« 2022年3月 | トップページ | 2022年5月 »

2022年4月29日 (金)

名古屋市最高峰

山友さんから、一寸だけ歩いて一杯飲もうと誘われて、名古屋市最高峰に登ってきました。名古屋市最高峰とは守山区と瀬戸市の境にある東谷山(とうごくさん)で、標高は198mです。

中央線の高蔵寺駅で愛知環状鉄道に乗り換え、一つ目の中水野駅で降りたのが11時46分です。駅前のローソンでお昼の弁当を買って、歩き始めたのが12時ごろです。

Dscn0658jpgc_20220429153401

ハイキングコースの案内もあります。

Dscn0657jpgc

コースはこんな感じです。

Toukokujpgc

水野川を渡ると、尾張戸神社(おわりべ)の石柱がありました。

Dscn0660jpgc

お地蔵さんの祠が有り、さるぼぼ?も居ました(笑)。

Dscn0663jpgc

12時20分頃、鳥居を潜ると、そこからは森の中の石段になりました。なかなかの自然豊かな参道です。

Dscn0669jpgc

10分ほど登って、急な石段の手前で小休止。

Dscn0670jpgc_20220429152801

5分ほど休んで、3分登ると、フルーツパークからの道が合流します。

Dscn0674jpgc

右折して3分で尾張戸神社到着です。そそてここが東谷山山頂です。

Dscn0676jpgc

境内には二つの展望所があります。瀬戸市側の南アルプスが見えそうな展望台。

Dscn0678jpgc

反対側の庄内川や高蔵寺入タウンが見える展望台です。いずれも雲でよく見えませんでした。

Dscn0682jpgc

ここで昼食、13時20分頃まで休憩しました。

Dscn0687jpgc

帰りはフルーツパーク側へ降りるつもりでしたが、早く反省会がしたいという声に押されて、高蔵寺駅に近い道を選びました(笑)。そこには古墳がありました。

Dscn0689jpgc

車も楽々通れる、良い道でした。

Dscn0692jpgc_20220429160901

20分ほどで団地に降りてきました。高蔵寺ニュータウンが見えます。

Dscn0696jpgc

白鳥古墳を見たりしながら14時頃、東谷橋を渡りました。対岸は春日井市です。

Dscn0699jpgc_20220429160501

振り返ると東谷山が見えます。

Dscn0702jpgc

名古屋市最高峰の旅は、これで尾張です。後はお楽しみの反省会。お疲れ様でした。

Dscn0706jpgc

 

 

 

 

2022年4月20日 (水)

熊野2日目 磯崎・猪ノ鼻の史跡を訪ねて

2022年4月17日(日)

今朝の散歩は贅沢にも七里御浜です。

Dscn0446jpgc_20220420150101

新宮方面に少し歩くと、日本最古の神社と言われる花の窟神社があります。

Dscn0451jpgc_20220420150101

ここで熊野街道伊勢路は浜街道と本宮道に分かれるのですが、神社の前の道標は、浜街道へ行かず本宮道へ行くよう勧めています。

Dscn0455jpgc

浜街道は波に攫われて命を落とす人もいて、危険なので本宮道を勧めたそうです。

さて今日は2年ぶりの紀伊半島みる観る探検隊で、「磯崎・猪ノ鼻の史跡を訪ねて」に参加します。

Isozaki01jpgc

熊野市駅の一つ尾鷲寄りの大泊駅が集合場所です。上の地図でお判りのように、ここは熊野街道伊勢路が通っています。波田須から大吹峠を越え大泊に下り、また松本峠を越えて木ノ本へ降るおなじみの熊野古道ルートです。

また磯崎港の反対側、井内浦は、私のダイビングのホームグラウンドだったので、よく通った場所です。今回行く猪ノ鼻は、どこかで聞いたことがあると思われたと思いますが、それは尾鷲の猪鼻水平道でしょう。馬越峠の巻き道です。今回は熊野の猪ノ鼻です。

9時に大泊駅に集合しました。

Dscn0486jpgc_20220420150101

今回は参加者21人、案内やスタッフの方が6人、27人で歩きます。このルートも昨日の赤倉街道と同じく、熊野あらけ隊の方が整備して頂いたそうです。

Isozaki02jpgc

案内役のMさんは、私と同じ年齢、長く大泊の区長を務められたとか、地域の生き字引みたいな人です。熊野参詣道で善根宿をやっていたとか言われていました。いろいろ手作りの資料で詳しく説明されます。

Dscn0490jpgc

この磯崎も過っては2500人ほど住民が居たそうですが、今は230人とか。時代の流れは凄いですね。9時半頃から歩き始めました。

Dscn0492jpgc

猪ノ鼻岬の方へ入っていくと、丁度対岸が鬼ヶ城で、日ごろは見ない、千畳敷が見えました。

Dscn0499jpgc

このときハプニングが。地元磯崎から参加されていたHさんが、参加者全員に「昆布寿司」を差し入れして頂きました。熊野はサンマ寿司が名物ですが、昆布寿司は初めてです。

Dscn0609jpgc

手間の掛かりそうな細い巻き寿司です。家に持って帰って、家内と食べましたが、美味でした。有難うございます。

道は岬を回る細い地道です。

Dscn0501jpgc

七里御浜を対岸から眺めながら歩きます。

Dscn0505jpgc

10時25分頃、炭焼窯の跡にきました。これは備長炭では無く黒炭だとか。窯の形状から判るそうです。

Dscn0510jpgc

10分後に猪ノ鼻灯台に到着しました。

Dscn0511jpgc

ここで有志だけ、50mほど下の磯へ降りすることになりました。私も急坂を下ってみました。写真の向こう側が、私のダイビングの井内浦です。懐かしい。

Dscn0518jpgc_20220420190101

25分ほどで登ってきました。さらに進むと、そこは猪ノ鼻城の城跡だそうです。ただ今は、第2次世界大戦のとき、陸軍の電波探知機が作られたそうで、城跡も破壊されたそうです。わずかに残った石積みの傍を歩きます。

Dscn0525jpgc_20220420190101

Mさんが、猪ノ鼻城の歴史を教えてくれます。1568年伊勢の北畠の軍が攻め込んで、猪ノ鼻城の合戦があったそうです。そのときの熊野川で猪ノ鼻城の城主であった方の子孫の方が、このツアーに参加されていたのには驚きました。

Dscn0529jpgc

11時45分に、七里御浜の見える絶景の広場に到着、昼食休憩となりました。ここでも「熊野あらけ隊」の女性お二人が、お菓子・果物・飲み物の接待をして頂きました。みんなが座るベンチも、手作りだそうです。

Dscn0536jpgc

ところで、ペリーの浦賀来航は1853年ですが、そのまえ、1791年にもアメリカの商船2隻がこの付近に現れていたそうで、そのときの記録が残っているそうで、その概要をMさんが説明してくれました。

Dscn0539jpgc_20220420192601

ゆっくり休憩して1時ごろ出発、すぐに戦時中に軍が作った道に入ります。この付近にも電波探知機が建設されたそうですが、ここのは空襲で破壊されたそうです。途中に防空壕の跡が残っていました。

Dscn0548jpgc

30分一寸で磯崎集落の近くに戻ってきました。

Dscn0551jpgc

坂を下って13時45分に海恵寺です。戦時中は小学校が軍に摂取され、ここで子供は勉強したとか。

Dscn0555jpgc

この後すぐ解散しました。この探検隊は、観光では判らない、地域の歴史や謂れを、深堀してくれるのでお気に入りです。そのあと私は、あらけ隊のOさんに、鬼ヶ城の入り口まで送ってもらいました。

今度は逆に、鬼ヶ城側から今日歩いた猪ノ鼻を見てみました。

Dscn0563jpgc_20220420193801

そしてそのまま、鬼ヶ城を1周することにしました。

Dscn0566jpgc_20220420193801

Dscn0570jpgc

波が高いと、一寸怖そうな場所もありますね。

Dscn0577jpgc_20220420194701

30分ほどで1周してきました。

Dscn0582jpgc

そこから20分ほどで熊野市駅です。

Dscn0585jpgc_20220420193801

サザエを買って帰ろうと、熊野市駅近くのスーパーを探したのですが、無かったので、紀伊長島で途中下車して買うことにしました。帰りの列車の中は、いつものように小宴を開きます(笑)。

Dscn0605jpgc_20220420193801

お土産のサザエは翌日のご馳走です。

Center_0001_burst20220418171300651_cover

お休みなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年4月19日 (火)

久しぶりの熊野 1日目は赤倉街道

「熊野あらけ隊」のOさんが、フェイスブックに赤倉街道を紹介されたとき、大いに興味を持ちました。紹介された地図がこれです。

Akakura04jpgc

これだけでは一寸判らないと思いますし、赤倉街道って何だろう思いますよね。そもそも〇〇街道と言うのは、〇〇へ行く街道と言う意味です。

例えば奥州街道は奥州へ行くために白河の関を目指す街道。日光街道は日光東照宮へ行く街道と言った具合です。所が赤倉は現在、特に何もありません。養魚場がある位です(笑)。その赤倉へ何のために行くの? と言うわけです。

でも私は12~13年前、下図の茶色のコースを歩きました。

Akakura05jpgcc

熊野市育生町尾川から絶景の大丹倉へ登り、赤倉へ降って、今度は一の水峠を越えて熊野市駅まで。そのとき、丹倉と赤倉の間に穴山関所跡というのがあり、その説明がありました。

P1070848jpgc

それによると、ここは過って熊野本宮へ通じる主要道だったというのです。そうでなければ関所なんて作りませんよね。そのことが頭の片隅に残っていたので、赤倉街道に興味を持ったのです。

現在、この地方の熊野街道は、花の窟神社から産田神社を通り、横垣峠・風伝峠を通る、いわゆる本宮道がガイドブックには紹介されています。でも、この穴山関所を通るのが主要道だったとすれば、どういうルートだったかと考えてみました。その結果が下図です。

Akakura03jpgc

説明には、木ノ本より一の水峠を越え、赤倉・丹倉を経て本宮に至るとあります。多分、丹倉から尾川へ降り、赤木を経て板屋で本宮道と合流したと考えるのが自然ですね。その木ノ本(熊野市駅付近)から一の水峠までの正しいルートが今回の赤倉街道らしいので。興味を持ったわけです。これはガイドブックに載っていない、重要な熊野古道だなと。

という訳で、Oさんにお願いして詳しく教えてもらって出かけることにしました。

2022年4月16日(土) 風は強いものの天気は晴れです。

桑名を8時25分発の南紀1号で、熊野市着は11時13分です。もう1時間早い列車があると良いんですが。

Dscn0259jpgc_20220419133901

オークワで弁当を買って、11時40分頃出発し、井戸川沿いに歩き始めました。

Dscn0263jpgc

まずは一乗寺と言うお寺を目指します。

Akakura02jpgc

15分弱で図のA地点に到着しましたが、折り返す道が細いので躊躇していました。たまたま地元の方が通りかかり、確認できたので助かりました。ここに道案内欲しいです。

Dscn0269jpgc_20220419133901

急な登りを登っていきます。

Dscn0270jpgc

5分で一乗寺らしきお寺の下にでたので登ってみました。

Dscn0272jpgc_20220419133901

でもそこは墓地で、お地蔵さんだけがありました。名前も龍泉寺でした。一条寺は更に上らしいので止めました。熊野市街が見えます。

Dscn0274jpgc_20220419133901

再度、道に戻りました。12時2分です。ここで一寸勘違いしていました。もらったイラストに、一乗寺の横に庚申書かれています。なので、庚申様と書かれています。なので庚申様を過ぎて右折と考えていました。でも実際は右折して山道に入ってから庚申様が有るのでした。危うく通り過ぎる所でした。一乗寺から1分でB地点、右折です。標高は50mほどです。

Dscn0280jpgc_20220419133901

こんな山道です。

Dscn0281jpgc_20220419133901

すぐ右手に庚申様があります。12時06分です。

Dscn0282jpgc_20220419140401

ここからは熊野あらけ隊さんの道案内や赤テープがあるので迷わないでしょう。でも棚田跡なので、水平な道は歩かず、登っていきましょう(笑)。

Dscn0284jpgc_20220419140401

庚申様から6分でC地点、最初の車道に出ました。

Dscn0289jpgc_20220419140401

横断して登りますが、あらけ隊さん、苦労がしのばれます。感謝。

Dscn0292jpgc

更に5分で、二つ目の車道横断、D地点にでます。

Dscn0295jpgc_20220419140401

車道を一寸右手に歩くと展望が開けています。鬼ヶ城や熊野灘が一望でした。

Dscn0297jpgc

登り始めるとすぐ石畳が現れてきました。

Dscn0302jpgc_20220419140401

5分ほど登ると、右手に炭焼き窯があります。完全に近い形で残っているのですね。

Dscn0308jpgc

石畳は更に続きます。

Dscn0309jpgc

炭焼き窯から15分弱、12時41分に第一ベンチに到着しました。標高は200mでしょう。

Dscn0313jpgc

5分ほど休憩して出発しました。ちらほら竹林に掛かるころ。地面にタケノコの皮が落ちています。イノシシが食べたのでしょうか。

Dscn0319jpgc

しばらく竹林が続きます。

Dscn0322jpgc_20220419142901

竹林を抜けると棚田の石垣が目立ちます。この石垣を見るたびに思うのですが、昔の人は小さな水田を作るために、よくこんな手間をかけて石垣を作ったなと。よほどお米は大事だったんだなと。

Dscn0327jpgc

ベンチから15分弱、13時03分にF地点、帰りの分岐点を通過しました。

Dscn0328jpgc

そこから5分でライオン広場です。名前の由来は、道にかぶさる枯れ木がライオンかな。

Dscn0334jpgc_20220419142901

その右奥に四角い石の台座のようなのが見えますね。何か有ったかもしれない。ここからまた、素晴らしい石畳が続きます。他の熊野古道にも、これほどの石畳は少ないですね。

Dscn0337jpgc

でも一寸道幅が狭いので、大名行列どは無くて。庶民だけが通る参詣道だったかも。石畳を5分ほど登ると、右手に桃太郎岩があります。流れてきた桃が二つに割れて、赤ん坊が生まれたのですね。

Dscn0342jpgc_20220419142901

柳生街道に有ったら十兵衛岩だなと思いました。そこから17~18分、13時33分に、今日の最高地点、西ノ峠H地点に着きました。標高は430mでしょう。

Dscn0351jpgc_20220419142901

そこから7分、一寸下り気味の水平な道を歩くと、今日の目的地、作業道広場でした。標高は420mかな。A地点から登り始めて1時間45分でした。

Dscn0355jpgc_20220419142901

ここにも立派なベンチが作られていたので、ゆっくり弁当を頂きました。

Dscn0358jpgc_20220419142901

一の水峠への道のりは、ここで半分位みたいですね。一寸覗いてみました。

Dscn0364jpgc

14時過ぎに出発して引き返しました。30分ほどでF地点・分岐に到着し、右折しました。特に迷う所も、危険な個所もなく、13分ほど歩くと小さな案内がありました。

Dscn0382jpgc_20220419150001

図のM地点だと池川方向へ行ってはいけないので、一寸迷ってkumanotrailの示す方向へ降りかけました。でも道が非常に悪いので、引き返して池川方向に進みました。10分ほどで車道に出ました。J地点だったようですね。14時56分です。

Dscn0386jpgc

Uターンして引き返します。次のK地点で車道から分かれるのですが、ここも一寸判りにくい。小さな案内に一乗寺と書かれていますが、見落としそうです。

Dscn0391jpgc

地道に入って下ると3分で展望台への案内があります。

Dscn0394jpgc

5~6分下ると展望台です。岩の上に苦心の場所が作られていました。

Dscn0397jpgc

絶景です。鬼ヶ城や明日行く予定の猪ノ鼻岬が指呼の間です。

Dscn0399jpgc

15分ほどで往復して引き返しました。20分ほど下ると苔の生えた舗装道路に出ました。15時38分。

Dscn0407jpgc

そこから10分で、行に分かれたB地点に戻ってきました。15時47分です。

Dscn0415jpgc

一乗寺の門札を見ていないので、疲れた足を引きずって見に行きました(笑)。

Dscn0417jpgc

引き返して最初のA地点に戻ってきたのが、15時59分。

Dscn0421jpgc_20220419154701

そこから12分か13分でイオンまで戻ってきました。お疲れさまでした。七里御浜へ出てきました。台風の影響か波が荒いですね。

Dscn0428jpgc_20220419154701

民宿に入ってひと風呂浴びて、またイオンに引き返して、食料を調達しました。獅子岩に月が掛かっています。

Dscn0433jpgc_20220419154701

一人寂しく夕食ですが、この時間もまた楽しい。

Dscn0435jpgc_20220419154701

月明かりに照らされた熊野灘を見ながら、夜は更けていきました。おやすみなさい。

Dscn0442jpgc_20220419154701

明日は紀伊半島みる観る探検隊に参加します。

 

 

 

 

2022年4月 5日 (火)

比叡山麓 坂本歩き後半

13時一寸前に西教寺を出て、日吉大社へ向かいます。ここも有名ですが、私が知っているのは、猿が神様のお使いだ位でした。途中の道端に千体地蔵さんがあります。比叡山に登れない人たちが付近一帯に小さな石仏を建立したのだとか。それが田畑の耕作で出てきたそうです。

Dscn9931jpgc

15分ほどで日吉大社東本宮に着きました。

Sakamoto03jpgc_20220405130301

でも空腹のため遥拝で済ませて昼食に向かいます。

Dscn9939jpgc

坂を下って10分弱で、お目当ての鶴喜そばに着きました。でも満員で並んでいます。人気なんですねえ。

Dscn9950jpgc

創業は1716年だそうで、建物も登録有形文化財です。近くに日吉そばという、ここも良さそうな蕎麦屋さんがあるんですが、ここはそんなに混んでいません。どこが違うか、一度食べ比べしたいものです(笑)。

Dscn0028jpgc_20220405131201

40分も待って、ようやく「おろし天ぷら蕎麦」にありつきました。その横は「そば前」です(笑)。

Dscn9951jpgc_20220405130301

満足して店を出ました。14時35分でした。午後は坂本ケーブルで比叡山に登り、無動寺や紀貫之の墓を見る予定でしたが、時間的にも体力的にも無理だろうということで、もう少し坂本を歩くことになりました。

付近の民家にはお地蔵さんのお堂が併設されています。これは全国的にも珍しいですね。

Dscn9957jpgc

天海大僧正の廟所である慈眼堂を見に行くことになりました。坂本、特に滋賀院の付近は穴太積みと言われる石垣が見事です。

Dscn9961jpgc_20220405130301

天海は家康・秀忠・家光の三代に仕え、信長の焼き討ちで荒廃した延暦寺の復興に力を尽くしました。

Dscn9968jpgc_20220405130301

庭には歴代の天台座主や桓武天皇・慈眼大師の墓碑や供養塔がありました。

Dscn9970jpgc

紫式部、和泉式部、清少納言などの供養塔もありました。ほかにもなにかあるかも。

Dscn9975jpgc

次に先ほど遥拝で済ませた日吉大社に向かいました。10分弱で着きます。西本宮の鳥居が珍しい形ですね。山王鳥居というそうです。

Dscn9986jpgc

先ほども書きましたが「猿がお使いです」。神猿と書いて「まさる」と読むそうです。魔が去る、勝る、ということで大事にされています。

Dscn9992jpgc

西本宮の楼門は重要文化財です。

Dscn9997jpgc_20220405132801

そして、その天井の四隅には神猿さんがおられます。

Dscn0004jpgc_20220405134301

ところで日吉大社には西本宮と東本宮があります。両本宮ともに本殿は国宝です。ご本尊ですが、東本宮が大山昨神で比叡山の山神様です。西本宮は大己貴神で奈良の三輪山の山神様です。

東本宮へ向かう風景

Dscn0006jpgc_20220405134301

東本宮の本殿、日吉造りといわれ国宝です。

Dscn0022jpgc

15時半ごろ日吉大社のお参りは終わりました。皆さん、お疲れでJR比叡坂本駅に向かいます。

Dscn0027jpgc_20220405134301

JRで京都駅に向かい、駅地下の居酒屋で反省会です。

Dscn0036jpgc_20220405134301

皆さんお疲れ様。次回は比叡山頂に向かいましょう。

 

 

2022年4月 4日 (月)

比叡山麓、坂本を歩く

山歩会のAさんの企画で坂本を歩いてきた。我々、京都生まれの人間は、比叡山や延暦寺は京都の山であり寺であると思っている。都の鬼門を守る山であり寺だから当然のことです。でも今回の里歩きで、比叡山や延暦寺は滋賀県だなあと、考えを変えた(笑)。

2022年4月2日(土)

9時半に京都駅に集合し、湖西線に乗った。昔、学生の頃、比良の山小屋に行くため、何回となく乗った線です。10時におごと温泉駅で下車。ここから安楽律院を目指します。総勢8名です。

Sakamoto01jpgc

上半分を拡大します。おごと温泉駅を出て、線路沿いに引き返します。だらだらと上り坂です。

Sakamoto02jpgc

15分ほど登りが続いたでしょうか、右折して湖西道路を高架で超えます。後方には懐かしい比良山脈南部の主峰、蓬莱山が見えます。まだ一寸雪が残っているようです。

Dscn9804jpgc

超えるとすぐ二股になり、左元三大師の文字が読めます。

Dscn9811jpgc_20220403183101

元三大師は延暦寺中興の祖と言われる。良源、慈恵大師とも呼ばれ、おみくじの元祖とも言われます。

375pxryogen1

その良源ゆかりの地千野(乳野)を通ります。

Dscn9814jpgc_20220403183101

この辺りは中部北陸自然歩道になっているようで、時々その道標があります。道は山の中に入っていきます。

Dscn9822jpgc_20220403183101

駅から1時間弱、11時過ぎに安楽律院の入り口に来ました。

平安京の鬼門を延暦寺が守ると言いましたが、その延暦寺の鬼門を守るのが飯室谷不動堂です。その飯室谷の別院が安楽律院で、厳しい戒律を守る僧たちが、ここで生活しました。

Dscn9833jpgc_20220403183101

昭和24年、放火により殆どの建物が焼失しました。最近ではNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」や「るろうに剣心」のロケ地として有名になった。

Dscn9827jpgc_20220403183101

跡地は、今なお1300年前の霊気を漂わせ、叡山のパワースポットとして、最近は訪れる人も多い。

Dscn9835jpgc_20220403183101

Dscn9838jpgc

また藤原定家の碑もある。

Dscn9844jpgc

11時23分に、ここを出た。山門の正面の階段を上ると、近道して飯室谷不動堂へ行けるが、Aさんは、その道はアップダウンがきついからと、元来た道を引き返して、車道で飯室谷へ向かった。11時40分に到着した。

Dscn9853jpgc

ここは叡山三魔所の一つと呼ばれるパワースポットです。横川中堂や元三大師堂へは、ここから登ります。魔所は魔物が出ると言う意味ではなく、清浄な地という意味だと、千日回峰をされた住職の大阿闍梨藤波源信さんが言われています。

ここから西教寺へ向かうのですが、Aさん今度は山道を選びました(笑)。

Dscn9859jpgc_20220404185201

一寸登って、切通しを超えていく、なかなか情緒のある道です。と思っていたら、荒れている部分もあって、一般観光客にはお勧めできない道ですね。

Dscn9867jpgc_20220404184801

15分ほどで車道に出てきました。

Sakamoto03jpgc

西教寺入り口までは10分弱ですが、その間にもたくさんの石仏や地蔵さんがあります。宅地開発の際に出てきたようです。

Dscn9872jpgc_20220404190001

西教寺門前には12時11分でした。

Dscn9874jpgc_20220404184801

西教寺は聖徳太子の創建と伝わりますが、一旦荒廃します。平安時代には天台宗の寺院となり、室町時代に真盛上人が入寺され、天台真盛宗の総本山となり、全国に末寺を持つに至ったそうです。

Dscn9908jpgc

小堀遠州作の客殿庭園

Dscn9917jpgc

境内からは琵琶湖の景色も素晴らしい。

Dscn9926jpgc

信長の叡山焼き討ちで西教寺も焼失したが、その復興に力を尽くしたのが明智光秀であった。

Dscn9919jpgc

したがって、本能寺の変の後、光秀が秀吉に敗れた後も、明智一族の菩提寺として西教寺に祀られている。

Dscn9903jpgc_20220404184801

いままで知らなかったのですが、立派な寺院で、皆感心しきりでした。

13時一寸前に寺を出ました。皆さん、空腹を訴えています。

ここで前半を終わります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

« 2022年3月 | トップページ | 2022年5月 »

最近の写真

  • Simati00jpgc
  • Dscn1701jpgc_20220627130501
  • Dscn1687jpgc
  • Dscn1690jpgc
  • Dscn1696jpgc
  • Dscn1681jpgc
  • Dscn1711jpgc_20220627130901
  • Dscn1708jpgc
  • Dscn1706jpgc
  • Dscn1717jpgc
  • Simati01jpgc
  • Dscn1726jpgc