伊勢西国14回目 伊賀街道沿いの近田山長谷寺
近田山長谷寺は大和の長谷寺を模して西暦701年頃に創建されたとか。戦乱で廃絶していたのを、江戸時代、藤堂藩2代高次が再建した。藤堂藩は津と伊賀上野を結ぶ伊賀街道を整備していたので、街道にほど近い、当寺を再建して菩提寺にしたのではないか。
2024年9月28日(土)
暑さも少し和らいで歩けそうな気候になってきたので出かけることにした。津市では津観音などいくつかお寺があったが、海沿いの交通の便が良いお寺は既に参拝した。山沿いのこの長谷寺だけが残っていた。
調べてみると、近鉄津新町駅から三重交通バスに乗り、忠盛塚で降りてコミュニティバスに乗り換えて、片田長谷で降りると良いことが判った。9時27分に津新町に着き、45分発のバスに乗った。忠盛塚着が9時58分、コミュニティバスが10時4分に出る。丁度良いと思っていたら、到着が5分ほど遅れて、一寸離れたコミュニティバスが出て行ってしまった(泣)。
3キロ程を歩くことになって予定が狂ってしまった。コミュニティバスの本数は少ないので往復は使うのは無理で、行き帰りどちらか1本は乗ろうと思っていたのに、往復歩きになってしまった。実はこの時点で勘違いしていた。
コミュニティバスのバス停は忠盛塚の前に有る。ここが伊勢平氏発祥の地、つまり、平清盛の父、忠盛が生まれた場所だそうです。
平氏は元々東北が地盤でしたが、平将門の乱などで源氏に追われ、伊勢を地盤にすることになったそうです。
伊賀街道の案内も有りました。バスが行ってしまったので、ゆっくり説明が読めます(笑)。
目指す長谷寺へは、地形図やグーグルマップで見ると県道を3キロ程歩きますが、車が多い。いやだなあと思っていると、地図にない道が県道に目的の方向につながっているようです。迷わず、その道を選びました。10時17分です。
正解でした。あぜ道ですが1キロ位、車を気にせず歩けました。
合流して5分ほど県道を歩いていると、長谷山ハイキングコースの案内がありました。
車に怯えながらさらに歩きます。津市の浄水場の入口を過ぎます。10時40分。
更に12~3分で、右手にハイキングコースが分かれます。津カントリーの入口が左前方に見えます。
ここを右に入り、ハイキングコースではなく、長谷集落への道が左にあります。
5~6分登って行くと、立派な石仏があり、直進が長谷寺の参道のようです。
更に10分弱で、長谷山学園と長谷寺の分岐になりますが、参道は通行止めで学園へ向かいます。
3分で学園です。
長谷寺はここを直進して、一寸登ると、本堂の裏に出ました。
11時16分、到着です。忠盛塚から1時間掛かりましたね。標高は170m位ですね。
ここも御朱印は自分で押します。御朱印料は賽銭箱に入れてくれとのことです。
一寸休憩して帰途に就きました。12時32分頃かな。10分一寸下って、県道へ出ると、津市のコミュニティバスが追い抜いて行きました。あれっと思って時刻表を見ると、12時40分に忠盛塚行がありました。
検討していたときは、行はバスだったので、帰りのコミュニティバスには1時間近く待ち時間があり、それなら帰りは歩こうと思っていたのでした。でも行を歩いたので、帰りのバスが丁度よくなっていたのです。後の祭りです。
泣く泣く帰りも歩きました。忠盛塚から津駅までバスに乗り、駅前の居酒屋で反省会を一人で開きました。
お疲れさまでした。
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