垂井町古戦場
関ケ原の古戦場は垂井町に渡ります。本来、石田三成は大垣城に入って戦う予定で、その後詰として毛利秀元は南宮山に陣を敷きました。今回はその南宮山に登りました。しんどかった(-_-;)。
JR垂井駅の辺りは中山道の垂井宿です。そのすぐ先で美濃路が分かれます。美濃路は大垣を経由して名古屋へ通じています。
2024年9月13日(金)
長島から垂井へは、名古屋駅を経由して快速で大垣へ、乗り換えて米原方面へ1駅で垂井です。でも私は桑名から養老鉄道で大垣に向かいました。時間的には20分~30分長く掛かりますが、養老鉄道の応援です。
こういうローカル鉄道は好きですし、のんびりしますよね。名前の由来、養老駅です。
9時17分、垂井駅に到着しました。9名とガイドさんです。
一寸ガイドさんの説明を聞いて、9時40分頃出発しました。前方に見えるのが標高400mほどの南宮山です。最近は腰痛で山へ登ったことがないので、登れるか心配です。
20分ほどで、南宮神社の参道に出てきました。右の大鳥居は平成に建立された鉄製の鳥居だそうです。
10時10分に南宮大社に到着、一寸休憩してお参りしました。
南宮大社は美濃の国一宮であり、金物の神様としても知られているそうです。だから、鉄製の鳥居だったのか。
10時30分、南宮山ハイキングコースに入りました。
すぐに安国寺恵瓊の陣跡があります。こんな下に居ては若い当主秀元と密な連絡が取れませんね。
さてここからが登りです。半分ぐらい階段が続くそうです(泣) 10時37分。
15分ほど登って、ふと見たら、まだ2合目でした。がっくりして元気を失いました。腰の具合が悪いKさんは、あきらめて下ったそうです。
皆さんには先にいってもらい、のそのそと腰を上げました。合流点の5合目に着いたのが11時23分。登り始めからすでに45分です。本来なら1時間で登るコースでしょうね。
まあ傾斜は少し楽になってきました。その先のベンチに、もう一人のKさんが座っていました。調子が悪いので止めると。私も止める誘惑にかられましたが、なんとか歩くことにしました。
一松が11時40分、高山神社が11時42分です。
まあだんだん傾斜がなくなり、歩けます。でもここの案内は何故お酒なのでしょう(笑)。11時58分。
12時05分、ようやく展望台に到着しました。毛利秀元の陣跡です。
1時間のはずが1時間半かかってしまいました。皆さんとは20分以上遅れたかな。ここで昼食休憩です。ここからは大垣城や名古屋城まで見えるそうです。
近くには土塁や掘割があります。
12時半には出発になりました。下りも1時間5分掛かりました。上り坂や荷物も腰に悪いですが、下り坂の振動も脊柱管狭窄症には悪いかもしれませんねえ。
ということで、今日はすっかり疲れました。この後、池田輝政陣跡と垂井城址の見学が予定されていましたが、私はパス組に入りました(笑)。
直接、垂井駅に向かい、大垣の反省会場に向かいました。垂井駅の近くで室町時代の宝篋印塔がありました。
会場ではビールが身に沁みました。これが無いと駄目ですねえ。
そのうち後続組も来て盛り上がりました。
帰りもやはり養老鉄道に乗り、ウイスキーを舐めながら帰りました。
お疲れ様。
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