信貴山
山歩会の仲間と信貴山へ行ってきました。私は京都で生まれ育ったのですが、信貴山は行ったことありませんでした。信貴山縁起絵巻というのを中学か高校の歴史でならったような位です。
大阪と奈良の間にあります。
2022年5月28日(土)
近鉄で大阪近郊の河内山本で待ち合わせました。ビスタカーの先頭はパノラマがなかなかですね。
河内山本から信貴山線で一駅が信貴山口です。そこからケーブルに乗ります。これも近鉄です。標高差350mほどを7~8分で登ります。
11時15分頃、近鉄高安山駅、すなわち山頂駅に到着しました。
ここから朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)へはバスが出ていますが、我々は歩きです。
歩きの道は駅の横から、生駒山方面への縦走路です。
比較的平坦な快適な道です。
駅の標高が420mほど、高安山が487mで一寸登る訳ですが、そんなに感じません。15分ほど歩くと、高安山気象レーダーがありました。
そのすぐ先辺りが高安山近くで、標高470m位かなと思います。一寸下って11時35分頃、バス道路を横断します。
それからも、どんどん下って、こんなに下って良いのかなと思いながら歩きます。
バス道から17分、11時53分に弁財天の滝への分岐に着きました。標高は370m、100m下ったのですね。
ここから登りです。10分一寸登ると、奥の院のすぐ下の広場にでました。
すぐ上に信貴山城址があります。松永弾正が織田信長に背いて立てこもった城です。
隣が奥の院です。
3人足りませんが今日のメンバーです。
周囲にはいろいろ神社が祀られています。お稲荷さんみたいですが、神仏習合と一言でかたずけられました。
下の広場に戻って弁当タイムです。25分ほどで出発しました。12時37分頃です。下りは奥の院への参道を下ります。舗装された遊歩道ですが、登ってくる人は大変だと思います。
20分ほど下って本堂近くに降りてきました。朝護孫子寺は信貴山寺とも呼ばれます。
起源は聖徳太子が刻まれた毘沙門天に遡ります。後醍醐天皇の病気平癒を祈願して「朝護孫子寺」の名を賜る。高野山より独立して信貴山真言宗の寺となった。本堂です。
本堂の舞台からは斑鳩方面が見えるのかな。
本堂の下の戒壇めぐりをしました。暗闇を歩くのは久しぶりの体験です。5分ほどです。
本堂の横に宝物館があり、そこも見学しました。国宝の信貴山縁起絵巻は奈良国立博物館に貯蔵されていますが、閲覧はできないので、レプリカでも、ここでしか見れません。初めて見ました。
千手院の傍を通って降りてくると、大きな張り子の虎が居ました。あっ、今年は寅年なんだ。
聖徳太子が毘沙門天を会得されたのが、寅年の寅の日、寅の刻であったそうです。信貴山寺は虎の寺なのです。
13時43分、信貴大橋のバス停に着きました。ここからバスで信貴山下駅に向かいます。
近鉄生駒線の信貴山下駅です。戦前はここからもケーブルが有ったそうですが、大阪側のケーブルに客を取られ、廃線になったそうです。
ここから近鉄で生駒乗り換えで鶴橋にきました。
鶴橋と言えば反省会でしょう(笑)。
お疲れ様でした。
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