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2022年5月31日 (火)

東大寺散策

2022年5月30日(月)

先日、信貴山へ行ったとき、近鉄の3日間フリー切符を買ったので、今日は奈良へ出かけてきた。11時頃奈良について、まず県庁ビルの屋上へ行ってみた。写真は南側、興福寺の五重塔と中金堂です。中金堂は多分新築で見るのは初めてです。

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今度は東側の大仏殿です。芝生の手入れなど行き届いてはいませんが、無料で奈良公園が見られるのは嬉しいですね。

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下の食堂で昼を食べました。生駒山を見ながら、安いお値段で、ここもお勧め(笑)。

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正倉院へ行こうと歩いていると、無料公開の日本庭園があったので入ってみました。吉城園と言って、民間の所有だそうです。何故、無料公開しているのか解りませんが、立派な庭園でした。

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大仏殿の傍を通って正倉院へ向かっていると雨が降ってきました。

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順序変更して大仏殿に入りました。今日は晋山式という、新任の住職が任命される儀式の日で、大仏さんは脇からしか見られませんでした。

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それと今日は新しい東大寺の管長のお披露目があったそうです。虚空蔵菩薩と大仏さんの2ショットです。

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大仏殿を出ると雨もあがってきて、正倉院へ向かいました。そうそう、今日は珍しく女房も一緒でした。

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大仏殿に比べると、正倉院は静かです。内部や宝物は見られません。外観だけです。

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お水取りで有名な二月堂です。

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最後に東大寺ミュージアムに入りました。初めてです。国宝の日光月光菩薩や四天王像がありましたが、重文の千手観音像が圧倒的な迫力で目を奪われました。

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帰りの車中はやっぱりこれですね(笑)。

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お疲れ様。

 

 

 

2022年5月29日 (日)

信貴山

山歩会の仲間と信貴山へ行ってきました。私は京都で生まれ育ったのですが、信貴山は行ったことありませんでした。信貴山縁起絵巻というのを中学か高校の歴史でならったような位です。

大阪と奈良の間にあります。

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2022年5月28日(土)

近鉄で大阪近郊の河内山本で待ち合わせました。ビスタカーの先頭はパノラマがなかなかですね。

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河内山本から信貴山線で一駅が信貴山口です。そこからケーブルに乗ります。これも近鉄です。標高差350mほどを7~8分で登ります。

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11時15分頃、近鉄高安山駅、すなわち山頂駅に到着しました。

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ここから朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)へはバスが出ていますが、我々は歩きです。

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歩きの道は駅の横から、生駒山方面への縦走路です。

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比較的平坦な快適な道です。

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駅の標高が420mほど、高安山が487mで一寸登る訳ですが、そんなに感じません。15分ほど歩くと、高安山気象レーダーがありました。

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そのすぐ先辺りが高安山近くで、標高470m位かなと思います。一寸下って11時35分頃、バス道路を横断します。

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それからも、どんどん下って、こんなに下って良いのかなと思いながら歩きます。

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バス道から17分、11時53分に弁財天の滝への分岐に着きました。標高は370m、100m下ったのですね。

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ここから登りです。10分一寸登ると、奥の院のすぐ下の広場にでました。

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すぐ上に信貴山城址があります。松永弾正が織田信長に背いて立てこもった城です。

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隣が奥の院です。

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3人足りませんが今日のメンバーです。

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周囲にはいろいろ神社が祀られています。お稲荷さんみたいですが、神仏習合と一言でかたずけられました。

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下の広場に戻って弁当タイムです。25分ほどで出発しました。12時37分頃です。下りは奥の院への参道を下ります。舗装された遊歩道ですが、登ってくる人は大変だと思います。

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20分ほど下って本堂近くに降りてきました。朝護孫子寺は信貴山寺とも呼ばれます。

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起源は聖徳太子が刻まれた毘沙門天に遡ります。後醍醐天皇の病気平癒を祈願して「朝護孫子寺」の名を賜る。高野山より独立して信貴山真言宗の寺となった。本堂です。

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本堂の舞台からは斑鳩方面が見えるのかな。

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本堂の下の戒壇めぐりをしました。暗闇を歩くのは久しぶりの体験です。5分ほどです。

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本堂の横に宝物館があり、そこも見学しました。国宝の信貴山縁起絵巻は奈良国立博物館に貯蔵されていますが、閲覧はできないので、レプリカでも、ここでしか見れません。初めて見ました。

千手院の傍を通って降りてくると、大きな張り子の虎が居ました。あっ、今年は寅年なんだ。

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聖徳太子が毘沙門天を会得されたのが、寅年の寅の日、寅の刻であったそうです。信貴山寺は虎の寺なのです。

13時43分、信貴大橋のバス停に着きました。ここからバスで信貴山下駅に向かいます。

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近鉄生駒線の信貴山下駅です。戦前はここからもケーブルが有ったそうですが、大阪側のケーブルに客を取られ、廃線になったそうです。

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ここから近鉄で生駒乗り換えで鶴橋にきました。

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鶴橋と言えば反省会でしょう(笑)。

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お疲れ様でした。

 

 

2022年5月27日 (金)

御浜町神木を歩く

2022年5月22日(日)

今日はおなじみの「紀伊半島みる観る探検隊」に参加です。「神々が宿る里・神木を歩く」というイベントです。神木は「こうのぎ」と読みます。内容は深く確かめもせず、参加しています(笑)。

朝起きて、目の前の七里御浜を一寸散歩しました。気持ちいいですね。

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獅子岩近くの牛丼屋さんで朝食。安くて早くて旨いですね。

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外に出て見るこの景色はいつ見ても良いなと思います。

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昨日、歩いた紀宝町のお隣が御浜町です。この神木歩きのイベントに参加するので、前日、紀宝町を歩いたというのが実情です。神木に最初に来たのは、多分20年以上前に、一人で熊野古道の本宮道を歩きに来たときです。

本宮道は熊野市の花の窟から生田神社、横垣峠、風伝峠を越え、紀和町の板屋・楊枝を経て熊野本宮大社へ向かう道です。

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その本宮道の横垣峠登り口が神木です。でも今は、大規模な土砂崩れで横垣峠は通れません。もう10年以上通行止めではないでしょうか。神木流紋岩という緑色の石畳が、滑って、怖かったのを思い出します。

今日は御浜町の、この辺りを歩きました。

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9時になかよしステーション近くに集合です。

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午前中は下半分の日与加久良へ行きます。国道311号線を一寸歩いて杉山地蔵さんへ。

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なんの変哲もない地蔵さんで、説明されなければ通り過ぎてしまいますね。でもこうして屋根付きの祠に安置されるのは、それなりの歴史と謂れと地元の人たちの信仰があるのですね。

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しばらく歩くと木和田の庚申さんです。

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庚申信仰の謂れは省きますが、つい最近まで庚申の日はメンバーが集まって夜通ししたそうです。信仰より飲み食いが楽しみで、集落の数少ない娯楽だったのかなと思いますが。最近は体力が衰え、8時か9時ごろには終わるとか(笑)。

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10時前に日与加久良への登り口です。

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一寸だけ山道です。

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付近の木は板根が目立ちます。板根は土壌の土が少ないとき、通常の根では自分を風雨から支えきれないと思った木が、根を板状にすると言われています。サンゴ礁の上にできた沖縄の島々で、サキシマスオウの木などに見られます。この付近も岩が多くて、土が少ないのでしょう。

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登り口から15分ほどで巨岩の下に着きました。

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やはりここも巨岩がご神体ですね。紀伊半島には巨岩のご神体が多いですね。花の窟しかり、昨日の神内神社しかり。この日与加久良もそうですか。やはり1400万年前の熊野巨大噴火の名残でしょうね。

裏に回ると信仰の日与加久良(ヒヨカクラ)です。ノアの箱舟みたいな伝説があるそうです。

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祠の上は、こんな感じです。花の窟・神内神社・日与加久良、皆似ていますね。

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10時40分頃下り始めました。10分ほどで集落にでました。少し歩きながら前方を見ると、神木集落の奥に聳える明見山が見えました。中央に3個並ぶギザギザの左側の岩が山頂で、やはり神社があるそうです。

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出発地点に帰る手前で写真のギャラリーを見ました。良い写真ばかりです。

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11時15分頃、今度は午後の部で歩く神木集落に向かいました。

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周囲を山に囲まれた風景は、この地方ではよく見ます。尾呂志なんかと似ていますね。

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この神木では、旧家の方々は皆、自分の家の守り神として小さな祠を祀っておられるようです。また道端や敷地内の石仏や石塔なども丁寧に守られているようです。

敷地内の八幡宮は見られませんでした。すこし先の道端の地蔵さんが、丁寧に屋根付きの祠で守られていました。

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12時一寸前にイヌマキの巨木へ来ました。「神木のイヌマキ」として有名です。全国で2番目の巨木だそうです。この根元で昼食休憩となりました。

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12時40分に出発しました。神木の集落の家は立派な厚さ1mほどの石垣に囲まれています。防風や狼よけには一寸高さが低いので、用途は何でしょうか。その石垣にも祠があります。

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これは「原の宮」。原家の祀るお宮さんです。

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これは家の外の八輪の塔ですが、多分、昔の人が付近に転がっていた石塔の部品を適当に積み重ねたものでしょう。

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大きなナギの巨木に来ました。速玉大社のナギの木は有名ですね。あのナギの木は平安時代に平重盛が植えたそうですが、この原地神社のナギの木も樹齢400年以上だそうです。

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原地神社です。神木は元々、平安時代に京都の三千院から原家一族が移ってきて住み着いたとか。その原七家と言われる一族の氏神がこの原地神社です。

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次に行った「宇城の宮」はその後にやってきた宇城家の守り神だそうです。今日の案内はその宇城家の方です。

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継が榎木家の墓碑群。鎌倉時代に産田神社の神官として熊野に来た榎木家一族の榎本家の屋敷跡にある。

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14時15分頃、神木集落の高台にある善昌寺に来た。禅宗のお寺です。そこからは、ずーっと下って「辻の宮」へ。ここも原家の後から住み着いた家の祠です。

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最後に訪れたのが原地の庚申様。日本各地の庚申様の代表例みたいな三体が祀られていました。

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14時半ごろには帰ってきました。いろいろ見て知恵熱がでてきました(笑)。

スタッフのFさんに送ってもらって尾鷲に帰ってきました。帰りのJRには時間もあるので、Fさんのお店で一寸一杯。

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JRに乗る前にいつも腹ごしらえする、おじさんの食堂へ一寸顔出して、いつもの焼きそばで〆て帰りました(笑)。

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お疲れさまでした。

 

 

 

 

 

 

2022年5月25日 (水)

紀宝町を歩く

紀宝町って何処?という人も居られるかもしれませんが、三重県の南の端、和歌山県との県境です。私が熊野古道を歩き始めた二十何年か前の三重県南牟婁郡はこんな感じでした。

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現在は合併により、紀和町は熊野市になり、鵜殿村は紀宝町になりました。なので郡部として残っているのは、御浜町と紀和町ですね。御浜町と紀宝町は熊野古道の浜街道が通っています。御浜町と紀和町には、やはり熊野古道の本宮道が通っています。

今回の紀宝町歩きは下図のように、浜街道沿いの神社や石仏を、街道にはとらわれずに歩いてみました。

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紀宝町のJRの駅としては、鵜殿と紀伊井田ですが、いずれも特急は停まらないので、和歌山県の新宮から引き返します。

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2022年5月21日(土)

南紀1号は11時34分に新宮到着です。もう1時間早い列車が有ると良いんですが。上図の青い太線は熊野古道です。とりあえず、駅前の徐福公園で徐福さんの顔を拝みに行きました。雨がパラついているので、合羽上下に傘をさして完全装備です。

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徐福は秦の始皇帝に不老不死の薬を探せと命じられ、一族郎党を連れて日本に渡ってきました。その上陸地点が、熊野の何処かだったとされています。

熊野川を渡って紀宝町に入るのですが、その前に阿須賀神社へ行きました。

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熊野権現は神倉山に降った後、この阿須賀神社の地に移り、その後現在の速玉大社へ移ったとか。熊野参詣道の阿須賀王子がここにあります。

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また、この手洗いの石が、二千年も前のものと聞いたことがあります。

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また境内に弥生時代の竪穴住居跡があります。参拝を済ませ、新宮城の前を通って熊野大橋に向かいます。

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最近では速玉大社は勿論、神倉神社もメジャーな観光地になってきました。今日は割愛して熊野川を渡りました。12時20分頃です。

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渡って左へ1キロほど行くと、牛鼻神社と言う5千年の歴史があるという神社がありますが、今日は右折しました。

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熊野川沿いに10分ほど歩くとJRの線路を潜ります。すぐに左に入っていくのが熊野古道です。最近は地面に案内が描かれていますね。

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今回は直進します。この付近、中村神社や貴祢谷社など謂れありそうな神社がありますが、私のお目当ては烏止野(うどの)神社です。熊野川の河口、紀州製紙の辺りに、高速道路ができると見えて、いま工事中です。

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その手前を左折すると烏止野神社はあります。雨はあがってきました。

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実は熊野権現が神倉山へ降った後、最初に移ったのはここだというのが現在の定説になりつつあります(笑)。その後、阿須賀神社とか速玉大社に移ったのではないかと。

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参拝を済ませ、鵜殿地区を歩いていると、道路工事の最中でした。勢和多気からの高速は、今、熊野市の大泊まで繋がりました。でもここまで来るには、まだだいぶ時間が掛かりそうですね。その間は熊野川を渡るだけでしょうか?

紀州製紙の煙が見えます。13時02分。

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熊野古道に合流して、13時10分頃、R42を渡りました。そして古道沿いに新宮方向へ歩くと、熊野古道の道標がありました。新宮まで2キロとあります。

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そして、そのすぐ傍が粥森様です。この粥森様が何なのか、以前から疑問に思っていますが、謂れは不明です。

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この地区は飯盛と言い、近くに飯森神社というのがありますが、関係あるのか?釈迦が苦行を中断して粥を食べたという逸話に関係あるのか?わかりません。もう一つ、御浜町の浜街道に「ビキシ様」というのが有るのですが、これも解りません。

こんどは熊野古道から離れて、神内神社を目指します。13時15分頃です。

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15分位歩いて神内へはいってきました。神内は「こうのうち」と読みます。

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右前方に見える小学校の建物で、現在位置を推測しながら歩いていきます。13時40分頃、鷹の巣倉の案内がありました。

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2分で善光寺参道、さらに2分で道祖神の案内です。信州では多いが、紀伊半島で道祖神は珍しい。また道祖神を守るようにトラの石像があった。

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その向かい側の道に入っていきます。

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道案内がいろいろ親切にあります。神内は観光に力を入れているようですね。5分で古神殿です。大岩があり、神内神社の元宮と言われています。

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13時55分に神内神社に到着しました。以前はそうでも無かったのですが、今はパワースポットとして大分有名になってきました。

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神内神社は子安神社とも呼ばれます。拝殿です。

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天照大御神など5神をお祭りしていますが、ご神体は巨岩です。

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ご神体は境内から出て、探すと見ることができます。

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14時20分に出発しました。今度は近くの子安延命地蔵さんを目指しました。道案内があるので迷わずに行けます。10分一寸で入り口に到着しました。一寸登ります。

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滝の近くにあり、滝の地蔵さんとも呼ばれるとか。苔や岩が滑るので、慎重に登り降りします。

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さて今度は熊野古道沿いにある横手延命地蔵を目指します。14時40分の出発です。お多福岩とかの傍を通って神内川を下ります。途中は川の狭い土手道も歩いて、近道します。

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神内小学校の裏手に登っていきます。

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坂の途中に堀尾の檜と庚申様がありました。この庚申様は探し物に霊験あらたかだそうです。15時です。

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坂を登り切って後ろを振り返っています。

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熊野灘に向かって5分も下ると三叉路ですが、そこはもう熊野古道です。左折して延命地蔵さんへ向かいます。地面にはやはり案内が描かれています。

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右手に熊野灘を見ながら少し歩くと導引地蔵がありました。15時13分。

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右手の熊野灘はなかなかきれいで癒されます。

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2分で横手延命地蔵です。

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さらに2分で一里塚跡

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また2分で狼煙場跡です。15時21分。

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15時40分発の紀伊井田発の列車に乗れそうなので、急ぐことにしました。4分歩くと、道の真ん中に大きな岩があります。

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道標と地面の道案内に従って、JRの踏切に35分頃到着し、熊野古道と別れて線路沿いに引き返して、38分に紀伊井田駅に着きました。無人駅です。

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ここに西国三十三札所巡りの方が居ました。名古屋から徒歩・テント泊でここまで来られたそうですが、1番の青岸渡寺に着く前に足を痛めたとかで、帰られるそうです。次回、頑張ってください。

私は次の阿田和駅で降りました。ここの道の駅は、串本へダイビングへの行き帰り、休憩や車中泊などでお世話になった、思い出深い道の駅です。今夜の夕食を買うことにしました。

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次の列車で熊野市に帰り、いつもの民宿に泊まりました。明日は紀伊半島みる観る探検隊に参加します。

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今日は地酒の太平洋を飲んで寝ましょう。おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

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