設楽ヶ原の合戦
3月に武田勝頼の長篠城攻めの現場、長篠城址近辺を探索しましたが、今回はその続き、織田徳川連合軍と武田軍の決戦地、設楽ヶ原の探索です。
2025年4月26日(土)
ゴールデンウイークの初日ですが、天気も良く、10時06分に飯田線の三河東郷駅に集合しました。今回は6人、ガイドさんは前回の長篠と同じガイドさんです。
三河東郷駅は前回の長篠城駅の二つ手前で、両方とも無人駅です。初めて降りる駅だと思っていたのですが、帰ってから調べたら、以前来たことがありました(-_-;)。10年ちょっと前、伊那街道(三州街道とも言う)を歩いたとき、この駅に来ていました。下図、見てください。
東海道の豊橋付近に小坂井という所があり、そこから伊那へ伊那街道が伸びています。途中、根羽で名古屋からの飯田街道と合流します。そしてその伊那街道が、丁度この三河東郷駅のすぐ近くを通っています。
上図、青い線が伊那街道で、3月の長篠が右の赤い線、今回の設楽ヶ原が左の赤い線です。なので、今回は一部、伊那街道も歩いたのですが、まったく覚えていませんでした。
2013年に小坂井からここ三河東郷まで1日目に歩き、2日目は今日と同じ列車で10時06分に三河東郷駅に着いて歩き始めています。それが下図です。
ということで、今回、ガイドさんが説明してくれた、この合戦の看板も、そのとき見て、写真にも撮っていました(笑)。
それはともかく10時20分頃出発して、馬防冊の南端に向かいました。
途中、伊那街道を少し歩きました。
上の写真の正面の信玄塚方面が伊那街道です。10時半過ぎに馬防冊の南端に到着しました。
前方の鉄橋は飯田線が連吾川を渡っています。この先は切れ落ちていて、設楽ヶ原は無くなるので、冊も要らないわけです。馬防冊はここから北へ2キロほど、連吾川に沿って作られたそうです。
ここから一寸北上して、国道に登りました。国道は土盛りされ、高くなっているので設楽ヶ原合戦場が一望できます。
一望すると、連吾川を挟んで左が織田徳川連合軍、右が武田軍です。でも意外に狭く、大軍を動かすには不向きな所です。また当時は水田もあり、騎馬軍の活動は制約されたそうです。
実際の合戦は五か所ほどの激戦地で行われたのではないかというガイドさんの説明でした。
北上していくと、新東名が走っています。その少し先まで馬防冊はあったそうです。
その手前に観光用の馬防冊が再現されています。実際の冊は、もう少し右の田んぼの中に有ったそうですが。
2キロ全部に作られたのか部分的に騎馬隊が走れる部分に作られたのか解りませんが、膨大な材木を、どこからどうして運んだのかも謎だそうです。いずれにしても、狭い設楽ヶ原で、しかも水田で、騎馬武者も不自由な状態で、馬防冊に突進するのは無謀で、鉄砲の餌食になりに行ったようなものと思われます。
何故、こんな所へ突進したのか、させられたのか、そこが私には謎に思われました。
徳川家康は、この山並みの左の方に本陣を置きました。織田信長は、この山並みを越えた、さらに奥の方に本陣を置いたそうで、合戦も見ていなかったでしょう。一方武田勝頼は、家臣の合戦回避の意見を聞かず、決戦を決めたそうです。信玄の正式な跡継ぎでなかったので、功を焦ったという説もあります。
その勝頼の陣跡を訪ねました。才の神と言う、設楽ヶ原の全景を望める場所だった、丘の上です。
当時は杉檜は無く、展望が良かったのでしょう。本陣をこの近くに置いた。そこから庚申堂に出て、設楽原歴史資料館へ向かいましたが、その道が以前歩いた伊那街道だったようです。
資料館の前に天王山へ寄りましたが、勝頼の指揮地とかで、慰霊碑やいろいろありました。
そのすぐ近くに資料館があります。そこでガイド会の会長さんが火祭りの説明をして頂きました。
大きな松明を振り回すようです。その後、広場で昼食休憩しました。資料館は設楽ヶ原合戦の資料だけでなく、幕末の外国奉行で、ペリーの他、英仏など五か国との開国交渉に関わった、岩瀬忠震の資料がありました。
設楽ヶ原合戦では、織田軍の火縄銃と武田の騎馬軍の戦いでした。以降、火縄銃が主力になります。その火縄銃を、ガイドさんが触らせてくれました。重くて大変でした。
資料館内部は撮影可能でした。
屋上に登ると、再現された馬防冊が見えました。当時は木々が無く、設楽ヶ原が一望できたようです。
14時半ごろ、近くの信玄塚へ向かいました。ここも10年前来ていて、写真もありました。でもこのときは全く記憶にありませんでした(笑)。
近くに石像の閻魔堂がありました。
閻魔様の背中には地蔵菩薩が彫られていました。閻魔大王と地蔵菩薩は表裏の関係にあるのでしょうか。
お堂の前に、左御油への道、前秋葉道の案内がありました。秋葉道が伊那街道でしょうか。
その後、伊那街道を歩いて首洗池に来ました。今は鯉の繁殖池みたいです。14時45分です。
5分で踏切を渡り、三河東郷駅の前の勝楽寺にきました。ここも前回きていたようです。
ガイドさんとはここでお別れです。駅前は何もなく、反省会はできません。名古屋へ帰って、有志で行いました。設楽ヶ原へ来ていない人も居ますが、何故でしょう(笑)。
二次会はその人にご馳走になってしまいました。
お疲れさまでした。























































































































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