三重四国の5回目です。今日は下図、20番からスタートして順に13番まで鈴鹿市の8ヶ寺を廻るつもりで出かけました。ところが一寸失敗しました。
2019年1月3日(木)歩き初めです。
7時半頃のJRに乗り、四日市から伊勢鉄道に乗り換えました。

その車中、最初に行く20番妙福寺をグーグルマップに入れたつもりが、21番府南寺をセットしていました。初めて乗った伊勢鉄道の車両はなかなか良いです。

鈴鹿サーキット稲生駅で降りて、サーキット道路に入りました。

鈴鹿サーキットは行ったことが無いので、覗いて見たかったのです。

中勢バイパスの上を通り、駅から30分ほどでサーキットを通り過ぎました。8時50分頃。

本多技研の手前で左折し、県道41号線に入ったのは9時10分頃でしょうか。
府南寺到着は9時半過ぎでした。門前にアイナシという日本で2本しか見つかっていないという珍しい樹があります。桑名の多度峡にイヌナシの自生地がありますが、その交配種だとか。

府南寺は聖徳太子の創建と伝わる名刹です。

入って行くとパトカーが来ていて、何か作業していました。住職に訊くと、賽銭泥棒が入ったとか。このご時世、檀家寺でない信仰寺の財政は皆苦しいのに、泥棒は何故こんな寺に入るのかと、嘆いておられました。

いろいろお話したりして30分近く滞在し、10時近くに寺を出て、次の目的地をマップに入力しようとして間違いに気づきました。今から20番へ廻るのではどうもうまくありません。
急遽予定を変更して、亀山方面の26.27.28と番外2を廻ることにしました。

気を取り直して26番石上寺(せきじょうじ)へ向かいます。

鈴国橋を渡ったのが10時半頃です。

国道1号線を陸橋で渡ると、そこは何回か歩いた旧東海道でした。

旧東海道を5分歩くと、丘の上にあるのが石上寺です。見覚えもあります。10時45分。

ここは8世紀の末に創建されていますが、信長の伊勢攻めでやはり被害を受けています。
多くの貴重な古文書を持つことで有名だそうです。

住職と話していると、午後から行く予定の番外2番国分寺の住職が、昨年11月に亡くなられ、今は無住で次の住職待ちだそうです。御朱印はここ石上寺で預かっていると。ここで御朱印を頂きました。

11時に出て、3分歩くと、旧東海道和田の一里塚跡です。

この裏の東屋で休憩したこともあるなと思いだしました。
10分ほど歩くと有名な亀山ローソクの工場があります。

すぐに日本武尊ゆかりの能褒野神社への道が分かれます。

亀山宿の面影を伝えています。

先月歩いた巡見街道との分岐が 11時20分。
途中で東海道から分かれて右折し、27番弘法院に着いたのは11時35分でした。

本堂に上がって参拝し、御朱印を貰おうと思ったのですが、無人で御朱印も見当たりませんでした。正月3ヶ日は駄目らしいです。

仕方なく亀山駅に向かいました。国分寺みたいに行かなくても貰える寺もあるし、行っても貰えない寺も有るんですね。次の地蔵院は関駅の近所にあります。
名古屋から亀山まではJR東海、亀山からはJR西日本です。連絡が悪くて困るんですが、亀山からは1時間に1本です。12時13分の列車で関に向かいました。
関駅に着くと思いがけず雨が降っていました。後ほど行こうと思う国分寺のある明星ヶ岳549mは雪かもしれません。

時刻も12時20分、駅近くの道の駅の食堂へ行ってみたのですが、混んでいたので売店でお握りを買って済ませました。

関駅付近はこんな感じです。

関宿は東海道47番目の宿場で、京・大坂から下ってきた旅人は、ここで東海道と別れて伊勢別街道に入り、伊勢神宮を目指すことができました。
28番地蔵院はその東海道沿いにあります。道の駅からすぐ右折して地蔵院に向かいます。12時40分頃です。

地蔵院は「関の地蔵さん」として親しまれ、信仰も厚かったそうです。30年ほど前、女性の庵主さんが本堂再建に尽力され有名になりましたが、今日訊くと13年前に亡くなられたとか。

御朱印を頂いたのも女性の方でしたが、庵主さんかどうかは解りません。

13時05分頃、地蔵さんを出て、関宿の古い街並みに入りました。電線も地中化され江戸時代にタイムスリップします。

雨は小降りですが、山はまだ雨のようです。

目指す国分寺はここから1時間ほどで、明星ヶ岳の中腹、標高300m辺りにあるようです。勿論明星ヶ岳は登っていますが、20年位前の話で、国分寺もルートも覚えていません。

途中からの山道の状況も解らないし、今日は急遽予定変更で下調べが充分でない。
正月早々、雨の中の登山でもあるまいと、今日は途中で引き返すことにしました。
また、そのうち、弘法院も兼ねて再訪することにしました。
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