2018年12月21日(金)
三重四国3回目です。今回は前回残した10番と、椿大社に近い23番円満寺、そして吉良の仁吉で名高い荒神山神宮寺です。これらは皆電車の駅から離れています。これらを歩いて最後に旧東海道の石薬師寺で終わります。

現実にどう歩くかですが、JR又は近鉄四日市から出ている三交バスで幸福村口まで行き、そこから歩き始めることにしました。20キロほどです。

近鉄四日市を8時19分のバスに乗り、幸福村口は9時頃でした。10分ほど引き返すように歩いて法龍寺に着きました。

ここの御朱印は5番の田村寺で既に頂いているので参拝だけです。無人ですがトイレも清潔でした。

9時23分頃、6キロ程離れた23番円満寺へ歩き始めました。
「三重四国八十八ヶ所霊場」のサイトは地図がグーグルマップで経路まで示されるので大変便利です。でも車の通らない安全な道選び等は、事前準備で地形図などで調べるのが良いでしょう。

鈴鹿山脈の鎌が岳、水晶、御在所がまじかです。

東名阪の手前で一面芝生の畑が広がっていました。

東名阪の上を越えると幸福村の入り口がありました。高速の車窓からはよく見ていますが、来たのは初めてです。

9時50分に巡見街道に出ました。先日自転車で走った同じ道を、今日は歩きです。
歩道も少ないので他の道を探したのですが、適当な道が無く、仕方なく巡見街道歩きになりました。

ここから1時間弱、茶畑と鈴鹿の山々に慰められながら、車に怯えながら、淡々と巡見街道を歩きました。

10時40分に鈴鹿ICの近く、椿大社の入り口の交差点に来ました。

コンビニで沖縄のポーク卵を一つ買い、すぐを右折して、長沢町にある円満寺に向かいました。行くと本堂は耐震工事中でした。10時53分です。

ここも無人で、御朱印はそばのお堂の前に置いてありました。

一寸小腹も空いたので、持参のカップ麺を食べました。

このお寺も、周囲に檀家が無く、経済的に無理なのだそうです。周囲の集落は真宗高田派の寺院の檀家だそうです。難しいですね。11時20分に出発しました。次の22番観音寺までも6キロほどです。
東名阪の下を潜り、マップの推奨する県道は避けて、並行する道に入ったら、新しい工場団地でした。

深溝南の交差点を過ぎると、真っ直ぐな田圃道でした。振り返ると鈴鹿山脈です。

そのまま南下して、茶畑や住宅団地を越えると22番荒神山観音寺でした。12時40分頃の到着です。

ここは荒神山と称す通り、吉良の仁吉や清水の次郎長で有名な博徒の戦場です。

桑名の穴太徳と神戸の長吉が荒神山の賭博の権利を争った話は浪曲でも有名で、2代目広沢虎三が書いた吉良の仁吉の石碑がありました。

碑の周囲が削られているのは、今でも勝負事のお守りに削って行く人が居るからだそうです。
また、この寺の釣鐘は春日局の寄贈だそうで、戦時中の供出も逃れています。
徳川2代将軍秀忠の跡目争いのとき、春日局がこの寺に願掛けして、首尾よく家光が3代将軍となり、そのお礼だそうです。

などなどで近年参詣者も多く、檀家は少ないけれど、なんとかなっていると住職さんが仰っていました。
いろいろお話も聞いていたので長居して、寺をでたのは13時25分頃でした。

次は番外1番の石薬師寺ですが、距離は5キロほどでしょう。マップは緑の道を推薦していましたが、車が多そうで赤い道を選びました。写真の鈴鹿フラワーパークまでは良かったのですが。

その後、どんどん田圃の畦道に入り込み、最後は灌木で通行不能になってしまいました。

仕方なく地図から別の道を探して、14時 36分頃旧東海道にたどり着きました。

石薬師宿は佐々木信綱の生家があります。石薬師寺も2回~3回来ていると思います。
旧東海道が国道1号線の上を渡ると石薬師寺の裏門です。

またここは旧東海道に面し、国道1号線沿いでもあり、交通の便が良いので、いつ来ても参詣者の姿があります。

そのせいも有って、先ほどの荒神山観音寺とここ石薬師寺は納経所もしっかり作られています。
14時50分頃寺を出ると、すぐ近くに「蒲冠者範頼之社」という神社があります。
源頼朝や源義経との異母兄弟だと思います。

ここから関西線河曲(かわの)駅は30分位だと思います。15時40分発には充分間に合うでしょう。クリーンセンターの前を通りました。

15時20分に到着しました。駅のホームから鈴鹿山脈が霞んでいました。

駅の近くには何もないので、持参の飲み物とおつまみで小宴をはりながら帰りました。

今回3回目にして、ようやく15ヶ寺です。この調子だと15回位掛かりそうですね。
知多四国は7回で廻れましたが、三重四国は範囲も広いので順当かも。
四国巡礼は40日掛かりましたからね。
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