裏手に登っていきます。

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坂の途中に堀尾の檜と庚申様がありました。この庚申様は探し物に霊験あらたかだそうです。15時です。

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坂を登り切って後ろを振り返っています。

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熊野灘に向かって5分も下ると三叉路ですが、そこはもう熊野古道です。左折して延命地蔵さんへ向かいます。地面にはやはり案内が描かれています。

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右手に熊野灘を見ながら少し歩くと導引地蔵がありました。15時13分。

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右手の熊野灘はなかなかきれいで癒されます。

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2分で横手延命地蔵です。

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さらに2分で一里塚跡

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また2分で狼煙場跡です。15時21分。

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15時40分発の紀伊井田発の列車に乗れそうなので、急ぐことにしました。4分歩くと、道の真ん中に大きな岩があります。

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道標と地面の道案内に従って、JRの踏切に35分頃到着し、熊野古道と別れて線路沿いに引き返して、38分に紀伊井田駅に着きました。無人駅です。

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ここに西国三十三札所巡りの方が居ました。名古屋から徒歩・テント泊でここまで来られたそうですが、1番の青岸渡寺に着く前に足を痛めたとかで、帰られるそうです。次回、頑張ってください。

私は次の阿田和駅で降りました。ここの道の駅は、串本へダイビングへの行き帰り、休憩や車中泊などでお世話になった、思い出深い道の駅です。今夜の夕食を買うことにしました。

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次の列車で熊野市に帰り、いつもの民宿に泊まりました。明日は紀伊半島みる観る探検隊に参加します。

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今日は地酒の太平洋を飲んで寝ましょう。おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年4月20日 (水)

熊野2日目 磯崎・猪ノ鼻の史跡を訪ねて

2022年4月17日(日)

今朝の散歩は贅沢にも七里御浜です。

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新宮方面に少し歩くと、日本最古の神社と言われる花の窟神社があります。

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ここで熊野街道伊勢路は浜街道と本宮道に分かれるのですが、神社の前の道標は、浜街道へ行かず本宮道へ行くよう勧めています。

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浜街道は波に攫われて命を落とす人もいて、危険なので本宮道を勧めたそうです。

さて今日は2年ぶりの紀伊半島みる観る探検隊で、「磯崎・猪ノ鼻の史跡を訪ねて」に参加します。

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熊野市駅の一つ尾鷲寄りの大泊駅が集合場所です。上の地図でお判りのように、ここは熊野街道伊勢路が通っています。波田須から大吹峠を越え大泊に下り、また松本峠を越えて木ノ本へ降るおなじみの熊野古道ルートです。

また磯崎港の反対側、井内浦は、私のダイビングのホームグラウンドだったので、よく通った場所です。今回行く猪ノ鼻は、どこかで聞いたことがあると思われたと思いますが、それは尾鷲の猪鼻水平道でしょう。馬越峠の巻き道です。今回は熊野の猪ノ鼻です。

9時に大泊駅に集合しました。

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今回は参加者21人、案内やスタッフの方が6人、27人で歩きます。このルートも昨日の赤倉街道と同じく、熊野あらけ隊の方が整備して頂いたそうです。

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案内役のMさんは、私と同じ年齢、長く大泊の区長を務められたとか、地域の生き字引みたいな人です。熊野参詣道で善根宿をやっていたとか言われていました。いろいろ手作りの資料で詳しく説明されます。

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この磯崎も過っては2500人ほど住民が居たそうですが、今は230人とか。時代の流れは凄いですね。9時半頃から歩き始めました。

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猪ノ鼻岬の方へ入っていくと、丁度対岸が鬼ヶ城で、日ごろは見ない、千畳敷が見えました。

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このときハプニングが。地元磯崎から参加されていたHさんが、参加者全員に「昆布寿司」を差し入れして頂きました。熊野はサンマ寿司が名物ですが、昆布寿司は初めてです。

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手間の掛かりそうな細い巻き寿司です。家に持って帰って、家内と食べましたが、美味でした。有難うございます。

道は岬を回る細い地道です。

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七里御浜を対岸から眺めながら歩きます。

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10時25分頃、炭焼窯の跡にきました。これは備長炭では無く黒炭だとか。窯の形状から判るそうです。

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10分後に猪ノ鼻灯台に到着しました。

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ここで有志だけ、50mほど下の磯へ降りすることになりました。私も急坂を下ってみました。写真の向こう側が、私のダイビングの井内浦です。懐かしい。

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25分ほどで登ってきました。さらに進むと、そこは猪ノ鼻城の城跡だそうです。ただ今は、第2次世界大戦のとき、陸軍の電波探知機が作られたそうで、城跡も破壊されたそうです。わずかに残った石積みの傍を歩きます。

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Mさんが、猪ノ鼻城の歴史を教えてくれます。1568年伊勢の北畠の軍が攻め込んで、猪ノ鼻城の合戦があったそうです。そのときの熊野川で猪ノ鼻城の城主であった方の子孫の方が、このツアーに参加されていたのには驚きました。

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11時45分に、七里御浜の見える絶景の広場に到着、昼食休憩となりました。ここでも「熊野あらけ隊」の女性お二人が、お菓子・果物・飲み物の接待をして頂きました。みんなが座るベンチも、手作りだそうです。

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ところで、ペリーの浦賀来航は1853年ですが、そのまえ、1791年にもアメリカの商船2隻がこの付近に現れていたそうで、そのときの記録が残っているそうで、その概要をMさんが説明してくれました。

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ゆっくり休憩して1時ごろ出発、すぐに戦時中に軍が作った道に入ります。この付近にも電波探知機が建設されたそうですが、ここのは空襲で破壊されたそうです。途中に防空壕の跡が残っていました。

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30分一寸で磯崎集落の近くに戻ってきました。

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坂を下って13時45分に海恵寺です。戦時中は小学校が軍に摂取され、ここで子供は勉強したとか。

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この後すぐ解散しました。この探検隊は、観光では判らない、地域の歴史や謂れを、深堀してくれるのでお気に入りです。そのあと私は、あらけ隊のOさんに、鬼ヶ城の入り口まで送ってもらいました。

今度は逆に、鬼ヶ城側から今日歩いた猪ノ鼻を見てみました。

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そしてそのまま、鬼ヶ城を1周することにしました。

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波が高いと、一寸怖そうな場所もありますね。

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30分ほどで1周してきました。

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そこから20分ほどで熊野市駅です。

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サザエを買って帰ろうと、熊野市駅近くのスーパーを探したのですが、無かったので、紀伊長島で途中下車して買うことにしました。帰りの列車の中は、いつものように小宴を開きます(笑)。

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お土産のサザエは翌日のご馳走です。

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お休みなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年4月 5日 (火)

比叡山麓 坂本歩き後半

13時一寸前に西教寺を出て、日吉大社へ向かいます。ここも有名ですが、私が知っているのは、猿が神様のお使いだ位でした。途中の道端に千体地蔵さんがあります。比叡山に登れない人たちが付近一帯に小さな石仏を建立したのだとか。それが田畑の耕作で出てきたそうです。

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15分ほどで日吉大社東本宮に着きました。

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でも空腹のため遥拝で済ませて昼食に向かいます。

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坂を下って10分弱で、お目当ての鶴喜そばに着きました。でも満員で並んでいます。人気なんですねえ。

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創業は1716年だそうで、建物も登録有形文化財です。近くに日吉そばという、ここも良さそうな蕎麦屋さんがあるんですが、ここはそんなに混んでいません。どこが違うか、一度食べ比べしたいものです(笑)。

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40分も待って、ようやく「おろし天ぷら蕎麦」にありつきました。その横は「そば前」です(笑)。

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満足して店を出ました。14時35分でした。午後は坂本ケーブルで比叡山に登り、無動寺や紀貫之の墓を見る予定でしたが、時間的にも体力的にも無理だろうということで、もう少し坂本を歩くことになりました。

付近の民家にはお地蔵さんのお堂が併設されています。これは全国的にも珍しいですね。

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天海大僧正の廟所である慈眼堂を見に行くことになりました。坂本、特に滋賀院の付近は穴太積みと言われる石垣が見事です。

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天海は家康・秀忠・家光の三代に仕え、信長の焼き討ちで荒廃した延暦寺の復興に力を尽くしました。

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庭には歴代の天台座主や桓武天皇・慈眼大師の墓碑や供養塔がありました。

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紫式部、和泉式部、清少納言などの供養塔もありました。ほかにもなにかあるかも。

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次に先ほど遥拝で済ませた日吉大社に向かいました。10分弱で着きます。西本宮の鳥居が珍しい形ですね。山王鳥居というそうです。

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先ほども書きましたが「猿がお使いです」。神猿と書いて「まさる」と読むそうです。魔が去る、勝る、ということで大事にされています。

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西本宮の楼門は重要文化財です。

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そして、その天井の四隅には神猿さんがおられます。

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ところで日吉大社には西本宮と東本宮があります。両本宮ともに本殿は国宝です。ご本尊ですが、東本宮が大山昨神で比叡山の山神様です。西本宮は大己貴神で奈良の三輪山の山神様です。

東本宮へ向かう風景

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東本宮の本殿、日吉造りといわれ国宝です。

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15時半ごろ日吉大社のお参りは終わりました。皆さん、お疲れでJR比叡坂本駅に向かいます。

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JRで京都駅に向かい、駅地下の居酒屋で反省会です。

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皆さんお疲れ様。次回は比叡山頂に向かいましょう。

 

 

2022年4月 4日 (月)

比叡山麓、坂本を歩く

山歩会のAさんの企画で坂本を歩いてきた。我々、京都生まれの人間は、比叡山や延暦寺は京都の山であり寺であると思っている。都の鬼門を守る山であり寺だから当然のことです。でも今回の里歩きで、比叡山や延暦寺は滋賀県だなあと、考えを変えた(笑)。

2022年4月2日(土)

9時半に京都駅に集合し、湖西線に乗った。昔、学生の頃、比良の山小屋に行くため、何回となく乗った線です。10時におごと温泉駅で下車。ここから安楽律院を目指します。総勢8名です。

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上半分を拡大します。おごと温泉駅を出て、線路沿いに引き返します。だらだらと上り坂です。

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15分ほど登りが続いたでしょうか、右折して湖西道路を高架で超えます。後方には懐かしい比良山脈南部の主峰、蓬莱山が見えます。まだ一寸雪が残っているようです。

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超えるとすぐ二股になり、左元三大師の文字が読めます。

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元三大師は延暦寺中興の祖と言われる。良源、慈恵大師とも呼ばれ、おみくじの元祖とも言われます。

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その良源ゆかりの地千野(乳野)を通ります。

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この辺りは中部北陸自然歩道になっているようで、時々その道標があります。道は山の中に入っていきます。

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駅から1時間弱、11時過ぎに安楽律院の入り口に来ました。

平安京の鬼門を延暦寺が守ると言いましたが、その延暦寺の鬼門を守るのが飯室谷不動堂です。その飯室谷の別院が安楽律院で、厳しい戒律を守る僧たちが、ここで生活しました。

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昭和24年、放火により殆どの建物が焼失しました。最近ではNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」や「るろうに剣心」のロケ地として有名になった。

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跡地は、今なお1300年前の霊気を漂わせ、叡山のパワースポットとして、最近は訪れる人も多い。

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また藤原定家の碑もある。

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11時23分に、ここを出た。山門の正面の階段を上ると、近道して飯室谷不動堂へ行けるが、Aさんは、その道はアップダウンがきついからと、元来た道を引き返して、車道で飯室谷へ向かった。11時40分に到着した。

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ここは叡山三魔所の一つと呼ばれるパワースポットです。横川中堂や元三大師堂へは、ここから登ります。魔所は魔物が出ると言う意味ではなく、清浄な地という意味だと、千日回峰をされた住職の大阿闍梨藤波源信さんが言われています。

ここから西教寺へ向かうのですが、Aさん今度は山道を選びました(笑)。

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一寸登って、切通しを超えていく、なかなか情緒のある道です。と思っていたら、荒れている部分もあって、一般観光客にはお勧めできない道ですね。

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15分ほどで車道に出てきました。

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西教寺入り口までは10分弱ですが、その間にもたくさんの石仏や地蔵さんがあります。宅地開発の際に出てきたようです。

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西教寺門前には12時11分でした。

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西教寺は聖徳太子の創建と伝わりますが、一旦荒廃します。平安時代には天台宗の寺院となり、室町時代に真盛上人が入寺され、天台真盛宗の総本山となり、全国に末寺を持つに至ったそうです。

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小堀遠州作の客殿庭園

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境内からは琵琶湖の景色も素晴らしい。

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信長の叡山焼き討ちで西教寺も焼失したが、その復興に力を尽くしたのが明智光秀であった。

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したがって、本能寺の変の後、光秀が秀吉に敗れた後も、明智一族の菩提寺として西教寺に祀られている。

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いままで知らなかったのですが、立派な寺院で、皆感心しきりでした。

13時一寸前に寺を出ました。皆さん、空腹を訴えています。

ここで前半を終わります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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