2019年2月22日(金)
今日は津市街地の8ヶ寺を廻ります。市街地に集中しているので効率は良いです。
先月7回目が伊勢別街道で江戸橋まで歩いてきたので、今日はその続きで、江戸橋から伊勢街道を歩こうと、津の一つ手前、江戸橋駅で降りました。10時過ぎです。
津の城下町から江戸へ向かう人はこの橋を渡ったので江戸橋でしょうね。京へ向かう人は橋を渡らず伊勢別街道で関宿へ向かった。現在江戸橋は工事中で通行止めです。
南へ伊勢街道を少し歩くと、変わった造りの民家がありました。一般の方がお住まいのようですが。
この街道も2~3回は歩いているはずですが、毎回新しく発見がありますねえ。それだけ視野が狭いのですか(笑)。そして味噌醤油の醸造元「阿部喜」商店。この建物は文化財に指定されています。
10分ほど歩くと道が広くなりました。実は昔、3年ほど津へ通ったことがあり、この辺りは詳しいのですが、すっかり様変わりしていました。
伊勢街道の案内がありました。
津駅前を過ぎて、すぐ64番蓮光院があります。ここは後で行く四天王寺と関係が深いそうです。
大日如来と釈迦如来の像が重要文化財です。
御朱印を押してくれたお坊さんが、3月には文化財の公開をするので、また来てくださいと言っていました。
65番密蔵院は踏切を渡って津駅の近鉄側へ行きます。7分で到着しました。10時48分でした。
ここは江戸時代初期に藤堂家の庇護のもとに建立されたお寺だそうです。
庭に変わった花が咲いていたので、訊くと、「ミツマタ」だそうです。枝が三又に分れていくのが特徴ですね。繊維で和紙をつくりますね。
久しぶりに吉野家の牛丼が食べたかったので、一寸早いけど、津駅の店を探して入りました。
食べ終わって伊勢街道に復帰し、一寸歩いていると一本西側の道路沿いに四天王寺がありました。
ここは現在曹洞宗のお寺であり、三重四国のお寺ではありませんが、津でも有名なお寺でありお参りしました。
四天王寺は大阪が有名ですが、聖徳太子が物部氏との戦いの勝利を祈願して四天王像を彫り、勝利の暁には、この四天王を安置する寺を建てると誓ったそうです。
そして勝利して建立したのが大阪の四天王寺であり、津の四天王寺もその一つとされています。
大阪の四天王寺は現在、宗派にこだわらない和宗総本山になっています。
参拝を終え、伊勢街道を更に南に進みます。安濃川に架かる塔世橋を渡ったのが11時43分。
国道を東側に渡ると、可笑しな看板がありました。カフェらしいですが。字が逆ですね。
海の方へ一寸歩いて、69番地蔵院へ来ました。12時頃です。
ここは子安地蔵尊で信仰を集めているようですが、絵画が重文だそうです。
私的には庭の石仏がひどく気に入りました。石棺地蔵尊だそうです。
すぐ近くに68番護願寺があります。
昭和35年に91歳で亡くなられた青山さ免法尼と言う方が有名だったそうです。
次は有名な津観音、67番観音寺です。12時40分に到着しました。
ここは参詣客も多く、納経所に担当者が配置されています。大師堂へもお参りするよう勧められました。
門前の参道は丁度伊勢街道になっています。下の写真の石標には「左〇〇」と天照大神の別名が彫られていて、このお寺に天照大神も祀られていたそうです。名前忘れました。
伊勢街道を逆に辿って国道に出ました。有名な松阪牛の朝日屋があります。
その横を入ると66番福満寺です。
ここはペットの供養を引き受けているようでした。
これで津市街の伊勢街道沿いのお寺は終わりました。これからは伊賀街道沿いの札所2ヶ寺を参詣します。13時20分頃です。
安濃川沿いに県道42号線を西へ進むと國魂神社という由緒ありそうな神社があったので一寸お参りしました。
13時50分頃、安濃川を渡りました。
どこで左折しようかと思いながら歩いていると案内がありました。
14時に70番神宮寺に到着しました。
ここは本日初めて自分で御朱印を押しました。
お寺を出て南に下り、再度安濃川を納所橋で渡ると伊賀街道にぶつかります。
左折して津新町駅方向に向かいます。
一寸街道の雰囲気残る伊賀街道を歩いていると、国学者谷川士青の旧宅というのがありました。寡聞にして詳しくは知りませんが、江戸中期の学者で国語辞典などを著したそうです。
そこから6~7分で番外5番の慈眼院です。今日の最後です。
ここも本堂に入って御朱印を自分で捺してくれということでした。
不動明王でしょうか。
これで無事8カ所の札所を廻りました。
この日の夜は、名古屋で飲み会があったので、津新町から直行しました。
すっかり酔っ払ってしまいました。
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