伊勢西国 東海道富田宿2寺
旧東海道は桑名宿の七里の渡しを出ると、ほぼJR関西線に沿って四日市宿に向かいます。江戸から桑名が42番目、四日市が43番目の宿場です。ただ桑名・四日市間は15キロと長いので、中ほどの富田に間の宿が置かれ、休憩所(立場)などが置かれていた。
富田宿は漁業の町で、焼き蛤などをふるまったらしい。東海道中膝栗毛を読んでみても、弥次さん喜多さんは桑名宿を出てから蛤を食べているようなので、桑名の蛤というのは富田かもしれない。
最近、寒いし風も強いので、伊勢西国巡りもできていなかったが、今日は天気も良かったので、午後から散歩がてら、旧東海道沿いに有る2寺をお参りすることにした。
2024年3月10日(日)
午後1時前に朝日駅に着いた。富田は四日市市ですが朝日駅は朝日町です。ここから一寸旧東海道を歩きながら、お参りしようと思ったのです。
駅のすぐ東側が旧東海道です。この辺りは街道が南北に通っています。何年か前に東海道ルネッサンスという催しが有ったようで、そのとき、いろいろな案内が整備されました。でもこの朝日町はそれ以上に東海道を大切にしているようです。
親切な案内に導かれながら10分ほど歩くと、両側に並木を植え、行燈のような常夜灯を整備してありました。そこに東海道の説明板がありました。
旅人の息遣いが残る町 朝日町。この図の朝日駅から歩いています。
5分ほどで伊勢湾岸道の下を潜り、朝明川を渡ります。御在所岳と鎌ヶ岳がきれいです。
朝明橋を渡ると四日市市松寺のようです。小公園がありました。東海道を説明しています。
力石が置かれていました。27貫目、約100キロだそうです。
四日市市は三重県で最大の都市ですが、意外に東海道を大事にしています。隣の鈴鹿市はあまり力が入っていないように、歩いていて感じます。
小公園から5分、13時28分、街道の左奥に酒蔵が見えました。
その先に松寺の立場跡の案内がありました。
その奥の碑は輝子という女性の碑で、3千人もの子弟の教育にあたったそうです。そこから7~8分、13時37分に28番宝性寺の前に来ました。御厨神明神社と同じ境内のようです。神仏習合ですね。
江戸時代、富田は桑名藩の領地でした。なので宝性寺の本堂の再建は桑名藩主が寄贈したようです。現在、住職は不在で、地域住民がお世話しているとか。
なので御朱印は自分で押します。
神明社は天照大御神をお祀りします。御厨とは伊勢神宮に収めるお米の水田のことだそうです。
13時52分にお寺を出ました。
5~6分でJRの踏切がありますが、その上を三岐鉄道が通っています。
富田の市街地に入ってきます。踏切から10分ほどで、今度は近鉄の下を潜ります。
潜るとすぐ、富田の一里塚跡の石碑があります。
さらに5分、14時10分に、八幡神社の前に来ました。応神天皇をお祀りし、源氏の守護神ですね。
ここにも力石がおいてありました。
すぐ近くに、行敬記念道路という石碑がありました。大正天皇が皇太子時代に富田中学を視察されたそうです。田舎の中学を視察なんて異例ですから、当時は大騒ぎだったでしょうね。
少し先で東海道は右折します。判り難いのですが、電柱に案内がありました。
右折して2分、近鉄富田駅の近くになりますが、ここを左折して東海道と分かれ、27番長興寺に向かいました。すぐです。
東寺は真言宗から曹洞宗に変わって現在に至る。ご本尊は大日如来さま。近代的な建物です。
ここも御朱印は自分で押しますが、本堂の中を覗けないのは寂しかった。また、鯨供養が行われる寺とかで、往時はこの浜でも捕鯨が行われていたのですね。紀州の大地だけじゃないんだ。
14時26分に出て、12~3分でJR富田駅に着きました。無人駅です。
今日は歩いた距離も4キロほど、長島までの乗車時間も15分もありませんが、ご褒美だけは欠かせませんね(笑)。
お疲れ様でした。
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