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2020年10月 4日 (日)

日本武尊は三重で亡くなった

亀山市の歴史博物館で日本武尊の企画展があると知ったので見に行くことにした。何故亀山市で?と思われるかもしれませんが、日本武尊は東征の帰途、伊吹山の荒ぶる神の毒気にあてられ三重の能褒野(亀山市)で亡くなったのです。その陵墓が現在能褒野神社として残っています。

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2020年10月3日(土)

その能褒野神社を見て、亀山まで歩き、歴史博物館の企画展を見ようと、9時頃井田川駅に降り立ちました。駅前には日本武尊の石像があります。

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またこの駅前は旧東海道も通っているので、私も何回か来たことがあります。この日も街道歩きらしいご夫婦が降り立ちました。

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駅前から2キロほどで安楽川に架かる能褒野橋を渡りました。左前方の森に前方後円墳と能褒野神社があります。

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結構、参詣者が多いらしく、駐車場や庭園が整備され、よく管理されています。

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池の北側が能褒野神社入口です。

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神社の本殿の造りからすると外宮系の神社みたいです。この日も何組か、また地元の人らしい姿もありました。

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陵墓は少し離れた場所にあります。

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古事記や日本書記に寄れば、日本武尊の父親である景行天皇が作らせたとか。

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参詣を終えて、亀山城にある歴史博物館へ向かうことにしました。先ほど渡ってきた能褒野橋を再度渡ります。安楽川の向こうに見えるのは鈴鹿山脈で、その向こうは日本武尊の故郷、大和の国です。ここ能褒野に頬むられた日本武尊は白鳥の姿になって飛び去ったという伝説がありますが、この景色が命の心を駆り立てたのでしょう。

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歴史博物館までは6キロ~7キロです。しばらくは見る物とてありません。道端のマンホールカバーには亀山城に残る多門櫓が描かれています。市の花は花しょうぶ、市の木はモミだそうです。

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途中で江戸時代に巡見使が通った巡見道が合流してきますが、特に案内もありません。1時間ほど掛かって11時に東海道に合流しました。

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この角は小公園になっていて、巡見道の案内があります。

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東海道亀山宿は藤堂藩(津)の支城ですが、交通の要衝で東海道46番目の宿場です。街道筋の民家には、それぞれ旧宿場時代の屋号を掲げています。

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東町はメインの商店街ですが、今は一寸寂しい。

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商店街を過ぎると、一寸昔の街道の面影も残る。

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街のサインも多門櫓です。

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11時半に亀山宿三叉路の来ました。亀山城の櫓も見えます。ここで昼食弁当を広げました。右奥が今歩いた東海道です。

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20分ほど休憩して、西町の問屋街に入りました。

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そのまま進むと、東海道野村の一里塚がありますが、今日は街道から離れて城跡の亀山公園にある歴史博物館に向かいます。12時7分に到着しました。

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常設展は有料ですが企画展は無料とか。まあいずれにせよ70歳以上は無料だそうです。

日本武尊は11代景行天皇の息子だそうです。元伊勢巡幸の倭姫は叔母さんにあたりますね。

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16歳で九州の熊襲征伐を行い、その際、熊襲の頭領から日本武尊の名を貰い、その後関東の蝦夷を征伐にでました。

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出発に際し、叔母の倭姫を伊勢に訪ね、草薙の剣を授かります。その後三浦半島から房総半島へ海路渡る際、荒海を鎮めるため妻のオトタチバナヒメが海に身を投げ、海を鎮めます。

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蝦夷を征服した日本武尊は、帰路、伊吹山の荒ぶる神を退治しようとしますが、逆に毒気に当てられ、能褒野で病死します。景行天皇はその死を悲しみ、能褒野に陵墓を建てます。能褒野の場所は一時不明でしたが、明治に入り宮内庁が現在の前方後円墳を能褒野と認定しました。

その他の資料が展示されていました。

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日本武尊は能褒野に頬むられたのですが、望郷の念断ちがたく、魂が白鳥の姿となって大和へ飛び去りました。その白鳥が降り立ったのが、古市と琴弾原だそうで、そこにも陵墓が築かれておます。

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まあいろいろ神話が残るわけですが、三重県という名前は、この神話からきているので、無視はできません。杖衝坂なども残っています。

なかなか勉強になった1日でした。

 

 

 

 

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