「熊野あらけ隊」のOさんが、フェイスブックに赤倉街道を紹介されたとき、大いに興味を持ちました。紹介された地図がこれです。

これだけでは一寸判らないと思いますし、赤倉街道って何だろう思いますよね。そもそも〇〇街道と言うのは、〇〇へ行く街道と言う意味です。
例えば奥州街道は奥州へ行くために白河の関を目指す街道。日光街道は日光東照宮へ行く街道と言った具合です。所が赤倉は現在、特に何もありません。養魚場がある位です(笑)。その赤倉へ何のために行くの? と言うわけです。
でも私は12~13年前、下図の茶色のコースを歩きました。

熊野市育生町尾川から絶景の大丹倉へ登り、赤倉へ降って、今度は一の水峠を越えて熊野市駅まで。そのとき、丹倉と赤倉の間に穴山関所跡というのがあり、その説明がありました。

それによると、ここは過って熊野本宮へ通じる主要道だったというのです。そうでなければ関所なんて作りませんよね。そのことが頭の片隅に残っていたので、赤倉街道に興味を持ったのです。
現在、この地方の熊野街道は、花の窟神社から産田神社を通り、横垣峠・風伝峠を通る、いわゆる本宮道がガイドブックには紹介されています。でも、この穴山関所を通るのが主要道だったとすれば、どういうルートだったかと考えてみました。その結果が下図です。

説明には、木ノ本より一の水峠を越え、赤倉・丹倉を経て本宮に至るとあります。多分、丹倉から尾川へ降り、赤木を経て板屋で本宮道と合流したと考えるのが自然ですね。その木ノ本(熊野市駅付近)から一の水峠までの正しいルートが今回の赤倉街道らしいので。興味を持ったわけです。これはガイドブックに載っていない、重要な熊野古道だなと。
という訳で、Oさんにお願いして詳しく教えてもらって出かけることにしました。
2022年4月16日(土) 風は強いものの天気は晴れです。
桑名を8時25分発の南紀1号で、熊野市着は11時13分です。もう1時間早い列車があると良いんですが。

オークワで弁当を買って、11時40分頃出発し、井戸川沿いに歩き始めました。

まずは一乗寺と言うお寺を目指します。

15分弱で図のA地点に到着しましたが、折り返す道が細いので躊躇していました。たまたま地元の方が通りかかり、確認できたので助かりました。ここに道案内欲しいです。

急な登りを登っていきます。

5分で一乗寺らしきお寺の下にでたので登ってみました。

でもそこは墓地で、お地蔵さんだけがありました。名前も龍泉寺でした。一条寺は更に上らしいので止めました。熊野市街が見えます。

再度、道に戻りました。12時2分です。ここで一寸勘違いしていました。もらったイラストに、一乗寺の横に庚申書かれています。なので、庚申様と書かれています。なので庚申様を過ぎて右折と考えていました。でも実際は右折して山道に入ってから庚申様が有るのでした。危うく通り過ぎる所でした。一乗寺から1分でB地点、右折です。標高は50mほどです。

こんな山道です。

すぐ右手に庚申様があります。12時06分です。

ここからは熊野あらけ隊さんの道案内や赤テープがあるので迷わないでしょう。でも棚田跡なので、水平な道は歩かず、登っていきましょう(笑)。

庚申様から6分でC地点、最初の車道に出ました。

横断して登りますが、あらけ隊さん、苦労がしのばれます。感謝。

更に5分で、二つ目の車道横断、D地点にでます。

車道を一寸右手に歩くと展望が開けています。鬼ヶ城や熊野灘が一望でした。

登り始めるとすぐ石畳が現れてきました。

5分ほど登ると、右手に炭焼き窯があります。完全に近い形で残っているのですね。

石畳は更に続きます。

炭焼き窯から15分弱、12時41分に第一ベンチに到着しました。標高は200mでしょう。

5分ほど休憩して出発しました。ちらほら竹林に掛かるころ。地面にタケノコの皮が落ちています。イノシシが食べたのでしょうか。

しばらく竹林が続きます。

竹林を抜けると棚田の石垣が目立ちます。この石垣を見るたびに思うのですが、昔の人は小さな水田を作るために、よくこんな手間をかけて石垣を作ったなと。よほどお米は大事だったんだなと。

ベンチから15分弱、13時03分にF地点、帰りの分岐点を通過しました。

そこから5分でライオン広場です。名前の由来は、道にかぶさる枯れ木がライオンかな。

その右奥に四角い石の台座のようなのが見えますね。何か有ったかもしれない。ここからまた、素晴らしい石畳が続きます。他の熊野古道にも、これほどの石畳は少ないですね。

でも一寸道幅が狭いので、大名行列どは無くて。庶民だけが通る参詣道だったかも。石畳を5分ほど登ると、右手に桃太郎岩があります。流れてきた桃が二つに割れて、赤ん坊が生まれたのですね。

柳生街道に有ったら十兵衛岩だなと思いました。そこから17~18分、13時33分に、今日の最高地点、西ノ峠H地点に着きました。標高は430mでしょう。

そこから7分、一寸下り気味の水平な道を歩くと、今日の目的地、作業道広場でした。標高は420mかな。A地点から登り始めて1時間45分でした。

ここにも立派なベンチが作られていたので、ゆっくり弁当を頂きました。

一の水峠への道のりは、ここで半分位みたいですね。一寸覗いてみました。

14時過ぎに出発して引き返しました。30分ほどでF地点・分岐に到着し、右折しました。特に迷う所も、危険な個所もなく、13分ほど歩くと小さな案内がありました。

図のM地点だと池川方向へ行ってはいけないので、一寸迷ってkumanotrailの示す方向へ降りかけました。でも道が非常に悪いので、引き返して池川方向に進みました。10分ほどで車道に出ました。J地点だったようですね。14時56分です。

Uターンして引き返します。次のK地点で車道から分かれるのですが、ここも一寸判りにくい。小さな案内に一乗寺と書かれていますが、見落としそうです。

地道に入って下ると3分で展望台への案内があります。

5~6分下ると展望台です。岩の上に苦心の場所が作られていました。

絶景です。鬼ヶ城や明日行く予定の猪ノ鼻岬が指呼の間です。

15分ほどで往復して引き返しました。20分ほど下ると苔の生えた舗装道路に出ました。15時38分。

そこから10分で、行に分かれたB地点に戻ってきました。15時47分です。

一乗寺の門札を見ていないので、疲れた足を引きずって見に行きました(笑)。

引き返して最初のA地点に戻ってきたのが、15時59分。

そこから12分か13分でイオンまで戻ってきました。お疲れさまでした。七里御浜へ出てきました。台風の影響か波が荒いですね。

民宿に入ってひと風呂浴びて、またイオンに引き返して、食料を調達しました。獅子岩に月が掛かっています。

一人寂しく夕食ですが、この時間もまた楽しい。

月明かりに照らされた熊野灘を見ながら、夜は更けていきました。おやすみなさい。

明日は紀伊半島みる観る探検隊に参加します。
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