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2019年1月22日 (火)

厳しかった明星ヶ岳

2019年1月21日(月)
今日はJR関西線、関駅の近くにある明星ヶ岳560mに登ってきた。
地図を見てください。東海道関宿の近くにある観音山、羽黒山、筆捨山は10年以上前に登ったことがあった。でも明星ヶ岳は登っていなかったような。
Myoujou2今回登ろうと思ったのは、その中腹にある国分寺へ行きたかったこともあった。
三重四国八十八ヶ所の札所の一つですが、現在無住です。御朱印は亀山の石上寺で貰ってはいるのですが、やはり現地に行くべきだろうと思ったのでした。
JR亀山駅からバスで白木口に着いたのが9時16分、支度して9時20分には出発しました。
Dscn7931白木口の二股を左にとり、白木の集落に入って行きます。県道11号線らしい。
Myoujou1 県道から左折する辺りで地元の人に国分寺への道を尋ねました。
住職さんが昨年亡くなって、今は誰も居ない。我々寺の世話役も月に一度位しか行けないと言いながら道を教えて頂きました。
写真の中央の鉄塔辺りが国分寺、その奥に聳えるのが明星ヶ岳です。山には雪が有るかもと。
Dscn7933 白木一色地区の貯水槽だそうです。
Dscn8016白木口のバス停から20分位で国分寺の駐車場があります。9時42分でした。
Dscn7935 そこから3分ほどで道は二つに分かれます。右は国分寺へ、左は明星ヶ岳への登山道です。私は国分寺に向かいます。
Dscn7938 国分寺への道は舗装されていますが急勾配です。
Dscn7941 分岐から15分の登りで鉄塔があります。
Dscn7944 そこから平坦な道を2分で国分寺です。
Dscn7946 国分寺は天平時代行基の開山で、平安時代に空海に寄り中興された名刹です。
本尊は虚空蔵菩薩です。
Dscn7953 一応般若心経を唱えてお祈りし、10時11分に明星ヶ岳へ出発しました。
Dscn7960 道は急坂です。
Dscn7961 15分ほど登ると393mの国分山に着きました。 国分寺は310m位ですね。
Dscn7962 そこから一寸下ってまた登りますが、ともかく急登に次ぐ急登です。このルートは年寄の来る道ではありませんね。
Dscn7965 最近では一寸無理な使い方をすると筋肉が痙攣を起こします。こんな所でふくらはぎでも痙攣されると困るので、休み休み登りました。
Dscn7966ようやく傾斜が緩くなったのは、標高も500mを過ぎてからです。 11時10分頃雪が出てきました。
Dscn7970  これが下から見えたポールですね。
Dscn7972 11時18分に明星ヶ岳頂上549mに到着しました。コースタイムでは60分ですが、休み休みで一寸遅れていますね。
Dscn7977ここは東峰で、眺望は良くなく、ここから20分の西峯が眺望が良いそうです。
あの峰でしょうか。
Dscn79785分で下で分れた登山道と合流しました。
Dscn7980 そこから10分で西峯560mに到着しました。
Dscn7981
北は鈴鹿山脈の野登山でしょう。左の雲に隠れているのが仙ヶ岳のはずです。
Dscn7988 西は三つ子山や高畑山のはずですが見えません。
Dscn7982寒いので早々に退散しました。11時36分です。
Dscn7990 11時44分に分岐を通過、今度は登山道を下ります。この道は傾斜も緩やかで上手に道がつけられています。
Dscn7992 分岐から6分で尾根を外れて沢筋に入ります。雪で道が見にくいので慎重に。
Dscn7993 道は荒れていて、道なのか単に沢なのか解りませんが、地形を信じて下ります。
Dscn7995
倒木が非常に多く、行く手を遮ります。
Dscn7999 沢筋に入って20分、12時10分頃に、こんな案内があり、間違っていないと確信できました。
Dscn8000今下ってきた道が「ゆったりコース」と書かれています。
更に10分下ると橋がありました。
Dscn8004 渡って見ましたが違うようです。国分寺へ行く道のようでした。
元の道に戻って、こんな道を降ります。
Dscn8006 そのまま下って12時27分に、最初の分岐に出てきました。
西峯山頂から50分位ですね。
Dscn8009 3分で駐車場に到着し、そこで昼食にしました。
Dscn8011 15分ほどで昼食を終えて白木口のバス停に向かいます。
実は一寸誤算があって、13時台に亀山行のバスがあると思っていたのですが、土曜ダイヤと間違っていました。
13時過ぎにバス停に着いたのですがバスは15時台まで有りませんでした。
仕方なく関駅まで30分ほど歩くことにしました。
途中の鈴鹿川の辺りから明星ヶ岳を振り返ります。左の岩の多い山は羽黒山です。遠くの山は三つ子山かも。
Dscn8021旧東海道の関宿を通過。
Dscn8024 13時42分頃関駅に到着しました。
Dscn8027亀山駅で、もう1軒用事があります。前回1月3日に来たとき、御朱印が貰えなかった弘法院へ行って御朱印を貰うことです。
亀山駅付近は旧東海道が通っています。

Kameyama
まず旧東海道に出ます。
Dscn8033 街道の風情が残ります。
Dscn8046弘法院は東海道のすぐ近くです。
Dscn8042無事に御朱印を貰って、一寸亀山城址の見学に行きました。
この多門櫓が唯一の建物のようです。
Dscn8069後は亀山神社。
Dscn8061そして公園に何故か蒸気機関車が
Dscn8065お疲れ様でした。
 

2019年1月12日 (土)

三重四国6回目鈴鹿市

2019年1月10日(木)
前回行き損ねた13番から20番の8ヶ寺を廻ってきました。
Miesikokuisewakamatujpg1 伊勢若松で鈴鹿線に乗り換え、鈴鹿市駅を出たのは8時半頃でした。
Dscn7667鈴鹿市は本多技研を始め、結構多くの企業が立地していて、人口も確か四日市に次いで2番目のはずです。でも私は近鉄鈴鹿線も初めて乗りました。
でも地図で解るように、ここは参宮道、旧伊勢街道が通っています。なのでこの付近は2回ほど歩いてはいます。
駅から線路沿いに歩いて百々川橋で左折、13番林光寺までは10分ほどです。
Dscn7669 8世紀行基の開山と伝わる名刹です。ご本尊は千手観音ですが、1300年頃建てられた焔魔堂も有名です。
Dscn7671でも今日は無住のようで、御朱印はご自由にというようでした。
Dscn7673 8時50分頃寺を出て南下、神戸六丁目を左折します。神戸中央通りだったか、きれいな大通りにでました。
Dscn7675電線も地中化され良い雰囲気です。鈴鹿市はお寺が多いですね。
16世紀に織田信長の3男信孝が城下町として整備し、伊勢街道も城下町を通るよう変更したのだそうです。
Dscn7676 大通りを右折して、14番慎福寺に着いたのは9時一寸過ぎです。
Dscn7682太師堂の前で般若心経を詠んでいると、若奥さんが犬の散歩から帰ってこられました。
Dscn7684本堂を開けて頂き、御朱印を頂きました。親子4代でお寺を留守にしないよう守っていると仰っていました。副住職さんは奈良の長谷寺へ毎日通っておられるとか。
Dscn7685 毎月21日の弘法さんには地域の人も集まるとか、地域に溶け込んだ珍しい真言宗のお寺ですね。
Dscn7686 9時20分頃出て、少し歩くと、伊勢街道と合流しました。大きな常夜灯があり、昔歩いたことを思い出しました。
Dscn7689 前回乗った伊勢鉄道の下を潜り、少しして伊勢街道と別れました。伊勢街道はここから白子方面に向かい、15番福善寺は伊勢若松方面です。
9時45分頃、国道23号線と近鉄鈴鹿線の下を潜りました。
Dscn7693_2土師町に入り、西土師神社とか土師神社があります。はぜ町と読みますが、昔の豪族土師氏(はじし)は、古墳の造営などを司った氏族だったようです。
Dscn7697_39時5分頃福善寺に到着しました。
Dscn7698やはり8世紀、行基の開山で、神戸城主や土師神社とも深い関係にある名刹のようです。
Dscn7699しかしやはり、織田信長の伊勢攻めで大きな被害を受けたようです。御朱印はご自由にというスタイルでした。
Dscn7702 10時半頃、伊勢若松の駅に着きました。駅前の銅像は、江戸時代ロシアに漂流して10年後に帰ってきた、大黒屋光太夫です。
Dscn7706今日は何所かで事故があり、近鉄のダイヤは大幅に乱れていますが、それがかえって幸いして、16番神宮寺のある鼓ヶ浦駅には10時40分に到着しました。
Dscn7707観音寺はすぐ近くです。
Miesikokusirokojpg1
ここ観音寺は子安観音として有名で多くの参詣者があるようです。
Dscn7709また、参宮道も通っているので、私も過去に2回ほど来たことがあります。
Dscn7714なのでここは納経所も常時開いており、専門の従業員の方が居られるので、御朱印を貰い損ねる心配はありません。
10時53分頃出発して、観音寺の脇の道を右折、近鉄を渡り、まっすぐ北西に、17番福楽寺のある稲生を目指します。
Dscn7715すぐに国道23号線を横断しますが、この辺りは伊勢型紙の産地です。型紙は本来、友禅や小紋など着物の染付に使われる訳ですが、近来、着物を着る人が減っているので需要も減るでしょうね。でもその美しさと技術が好まれて、他の様々な分野の商品に使われているそうです。カレンダーとか建物の内装とか。
Dscn7782 左手前方、西の方に見えるのは、経が峰や錫杖岳でしょうか。
Dscn7718 20分ほどで地名は寺家から稲生に変わりました。加和良神社という由緒ありそうな神社の前を通りました。
Dscn7720 この辺りは古い街道の面影があります。
Dscn7721 11時15分頃、福楽寺に着きました。
Dscn7723早速目についたのは「家康の落馬地蔵」です。
Dscn7724家康が伊賀越えで三河へ逃げ帰る途中、ここ稲生で落馬して、村の青年に助けられ云々という言い伝えがあるようです。
Dscn7726ここも御朱印はご自由にのスタイルです。
Dscn7728 外に出ると、家康うどんまでありました。そろそろ空腹なので、有れば食べたかったのですが、やっていないようでした。
Dscn7729 18番神宮寺までは20分ほどで、11時45分に着きました。この辺りには白子から鈴鹿市のコミュニティバスがあるようです。
Dscn7735 ここは住職さんの奥さんが居られて、本堂を開けて頂きました。ご本尊の薬師如来の他にも持国天などの重要文化財の仏像があります。
Dscn7738またここは、神宮寺の名前の通り、後で出てくる伊奈冨神社の別当寺だったそうです。
別当寺とはその地域の神社や寺院を統轄する大きな権力を持った寺のことらしい。
近くに19番慈恩寺があります。
Dscn7744 ここは境内に天神さんが祀られていました。
Dscn7741本堂が開いて居たので、勝手に上がらせてもらいました。
Dscn7742 12時5分に寺を出て、5分弱歩くと伊奈冨神社がありました。    
Dscn7749 この神社は崇神天皇(第10代天皇、紀元前90年頃)に遡り、この地域一帯に広大な領地をもった神社だったらしい。
参拝して、境内で一寸昼食休憩をとらさせてもらった。
Dscn7754 12時40分頃神社を出ました。今日はここまで全く順調で、道迷いなく、交通機関の待ち時間もありません。午前中に7つの寺院を参拝で来たのですから、奇跡的です。
が、最後の20番妙福寺は一寸離れています。
Miesikokusirokojpg1 妙福寺へは田圃の中の道を5キロほど歩きます。30分ほど歩くと中川の堤防に出ました。
川沿いに歩くと、前方は中勢バイパスの工事中でした。
Dscn7760 伊奈冨神社から1時間ほどで得居橋を渡りました。
Dscn7765 13時50分、妙福寺に到着しました。
Dscn7771奈良時代後期、行基の開山ですが、後に弘法大師が開眼供養され真言宗となったそうです。大師堂があります。
Dscn7773本堂に祀られる仏像三体は重要文化財だそうです。
Dscn7769しかしここも例外でなく、織田信長の伊勢攻めの災禍で多くの堂塔を失ったそうです。
御朱印もご自由にでした。
Dscn7776このお寺の庭は、大きくありませんが、苔に囲まれて素晴らしく、手入れがされればきっと、名庭園だろうなと思わせました。
Dscn7780 Dscn7774前回までは、ここは伊勢鉄道の駅から1時間以上歩くと思っていましたが、調べるとコミュニティバスが有ることが解りました。
Dscn7767 白子駅まで30分ほどでした。
Dscn7783白子駅も余り降りた記憶が無いのですが、駅前のモニュメントはF-1 レースの歴代勝者の手形でした。
Dscn7784お疲れ様でした。これで北勢はようやく終わったので、これからは津とか伊賀に入ります。
三重県に住んでいても、知らないことが多いのを思い知らされています。
今後が楽しみです。
































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































2019年1月 5日 (土)

三重四国 亀山宿

三重四国の5回目です。今日は下図、20番からスタートして順に13番まで鈴鹿市の8ヶ寺を廻るつもりで出かけました。ところが一寸失敗しました。
Miesikoku21_2
2019年1月3日(木)歩き初めです。
7時半頃のJRに乗り、四日市から伊勢鉄道に乗り換えました。
Dscn7542 その車中、最初に行く20番妙福寺をグーグルマップに入れたつもりが、21番府南寺をセットしていました。初めて乗った伊勢鉄道の車両はなかなか良いです。
Dscn7543 鈴鹿サーキット稲生駅で降りて、サーキット道路に入りました。
Kame01鈴鹿サーキットは行ったことが無いので、覗いて見たかったのです。
Dscn7546 中勢バイパスの上を通り、駅から30分ほどでサーキットを通り過ぎました。8時50分頃。
Dscn7554 本多技研の手前で左折し、県道41号線に入ったのは9時10分頃でしょうか。
府南寺到着は9時半過ぎでした。門前にアイナシという日本で2本しか見つかっていないという珍しい樹があります。桑名の多度峡にイヌナシの自生地がありますが、その交配種だとか。
Dscn7560 府南寺は聖徳太子の創建と伝わる名刹です。
Dscn7568入って行くとパトカーが来ていて、何か作業していました。住職に訊くと、賽銭泥棒が入ったとか。このご時世、檀家寺でない信仰寺の財政は皆苦しいのに、泥棒は何故こんな寺に入るのかと、嘆いておられました。
Dscn7564いろいろお話したりして30分近く滞在し、10時近くに寺を出て、次の目的地をマップに入力しようとして間違いに気づきました。今から20番へ廻るのではどうもうまくありません。
急遽予定を変更して、亀山方面の26.27.28と番外2を廻ることにしました。
Miesikoku21_3気を取り直して26番石上寺(せきじょうじ)へ向かいます。
Kame02鈴国橋を渡ったのが10時半頃です。
Dscn7572 国道1号線を陸橋で渡ると、そこは何回か歩いた旧東海道でした。
Dscn7577 旧東海道を5分歩くと、丘の上にあるのが石上寺です。見覚えもあります。10時45分。
Dscn7580 ここは8世紀の末に創建されていますが、信長の伊勢攻めでやはり被害を受けています。
多くの貴重な古文書を持つことで有名だそうです。
Dscn7584住職と話していると、午後から行く予定の番外2番国分寺の住職が、昨年11月に亡くなられ、今は無住で次の住職待ちだそうです。御朱印はここ石上寺で預かっていると。ここで御朱印を頂きました。
Dscn7582 11時に出て、3分歩くと、旧東海道和田の一里塚跡です。
Dscn7587この裏の東屋で休憩したこともあるなと思いだしました。
10分ほど歩くと有名な亀山ローソクの工場があります。
Dscn7593 すぐに日本武尊ゆかりの能褒野神社への道が分かれます。
Dscn7594亀山宿の面影を伝えています。
Dscn7596 先月歩いた巡見街道との分岐が 11時20分。
Dscn7598
途中で東海道から分かれて右折し、27番弘法院に着いたのは11時35分でした。
Dscn7600本堂に上がって参拝し、御朱印を貰おうと思ったのですが、無人で御朱印も見当たりませんでした。正月3ヶ日は駄目らしいです。
Dscn7605仕方なく亀山駅に向かいました。国分寺みたいに行かなくても貰える寺もあるし、行っても貰えない寺も有るんですね。次の地蔵院は関駅の近所にあります。
名古屋から亀山まではJR東海、亀山からはJR西日本です。連絡が悪くて困るんですが、亀山からは1時間に1本です。12時13分の列車で関に向かいました。
関駅に着くと思いがけず雨が降っていました。後ほど行こうと思う国分寺のある明星ヶ岳549mは雪かもしれません。
Dscn7608 時刻も12時20分、駅近くの道の駅の食堂へ行ってみたのですが、混んでいたので売店でお握りを買って済ませました。
Dscn7609 関駅付近はこんな感じです。
Photo_2 関宿は東海道47番目の宿場で、京・大坂から下ってきた旅人は、ここで東海道と別れて伊勢別街道に入り、伊勢神宮を目指すことができました。
28番地蔵院はその東海道沿いにあります。道の駅からすぐ右折して地蔵院に向かいます。12時40分頃です。
Dscn7612地蔵院は「関の地蔵さん」として親しまれ、信仰も厚かったそうです。30年ほど前、女性の庵主さんが本堂再建に尽力され有名になりましたが、今日訊くと13年前に亡くなられたとか。
Dscn7617 御朱印を頂いたのも女性の方でしたが、庵主さんかどうかは解りません。
Dscn7618 13時05分頃、地蔵さんを出て、関宿の古い街並みに入りました。電線も地中化され江戸時代にタイムスリップします。
Dscn7620 雨は小降りですが、山はまだ雨のようです。
Dscn7627目指す国分寺はここから1時間ほどで、明星ヶ岳の中腹、標高300m辺りにあるようです。勿論明星ヶ岳は登っていますが、20年位前の話で、国分寺もルートも覚えていません。
Photo_3途中からの山道の状況も解らないし、今日は急遽予定変更で下調べが充分でない。
正月早々、雨の中の登山でもあるまいと、今日は途中で引き返すことにしました。
また、そのうち、弘法院も兼ねて再訪することにしました。
 
 

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