伊勢西国4回目 津観音他
3日連続の2日目です。今日は松阪から津の近鉄沿線の5ヶ寺を参拝しました。
2023年12月9日(土)
10時前に松阪駅に到着しました。
松阪と言えば松阪牛が有名ですが、歴史的には松阪商人ですね。江戸で越後屋呉服店を開いた三井家をはじめ豪商を輩出しています。それと本居宣長。鈴のマークがそれです。最近では映画監督の小津安二郎かな。
すき焼きの和田金はなかなか行けないのですが、焼き肉の一升びんなら行けそうです(笑)。
松阪は城下町で寺町も有り、お寺は多いです。継松寺は駅からそう遠くなく、行ってみると立派なお寺でした。地元では岡寺観音で通っているようですね。ところで、伊勢西国の公式アプリを見つけました。
各札所には上の写真のような看板があるのですが、その下部にQRコードがあり、それを読み取ると、その札所の参詣記録がとれるようです。
立派な本堂で、納経所には二人も居られました。
役行者が祀られていました。親しみが持てます(笑)。
10時25分頃、駅に戻ってきました。近鉄に乗り、桃園駅に10時48分に着きました。松阪牛はお預けですね(笑)。
桃園駅は初めて降りる駅です。グーグルマップで見ると近くに奈良街道というのが通っていました。
調べてみると、松阪の一寸北、伊勢街道の月本追分から、津から伊賀へ行く伊賀街道の五百野で合流する15キロほどの短い街道でした。まだ歩いていないので、そのうち行こうと思います。
賢明寺へは、その奈良街道を一寸経由します。
グーグルマップを頼りに20分ほど歩くと山門が見えました。
ここも御朱印は各自です。石造板五輪塔が有名と説明されていました。多分、これだと思います。
帰りは久居駅に行くことにしました。傍を通った川併神社も謂れがありそうですね。また一寸奈良街道を通りました。
久居駅到着は12時前で、距離的に桃園と同じくらいでした。駅のホームで電車を待ちながら、持参のサンドイッチで昼食は済ませました。津新町駅到着が12時20分頃、一寸休憩してから出発しました。
津新町駅の近くは、例の伊賀街道が通っています。その起点は岩田橋近くの伊勢街道のどこかで分岐したはずですが、追分が地図に無いので、多分、建物か何かで消えてしまったのでしょう。観音寺はその方向なので、そちらに向かいました。
駅から17~8分で岩田橋を渡りました。
赤い橋を過ぎ、黄色がかった小橋が参道のようで、そこを左折すると、正面遠くに津観音さんが見えました。この辺りが旧伊勢街道のようです。
12時58分、津観音の門前に来ました。この辺りは大門と言って、旧繁華街です。今は寂れていますね。
さすがにここは有名寺院で、参詣客も多く、納経所も充実しています。
伽藍は独特の薄いピンクですね。
10分ほどで境内を出ました。この辺、伊勢街道かなあと思いながら12~3分で塔世橋を渡りました。渡ると四天王寺左折の看板がありました。四天王寺へ行くわけではないのですが、伊勢街道も一筋違いなので左折して信号を渡りました。
四天王寺というのは大阪が有名です。聖徳太子が蘇我入鹿と組んで物部氏と戦ったとき、戦勝のお礼に建てたのが四天王寺と言われています。そのとき全国に4か所、四天王寺を建てると約束され、そのうちの一つが津の四天王寺だそうです。
そして、津の四天王寺を建てる際、聖徳太子自身の厄除けのため建立したのが、これから行く初馬寺だそうです。
ここは三重四国でも来たので2回目の参拝です。小さなお寺ですが、無住ではなく押印して頂けます。
従って、日本最初の厄除け寺院と称されていますが、こんな絵が。なにか元三大師を思い出しますが。
13時45分過ぎ、お寺を出て、次の密蔵院へ向かいます。津駅の西側なので踏切を渡ります。
津駅西口からはすぐです。ここも小高い高台に有り、階段を登ります。
ここも三重四国と重なるので、2回目の参拝です。
小規模なお寺ですが、御朱印は押して頂けます。
四国巡礼の場合、お接待という言葉があり、行く先々で、住民の方々やお寺から、施し物が頂けます。三重県でも、四国のお寺だと、時々お菓子や飴などを頂けます。ここ密蔵院でも飴を頂きました(笑)。
14時10分過ぎに津駅に戻りました。丁度、電車が有ったので、急いで飛び乗りました。今日のご褒美はタカラ缶チューハイでした。
お疲れ様。
« 伊勢西国3回目 鳥羽 正福寺他 | トップページ | 伊勢西国5回目 金剛證寺他 »
「伊勢西国」カテゴリの記事
- 伊勢西国最終回 伊勢の3寺(2024.12.20)
- 伊勢西国 16回目 玉城・度会の2寺(2024.12.16)
- 伊勢西国15回目 鈴鹿の3寺(2024.10.22)
- 伊勢西国14回目 伊賀街道沿いの近田山長谷寺(2024.09.29)
- 伊勢西国13回目 亀山その2(2024.08.22)
コメント