木曽・長良ポタリング
2020年5月1日(金)
今日はポタリングです。3密を避けて運動するのは自転車が最適のようです。
我家から立田大橋西詰まで6キロほど、そこで長良川大橋を渡ると岐阜県海津市で、木曽三川公園センターがあります。
そこを右折して長良川沿いに北上します。この辺りは南濃と言うのでしょうか、ずーっと何十キロも平坦で、サイクリングには最高です。
途中、変な畑がありましたが、イチジクの栽培のようですね。地上30センチですか。
この地域の農家も何回か水害に遇っているのでしょう、母屋も水屋も石垣の上です。
長良川大橋から50分、11時15分頃に東海大橋からの道を横断しました。
海津町大和田という辺りです。すぐに東大江川という小さな川に出るので、今度は川沿いを北上します。
もうそろそろ、お千代保稲荷さんのはずだなと思いながら、集落にはいっていくと、小さなお寺と宝篋印塔がありました。
蛇池宝篋印塔で岐阜県重要文化財だそうです。宝篋印塔というのは五輪塔と同じく先祖などの供養塔です。五輪塔は50年位前の人を供養するのに対し宝篋印塔はもっと前の人の供養だと聞いたことがあります。
この蛇池宝篋印塔は鎌倉時代の作で、西濃地区最古のものだそうです。
すぐ近くがお千代保稲荷さんでした。今日は参詣するつもりはありませんが、この緊急事態宣言下で、どの程度参詣客があるのかと、野次馬根性で参詣道を見に行きました。
さすがに普段の休日に比べたら大幅に減っていますが、今日を平日と考えたら半分くらいでしょうか。もともと観光客は少なく、近隣の商売人や信仰する人の神社なので、ゼロにはならないと思っていましたが、思ったより多いですね。11時40分頃です。
南濃大橋の手前に、時々入るレストランがありますが、そこは休業中でした。南濃大橋を渡って右折、堤防道路を南下します。
堤防には真っ赤な花が群落していましたが名前は不明です。
堤防道路を15分位走ると左から木曽川が迫ってきます。江戸時代までは、この辺りで長良川は木曽川に合流して飲み込まれていたようです。そのためここから下流域は毎年洪水の被害で悩まされていました。江戸幕府も薩摩藩に治水工事を命じたりしていましたが解決せず、結局、明治に入ってオランダの技師デレーケの指揮で、三川分流を行って初めて解決しました。その碑がここにあります。
その工事の成果、中堤がここから10キロに渡って、木曽川と長良川を隔てています。1キロ程下った所で昼食弁当です。ビールはありません(笑)。12時半です。
10分ほどで昼食休憩を終えて、中堤を下ります。ここは一般車両通行禁止なので、自転車天国です。東海大橋の下を潜ります。
ここは橋には入れません。日頃はグライダーの発着場も今日は無人です。
この中堤もデレーケの設計で水流を緩和する障害物で守られています。木曽川。
行きに渡った長良川大橋が近づいてきました。
養老山脈が川面に映っています。
堤防には紫の花も群落していますが、やっぱり名前は不明です。
今日のポタリングは46キロ、4時間半でした。楽しいです。
« 熊野詣で その2 | トップページ | 明治天皇 焼田港御着船所 »
「自転車」カテゴリの記事
- 立田・祖父江ポタリング(2020.05.16)
- 木曽・長良ポタリング(2020.05.02)
- お千代保稲荷へポタリング(2019.10.21)
- お千代保稲荷ポタリング(2018.04.12)
コメント