伊勢西国13回目 亀山その2
今回は亀山駅から離れた2寺、能登寺(やとうじ)と宗徳寺(そうとくじ)です。
能登寺はもともと鈴鹿山脈南部の野登山(ののぼりさん)851mの山頂付近にありましたが、江戸時代に麓の池山に下寺ができたそうです。三重四国にも入っているので、一度来たことがありますが、その時は自家用車できました。宗徳寺は初めてです。
能登寺の先に景勝地石水渓があり、安楽川を詰めると安楽峠に出ます。この道は安楽越へ京道と呼ばれ、東海道の鈴鹿峠の間道でした。関所が無いので安楽と言われましたが、道は厳しいです。歩いてみたい方は、ここを参照してください。
1583年、秀吉は滝川一益を討つため、兵7万五千で京から鈴鹿山脈を越えて伊勢に入りました。その際、兵は三つに分け、一軍は上図五僧峠越で上石津へ、二軍は治田峠越で大安町へ、秀吉は三軍を率いて安楽峠越で入ったそうです。太閤の腰掛石が残っています。
2024年8月19日(月)
この日は小雨模様で気温も32~33度、これなら歩けそうと12時過ぎに亀山駅に着きました。12時14分発のコミュニティバスで能登寺のある池山に向かいます。
バスはあちこちの病院や団地に寄りながら能登り地区に入って行きます。
降車予定の池山東の手前で、バスはどんどん山登りはじめてびっくりしました。日本の棚田百選に選ばれた坂本棚田を往復しました。
13時13分に池山東に到着しました。
新名神の亀山西ジャンクションも近く、能登寺の案内も有ります。
10分ほど集落の中を登って到着しました。
境内です。左の石像は弘法大師、本堂手前右の木の立て札が伊勢西国の案内です。
神武天皇の東征を案内した三本足の八咫烏と同様、醍醐天皇の使者を能登山の千手観音へ案内した三本足の鶏の伝説があるそうで、鶏足山能登寺というそうです。
自分で御朱印を押した後、縁側で一寸休息していました。前方は能登山なのでしょうか。
13時48分、寺を出て、坂を下ってバス道である県道302に向かいました。
14時頃道が左右に分かれました。左バス道、右旧道のようです。右へ。
旧道側の石仏です。
すぐにライオンズゴルフクラブの入口がありました。
バス道に貴重な酒屋さんがあるので一寸寄りました(笑)。
冷たい飲み物を舐めながら歩いていると、道路工事のおじさんが笑っていました。坂を下ると、安楽川の右手に両尾(ふたお)の街並みが見えてきました。
この中に宗徳寺があるはずです。14時34分、両尾橋を渡りました。
渡って振り返ると鈴鹿山脈が見えます。真ん中が能登山と仙ヶ岳かな。
10分ほどで集落を通り抜け、一寸高台に宗徳寺はありました。ここは観音堂は別棟で、しかもお寺のものではなく、自治会のものだと聞きました。
でも御朱印は奥さんが押して頂きました。本堂へ入れて頂き、お参りさせて頂きました。
曹洞宗のお寺で珍しいなと思いましたが、奥さんの話では、この辺り曹洞宗の信者さんが結構多く、両尾の集落も殆どが檀家だそうでした。真宗ばかりじゃないんだ。
歩いて廻っているのを、ひどく感心してもらいました。飲みながらお恥ずかしい(笑)。石造三重塔を見るのを忘れてしまいました。15分前に両尾のバス停に着きました。飲み物の準備万全なので、待ち時間は怖くありません。
宗徳寺は集落の上に見えています。
帰りのバスは行とルートが違い、寄り道なしで亀山駅に帰ってきました。行きの半分の時間です。駅手前の市役所前で降りました。
亀山は街道歩きで何回も来るのですが、ゆっくり亀山城址を見たことがないので、一寸見てみようと思ったのです。
城の天守などは残っておらず、この多門櫓だけみたいです。
他に亀山神社がありました。
亀山演武場というのがあり、心形刀流の道場だそうです。珍しいですね。
明治天皇行在所もありました。来られたのですね。
見終わって駅に向かうと旧東海道と交差します。左桑名方向からきて、右へ歩くと、野村一里塚があります。
帰りの列車の中は、心地よい疲れの中、至福の時間があります。
お疲れさまでした。これで30ヶ寺になり、残り9ヶ寺です。
最近のコメント