紀宝町って何処?という人も居られるかもしれませんが、三重県の南の端、和歌山県との県境です。私が熊野古道を歩き始めた二十何年か前の三重県南牟婁郡はこんな感じでした。
現在は合併により、紀和町は熊野市になり、鵜殿村は紀宝町になりました。なので郡部として残っているのは、御浜町と紀和町ですね。御浜町と紀宝町は熊野古道の浜街道が通っています。御浜町と紀和町には、やはり熊野古道の本宮道が通っています。
今回の紀宝町歩きは下図のように、浜街道沿いの神社や石仏を、街道にはとらわれずに歩いてみました。
紀宝町のJRの駅としては、鵜殿と紀伊井田ですが、いずれも特急は停まらないので、和歌山県の新宮から引き返します。
2022年5月21日(土)
南紀1号は11時34分に新宮到着です。もう1時間早い列車が有ると良いんですが。上図の青い太線は熊野古道です。とりあえず、駅前の徐福公園で徐福さんの顔を拝みに行きました。雨がパラついているので、合羽上下に傘をさして完全装備です。
徐福は秦の始皇帝に不老不死の薬を探せと命じられ、一族郎党を連れて日本に渡ってきました。その上陸地点が、熊野の何処かだったとされています。
熊野川を渡って紀宝町に入るのですが、その前に阿須賀神社へ行きました。
熊野権現は神倉山に降った後、この阿須賀神社の地に移り、その後現在の速玉大社へ移ったとか。熊野参詣道の阿須賀王子がここにあります。
また、この手洗いの石が、二千年も前のものと聞いたことがあります。
また境内に弥生時代の竪穴住居跡があります。参拝を済ませ、新宮城の前を通って熊野大橋に向かいます。
最近では速玉大社は勿論、神倉神社もメジャーな観光地になってきました。今日は割愛して熊野川を渡りました。12時20分頃です。
渡って左へ1キロほど行くと、牛鼻神社と言う5千年の歴史があるという神社がありますが、今日は右折しました。
熊野川沿いに10分ほど歩くとJRの線路を潜ります。すぐに左に入っていくのが熊野古道です。最近は地面に案内が描かれていますね。
今回は直進します。この付近、中村神社や貴祢谷社など謂れありそうな神社がありますが、私のお目当ては烏止野(うどの)神社です。熊野川の河口、紀州製紙の辺りに、高速道路ができると見えて、いま工事中です。
その手前を左折すると烏止野神社はあります。雨はあがってきました。
実は熊野権現が神倉山へ降った後、最初に移ったのはここだというのが現在の定説になりつつあります(笑)。その後、阿須賀神社とか速玉大社に移ったのではないかと。
参拝を済ませ、鵜殿地区を歩いていると、道路工事の最中でした。勢和多気からの高速は、今、熊野市の大泊まで繋がりました。でもここまで来るには、まだだいぶ時間が掛かりそうですね。その間は熊野川を渡るだけでしょうか?
紀州製紙の煙が見えます。13時02分。
熊野古道に合流して、13時10分頃、R42を渡りました。そして古道沿いに新宮方向へ歩くと、熊野古道の道標がありました。新宮まで2キロとあります。
そして、そのすぐ傍が粥森様です。この粥森様が何なのか、以前から疑問に思っていますが、謂れは不明です。
この地区は飯盛と言い、近くに飯森神社というのがありますが、関係あるのか?釈迦が苦行を中断して粥を食べたという逸話に関係あるのか?わかりません。もう一つ、御浜町の浜街道に「ビキシ様」というのが有るのですが、これも解りません。
こんどは熊野古道から離れて、神内神社を目指します。13時15分頃です。
15分位歩いて神内へはいってきました。神内は「こうのうち」と読みます。
右前方に見える小学校の建物で、現在位置を推測しながら歩いていきます。13時40分頃、鷹の巣倉の案内がありました。
2分で善光寺参道、さらに2分で道祖神の案内です。信州では多いが、紀伊半島で道祖神は珍しい。また道祖神を守るようにトラの石像があった。
その向かい側の道に入っていきます。
道案内がいろいろ親切にあります。神内は観光に力を入れているようですね。5分で古神殿です。大岩があり、神内神社の元宮と言われています。
13時55分に神内神社に到着しました。以前はそうでも無かったのですが、今はパワースポットとして大分有名になってきました。
神内神社は子安神社とも呼ばれます。拝殿です。
天照大御神など5神をお祭りしていますが、ご神体は巨岩です。
ご神体は境内から出て、探すと見ることができます。
14時20分に出発しました。今度は近くの子安延命地蔵さんを目指しました。道案内があるので迷わずに行けます。10分一寸で入り口に到着しました。一寸登ります。
滝の近くにあり、滝の地蔵さんとも呼ばれるとか。苔や岩が滑るので、慎重に登り降りします。
さて今度は熊野古道沿いにある横手延命地蔵を目指します。14時40分の出発です。お多福岩とかの傍を通って神内川を下ります。途中は川の狭い土手道も歩いて、近道します。
神内小学校の裏手に登っていきます。
坂の途中に堀尾の檜と庚申様がありました。この庚申様は探し物に霊験あらたかだそうです。15時です。
坂を登り切って後ろを振り返っています。
熊野灘に向かって5分も下ると三叉路ですが、そこはもう熊野古道です。左折して延命地蔵さんへ向かいます。地面にはやはり案内が描かれています。
右手に熊野灘を見ながら少し歩くと導引地蔵がありました。15時13分。
右手の熊野灘はなかなかきれいで癒されます。
2分で横手延命地蔵です。
さらに2分で一里塚跡
また2分で狼煙場跡です。15時21分。
15時40分発の紀伊井田発の列車に乗れそうなので、急ぐことにしました。4分歩くと、道の真ん中に大きな岩があります。
道標と地面の道案内に従って、JRの踏切に35分頃到着し、熊野古道と別れて線路沿いに引き返して、38分に紀伊井田駅に着きました。無人駅です。
ここに西国三十三札所巡りの方が居ました。名古屋から徒歩・テント泊でここまで来られたそうですが、1番の青岸渡寺に着く前に足を痛めたとかで、帰られるそうです。次回、頑張ってください。
私は次の阿田和駅で降りました。ここの道の駅は、串本へダイビングへの行き帰り、休憩や車中泊などでお世話になった、思い出深い道の駅です。今夜の夕食を買うことにしました。
次の列車で熊野市に帰り、いつもの民宿に泊まりました。明日は紀伊半島みる観る探検隊に参加します。
今日は地酒の太平洋を飲んで寝ましょう。おやすみなさい。
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