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2021年1月30日 (土)

伊勢型紙と大黒屋光太夫

鈴鹿市ウオーキングの2回目です。今回は鈴鹿市でも海岸沿いの白子駅から歩き始めました。

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2021年1月28日(木)

明日から日本中が強風に晒されそうなので、一寸曇り空ですが10時前に白子駅に降り立ちました。実はこの白子駅、降りるのは初めてかもしれません。珍しいので一寸駅表に行って観光案内所にはいってみたりしました。10時7分に駅裏(海側)に戻り歩き始めました。まずは駅から5分の伊勢型紙資料館へ来ました。

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資料館というので近代的な建物を想像していたので見落としそうになりました。江戸時代末期に建てられた寺尾家という伊勢型紙の製造から販売まで手掛けた屈指の型屋さんの家でした。

伊勢型紙は本来、着物の生地である反物を染めるための型紙です。貰ったパンフレットを一寸載せます。

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精巧に彫り抜かれた型紙を反物に当てて糊をおいて染めるわけです。小さな型紙なので1反を染め上げるのに何十回も繰り返す必要があります。まあ現在は着物を着る機会も亡くなったので、この型紙の需要も減り、繊細な技術の伝承が存亡の危機なのです。今はむしろ型紙という用途より、美術品の用途で生き残っていくのでしょうか。

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15分ほど見学して、今度は子安観音へ向かうことにしました。南に向かうとすぐに白子小学校があり、その校庭に白子代官所跡の案内がありました。紀州藩の代官所です。江戸時代白子は、伊勢街道の宿場であり、白子港も有って、重要な土地だったようです。

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すぐに神社があったので入ってみました。今歩いている道の1本海側が伊勢街道なので、そちらが正門のようでした。久留真神社という式内社です。説明に車総社とありましたが、語呂合わせでしょうか。

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そしてすぐ三叉路があり、海側から道が入りますが、その角に大きな石の道標があります。ここで伊勢街道が合流し、この先は伊勢街道になります。白子の伊勢街道は曲がり角が多く、旅人が迷うので建てられたそうです。

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道標から10分一寸歩いて右折すると子安観音があります。その手前のお寺の土塀に石臼が、いくつも埋め込まれているので眺めていると、近所の奥さんが謂れを説明してくれました。またこのお寺には高浜虚子の句碑が有るとも。

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子安観音は奈良時代の創建で真言宗のお寺です。伊勢街道にあり、三重四国八十八ヶ所にも入っているので何回か来ています。伊勢の浦に鼓の音がして網を打つと白衣の観音様が赤ん坊に背負われて現われた。その白衣観音がご本尊で、安産の神様として信仰されています。

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境内の不断桜は天然記念物です。近くの海岸は今も鼓ヶ浦と呼ばれ、近鉄の駅も鼓ヶ浦です。寺を出て、その鼓ヶ浦海水浴場にやってきました。今は静かな砂浜です。11時17分。

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海水浴場から12~3分歩くと白子港です。その一角に漁協直売所「魚魚鈴(ととりん)」があります。何か買おうと立ち寄ったのですが、めぼしいものは無くて買いませんでした。でも平日から、地元の人が買いに来ているので、お値打ちなのかも。

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11時37分、新紅屋橋で堀切川を渡り、伊勢街道へ復帰しました。

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今度は逆に神戸宿方向に伊勢街道を辿ります。すぐ右手に、白子東町児童公園があり、その中に「旧河芸郡役所跡」の案内があった。明治にできて30年間存続したとか。

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この辺りの奥さんに伊勢街道のことを訊くと、私達は「塩浜街道」と呼んでいると言っていました。この先で神戸方面と塩浜方面に分れるからでしょう。でも塩浜街道は戦後できた名前だと思いますが。

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12時06分、江島神社に着きました。海上守護の神様として有名で、白子の廻船業者が奉納した絵馬が1600年頃から残っている。

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お昼時なので一寸お参りして、近くの江島公園へ弁当を食べに出かけました。すぐ海岸沿いです。

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20分ほどで弁当を食べて、12時35分に出発し、伊勢街道に復帰しました。江島神社の前に乾物屋さんがあり、一寸覗いて店のご主人と話したりしました。5分も歩くと伊勢街道は近鉄の踏切を渡って神戸宿へ向かいます。その角に六体地蔵さんがあります。

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地蔵さんの台座に六体の菩薩が刻まれているので六体地蔵と呼ぶようです。12時54分に向かい側の役行者の祠を見て、伊勢街道と別れて岸岡山展望台へ向かいました。

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線路を渡り、岸岡台という団地の中を通って20分一寸で公園に着きました。デイキャンプもできる広場がある、標高50mほどの高台です。展望台があります。

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伊勢湾が見渡せる絶好の展望台です。市街地のすぐそばに、こんな絶景の展望台があるなんて素晴らしいですね。セントレアから伊良湖岬、神島から二見まで見えるのです。

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13時23分頃展望台を後にしました。千代崎駅方面に下りたいのですが、案内は無くて適当に下りました。一寸遠回りだったかもしれませんが大過なく、15分ほどで千代崎駅を通過しました。

金沢川に出て、県道6号線の千代崎橋で渡りました。渡ってすぐ右折して、大黒屋光太夫の慰霊碑を見に行きました。海岸の公園の防潮堤に光太夫漂流記の壁画が描かれていました。

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近くの墓地に光太夫以下、漂流した17人の慰霊碑がありました。

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外国屋光太夫は白子の廻船問屋の船頭で、1782年、江戸へ荷物を運ぶ途中で遭難し、アリュウシャン列島に流れ着いた。その後、サンクトペテルブルクに行き、ロシア皇帝エカテリーナⅡ世に拝謁し、帰国を許された。その後、日本との貿易を望むロシアの使節に伴われて帰国した。1792年。

慰霊碑から8分ほどの所に、一緒に帰国した小吉の菩提寺があった。

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菩提寺から更に5分、大黒屋光太夫記念館がある。

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ここに詳しく10年間の苦労が載っているが、帰国した光太夫は江戸城で将軍に拝謁し、そのご幕府お抱えとして江戸に住んだ。近くに開国曙光碑がある。

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ここで14時28分だった。ここから20分で伊勢若松駅です。そこにも光太夫の銅像があった。光太夫はここ若松村の生まれだったそうです。

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今日もなかなか面白い1日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年1月22日 (金)

鈴鹿市ウオーク

三重県に住んで40年以上になるが、地元の北勢地区をあまり歩いていない。三重の歴史街道や三重四国八十八ヶ所、神宮125社など歩いたりしているので、結構いろんな所へ行ってはいるが、例えば鈴鹿市を歩こうとか思ったことがない。むしろ尾鷲にいこうとか熊野に行こうとか、南勢の方が多いかもしれない。

今回コロナもあって、近場を探してみた。すると鈴鹿市観光協会のホームページに、鈴鹿市の23ウオーキングコースというのを見つけた。その中の一つを今回歩いてみました。

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地図はこれです。近鉄鈴鹿線の鈴鹿市駅発着のコースです。これを一寸アレンジして、JR関西線河曲(かわの)駅から逆回りで近鉄鈴鹿市駅までとしました。

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2021年1月21日(木)

9時50分過ぎに河曲駅に到着しました。快晴です。鈴鹿山脈の主峰が眼前です。

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線路を渡って鈴鹿市考古博物館を目指します。地元の人に道を訊きながら歩きます。

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歩きだして20分ほどで博物館が見えました。良さそうな建物です。

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入館料200円ですが70歳以上無料ということでタダでした(笑)。コロナでウイークデイということも有ってか、見学者は私一人でした。別室でお母さんたちが集まって、何かやっているようでしたが。

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土器・埴輪などいろいろ展示されています。

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驚いたのは鈴鹿市に何百かの遺跡があるということです。また古寺の瓦もいろいろ有るようです。

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屋上は展望台になっていて、隣の国分寺跡がよくみえます。

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20分位見学して、隣の国分寺跡へ行ってみました。ここは礎石だけで何もありません(-_-;)

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10時50分頃、公園を後にしました。ここでも散歩中のご夫婦に道を訊きながら、菅原神社に向かいました。15分ほどで到着しました。

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菅原道真をお祀りした天満宮です。今年は丑年ですねえ。

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梅園の整備が進んでいて、三重県でも有数の名所だそうです。見頃は2月下旬から3月上旬とか。

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11時15分頃、今度は高岡城跡に向かいました。20分弱で高岡台団地の公園に来ました。向こうの丘の上に高岡城が有ったようです。

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公園から10分ほどで高岡城址登り口です。11時43分。

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6分登ると城址公園の入り口でした。高岡城は北畠氏の一門、神戸友盛の家老山路弾正が城主であった。弾正は智勇兼備の名将で、織田信長の攻撃をよく防いだなどの歴史がある。

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城跡としては何も残っていない。

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ただ、ここからは、これから歩く予定の鈴鹿市街が一望できます。

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11時50分頃なので、休憩所で昼食としました。今日は珍しく自家製弁当持参です。

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30分ほど休憩して、12時20分に出発しました。7分で麓の高岡神社に到着しました。

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主神は京都の貴船神社と同じ高龗の神なので、水の神様でしょうか。式内神社です。

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下って行って、JR関西線の踏切を渡りますが、ここは十何年か前に歩いた伊勢街道です。

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四日市の日永追分で東海道と別れた伊勢街道は、ここから神戸宿を経て白子へ行き、伊勢神宮を目指します。今日はこれからその伊勢街道で神戸宿まで歩きます。踏切を渡り、鈴鹿川の堤防に出ます。そして、高岡城址から見下ろしていた高岡橋を渡ります。

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橋の途中で振り返ると城跡の展望台が見えます。

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堤防を右折し、常夜燈のある場所で堤防を降りるのが伊勢街道です。12時50分です。

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堤防を降りて道なりに神戸宿を目指します。しばらく田圃道です。

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10分ほどで街に入り、更に10分歩くと神戸の見附です。13時14分。

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見附とはまあ宿場の入り口で、関所ではないが、夜間は門を閉めて出入りを禁じた。梅が咲いていました。

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ここから神戸宿ですが、やはりその面影は残っているようです。

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10分ほど町中を歩くと、踏切があります。左折すると鈴鹿市駅で今日はここまでです。

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近くの焼肉やさんに、時短の案内が貼ってありました。早く、思う存分営業できる日が来ることを祈ります。

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13時25分頃、鈴鹿市駅に到着しました。

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駅のコンビニで買った氷結を飲んで、今日は良しとしました。

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今日歩いた軌跡です。

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以前、東海道を歩いた時、四日市市や亀山市は街道の案内が親切なのに、鈴鹿市に入ると全く不親切で、鈴鹿市はホンダと鈴鹿サーキットしか頭に無いのかと思いました。でも、今回調べてみて、23のコースマップが有ったり、考古博物館も充実していて、文化にも力を入れていることが解りました。

後、2~3コースは歩いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

2021年1月14日 (木)

亀山 下庄

近場で歩く場所を探していたら亀山ウオーキングマップが目についた。亀山は東海道の宿場町なので何回かは歩いている。

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写真は多分関宿ですね。亀山駅周辺での東海道は駅の北側を通っています。このマップがそうです。

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図の下側、鉄道沿いの道が東海道です。右上の能褒野神社は日本武尊を祀っていて、何回か行っています。私が目を付けたのは、もう1枚のマップ。亀山駅の南側の道です。

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南側は一度も歩いた事は無いし、中央の二つの神社に目がいきました。拡大します。

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右上の「江神社、えのじんじゃ」と左上の「石神社」です。なんだか謂れありそうということで、下庄駅から二つの神社を見ながら亀山駅まで歩いてみることにしました。

2021年1月13日(水)

11時半頃下庄駅に着き、駅のベンチでお握りを食べ、11時40分には出発しました。

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しばらくは線路沿いに歩きます。

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梅が咲いているのかな。

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下庄の集落に入ってきました。狭い集落の中の道を歩きます。

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小さな集落の中に3軒もお寺があるみたいですね。これはその中の一つ、栄仙寺。

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少し山手に入った所に江神社の鳥居がありました。

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西暦927年に書かれた延喜式に載っているので、少なくとも1100年以上前から存在していた神社です。

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その他の謂れはあまり解っていないようですが、雨水や農耕の神様が祀られているようです。

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参拝を終えて山を下り、12時半頃JRの踏切を渡って中庄町に入りました。

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ここにもお寺が2軒あります。昔はこれでお寺の経営が成り立っていたのでしょうか?

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中庄町を抜けて、今度は三寺町に向かいます。

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ここも鄙びた風情ですが、お寺は3軒あります。本当に過密ですね。しかも、真宗高田派の寺院は、各集落に必ずあります。

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石神社の遥拝所がありました。ここを右折です。

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石神社も山の中腹にあるようです。

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遥拝所から7分で入口まで登ってきました。

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石段が一旦谷に下って、また登っています。橋が架かっていないので雨水が心配ですね。

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ここも式内社なので1100年以上昔から存在するわけだが、石神社の名前の謂れは良く解らない。

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社殿の壁に、細かい字で詳しく書かれているのですが、読んでもよく解りませんでした(笑)。

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裏に廻って一寸本殿を写しました。

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13時20分頃下に降りてきました。

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ここから先は、特に見るべきものをマップには書いてありません。淡々と歩くのでしょう。歩道が無い道なのに車の往来が意外に激しく、中ノ川沿いの道に避難したりしながら、20分一寸歩いて県道28号線に出ました。角には田茂池がありました。

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ここからしばらくは意外にも登り坂でした。でも歩道が有ったので助かりました。

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途中には庚申塚が有った位で、ひたすら登りました。

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15分ほど登って14時頃、道はようやく下りになりました。

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14時18分に鈴鹿川を渡りました。

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渡るとすぐ踏切があります。これは亀山から津へ行く紀勢線の踏切。そしてすぐ四日市から亀山の関西線の踏切があります。14時22分です。24分に名古屋行が出るのですが、当然間に合いません。

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コンビニで缶ビールやおつまみを買ったりして、亀山駅到着は14時45分でした。

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亀山駅前は今、再開発の工事中です。完成は令和4年3月頃とか。楽しみですね。

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今日歩いた全体図です。

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2021年1月 7日 (木)

丹生峠

昨年12月に伊勢本街道を歩いていたとき、下のような石碑を見ました。

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丹生大師道と刻まれています。17年前に歩いた時も見ていたのですが、その時はそのままでした。今回は一寸気になったので調べてみました。丹生大師というのは神宮寺のことで、地域では有名なお寺です。和歌山別街道が通っていたりするので私も何回かお参りしています。

その丹生大師へ行く道だなと地形図を見ると、下図のようでした。

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上端の丹生大師道石碑から下端の丹生大師まで道を辿ると、途中の丹生峠を越えて昔は道が有ったようです。現在は丹生峠付近で道は消えているようですが、冬場だし雑草も枯れているし、行けるかもしれないと歩いてみることにしました。正月やコロナで鈍った身体を蘇らせるのに良いかもしれません。

2021年1月5日(火)

朝9時半頃JR多気駅に着き、調べておいた多気町の町営バスに乗りました。相可駅やいろいろ経由して10時18分頃目的の丹生大師道石碑の近くの相場バス停に着きました。

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ここから3~4分で石碑の有る丹生大師道入口です。入口からは良い道があります。

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この日歩いた軌跡です。

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大師道へ入って5分ほどで道は山に入りました。でもまだ下は舗装されています。

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更に5分、道が二股に分れましたが、早速ここで間違えました。正解は右ですが、左の舗装路へ入ってしまいました。幸いGPSで現在位置を調べすぐ気付いて引き返しました。

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5分か6分のロスで右に入ると、すぐ小さな道標石碑があり間違っていないと確信しました。刻まれた文字は一寸読めませんが。

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石標から6~7分歩くと、今度は大きな土砂崩れで道が無くなっていました。諦めて帰ろうかと思ったとき、中電の鉄塔点検路が下に向かっているのに気が付きました。点検路も土砂崩れのため、谷底へ迂回しているようです。その道で下へ降りて谷底を迂回しました。

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土砂崩れを下から見上げています。本来の道は上の方に有ったはずです。迂回した道には階段が作られていました。

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本来の道に復帰しました。少し登って沢も浅くなってきたころ、今度は道が不明瞭になってきました。小さな土砂崩れなどが頻発して、道が消えているようです。でも峠はもうすぐのはずと、道なき道を進みます。

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迂回した地点から15分位、11時一寸過ぎの状況です。

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更に7~8分、GPSで見て、この先が峠かなと思う辺りです・

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角を曲がると峠が見えました。ほっと一息です。

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11時15分、峠に到着です。相場バス停から1時間弱ですね。

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峠には小さな案内がありましたが、字が読めませんでした。

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峠からの降り道は良さそうなのでほっとしました。

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でもそうは問屋が卸しませんでした(笑)。竹林の道は倒木ならぬ倒竹で一杯でした。

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でもまあ、竹林は5分で抜けました。

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峠から15分で東名阪の下を潜りました。

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潜るとまた小さな案内があり、今度は伊勢本街道と書かれていました。

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先ほど峠で見た案内も多分同じ伊勢本街道と書かれているのでしょう。でも昨年12月に歩いた伊勢本街道との関係はどうなるんでしょう。一寸地図を開いてみます。

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この地形から見ると、左の津留橋を渡って(昔は渡し船)きた旅人が、丹生大師にお参りして、再度伊勢街道に戻るときに通った街道だったかもしれませんね。

少し下ると視界が開け、丹生の里が見えてきました。

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丹生下村のバス停辺りに着いたのが11時45分。

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5分ほどで和歌山別街道の案内があります。熊野街道の野中から分かれて和歌山街道に合流する道ですが、JR佐奈駅前を通って、ここ丹生大師へ来ているのです。

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3分で丹生大師すなわち神宮寺の山門です。長らく修理で覆われていましたが、新しくきれいになりました。

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和歌山別街道は、この門前で右折していきます。大きな石標があります。

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神宮寺は隣接する丹生神社の神宮寺で、奈良時代末期開山の名刹です。丹生神社は奈良時代中期以前に遡る、由緒ある神社です。名前の丹生は水銀を意味します。日本全国、丹生の付く地名は多いですが、すべて水銀の産地です。

その丹生神社にまずお参りしました。

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そして神宮寺本堂へ。弘法大師空海を祀っています。丹生大師も空海をさしています。

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参拝の後、本堂の裏山に登ってみました。高台で丹生大師全景が拝めます。

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ここで昼食休憩としました。12時40分頃昼食を終え、さてどうするか考えました。門前から多気駅へ向かう町営バスが13時50分に出ます。まだ1時間以上あります。待っていてもしょうがないのでJRの栃原か佐奈駅へ歩く。

栃原へは5キロ弱、佐奈へは5キロ強です。時刻表では佐奈発14時01分です。前述の和歌山別街道を歩いて佐奈へ行くことにしました。一寸引き返して、例の案内があった道へ入ります。

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先ほど潜ってきた東名阪をまた潜って行く方向です。

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13時頃、東名阪を潜りました。

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この辺りには、良いお寺が3ケ所あります。近長谷寺、金剛座寺、普賢寺です。時間があれば寄りたい所です。

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歩くなら下図の緑の経路が良いでしょう。私も過って歩いたことがあります。

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下の写真は赤線から青線の伊勢別街道を見ています。

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途中で伊勢別街道と合流します。ここからは佐奈駅まで伊勢別街道を歩きます。

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情緒ある街道です。

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佐奈駅の有る平谷の集落へ入ってきました。伊勢別街道と熊野道の分岐の石標です。

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平谷の集落です。

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13時48分、神宮寺から1時間10分弱で佐奈駅に到着しました。

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これ逃がすと次は17時19分。3時間以上無いんです。

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楽しい山旅でした。

 

 

 

今日は急ぐので赤線の最短距離を歩きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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