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2020年5月10日 (日)

明治天皇 焼田港御着船所

先日、木曽川対岸の愛西市から弥冨市を歩いていたら、表記の石碑を見つけました。

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要するに、明治元年9月に、明治天皇は初めて京都を出て、江戸へ行幸された。その際、東海道を桑名まで進み、尾張藩が準備した白鳥丸で水路佐屋の港へ向かった。一般に東海道は桑名から七里の渡しで熱田の宮へ渡ると言われているが、海は荒れるし危険なので、三里の渡しで佐屋へ向かう道も広く用いられていたようです。

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佐屋へは佐屋川を遡りますが、佐屋川は年々土砂が堆積し、この時も白鳥丸の船底がつかえ遡れなかったらしい。急遽4000人の人夫が集められ川底を浚った。しかし佐屋までは行けず、途中の焼田港で下船されたという。その記念碑でした。

自宅付近でも、こんな石碑は初めての発見で、自宅謹慎下のウオーキングも良いものですね。それでは、その日行程を書いてみます。

2020年5月8日(金)

9時45分頃、東名阪道近くの我家を出て、木曽川を上流に向けて歩き始めました。

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輪中ドームへは30分ほどです。輪中とは水防の堤防に囲まれた集落を言います。後方は多度山と養老山脈です。

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ここを過ぎるとすぐ愛知県に入ります。県を跨いだ外出は自粛ですが、徒歩圏内なら良いでしょう(笑)。写真の道は県境で、右は愛知県で左は三重県です。

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すぐに船頭平閘門です。閘門というのは、まあ小さな運河です。水位の違う木曽川と長良川を行き来する水門です。明治35年に完成した当時は、年間2万隻の通行が有ったそうですが、現在は200隻とか。それもレジャーボートで、係員2人の常駐は勿体ないですね。

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この辺りから先は愛知県愛西市です。昔は立田村の福原輪中でした。S59年に木曽川に立田大橋ができるまでは、愛知県側へは渡し船しか無く、子供たちは三重県側の学校に通っていました。

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逆の長良川には長良川大橋が架けられました。橋を渡ると岐阜県で、木曽三川公園センターがあります。その先はまた三重県で、多度山も三重県です。でも今は駐車場が閉鎖され、多度山へも登れなくなりました。

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1キロほどの立田大橋を渡って左岸の堤防に入ります。河川敷はグランドゴルフの公園になっていますが、今は閉鎖中です。

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昼近くになったので、公園の四阿で昼食休憩です。缶ビール持って来なかったなあ。

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12時前に出発しました。堤防道路は見晴らしが良く気持ちは良いですが、やはり生活感や歴史を感じられないので、堤防を降りて集落に入りました。12時半頃、排水機場のある池を越えると、お寺と神社が向かい合っていました。その神社側に「いかだ中継ぎ場跡」の碑がありました。

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木曽川を下ってきた筏を、ここで組み替えて、筏師も交代して、名古屋の白鳥貯木場や桑名・四日市などへ送られたそうです。更に20分ほど歩いて、弥冨市五ノ三付近へ来ると大きな石碑がありました。

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表題の明治天皇焼田港御着船所跡です。佐屋川は木曽川上流の馬飼大橋付近で分流され、佐屋やここ焼田を通って尾張大橋の上流付近で再度木曽川に合流していました。でも土砂の堆積で年々川底が上がり、現在は閉鎖されています。

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当時の佐屋の渡し場には三里渡し跡の石碑があります。先ほど渡った立田大橋の東2キロほどの所です。

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またその付近には代官所跡や船着場への道標があり、ここが佐屋街道の起点になっていました。

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さて、ここから2キロ程歩くと国道1号線にでます。木曽川に並行して水路がありますが、佐屋川の名残なのかな?

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この水路の1号線より一寸下に「ふたつやの渡址」の石碑があります。

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熱田から佐屋へ行き三里の渡で桑名へ行く東海道は、明治5年に廃止され、代って熱田から弥冨へ来る現在の国道コースに改められました。前ヶ須街道と呼ばれたとか。そしてここ「ふたつや」から渡し船で長島へ渡ることになったそうです。

そして1933年(昭和8年)尾張大橋が完成するまで利用されたそうです。

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尾張大橋を長島側に渡った所に東海道の石碑があります。明治25年4月1日の建立のようです。

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東海道としては、まだ長島から桑名の長良川や揖斐川の渡が残っていました。尾張大橋完成の翌年、昭和9年に伊勢大橋が完成し、ようやく陸路で尾張の国と伊勢の国が結ばれたのでした。

今日のウオーキングは17キロほど。楽しい1日でした。

なお、佐屋~熱田の佐屋街道に興味のある方は、ホームページをご覧ください。

 

 

 

 

 

 

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