関ケ原古戦場
山歩会の仲間と関ケ原に行ってきました。関ケ原は古来交通の要衝です。また古くは壬申の乱の決戦地でもありました。江戸時代の街道としては、中山道が通り、北國街道や伊勢街道が分岐しています。また九里半街道も近くを通ります。なので私も20回位は訪れているかもしれません。でも正式に古戦場めぐりとして来たのは初めてかもしれません。
私は知らなかったのですが、3年前に「岐阜関ケ原古戦場記念館」という立派な施設ができて、古戦場巡りもガイドさんが60人も居るそうです。武将に因んだ7つのコースが有って、今回はその一つ、徳川家康コースを歩きました。
2024年2月23日(金)
9時19分に関ケ原駅に着きました。ところが幹事のKさんが居ません。電話連絡が付き、乗り過ごしたとか、大物ですね(笑)。取り敢えず記念館へ行けとの指示を受けて出発しました。
線路を渡って役場方向へ歩くと、立派な建物ができていました。初見参です。
こんな立派な施設、関ケ原町もお金あるなあと思いましたが、どうも県営の施設らしいですね。最上階は展望所みたいです。
入館は時間を区切ったバッチ方式です。事前予約者が優先のようです。500円です。
まず巨大な床面映像で、関ケ原全体の地形や東西両軍の陣形、そして戦いの様子を理解します。
これはなかなか良いアイデアでよくわかります。次にもう1回映画を観ますが、内容は忘れました(-_-;)。この辺りは撮影禁止なので、写真はありません。ここまでで30分位かかります。
その後は関連の展示がいろいろあり、ここは撮影できます。
鉄砲や槍、刀などの重さを実感できたりもします。
9時45分の入館で、10時半頃5階の展望所に行こうとしました。階段で登ったのが失敗でした。エレベーターで行くべきですね(笑)。
ここはなかなかの場所で、関ケ原の戦場全体が俯瞰できます。説明板も完備しているし、映像で説明も受けているのでよく解ります。
そうこうしているうちに幹事さんが合流してきました。そして予約していたガイドさんの説明が始まりました。
11時20分頃、説明を終わって下へ降りてきましたが、まだお客が並んでいました。人気の施設なんですね。
隣は土産物売り場や喫茶室も有るみたいでした。
ここからガイドさんの案内で、徳川家康コースを歩きます。まずは駅方面に歩いて東の首塚へ。これは徳川家康の命により、東西を問わず戦死した兵の死体を弔った場所だそうです。中山道沿いに西の首塚があります。
傍には、家康の四男松平忠吉と井伊直政の陣跡があります。記念館が出来て、説明板が充実しましたね。次に線路を渡って、本田忠勝の陣跡へ行きます。線路沿いにも合戦の概要が説明されています。
国道21号線を横断し、旧伊勢街道に入ります。ここは桑名へ通じていますが、桑名側では美濃街道と呼んでいます。2021年の10月に、養老駅から関ケ原まで歩いています。そのときこの道を歩いて、本田忠勝の陣址をさがしたのですが見つかりませんでした。
本田忠勝は秀忠に付いて中山道をいくはずでしたが、家康の命で本隊は息子に任せて、自分だけ手勢500人ほど連れて家康の参謀として、関ケ原に来たとか。我家の近くの桑名城址には本田忠勝の像があります。
時刻は12時で空腹ですが、今日の昼食は午後2時だそうです。新幹線沿いの道を左折して、徳川家康最初の陣跡へ向かいます。右側に十九女池公園があります。いわれありそうな池ですね。
30分ほど歩いてR21に合流して右折、すぐに徳川家康最初の陣跡があります。
ここは桃配山と言って、壬申の乱のとき、大海人皇子が本陣を置き、兵の意気を上げるため、桃を配ったとか。
一寸登ると、石碑があります。家康は当初ここに陣を張りますが、西軍の毛利などが、密約通り戦に加わらないことを確信し、膠着状態の戦線を鼓舞するため、陣を前線に進めたと言われています。
この下、21号線の向こうが旧中山道ですが、街道をもう少し右に行くと、山内一豊の陣跡があります。
12時37分、帰途に就きました。国道21号線は旧中山道でもあります。25分位で駅近くに帰ってきました。
線路を渡り、東の首塚から今度は北国街道に入りました。ここは北国脇往還で、木ノ本へ行きます。本来の北国街道は、鳥居本で中山道と分かれて木ノ本に向かいます。いずれにせよ、この辺り、いろいろ街道が交錯して面白い地域です。
記念館のすぐ近くに、田中吉政陣跡があります。吉政は長浜に潜んでいた石田三成を捕らえる、大手柄をたてています。
そしてそのすぐ先に、家康最後の陣跡があります。石田三成の陣まで700mとか聞きました。ここまで陣を進めたのですね。
ここでガイドさんの説明は終わりです。13時半です。記念館に戻った後、昼食会場へ向かいました。一寸判り難い場所に有るお寿司屋さんでした。お疲れ様。
お寿司と天麩羅など菊正宗も美味しくて、お勧めのお店でした。
関ケ原駅前のお土産屋さんに、こんなお菓子がありました。小早川秀秋も、ここまで祟るとは思っていなかったでしょうね(笑)。
次回は4月です。
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