2019年1月10日(木)
前回行き損ねた13番から20番の8ヶ寺を廻ってきました。

伊勢若松で鈴鹿線に乗り換え、鈴鹿市駅を出たのは8時半頃でした。

鈴鹿市は本多技研を始め、結構多くの企業が立地していて、人口も確か四日市に次いで2番目のはずです。でも私は近鉄鈴鹿線も初めて乗りました。
でも地図で解るように、ここは参宮道、旧伊勢街道が通っています。なのでこの付近は2回ほど歩いてはいます。
駅から線路沿いに歩いて百々川橋で左折、13番林光寺までは10分ほどです。

8世紀行基の開山と伝わる名刹です。ご本尊は千手観音ですが、1300年頃建てられた焔魔堂も有名です。

でも今日は無住のようで、御朱印はご自由にというようでした。

8時50分頃寺を出て南下、神戸六丁目を左折します。神戸中央通りだったか、きれいな大通りにでました。

電線も地中化され良い雰囲気です。鈴鹿市はお寺が多いですね。
16世紀に織田信長の3男信孝が城下町として整備し、伊勢街道も城下町を通るよう変更したのだそうです。

大通りを右折して、14番慎福寺に着いたのは9時一寸過ぎです。

太師堂の前で般若心経を詠んでいると、若奥さんが犬の散歩から帰ってこられました。

本堂を開けて頂き、御朱印を頂きました。親子4代でお寺を留守にしないよう守っていると仰っていました。副住職さんは奈良の長谷寺へ毎日通っておられるとか。

毎月21日の弘法さんには地域の人も集まるとか、地域に溶け込んだ珍しい真言宗のお寺ですね。

9時20分頃出て、少し歩くと、伊勢街道と合流しました。大きな常夜灯があり、昔歩いたことを思い出しました。

前回乗った伊勢鉄道の下を潜り、少しして伊勢街道と別れました。伊勢街道はここから白子方面に向かい、15番福善寺は伊勢若松方面です。
9時45分頃、国道23号線と近鉄鈴鹿線の下を潜りました。

土師町に入り、西土師神社とか土師神社があります。はぜ町と読みますが、昔の豪族土師氏(はじし)は、古墳の造営などを司った氏族だったようです。

9時5分頃福善寺に到着しました。

やはり8世紀、行基の開山で、神戸城主や土師神社とも深い関係にある名刹のようです。

しかしやはり、織田信長の伊勢攻めで大きな被害を受けたようです。御朱印はご自由にというスタイルでした。

10時半頃、伊勢若松の駅に着きました。駅前の銅像は、江戸時代ロシアに漂流して10年後に帰ってきた、大黒屋光太夫です。

今日は何所かで事故があり、近鉄のダイヤは大幅に乱れていますが、それがかえって幸いして、16番神宮寺のある鼓ヶ浦駅には10時40分に到着しました。

観音寺はすぐ近くです。
ここ観音寺は子安観音として有名で多くの参詣者があるようです。

また、参宮道も通っているので、私も過去に2回ほど来たことがあります。

なのでここは納経所も常時開いており、専門の従業員の方が居られるので、御朱印を貰い損ねる心配はありません。
10時53分頃出発して、観音寺の脇の道を右折、近鉄を渡り、まっすぐ北西に、17番福楽寺のある稲生を目指します。

すぐに国道23号線を横断しますが、この辺りは伊勢型紙の産地です。型紙は本来、友禅や小紋など着物の染付に使われる訳ですが、近来、着物を着る人が減っているので需要も減るでしょうね。でもその美しさと技術が好まれて、他の様々な分野の商品に使われているそうです。カレンダーとか建物の内装とか。

左手前方、西の方に見えるのは、経が峰や錫杖岳でしょうか。

20分ほどで地名は寺家から稲生に変わりました。加和良神社という由緒ありそうな神社の前を通りました。

この辺りは古い街道の面影があります。

11時15分頃、福楽寺に着きました。

早速目についたのは「家康の落馬地蔵」です。

家康が伊賀越えで三河へ逃げ帰る途中、ここ稲生で落馬して、村の青年に助けられ云々という言い伝えがあるようです。

ここも御朱印はご自由にのスタイルです。

外に出ると、家康うどんまでありました。そろそろ空腹なので、有れば食べたかったのですが、やっていないようでした。

18番神宮寺までは20分ほどで、11時45分に着きました。この辺りには白子から鈴鹿市のコミュニティバスがあるようです。

ここは住職さんの奥さんが居られて、本堂を開けて頂きました。ご本尊の薬師如来の他にも持国天などの重要文化財の仏像があります。

またここは、神宮寺の名前の通り、後で出てくる伊奈冨神社の別当寺だったそうです。
別当寺とはその地域の神社や寺院を統轄する大きな権力を持った寺のことらしい。
近くに19番慈恩寺があります。

ここは境内に天神さんが祀られていました。

本堂が開いて居たので、勝手に上がらせてもらいました。

12時5分に寺を出て、5分弱歩くと伊奈冨神社がありました。

この神社は崇神天皇(第10代天皇、紀元前90年頃)に遡り、この地域一帯に広大な領地をもった神社だったらしい。
参拝して、境内で一寸昼食休憩をとらさせてもらった。

12時40分頃神社を出ました。今日はここまで全く順調で、道迷いなく、交通機関の待ち時間もありません。午前中に7つの寺院を参拝で来たのですから、奇跡的です。
が、最後の20番妙福寺は一寸離れています。

妙福寺へは田圃の中の道を5キロほど歩きます。30分ほど歩くと中川の堤防に出ました。
川沿いに歩くと、前方は中勢バイパスの工事中でした。

伊奈冨神社から1時間ほどで得居橋を渡りました。

13時50分、妙福寺に到着しました。

奈良時代後期、行基の開山ですが、後に弘法大師が開眼供養され真言宗となったそうです。大師堂があります。

本堂に祀られる仏像三体は重要文化財だそうです。

しかしここも例外でなく、織田信長の伊勢攻めの災禍で多くの堂塔を失ったそうです。
御朱印もご自由にでした。

このお寺の庭は、大きくありませんが、苔に囲まれて素晴らしく、手入れがされればきっと、名庭園だろうなと思わせました。

前回までは、ここは伊勢鉄道の駅から1時間以上歩くと思っていましたが、調べるとコミュニティバスが有ることが解りました。

白子駅まで30分ほどでした。

白子駅も余り降りた記憶が無いのですが、駅前のモニュメントはF-1 レースの歴代勝者の手形でした。

お疲れ様でした。これで北勢はようやく終わったので、これからは津とか伊賀に入ります。
三重県に住んでいても、知らないことが多いのを思い知らされています。
今後が楽しみです。
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