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2025年4月28日 (月)

設楽ヶ原の合戦

3月に武田勝頼の長篠城攻めの現場、長篠城址近辺を探索しましたが、今回はその続き、織田徳川連合軍と武田軍の決戦地、設楽ヶ原の探索です。

2025年4月26日(土)

ゴールデンウイークの初日ですが、天気も良く、10時06分に飯田線の三河東郷駅に集合しました。今回は6人、ガイドさんは前回の長篠と同じガイドさんです。

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三河東郷駅は前回の長篠城駅の二つ手前で、両方とも無人駅です。初めて降りる駅だと思っていたのですが、帰ってから調べたら、以前来たことがありました(-_-;)。10年ちょっと前、伊那街道(三州街道とも言う)を歩いたとき、この駅に来ていました。下図、見てください。

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東海道の豊橋付近に小坂井という所があり、そこから伊那へ伊那街道が伸びています。途中、根羽で名古屋からの飯田街道と合流します。そしてその伊那街道が、丁度この三河東郷駅のすぐ近くを通っています。

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上図、青い線が伊那街道で、3月の長篠が右の赤い線、今回の設楽ヶ原が左の赤い線です。なので、今回は一部、伊那街道も歩いたのですが、まったく覚えていませんでした。

2013年に小坂井からここ三河東郷まで1日目に歩き、2日目は今日と同じ列車で10時06分に三河東郷駅に着いて歩き始めています。それが下図です。

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ということで、今回、ガイドさんが説明してくれた、この合戦の看板も、そのとき見て、写真にも撮っていました(笑)。

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それはともかく10時20分頃出発して、馬防冊の南端に向かいました。

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途中、伊那街道を少し歩きました。

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上の写真の正面の信玄塚方面が伊那街道です。10時半過ぎに馬防冊の南端に到着しました。

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前方の鉄橋は飯田線が連吾川を渡っています。この先は切れ落ちていて、設楽ヶ原は無くなるので、冊も要らないわけです。馬防冊はここから北へ2キロほど、連吾川に沿って作られたそうです。

ここから一寸北上して、国道に登りました。国道は土盛りされ、高くなっているので設楽ヶ原合戦場が一望できます。

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一望すると、連吾川を挟んで左が織田徳川連合軍、右が武田軍です。でも意外に狭く、大軍を動かすには不向きな所です。また当時は水田もあり、騎馬軍の活動は制約されたそうです。

実際の合戦は五か所ほどの激戦地で行われたのではないかというガイドさんの説明でした。

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北上していくと、新東名が走っています。その少し先まで馬防冊はあったそうです。

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その手前に観光用の馬防冊が再現されています。実際の冊は、もう少し右の田んぼの中に有ったそうですが。

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2キロ全部に作られたのか部分的に騎馬隊が走れる部分に作られたのか解りませんが、膨大な材木を、どこからどうして運んだのかも謎だそうです。いずれにしても、狭い設楽ヶ原で、しかも水田で、騎馬武者も不自由な状態で、馬防冊に突進するのは無謀で、鉄砲の餌食になりに行ったようなものと思われます。

何故、こんな所へ突進したのか、させられたのか、そこが私には謎に思われました。

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徳川家康は、この山並みの左の方に本陣を置きました。織田信長は、この山並みを越えた、さらに奥の方に本陣を置いたそうで、合戦も見ていなかったでしょう。一方武田勝頼は、家臣の合戦回避の意見を聞かず、決戦を決めたそうです。信玄の正式な跡継ぎでなかったので、功を焦ったという説もあります。

その勝頼の陣跡を訪ねました。才の神と言う、設楽ヶ原の全景を望める場所だった、丘の上です。

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当時は杉檜は無く、展望が良かったのでしょう。本陣をこの近くに置いた。そこから庚申堂に出て、設楽原歴史資料館へ向かいましたが、その道が以前歩いた伊那街道だったようです。

資料館の前に天王山へ寄りましたが、勝頼の指揮地とかで、慰霊碑やいろいろありました。

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そのすぐ近くに資料館があります。そこでガイド会の会長さんが火祭りの説明をして頂きました。

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大きな松明を振り回すようです。その後、広場で昼食休憩しました。資料館は設楽ヶ原合戦の資料だけでなく、幕末の外国奉行で、ペリーの他、英仏など五か国との開国交渉に関わった、岩瀬忠震の資料がありました。

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設楽ヶ原合戦では、織田軍の火縄銃と武田の騎馬軍の戦いでした。以降、火縄銃が主力になります。その火縄銃を、ガイドさんが触らせてくれました。重くて大変でした。

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資料館内部は撮影可能でした。

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屋上に登ると、再現された馬防冊が見えました。当時は木々が無く、設楽ヶ原が一望できたようです。

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14時半ごろ、近くの信玄塚へ向かいました。ここも10年前来ていて、写真もありました。でもこのときは全く記憶にありませんでした(笑)。

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近くに石像の閻魔堂がありました。

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閻魔様の背中には地蔵菩薩が彫られていました。閻魔大王と地蔵菩薩は表裏の関係にあるのでしょうか。

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お堂の前に、左御油への道、前秋葉道の案内がありました。秋葉道が伊那街道でしょうか。

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その後、伊那街道を歩いて首洗池に来ました。今は鯉の繁殖池みたいです。14時45分です。

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5分で踏切を渡り、三河東郷駅の前の勝楽寺にきました。ここも前回きていたようです。

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ガイドさんとはここでお別れです。駅前は何もなく、反省会はできません。名古屋へ帰って、有志で行いました。設楽ヶ原へ来ていない人も居ますが、何故でしょう(笑)。

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二次会はその人にご馳走になってしまいました。

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お疲れさまでした。

 

 

 

2025年4月20日 (日)

京都 龍谷ミュージアム

京都の龍谷ミュージアムで大谷探検隊の展示をしているというので見に行ってきました。

シルクロード好きにとって、中国の西域を調査探検した大谷探検隊の名前は有名です。でもその実態はあまり知らなかったので興味があったのです。

2025年4月19日(土)

関西線・草津線・東海道線と乗り継いで、ジパングで京都まで往復で2800円弱です。時間は3時間弱かかりますけどね(笑)。9時50分に京都駅に着きました。やはり混んでますね。オーバーツーリズムは覚悟してます。

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大きなスーツケースを持った外人さんが多いようですね。円安で安くなった日本旅行がブームの要因でしょうね。おかげでホテル代が高騰して、その上カルテルで、我々には高嶺の花になりましたね。今日は日帰りだから関係ないけど(笑)。

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ということで、バスは使わず、歩いて龍谷ミュージアムに向かいます。

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駅から10分ほどで七条堀川です。西本願寺があります。

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龍谷というのは西本願寺で、龍谷大学は知っていました。東本願寺は大谷大学があります。でも龍谷ミュージアムは知らなかった。西本願寺の目の前にあるのでした。

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吉川小一郎というのも知りませんでした。何も知らないのですね。

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受付は地下に有りました。

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残念ながら展示物の撮影はできませんでした。とりあえず入口の写真です。入館料は1100円だったかな。

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展示は3階が大谷探検隊で、一次から三次まであり、二次が橘瑞兆、三次が吉川小一郎で3年間だったそうです。映像ルームがあり、そこでの撮影はokとのことでした。

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いろいろ勉強になりました。2階は仏教に関する興味深い展示がいろいろ。ここも勉強になりました。西域のベゼクリク千仏洞のコーナーがあり、そこは撮影okでした。

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1時間ほどでミュージアムを出てきました。折角なので西本願寺に一寸お参りしました。

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実は我家も真宗です。ただ宗派は高田派らしいですが。御影堂と阿弥陀堂だったかな。世界最大の木造建築とか。違うかな(笑)。

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ここにも外人さんが。

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この後、当初予定では、国立博物館に行くつもりでした。ここも19日から、俵屋宗達の風神雷神図屛風など見られる「日本の美のるつぼ」とかの特別展が開催されています。

強く心惹かれるものは有ったのですが、初日で混んでいるだろうなと思って止めました(笑)。

嵐山へ行って、オーバーツーリズムを体験することにしました(笑)。バスに乗ります。噂通りぎっしり混んでいます。嵐山まで行くバスも有るんですが、四条大宮から嵐電に乗ってみることにしました。

四条堀川で降りて大宮まで歩きました。降車したバスは、バス停で待ち行列でしたが、乗れずに諦めた人多数です。京都市民が乗れないと怒るのも無理ないですね。バスにも大きなスーツケースで、車内の移動もままならないのです。

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堀川から大宮はすぐです。この辺は京都生まれの強みで肌で知っています(笑)。嵐電は四条大宮から嵐山を結ぶ、「ちんちん電車」みたいで、乗るだけで、ほっこりした観光気分になります。

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バスと違って空いています。観光客の勉強不足ですね。でも外人観光客はよく勉強しているとみえて、利用客は地元民と外人さんですね(笑)。

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嵐電の沿線は京都観光の良さが集積されているように思います。自分が育った地域だから言う訳でも無いんですが、太秦という地域は面白いと思います。お寺が有ったり、東映の撮影所が有ったり、私の青春の思い出が多い地域です。

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嵐山駅に着くとやはりオーバーツーリズムのメッカでした。これを一度見ておこうと思ったのです(笑)。

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外に出ても人混みは変わりません。人力車、多くなってますねえ。

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渡月橋付近も、この人混みです。

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実は一寸、嵯峨野でも歩いてみようかと思ってきたのでした。下図、左上の化野念仏寺まで、30分一寸で行けるかなと思います。

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でもこの日は暑かったのです(笑)。28度と真夏のようでした。私も半袖で来ていたのですが、それでも1時間以上歩くのは躊躇われました。渡月橋を見ている内に諦めることにしました(笑)。

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時刻も12時を済んでいたので、弁当を食べることにしました。京都でランチするのは無理と思っていたので、スーパーの稲荷ずしと椅子を持ってきていました(笑)。

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京都は着物姿の女性をよく見かけます。でも、このこの暑さのなかで着物を着るのは、芸者さんや舞妓さん以外は観光客でしょうね。それも外人さんの貸衣装が多いですね。

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お陰で着物が不足して、中古着物の買い取り業者さんが増えてますね(笑)。3300円と出ていました。

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嵯峨野、諦めたのでJRで京都駅へ帰ることにしました。人混みを避け、裏道から嵯峨嵐山駅へ向かいます。

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一筋入ると誰も居ないのです。途中、天皇陵を見つけました。京都はあちこちに天皇陵がありますね。

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JRの嵯峨嵐山駅の隣はトロッコ嵐山駅です。旧山陰線で、私の子供の頃は、保津峡へ遊びに行くので、よく乗りました。トンネルに入ると煙で真っ黒になったのを覚えています。

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始発列車があり、入ると座席を削って通路を広げた車両になっていました。大型スーツケースに対応したのでしょうね。

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13時25分頃、京都駅に帰ってきました。大変、賑わっています。

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実はここ駅ビルの7階に美術館があります。「美術館えき」と言うそうです。百貨店伊勢丹の一部です。そこで、我々ダイバーの中では有名な水中写真家の中村征夫さんの写真展が開かれているのです。

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それを偶然知ったので、それを見る楽しみもありました。

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嬉しいことに、ここは、スマホ写真ならOKとのことで、撮影しました。大谷探検隊と違って、結構人が入っていました。

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多分皆ダイバーだと思うので、京都も結構ダイバーが居るんだなと思いました。

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入館料は1000円でした。高そうなカメラも置かれていました。

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私の知り合いのダイバーは、収入の7割をダイビングに使かっていると言っていました。だから何百万のカメラセットが買えるのですね。私はそこまでいきませんでした。

列車に乗って帰るのですが、途中草津で下車しました。東海道と中山道が分かれる草津宿です。

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ここは昔から途中下車して昼酒を飲んでいた、懐かしい駅なのです。今日はここで、帰りのお酒とおつまみを買っていこうと思ったのでした(笑)。

駅直結のビルの地下は、昭和の居酒屋さん風情を作っています。

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ビルの外も、良さそうな昼飲み屋さんがあり、心惹かれましたが我慢して、食品館で買い物しました。

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草津線は貴生川までは混みますが、その先はすくので、居酒屋タイムもできます(笑)。今日はまだ時間も早いので、近江富士を見ながら、一寸楽しめました。

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柘植~亀山間は列車の雰囲気が落ち着かないので飲めません。亀山からは良い雰囲気です。そして、名古屋行の快速が出た直後の普通列車は、非常に空いているので、私の時間です(笑)。

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我家まで1時間弱、これだけあれば相当楽しめます。至福の時間です。

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お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

2025年4月 2日 (水)

大鹿村 その②

2025年3月31日(月)

朝はいつもより1時間遅く6時半に起きだした。窓から見下ろすと、なんか素朴な山里の風景です。

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朝食を7時半に頼んでいるので、一寸散歩に出かけました。と言っても、外はどちらを向いても斜面で、先に降るか登るかだけの話で、優しい道はありません。民宿の立地はこんな感じです。

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下の写真の信濃宮を越えて、ずっと登って行くと「夕立神公園」があり、アルプスの展望や緑色岩の露頭が有って、行きたかったのですが、道路が冬季閉鎖中でした。

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朝食に行くと、ストーブの前に猫が2匹居ました。大きい方が子供だそうです。

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朝食は精進料理みたいでした。ここ美野鹿さんは1泊2食付きで7千円と、今時にしては格安でした。パジャマなどは無いんですが、この雰囲気と料理と価格を合わせると、8月までに、もう1回来たいなと考えています(笑)。

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今日の行動予定ですが、下の写真をみてください。下部の民宿を出発して近くの大西公園に行き、今度は最上部の北川露頭で中央構造線を見学し、また最下部へ戻って「現在地」と書かれた道の駅で、お土産を買って帰るつもりです。

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8時20分頃出発しました。大西公園到着は8時40分頃です。

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大西公園は後方の大西山の崩壊で多くの犠牲者がでた供養に作られた公園のようで、大西観音が建立されました。また桜の名所で有名ですが、まだ咲いていません。ちなみに今朝の気温は氷点下だったようです。

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そして我々の目的は南アルプス赤石岳の展望です。これはきれいでした。

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8時50分頃公園を出て、道の駅で一寸飲み物を買ってから、北川露頭へ出かけました。152号線、秋葉街道を北上します。国道と言えど、結構狭い道を25分も走って、ようやく北川露頭に着きました。

手前に小さな神社があり、広い駐車場があるので、見逃すことは無いでしょう。3分歩くと北川露頭の案内があります。9時22分です。

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道端には雪も残っていました。

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3分で北川露頭の案内板があります。ありふれた風景なので、専門家でなければ気づかない風景なんでしょうね。

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河原へ降りると

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岩の色は確かに違いますね。でも、両側の地盤の成り立ちを熟知し、かつ、そんな両者が隣り合うはずがないと気づくのは、専門家の中でも、ナウマン象で有名なナウマンが、日本滞在中に中央構造線を見つけたのだそうです。

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中央構造線の先をみると、なんの変哲もない河原ですが、ここから専門家は何か見つけるのでしょうね。

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9時45分頃出発しました。今度は下りで、道の駅まで20分一寸で引き返してきました。左の崩壊地が大西山で、下の台地が大西公園です。

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道の駅も大鹿歌舞伎です。

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ここで大鹿村の鹿肉と高遠のどぶろくをお土産に買いました。楽しみですね。

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10時20分頃店を出たかな。帰り道は、やはり中央新幹線工事のダンプカーが多かったですが、皆さん、紳士的な運転で、ストレスは有りませんでした。中央アルプスの景色がチラッと見えます。

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11時頃松川ICに入り、50分ほどで恵那SAでした。ここで、かつおろし蕎麦を食べました(笑)。

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13時過ぎに神領で降ろしてもらい、14時過ぎに無事長島に到着しました。Iさん、お疲れさまでした。また、誘って下さい。

で後日、鹿肉とどぶろくを楽しみました。

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鹿肉には味が付いていて、ニラかニンニクの茎が合うんだそうです。美味い。

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他の野菜とも勿論合いますが、先に炒めておいて、肉が焼けたら入れると、より美味しいとか。期待はずれがどぶろくです。味は良いんですが、アルコールが6%で、ビール並みでした。これでは、いくら飲んでも酔いません(笑)。16度にしてくれ。

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おわり。

 

 

 

 

2025年4月 1日 (火)

中央構造線 大鹿村

山仲間のIさんが、何に血迷ったか地質に興味を持ったという。それで、中央構造線の上に有る長野県大鹿村に行くと言う。それで私も同行した(笑)。

山歩きや街道歩きをしていると、嫌でもいろんな地質に触れるので、興味が無いわけでもなかったが、岩の名前も成り立ちも、その場では覚えてもすぐ忘れていた。

中央構造線も名前は聞いていたが、フォッサマグナと区別もつかない状態です。で、大鹿村の位置ですが、下図を見てください。

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中央アルプスの麓、南アルプスの間に伊那谷があり、そこに飯田とか伊那があって、国道153号線、かっての伊那街道があるのは知っていたし、歩いたこともあるのですが、その東、南アルプスとの間にもう一本、国道152号線、かっての秋葉街道があるのは見落としていました(笑)。

その152号線が中央構造線の上に有り、そこに大鹿村がありました。車だと、松川ICで降りて向かいます。

2025年3月30日(日)

JR中央線の神領駅で13時過ぎにピックアップしてもらって春日井ICに入りました。恵那山トンネルを抜けると南アルプスがみえてきます。久しぶりの景色で、いい天気ですね。

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14時50分頃松川ICを出ると、南アルプスはぐっと近く見えます。

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ここ、松川大鹿線という道は初めてのルートです。陣馬形山へ2回位行っているので、通ったことあるかもしれませんが、自分で運転していないので覚えはありません。

リニア新幹線の工事が進み、大鹿村にもその影響があるようです。下図みてください。

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伊那大島駅から小渋ダムを経て大鹿村に入りますが、その間の道は橋やトンネルで立派になっています。ダム工事か新幹線か知りませんが、松川までの距離は随分短くなったのではないでしょうか。今日は日曜日なので工事はお休みですが、平日は中央新幹線のダンプカーの往来が激しいそうです。

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15時20分過ぎに152号線にでました。南下して中央構造線博物館に向かいます。これが秋葉街道なんですね。

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5~6分で博物館に着きました。岩がごろごろ置いてあります(笑)。入場料500円です。

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中央構造線の勉強から始めました。中央構造線はプレートの動きに関係があります。日本列島はユーラシアプレートの上に有り、すぐ南にフィリピン海プレートが沈み込んでいますね。その影響で、プレート境界に近いユーラシアプレート上の日本列島の地層は、いろいろズレ動いているようです。

そのため、まったく違った地層が接して日本列島ができているそうで、その境界線が中央構造線というらしい。まったく信用しないでください(笑)。

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フォッサマグナってなんです。

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まあ、いろいろ勉強すれば興味もつきないわけです。私はもう人生も短いので無理ですが(-_-;)

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隣に「ろくべん館」という民俗資料館があります。ここは無料です。

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大鹿村の売りは、中央構造線の他に大鹿歌舞伎があります。江戸時代、全国に素人歌舞伎が広がったそうですが、それが残っています。重要文化財だそうです。

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随分盛だったそうです。

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ところで、「ろくべん館」の「ろくべん」って何? 実は弁当箱のことらしいです。「どくべん」がなまって「ろくべん」になったとかで、歌舞伎見物の際は皆さん弁当持ちで、その弁当のことだそうです。

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他に、大鹿村には後醍醐天皇の皇子、宗良親王が拠点を構えていたそうです。

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他に、民俗資料いろいろ。

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16時半、博物館を出ました。今日の民宿は、あの上の方にあるみたいです。

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博物館の女性の方が、民宿の近くの方なので、道を教えてもらいましたが、とても教えにくそうでした(笑)。まあ、ナビに助けられて、迷わず行けましたが。

福徳寺という重要文化財のお寺があります。

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そこを曲がって、民宿みやがさんまで5分位でした。

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宿の窓から、ちらりと赤石岳が見えます。何十年かまえのゴールデンウイークに登りました。

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三部屋だけの小さな民宿ですが、暖かい雰囲気です。でも事情が有って、今年の8月閉店されるそうです。残念ですね。

夕食にクジラ肉が出てきました。訪ねると、リニアの工事で養魚場が閉鎖され、川魚が供給できなくなったとか。これも残念ですが、料理は美味しかったです。

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ご主人といろいろ話して楽しみましたが、食べきれず、残ったお寿司を部屋に持って帰って、こたつでまた飲みました。

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おやすみなさい。明日に続きます。

 

 

 

 

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