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2022年9月24日 (土)

マレーシアの話

今回は思い出話。

今から50年以上前、私は合板会社に勤めていました。日本の合板会社は東南アジアからラワン材を輸入して合板に加工していました。ラワン材の輸出国は主としてフィリピン、マレーシア、インドネシアです。

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輸出3国は、原木のまま輸出するのでは自国に産業が育たないため、自国で合板に加工して、製品として輸出したいと思っていました。そのため原木の伐採権を持つ日本の商社に、自国に合板工場を作るよう要請しました。

商社には工場運営のノウハウが乏しいため、取引先の合板会社に現地工場の採算性調査を依頼しました。その調査に出かけたのがマレーシアでした。生まれて初めての海外旅行です。1ドルが360円の時代でした。

台北、バンコクを経由して、初めて外国の土を踏んだのがマレーシアの首都クアラランプール(KL)でした。1泊55ドルのホテル代が非常に高く感じたのを覚えています。

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実際の調査地はマレー半島の右上、タイ国境に近いコタバルの山奥でした。後で知ったのですが、太平洋戦争の初期、日本軍がコタバルに上陸し、自転車でマレー半島を南下、シンガポールを攻略しました。銀輪部隊と呼んだそうです。

現地の仕事のことは忘れましたが、コタバルの飛行場が、夜になるとキャバレーに変わるのは感心しました。日本では考えられませんが、1日2~3便しか来ないローカル空港なら、使わない時間を活用するのは合理的ですよね。

森林の蓄積量とか品質の調査、工場予定地の労働力、電力、水、補修部品の有無、積み出し港の有無や施設、などを調査して工場の採算性を判断します。このときは不適だったと思います。

帰りは車で東海岸を下りました。銀輪部隊も通った道でしょうね。クアラトレンガヌに1泊し、翌日KLに着きますが、カーブがひどく、腸がよじれる思いをしました。

翌日はまた車でシンガポールに入りました。シンガポールはマレーシアから分離した中国系民族の国ですね。当時からマレーシアで多数を占めるのはマレー系民族ですが、商売は華僑が牛耳っていました。これは他の東南アジアの国も同じです。それで、このままでは国を乗っ取られると思ったマレー政府が、中国系民族をシンガポールに移住させて?、分離したとか聞きました。

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ところでマレーシアには東と西があります。東は今書いたマレー半島、西はボルネオ島の北半分がマレーシアです。一部はブルネイ王国。南半分はインドネシアです。

シンガポールからボルネオ島のコタキナバルへ飛びました。近くのキナバル山は有名ですね。キナバル空港ではカメラなどのぜいたく品の海外からの持ち込みは税金が掛かります。でもKLのホテルの便せんを見せて、KLから来たと言ったら許してくれました。

コタキナバルからサンダカンへ飛び、ホテルに入り、一人でバーへ行きました。そこで値段表を見てびっくりしました。サントリーウイスキーのだるまとジョニーウオーカーの黒ラベルが同じ値段でした。

1ドル360円だった日本では、ジョニ黒なんて高嶺の花でだるまの5倍くらいしていたのではないでしょうか? ジョニ赤でも飲めませんでした。でも外国ではジョニ黒とオールドは同じ扱いなのです。初めて、為替というものを実感した日でした。

1度、こういう仕事をすると、話は伝わるものですね。この後いろんな商社からも依頼が来て、フィリピン、インドネシアも含めて10回近く現地調査をしたのではないでしょうか。

続く。

 

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