青空フリーパスの旅 原野(中山道中間地点)
どこか街道歩きに行きたいのだが、連日の猛暑で、長時間のアスファルト道歩きはとてもできない。なので山歩会の伊勢街道歩きも9月まで休み。と言って、山登りに行く体力も残っていない。
何か涼しい暇つぶしは無いかと考えたのが「青空フリーパスの旅」です。土日・休日は1日乗り降り自由で2620円のお得な切符です。私の住んでいる桑名からだと下図の場所の往復が2620円になります。
一番遠くは飯田線の飯田で4070円、往復だと8140円が2620円だから大変お得です。でも飯田まで普通列車で日帰り往復は無理みたいです(笑)。ともかく、冷房の効いた列車で、車窓の景色を肴に一杯飲んでいき、現地で冷たいビールを飲みながら一休みして、また飲みながら帰ってくるという旅を考えました(笑)。
で今回は中央線の木曾平沢方面に行くことにしました。木曾平沢は中山道沿いで木曾漆器の街です。3~4回は中山道歩きで行ったと思いますが、伝統的町並み保存地区でもあり、情緒あふれる良い街です。私もコーヒーカップを買った覚えがあります。
でも一つ欠点が。旅の主目的である食堂が無いんです。あるかもしれませんが、グーグルマップで調べても適当な店が無いので、近くを探すことにしました。
この辺りは中山道の中でも木曽路と呼ばれる魅力あふれる地域です。木曾平沢のすぐ下が奈良井宿。ここも馬篭や妻籠と同様に昔の面影残る、素晴らしい街並みです。でも観光地過ぎるので却下(笑)。
もう少し下がって、木曾福島の一寸上、「原野」という駅に目を付けました。ここは丁度中山道の中間地点に当たります。良さそうな食堂もあったので、ここに行くことにしました。
2025年7月5日(土)
長島を7時35分の列車に乗り、名古屋で中央線に乗り換えます。結構空いてます。
恵那の手前、釜戸や武並辺りは中山道に近く、何度も乗り降りした、懐かしい駅です。
中津川で乗り換えます。駅に「是より北木曽路」の石碑があります。本物は中山道の落合の石畳にあります。
中津川を出ると木曽路のムードになってくるので、そろそろ飲み始めてもいいでしょう。
この旅のために保冷バッグを揃えました(笑)。アマゾンは翌日着くので助かります。
南木曽を過ぎると中山道はほぼ列車に並行しています。なので車窓には何回か歩いた思い出が広がります。
十二兼という駅名に興味を覚えて、由来を探したのですが、いまだに判りません。
上松の手前に寝覚ノ床がありますが、木が大きくなって、水面が見えづらくなっています。切ってください。
木曽福島は谷底の街と言われます。だから、そこに関所を作ると、関所破りが難しかったとか。
11時9分に原野駅に着きました。勿論、無人駅です。
駅周辺の地図を載せます。
駅を出るとすぐ原野八幡宮があります。
原野村の氏神として慶長3年1598年に建てられたそうです。ここ木曾町は木曾義仲の旗揚げの地なので、巴御前や中原兼藤などの史跡が多いのですが、ここは違うようです。
神様への手紙と言うのが気に入りました(笑)。
智近くに明星岩というのがあり、名所らしいです。矢印はあるのですが、雑草に覆われて、歩けそうにないので、やめました。
線路の上を渡って、中山道側へ歩きます。きれいなトイレもありました。中山道に出たのが11時25分です。
江戸方面はこんなふうです。
京都方面です。
京都方面に1~2分歩くと、左手に石仏が数基祀られています。庚申塔や青面金剛などの字が見えます。
更に2~3分歩くと、左手に大量の石仏が見えてきます。
こりゃあ只物で無いなと、帰って調べたのですが、どうも資料が見つかりません。右端4体は、なにか中国風ですね。
八地蔵さんですか。
西国三十三観音の文字が見られますね。
しばらく眺めた後先に進みました。5分ほどで中山道中間地点の碑がありました。
江戸へ六十七里二十八町と刻まれていますが、逆側には京へ・・・・と刻まれています。
そこから7~8分、下り気味に歩くと、右に細い道が分かれます。それが旧中山道です。
1分で小さな祠がありますが、昔は小沢の立場と呼ばれたそうです。山神さんがあります。
直進するのが旧道ですが、道は消えているそうです。ネットで調べると正沢川を渡る橋が仮設されて渡れるそうです。再度行ってみなきゃあと思っています。一寸直進すると、左手に「石造駒石の碑」があります。江戸時代の地元の偉人だそうです。
中山道歩きはここまでにして、昼食のビール探しに入ります。小沢の立場に引き返し、右折して国道に出ます。国道手前にフードショップイズミヤ商店が目に入りました。11時50分です。
国道へ出て左折、原野駅方面に引き返します。ネットでみて、国道沿いの「こまみ」という食堂が良さそうなので、ここへ来たのです(笑)。
でも、不定休というか、不定開店の店だそうで、心配していたら、やっぱり閉まっていました。残念。
仕方なく、その先の陸橋を渡って道の駅へ行きました。ここにも中山道中間地点の碑がありました。
ここの食堂は、やはりアルコールは有りませんでした。引き返して例のフードショップに行くことにしました。途中「水車屋」というそば屋さんがあり、心惹かれました。
でも何故だかフードショップへ引き返しました。店で弁当ありますかと言うと、無いという。何かお腹の足しになるものと言うと、カップラーメン位と言う。それじゃあということで、焼きそばのUFOを頼むと、女将さんが調理してくれるという。
店の前にベンチがあるから、そこで食べなさいと。中山道歩きの人はそうしますよと。
缶ビールを買って、食べ始めたが、一寸寂しいかな。
そう思っていたら、女将さんが、自家製ですけど食べてくださいときゅうりの漬物を出してくれた。一気に食卓が豪華になった(笑)。
こうなると、周りのロケーションも贅沢に思えてくる。木曾駒ケ岳や旧中山道を見ながらの昼食は乙なものです。
帰ってネットで調べたのですが、昔、この小沢の立場には「和泉屋」という茶屋があり、「七笑」というシロップを売っていたという。この和泉屋商店さんは、その子孫かもしれない。
それと、16年前の6月末、私は一人でここ中山道を歩いていたのですが、当時の記録を読み返してみると、その時も、この和泉屋さんに寄っていました。助六と豆腐を買って近くの公園で昼食にしていました。当時、私は、お豆腐セットとして、鰹節とお醤油を持ち歩き、地元の豆腐を食べるのを趣味としていました。
そのいろいろが、今回も私をここに連れてきたのかもしれない。12時40分に店を出ました。途中、明星岩公園があり、ウオーキングマップがありました。
16年前は、ここのベンチで豆腐を食べたようです。行にみた石仏群です。今回は車が停まっていない。
中国風の石仏
13時16分に原野駅に帰ってきました。35分発の列車です。待っていると、この鳥が、しきりに周りを飛び回っていました。
列車に乗り込んで、帰りの小宴を始めました。泡盛の水割りを作ってきていました。
和泉屋さんで、濁り酒を買っていましたが、結局飲めませんでした。酒、弱くなったなあ。
中津川からも空いてました。
恵那付近で大規模な工事をやっていたが、中央新幹線かな。
まあ1日良い旅でした。列車の中は寒かったなあ。
次は上着持っていかないと(笑)。
最近のコメント