2022年9月27日 (火)

マレーシアの話その2

東南アジアの工場立地調査をやっていた頃から何十年か経って、私は他の業種の会社に移っていた。ところが、今から25年ぐらい前でしょうか、その会社がマレーシアに工場を建てることになり、担当することになった。

会社設立の申請から始まり、マレーシア政府の出先機関に行くと、マレー半島の東海岸に工場を作ってくれと強く要請された。東海岸側は日本の裏日本以上に過疎地なのです。そこに進出してくれれば税制など優遇措置はいろいろ有ると。

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でも結局、積出港に近いジョホールバルに進出した。そんあこんなで、マレーシアには行く機会が多く、何か所か観光もした。その中で気に入った場所を紹介します。

まず、上図下部の最南端。ここはユーラシア大陸の最南端です。あまり知られていないのでお勧めです(笑)。タンジュンピアイと言ったかと思います。

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次に、上図右端のティオマン島。ここはダイビングです。図のメルシンから連絡船で行ったのですが、一人で行ったので、一寸苦労しました。

魚はめちゃくちゃ居ました。

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島のムードも最高。

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でも回教徒の国では誰も酒を飲んでいない。私もこんな料理を酒無しで3日間食べました。頼めば飲める場所もあると知って、2回目からは飲みました(笑)。

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次は国立公園のエンダオラオピン。ここはお勧めです。最近は知りませんが、私が行ったときは、まったく未開発で、蛭やのみ・しらみの世界でした。一緒に行った友人は2度と行かないと言っていました(笑)。

ジョホールバルからメルシンへ向かう途中で左折して、がたがた道を相当走ります。

食事は自炊で。

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ガイド付きのジャングルトレッキングができます。

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象の糞なんかあります(笑)。

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次はマラッカ。ご存じマラッカ海峡の街ですが、昔の街並みや文化が残っています。観光ガイドに出ているので割愛して、ニョナ料理について。中国料理とマレーシア料理の融合だそうです。

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それから鄭和博物館。鄭和は中国明の永楽帝に仕え、コロンブスより1世紀も前に、大船団を率いて、東南アジアからアフリカまで航海した人だそうです。

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次はKLを越えて、マレー半島の北半分へ。

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ここでトップは国立公園のタマンネガラです。ここは先のエンダオラオピンと異なり、よく整備された国立公園です。

ここもジャングルトレッキングですが、白人の女の子も多数来ています。

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いろんな動物にも出会えます。

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川登の体験も

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でも食事はホテル並みです。

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次はキャメロンハイランド。ここは標高1500mの高原避暑地です。ジャングルトレッキングもありますが遊歩道です。

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お茶の産地で、紅茶や緑茶が有名です。レストランからの眺めが素晴らしい。

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最後にペナン。ここは有名なリゾート地です。

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ロブスターを食べに行きましたが、高いです。

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終わりです。また行きたくなりますねえ(笑)。

 

 

 

 

 

2022年9月24日 (土)

マレーシアの話

今回は思い出話。

今から50年以上前、私は合板会社に勤めていました。日本の合板会社は東南アジアからラワン材を輸入して合板に加工していました。ラワン材の輸出国は主としてフィリピン、マレーシア、インドネシアです。

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輸出3国は、原木のまま輸出するのでは自国に産業が育たないため、自国で合板に加工して、製品として輸出したいと思っていました。そのため原木の伐採権を持つ日本の商社に、自国に合板工場を作るよう要請しました。

商社には工場運営のノウハウが乏しいため、取引先の合板会社に現地工場の採算性調査を依頼しました。その調査に出かけたのがマレーシアでした。生まれて初めての海外旅行です。1ドルが360円の時代でした。

台北、バンコクを経由して、初めて外国の土を踏んだのがマレーシアの首都クアラランプール(KL)でした。1泊55ドルのホテル代が非常に高く感じたのを覚えています。

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実際の調査地はマレー半島の右上、タイ国境に近いコタバルの山奥でした。後で知ったのですが、太平洋戦争の初期、日本軍がコタバルに上陸し、自転車でマレー半島を南下、シンガポールを攻略しました。銀輪部隊と呼んだそうです。

現地の仕事のことは忘れましたが、コタバルの飛行場が、夜になるとキャバレーに変わるのは感心しました。日本では考えられませんが、1日2~3便しか来ないローカル空港なら、使わない時間を活用するのは合理的ですよね。

森林の蓄積量とか品質の調査、工場予定地の労働力、電力、水、補修部品の有無、積み出し港の有無や施設、などを調査して工場の採算性を判断します。このときは不適だったと思います。

帰りは車で東海岸を下りました。銀輪部隊も通った道でしょうね。クアラトレンガヌに1泊し、翌日KLに着きますが、カーブがひどく、腸がよじれる思いをしました。

翌日はまた車でシンガポールに入りました。シンガポールはマレーシアから分離した中国系民族の国ですね。当時からマレーシアで多数を占めるのはマレー系民族ですが、商売は華僑が牛耳っていました。これは他の東南アジアの国も同じです。それで、このままでは国を乗っ取られると思ったマレー政府が、中国系民族をシンガポールに移住させて?、分離したとか聞きました。

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ところでマレーシアには東と西があります。東は今書いたマレー半島、西はボルネオ島の北半分がマレーシアです。一部はブルネイ王国。南半分はインドネシアです。

シンガポールからボルネオ島のコタキナバルへ飛びました。近くのキナバル山は有名ですね。キナバル空港ではカメラなどのぜいたく品の海外からの持ち込みは税金が掛かります。でもKLのホテルの便せんを見せて、KLから来たと言ったら許してくれました。

コタキナバルからサンダカンへ飛び、ホテルに入り、一人でバーへ行きました。そこで値段表を見てびっくりしました。サントリーウイスキーのだるまとジョニーウオーカーの黒ラベルが同じ値段でした。

1ドル360円だった日本では、ジョニ黒なんて高嶺の花でだるまの5倍くらいしていたのではないでしょうか? ジョニ赤でも飲めませんでした。でも外国ではジョニ黒とオールドは同じ扱いなのです。初めて、為替というものを実感した日でした。

1度、こういう仕事をすると、話は伝わるものですね。この後いろんな商社からも依頼が来て、フィリピン、インドネシアも含めて10回近く現地調査をしたのではないでしょうか。

続く。

 

2022年8月19日 (金)

伊坂ダム

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三重県の北部、桑名と四日市の間に伊坂ダムがあります。四日市コンビナートなどの水需要に応えるため作られたようです。その貯水池を一周する3.6キロサイクリングロードが整備されています。

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でも今はウオーキング需要が上回っているようですね。管理事務所があり、自転車の貸し出しを行っています。二人乗りなど、様々な自転車があって、親子連れで楽しめるようです。

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2022年8月19日(金)

我家から下道で30分一寸で到着しました。実は初めてでした。10時過ぎに着いて、びっくりしました。車の数が多かったので。トイレを済ませて歩き始めました。

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鈴鹿山脈がきれいです。

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すぐに伊坂城址がありました。なかなか珍しい山城だそうですが、私には理解不明です。

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今日も女房と一緒です。新名神の傍を歩きます。

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自転車の家族も居ましたが、今日は95%が歩きでした。もっとも管理事務所が休みでしたね。金曜日が休みらしい。

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歩き出して15分、赤い橋を渡りました。

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渡るとすぐ神社があり、お参りしました。先日行った、川上村の丹生川上神社から分霊をお迎えした水源の守り神です。伊坂丹生水神と称します。

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コースは自転車が時計回り、歩行者は反時計回りで内側を歩きます。その距離が表示されています。

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伊坂ダムは水面利用はできませんが、桑名西高のボート部だけが使えるそうです。

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カワセミを狙っているカメラマンの方が3人いました。今日も1回来たそうです。

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コースはすべて舗装されています。

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歩き出して50分、一寸疲れたので休憩しました。このコースは平坦でなく、少しアップダウンが有るので、丁度いい疲れ具合です。

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ポプラ並木みたいな展望の開けた場所に来ると、ゴールは近いです。

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右手はゴーカート場のようです。過ぎるとダムの上を通ります。東名阪あたりから見える堰堤ですね。

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1時間15分ほどで1周してきました。健脚の方は1時間弱でしょう。喫茶店があるのですが、ここも金曜休みでした。

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持参の弁当を、ダム湖畔のベンチで食べました。

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なかなか良いウオーキングコースでした。

 

 

2022年8月 1日 (月)

川上村

2022年7月30日(土)

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朝6時ごろ起きて散歩に出た。山鳩館から先は道路地図には無いが、地形図には点線で載っている。

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そこを上流に向かって歩いてみた。10分一寸歩くと広場になり、振り返ると上の写真の風景になる。しかしすぐにがけ崩れがあり、まあこの辺で引き返した。

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今度は逆に旅館を通り越して、ダム湖に掛かる入之波大橋に向かった。

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川の名前を見ると「きのかわ」だった。ここ紀の川なんだ。そう言えば下流は吉野だったな。吉野川の上流は紀の川なのか?

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橋を渡っていくと温泉が見える。昨日、あそこからこの橋を見たなあ。

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渡り切ると道案内があった。筏場・三之公方面。

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そう言えば、大台ヶ原の道標に筏場という文字が有ったな。

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筏場には、何十年か前には集落があったそうです。三之公はトガサワラの原生林があり、台高山脈への登山路があります。

帰り道に出会った山仕事の方の話では、筏場から大台ヶ原まで6時間だけど、若い頃は4時間位で登ったとか。またこの辺りは「伊勢の川喜多家の山が多い」とか。百五銀行創始者の半泥子さんの家ですね。

帰りに下を覗くと、筏釣りをしていました。ここはダムつり公園なんだそうです。

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ところで入之波をシオノハと読むのは難しいですよね。旅館の壁に貼ってある古地図には塩葉村の文字があり、この辺りが語源らしい。

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朝湯に入り、美味しい朝食も食べて、9時に宿を出発しました。因みにここは川上村入之波というのが住所です。川上村は水源の地として売り出しているそうです。

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私の理解では吉野から上北山村へ向かう途中の、通り過ぎる村でした(笑)。事実、十数年前、吉野から上北山村へ歩いたことが有って、そのときこの川上村を、ほぼ徒歩で縦断しています。参照

昨日来た道を引き返して大迫ダムを渡り、国道169号線に入ります。途中、湯森温泉の道の駅で休憩しました。お土産に鮎の塩焼きを買いました。昨日食べた鮎も美味しかったので(笑)。

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ここに入之波温泉から筏場や三之公への案内がありました。

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次に蜻蛉の滝へ行きました。雄略天皇の狩りの邪魔をした巨大な虻をトンボが退治してくれた故事から蜻蛉の滝の名が有ります。入り口は子供の水遊びの公園になっていました。

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登り口に梵字岩があります。大峰奥駆道の青ヶ峰から流れるこの滝で修業した修験者が開いた仙龍寺があったそうです。

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滝の落差は50mほどだそうです。

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でもなかなか滝の全貌を写真に収めることはできません。

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ここ蜻蛉の滝から、奥駆道の青ヶ峰まで、2時間一寸で行けます。そこから吉野へ降るのがお勧めです。

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滝を見ていると雨が降ってきました。あわてて、次の匠の聚へ出かけました。道の駅に一刀彫作品展の案内があったので。

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コテージや研修室、カフェなどがある村営施設みたいでした。今日は松本一平さんの木彫り昆虫展。

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これはフンコロガシです。フンコロガシは古代文明では太陽を表し、大切にされています。

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今回の行程はこれで終わり。後は帰るだけです。お疲れさまでした。

 

 

 

2022年7月31日 (日)

大台ヶ原

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大台ヶ原は日本百名山の一つで、最高峰は日出ヶ岳の1695mです。でもドライブウエーが有って、1580m付近まで行けるので、誰でも登れる楽しい山です。

紀伊半島の奥深く、三重県と奈良県の県境に大台ヶ原を含む台高山脈があります。三重県側からは急峻で、桃ノ木小屋に泊まって1泊2日の大杉谷が有名です。

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奈良県側は東熊野街道と呼ばれる国道169号線を挟んで、向かい側は大峰山脈です。大台ヶ原行きの路線バスは近鉄大和八木から出て、樫原神宮を経て169号線を吉野・川上村そして大台ヶ原ドライブウエーに入ります。

今回は山歩会のメンバーで、名古屋から名阪国道を針で降りて、大宇陀から三茶屋を経て169号線に入りました。名古屋駅前を8時頃出て、大台ヶ原の駐車場到着は12時でした。天気は曇りで、雨が降りそうでした。

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取り敢えず車中で弁当を食べました。メンバーは男女合わせて8人です。平均年齢は70台後半ですね(笑)。

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食後、ビジターセンターなど一寸見て、12時37分頃、出発しました。

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大台ヶ原は東大台と西大台に分かれます。東大台は日出ヶ岳、正木ヶ原、大蛇嵓など巡る人気コースで、誰でも自由に入れます。一方、西大台は自然保護のため、届け出・許可制で講習を受けないと入れません。

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我々は勿論東大台コースです。すぐに尾鷲辻への道が右に分かれます。

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最初は平坦な遊歩道で、皆さん元気いっぱいです。

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半分一寸過ぎた辺りから、標高差100mほどの登りになります。

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コースタイムは日出ヶ岳まで40分ほどですが、我々は50分掛かって稜線に着きました。

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ここから急な階段があるので、二人がリタイアしました。

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階段を登ると頂上はすぐです。

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1時間で頂上です。

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残念ながら景色は雲で見えません。大台ヶ原のいつもの天気です(笑)。

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13時45分に頂上を出ました。一旦、元の稜線に引き返します。同じ階段も下りの方が急ですね。

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ここから正木峠に向かいますが、3人は元の道を引き返すことになりました。正木峠へは、稜線出合から、また木の階段を少し登ります。

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出合から7~8分の登りでピークに出ますが、ここを正木峠と呼んでいるみたいですね。

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木道の気持ち良い階段をしばらく下りますが、景色はガスで見えません。

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天気が回復してきました。ドウダンツツジが紅葉しているようです。

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出合から30分で正木ヶ原に到着しました。一寸休憩。

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正木ヶ原から10分で尾鷲辻です。14時45分。

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ここから大蛇嵓を往復する予定でしたが、一寸時間的に無理なようです。往復に1時間10分。見学時間など考えて1時間半ほど欲しいのですが、それでは16時15分になり、ここから駐車場まで40分なので、駐車場着は17時になりそうです。駐車場着16時を予定しているので、諦めて駐車場に戻ることにしました。

戻る道は平たんな遊歩道です。

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途中、苔のきれいな場所が何か所かありました。

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尾鷲辻から40分、15時27分に当初の分岐、駐車場に戻ってきました。

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天気は結構回復していました。

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バスの時刻表を見ると、以前よく利用していた大和上市駅が有りません。運転手さんに訊くと、大和八木からになり上市駅は通らなくなったそうです。

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16時ちょっと前に出発し、大迫ダムには16時32分に到着しました。このダムの上を通って対岸に渡り、4キロほど走ると入之波温泉です。

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16時47分に到着しました。

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お湯は37~38度でしょうか、一寸温いですが、かけ流しのようです。

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夕食は鴨鍋と山菜料理ですが、非常に美味しかった。

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いろんな旅館で料理を食べていますが、もう一度食べたい料理ですね。

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皆さんお疲れさまでした。

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2022年7月14日 (木)

赤目四十八滝

赤目四十八滝は何回か行っています。近鉄赤目口から5キロ程で入口があります。

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上の地図で入口から終点の岩窟滝まで1時間半、その間に大きな五爆など20位滝があります。元気な頃は、そこから出合茶屋を経て香落渓の落合まで2時間のコースを歩きました。最短で1時間15分位で歩けました。

今回は珍しく女房と一緒なので、図の百畳岩までを往復しました。

2022年7月13日(水)

梅雨明け宣言が有ると、台風やら低気圧やらで連日雨です。その晴れ間の13日に車で出かけました。我家から2時間です。お店で山菜弁当と草餅を買って10時47分頃出発しました。途中でトイレに行ったりして、11時07分に入口に到着。

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一人500円を払って入ります。前回は300円の頃だった。大きなサンショウオが居ます。

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5分ほど水槽を見て出発しました。いろんな滝があります。

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赤目の名前の由来はこの牛です。

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役の小角が赤目の牛に乗った不動明王を見たのが由来だそうです。不動の滝です。ここまで5分ほど。

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不動の滝から10分ほどで八畳岩に。ここにトイレがあります。

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ずっと木陰を歩くし、清流沿いで、涼しくて良いです。所々、滝を高巻きするので石段がありますが、それ以外は遊歩道です。

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布引の滝です。11時40分頃。

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遊歩道です。今日は平日なので、ハイキングのお客も少ないです。

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百畳岩まで700mかな。

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ここを曲がれば百畳岩です。

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百畳岩到着は12時17分。

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お弁当です(笑)。

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コンビニで買っておいたお握り。

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お疲れ様でした。

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2022年6月27日 (月)

熊野街道 島地峠

第2回きほく発見アカデミー「知られざる中世の熊野古道 島地峠を歩く」というのに参加しました。くまの体験企画の内山さんがガイドを務めるというので参加したのですが。

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紀伊長島地区の熊野街道は、江戸時代は荷坂峠を越えて入ってきました。もう少し前の鎌倉・室町時代、いわゆる中世の熊野街道はツヅラト峠越でした。下図をご覧ください。

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紀伊長島から尾鷲までには七つの峠が有ったと言われますが、ツヅラト峠を越えて志古へ降ってきた旅人は、次に中桐を経て島地峠を越え、更に一石峠・平方峠を越えて古里へ向かいました。

今回はその中桐から島地峠越を歩きながら、歴史散歩を行うようです。

2022年6月25日(土)

11時に紀伊長島駅に着きました。受付が12時からなので、どこかで昼食と思いましたが、せっかく紀伊長島まで来たのだから、海を見ながら弁当を食べようと、近所のスーパーで弁当を買い、海岸に向かいました。

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弁当を食べていると、突然・度々、大きな鳥の影が地面を覆います。鳶ですね。ここは鳶が多いですね。弁当を取られるかと心配しました(笑)。

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紀伊長島駅の隣のまんどろで受付です。

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熊野古道伊勢路を当時の皇太子殿下、現在の天皇陛下が来られた記念碑からスタートしました。

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13時のバスで中桐に向かいました。13分位で到着しました。ここには円通閣が有ります。

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内山さんの説明では、中世の熊野街道は、上図青色点線のようなコースを辿って中桐に来たそうです。

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現在は上の写真のように小さなお堂に、聖観音菩薩が祀られています。手前左は庚申さんです。ご本尊の左に毘沙門天、右に不動明王が立つ三尊像の形は天台宗の古い形だそうです。

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境内にある石塔は墓ではなく、中世にここを治めていた豪族の子孫が、先祖を忘れないように建てたものだとか。

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円通閣のすぐ上に泉福寺という曹洞宗のお寺があります。

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その境内の石仏の一つに、餓死者を供養する文字がありました。飢饉の餓死者を指すのか、旅人を指すのか不明だそうですが。

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この泉福寺の釣り鐘は、民家のような鐘楼にあります。江戸時代に、前の鐘が壊れ、付近の住民が6銭ずつ出し合って、津の鋳物師に注文して出来上がったという謂れがあるそうです。良い音色でした。

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ところで、先ほどの円通閣の聖観音さまですが、昔、西国三十三札所を決める観音様の会議が行われたときに、つい寝過ごして会議に遅れたそうです。それで一番は那智の青岸渡寺に決まってしまいました。それで、円通閣の聖観音は三十三か所の導き観音となられたそうです。

なので別名を、導き観音とか朝寝観音と呼ばれて信仰を集めているそうです。その当時は長福寺と言って、この泉福寺がある辺りにあったそうです。

13時45分頃、泉福寺を出て、島地峠に向かいます。途中、振り返るとツヅラト峠が見えます。中央鞍部の右側が峠です。

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奥村墳墓の手前付近は山すそを歩きます。その辺りには昔から泉があり、旅人ののどを潤したそうです。

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14時20分頃、国道422号から赤羽トンネルを経て国道42号線に出る車道を横断します。その交差点に奥村墳墓があります。

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鎌倉幕府滅亡の折、北条家の家臣であった奥村氏がこの地域に逃れ、紀北一帯に勢力を張った。その後、一時紀伊長島城も手に入れたが、北畠氏によって滅ぼされた。一族は分散して紀北一帯に土着した。彼らが建てた宝篋印塔の一部が残されている。

ここからの古道は荒れ果てて辿れないため、現在の熊野街道で島地峠を目指して登ります。

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20分ほどの登りで島地峠です。特に峠の名前は表示されていません。表示してほしいですね。

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ここからは下りです。古道は、この下のトンネル工事の際、破壊されて、一寸辿れないそうです。12~13分下ると紀勢道の下を潜りますが、その付近では古道が残っているそうです。

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現在は左折して10分も歩けば、JR紀勢線の踏切に出ます。その手前に加田の石仏道標がありますが、本来は先ほどの古道のどこかに有ったものが、ここに移されたのではないかと思われます。

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15時25分頃、ここを出て、国道42号線で造船所の横を通って、紀伊長島駅方面に引き返します。右手は江の浦です。

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途中休憩しながら20分一寸で国道を離れ、魚町へ入っていきます。

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入るとすぐ長嶋神社があります。須佐之男命をお祭りする当社は、由緒不明ですが、相当な歴史があるのは事実でしょう。1591年に北畠氏の代官加藤氏の居城で有った長島城が焼き討ちされたとき、当神社の社殿も焼失した事実が残っています。

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この辺りまで来た所で、帰りの電車の時間が迫ったので、一人だけグループから抜けさせてもらいました。なにしろ1本逃すと次は1時間半後しか無いので。

気持ち良い1日を過ごさせて頂いて、紀北町観光協会の皆さん、案内の内山さん、地元ガイドの樋口さん有難うございました。

終わって、駅で飲んだ一杯はたまりませんでした(笑)。

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また社内で多気までに一寸一杯。

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多気から快速みえでまた一杯。

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自宅へ帰って〆に一杯。

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体中にお酒が沁みていくようでした。お疲れ様。

 

 

2022年5月31日 (火)

東大寺散策

2022年5月30日(月)

先日、信貴山へ行ったとき、近鉄の3日間フリー切符を買ったので、今日は奈良へ出かけてきた。11時頃奈良について、まず県庁ビルの屋上へ行ってみた。写真は南側、興福寺の五重塔と中金堂です。中金堂は多分新築で見るのは初めてです。

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今度は東側の大仏殿です。芝生の手入れなど行き届いてはいませんが、無料で奈良公園が見られるのは嬉しいですね。

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下の食堂で昼を食べました。生駒山を見ながら、安いお値段で、ここもお勧め(笑)。

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正倉院へ行こうと歩いていると、無料公開の日本庭園があったので入ってみました。吉城園と言って、民間の所有だそうです。何故、無料公開しているのか解りませんが、立派な庭園でした。

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大仏殿の傍を通って正倉院へ向かっていると雨が降ってきました。

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順序変更して大仏殿に入りました。今日は晋山式という、新任の住職が任命される儀式の日で、大仏さんは脇からしか見られませんでした。

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それと今日は新しい東大寺の管長のお披露目があったそうです。虚空蔵菩薩と大仏さんの2ショットです。

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大仏殿を出ると雨もあがってきて、正倉院へ向かいました。そうそう、今日は珍しく女房も一緒でした。

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大仏殿に比べると、正倉院は静かです。内部や宝物は見られません。外観だけです。

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お水取りで有名な二月堂です。

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最後に東大寺ミュージアムに入りました。初めてです。国宝の日光月光菩薩や四天王像がありましたが、重文の千手観音像が圧倒的な迫力で目を奪われました。

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帰りの車中はやっぱりこれですね(笑)。

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お疲れ様。

 

 

 

2022年5月29日 (日)

信貴山

山歩会の仲間と信貴山へ行ってきました。私は京都で生まれ育ったのですが、信貴山は行ったことありませんでした。信貴山縁起絵巻というのを中学か高校の歴史でならったような位です。

大阪と奈良の間にあります。

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2022年5月28日(土)

近鉄で大阪近郊の河内山本で待ち合わせました。ビスタカーの先頭はパノラマがなかなかですね。

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河内山本から信貴山線で一駅が信貴山口です。そこからケーブルに乗ります。これも近鉄です。標高差350mほどを7~8分で登ります。

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11時15分頃、近鉄高安山駅、すなわち山頂駅に到着しました。

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ここから朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)へはバスが出ていますが、我々は歩きです。

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歩きの道は駅の横から、生駒山方面への縦走路です。

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比較的平坦な快適な道です。

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駅の標高が420mほど、高安山が487mで一寸登る訳ですが、そんなに感じません。15分ほど歩くと、高安山気象レーダーがありました。

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そのすぐ先辺りが高安山近くで、標高470m位かなと思います。一寸下って11時35分頃、バス道路を横断します。

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それからも、どんどん下って、こんなに下って良いのかなと思いながら歩きます。

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バス道から17分、11時53分に弁財天の滝への分岐に着きました。標高は370m、100m下ったのですね。

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ここから登りです。10分一寸登ると、奥の院のすぐ下の広場にでました。

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すぐ上に信貴山城址があります。松永弾正が織田信長に背いて立てこもった城です。

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隣が奥の院です。

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3人足りませんが今日のメンバーです。

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周囲にはいろいろ神社が祀られています。お稲荷さんみたいですが、神仏習合と一言でかたずけられました。

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下の広場に戻って弁当タイムです。25分ほどで出発しました。12時37分頃です。下りは奥の院への参道を下ります。舗装された遊歩道ですが、登ってくる人は大変だと思います。

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20分ほど下って本堂近くに降りてきました。朝護孫子寺は信貴山寺とも呼ばれます。

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起源は聖徳太子が刻まれた毘沙門天に遡ります。後醍醐天皇の病気平癒を祈願して「朝護孫子寺」の名を賜る。高野山より独立して信貴山真言宗の寺となった。本堂です。

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本堂の舞台からは斑鳩方面が見えるのかな。

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本堂の下の戒壇めぐりをしました。暗闇を歩くのは久しぶりの体験です。5分ほどです。

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本堂の横に宝物館があり、そこも見学しました。国宝の信貴山縁起絵巻は奈良国立博物館に貯蔵されていますが、閲覧はできないので、レプリカでも、ここでしか見れません。初めて見ました。

千手院の傍を通って降りてくると、大きな張り子の虎が居ました。あっ、今年は寅年なんだ。

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聖徳太子が毘沙門天を会得されたのが、寅年の寅の日、寅の刻であったそうです。信貴山寺は虎の寺なのです。

13時43分、信貴大橋のバス停に着きました。ここからバスで信貴山下駅に向かいます。

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近鉄生駒線の信貴山下駅です。戦前はここからもケーブルが有ったそうですが、大阪側のケーブルに客を取られ、廃線になったそうです。

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ここから近鉄で生駒乗り換えで鶴橋にきました。

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鶴橋と言えば反省会でしょう(笑)。

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お疲れ様でした。

 

 

2022年5月27日 (金)

御浜町神木を歩く

2022年5月22日(日)

今日はおなじみの「紀伊半島みる観る探検隊」に参加です。「神々が宿る里・神木を歩く」というイベントです。神木は「こうのぎ」と読みます。内容は深く確かめもせず、参加しています(笑)。

朝起きて、目の前の七里御浜を一寸散歩しました。気持ちいいですね。

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獅子岩近くの牛丼屋さんで朝食。安くて早くて旨いですね。

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外に出て見るこの景色はいつ見ても良いなと思います。

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昨日、歩いた紀宝町のお隣が御浜町です。この神木歩きのイベントに参加するので、前日、紀宝町を歩いたというのが実情です。神木に最初に来たのは、多分20年以上前に、一人で熊野古道の本宮道を歩きに来たときです。

本宮道は熊野市の花の窟から生田神社、横垣峠、風伝峠を越え、紀和町の板屋・楊枝を経て熊野本宮大社へ向かう道です。

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その本宮道の横垣峠登り口が神木です。でも今は、大規模な土砂崩れで横垣峠は通れません。もう10年以上通行止めではないでしょうか。神木流紋岩という緑色の石畳が、滑って、怖かったのを思い出します。

今日は御浜町の、この辺りを歩きました。

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9時になかよしステーション近くに集合です。

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午前中は下半分の日与加久良へ行きます。国道311号線を一寸歩いて杉山地蔵さんへ。

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なんの変哲もない地蔵さんで、説明されなければ通り過ぎてしまいますね。でもこうして屋根付きの祠に安置されるのは、それなりの歴史と謂れと地元の人たちの信仰があるのですね。

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しばらく歩くと木和田の庚申さんです。

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庚申信仰の謂れは省きますが、つい最近まで庚申の日はメンバーが集まって夜通ししたそうです。信仰より飲み食いが楽しみで、集落の数少ない娯楽だったのかなと思いますが。最近は体力が衰え、8時か9時ごろには終わるとか(笑)。

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10時前に日与加久良への登り口です。

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一寸だけ山道です。

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付近の木は板根が目立ちます。板根は土壌の土が少ないとき、通常の根では自分を風雨から支えきれないと思った木が、根を板状にすると言われています。サンゴ礁の上にできた沖縄の島々で、サキシマスオウの木などに見られます。この付近も岩が多くて、土が少ないのでしょう。

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登り口から15分ほどで巨岩の下に着きました。

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やはりここも巨岩がご神体ですね。紀伊半島には巨岩のご神体が多いですね。花の窟しかり、昨日の神内神社しかり。この日与加久良もそうですか。やはり1400万年前の熊野巨大噴火の名残でしょうね。

裏に回ると信仰の日与加久良(ヒヨカクラ)です。ノアの箱舟みたいな伝説があるそうです。

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祠の上は、こんな感じです。花の窟・神内神社・日与加久良、皆似ていますね。

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10時40分頃下り始めました。10分ほどで集落にでました。少し歩きながら前方を見ると、神木集落の奥に聳える明見山が見えました。中央に3個並ぶギザギザの左側の岩が山頂で、やはり神社があるそうです。

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出発地点に帰る手前で写真のギャラリーを見ました。良い写真ばかりです。

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11時15分頃、今度は午後の部で歩く神木集落に向かいました。

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周囲を山に囲まれた風景は、この地方ではよく見ます。尾呂志なんかと似ていますね。

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この神木では、旧家の方々は皆、自分の家の守り神として小さな祠を祀っておられるようです。また道端や敷地内の石仏や石塔なども丁寧に守られているようです。

敷地内の八幡宮は見られませんでした。すこし先の道端の地蔵さんが、丁寧に屋根付きの祠で守られていました。

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12時一寸前にイヌマキの巨木へ来ました。「神木のイヌマキ」として有名です。全国で2番目の巨木だそうです。この根元で昼食休憩となりました。

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12時40分に出発しました。神木の集落の家は立派な厚さ1mほどの石垣に囲まれています。防風や狼よけには一寸高さが低いので、用途は何でしょうか。その石垣にも祠があります。

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これは「原の宮」。原家の祀るお宮さんです。

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これは家の外の八輪の塔ですが、多分、昔の人が付近に転がっていた石塔の部品を適当に積み重ねたものでしょう。

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大きなナギの巨木に来ました。速玉大社のナギの木は有名ですね。あのナギの木は平安時代に平重盛が植えたそうですが、この原地神社のナギの木も樹齢400年以上だそうです。

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原地神社です。神木は元々、平安時代に京都の三千院から原家一族が移ってきて住み着いたとか。その原七家と言われる一族の氏神がこの原地神社です。

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次に行った「宇城の宮」はその後にやってきた宇城家の守り神だそうです。今日の案内はその宇城家の方です。

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継が榎木家の墓碑群。鎌倉時代に産田神社の神官として熊野に来た榎木家一族の榎本家の屋敷跡にある。

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14時15分頃、神木集落の高台にある善昌寺に来た。禅宗のお寺です。そこからは、ずーっと下って「辻の宮」へ。ここも原家の後から住み着いた家の祠です。

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最後に訪れたのが原地の庚申様。日本各地の庚申様の代表例みたいな三体が祀られていました。

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14時半ごろには帰ってきました。いろいろ見て知恵熱がでてきました(笑)。

スタッフのFさんに送ってもらって尾鷲に帰ってきました。帰りのJRには時間もあるので、Fさんのお店で一寸一杯。

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JRに乗る前にいつも腹ごしらえする、おじさんの食堂へ一寸顔出して、いつもの焼きそばで〆て帰りました(笑)。

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お疲れさまでした。

 

 

 

 

 

 

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