紀北町 奥村墳墓
昨年6月、熊野体験企画の内山さんが案内人で、紀北町主催の紀北発見アカデミーとかに参加して、熊野古道の島地峠を歩きました。そのとき、奥村墳墓と言う宝篋印塔の一部が残されているのを見学しました。
宝篋印塔は本来仏塔ですが、中世以降、有力者の墓としても建てられたようです。
この墓は鎌倉時代北条氏の家人であった奥村氏が、北条氏が滅亡したとき、一族でここ紀州へ逃れてきて、建てられたようです。
ところで私の友人に奥村さんが居て、先祖は紀北町と聞いていたので、この宝篋印塔の話をしたところ、是非一度見たいということで、今回案内してきました。
下図、熊野古道の地図を見てください。中世の熊野古道はツヅラト峠を越え、中桐から島地峠を越えて加田へ抜けていました。
江戸時代に入ると、荷坂峠道が開かれ、そちらが主流になったようです。今回の奥村墳墓は島地にあります。
2023年5月22日(月)
紀伊長島に向かうため、朝8時前にJR長島駅に向かうと、普段見たことも無く駅に人が溢れていました。
何か有ったんだなと思いながら桑名駅に行くと、ここも人で溢れていました。駅員さんに訊くと、近鉄が停まっているとか。それで近鉄の乗客が皆JRに流れて、乗降に時間が掛かり、大幅に遅れているとか。
Oさんと松阪駅で待ち合わせ、9時24分発の列車で紀伊長島へ向かうので、これでは遅れてしまうと心配しました。幸い特急南紀号は少しの遅れで来たので、それに乗りました。その南紀号も近鉄の乗客が載っているので満席でしたが、なんとか座れて、旅行気分です。
無事、Oさんとも落ち合って、11時に紀伊長島に着きました。11時半にバスがあるので、近くのオークワに行き、弁当を買いました。バス停の近くに地蔵院というお寺があり、そこに庚申碑があるみたいです。見えません。
紀伊長島駅から奥村墳墓は4キロ以上あるので、バスで途中の赤羽口まで行くことにしました。
赤羽口へは11時36分の到着です。もう一駅、加田教会で降りてトンネルを潜るほうが楽そうですが、やはり歴史ある宝篋印塔を訪ねるのは、島地峠を越えていくのが良いでしょう。
バス停の前の踏切を渡ります。
渡るとすぐ、加田石仏道標があります。本来、熊野古道のどこかに有ったものが、ここに移されたのでしょう。
道は舗装され、ゆるやかに登っていきます。トンネルができる前は、この道を車が往来したと思いますが、今は通る車も無いようです。10分ほどで紀勢道の下を潜りました。
内山さんの説明では、確かこの橋脚の辺りを旧道がとおっていたとか。12時ごろ島地峠らしき所に到着しました。
一寸下った道端で弁当を食べました。
30分弱休憩しながら、OさんとLINEの友達になりました(笑)。10分ほど下ると島地の集落が見えてきました。山並みの右端位がツヅラト峠ではないでしょうか。
12時44分、奥村墳墓に到着しました。Oさんは持参の線香を供え、道端の花を摘んで飾りました。そして般若心経を唱えました。
Oさんの先祖が奥村氏かどうか真実は判らないようですが、まあ、満足してもらったようです。
もう少し熊野古道を歩いて、バス停のある中桐へ行きました。
ここには円通閣というお堂があり、多くの信者がいたという聖観音像が祀られています。
向かい側には羊の触れ合い農場?があります。
13時38分のバスで紀伊長島駅に戻りました。でも列車は16時19分までありません。陸の孤島ですね。近くのスーパーがBBQを併設しているのを知っていたので、そこで一杯飲むことにしました。まあ、それが楽しみでもあったのですが(笑)。
その近所の赤瓦の屋根は沖縄に来たみたいですね。
Oさんとは松阪で別れて、また車内で少し飲みながら長島へ帰りました。
伊勢長島から紀伊長島への旅でした。
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