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2025年4月13日 (日)

伊勢街道3回目 磯山駅から津駅

今回は近鉄磯山駅から津駅まで、12.7キロほどでした。

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2025年4月12日(土)

10時25分に近鉄磯山駅に集合しました。今回は12名の参加です。

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早速、前回歩いた街道へ引き返しました。すぐに磯山八幡神社があり、一寸お参りしました。

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神社から10分ほど街道を歩くと国道23号線に出ます。ここは地下道で潜りました。10時47分でした。潜って引き返し、国道に戻って中の川橋を渡ります。10分弱国道を歩いて、近鉄の踏切を渡ります。

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渡ると道が二つに分かれますが、右側の道が伊勢街道です。左の道も旧伊勢街道だそうで、巡礼道とも呼ばれたそうです。

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すぐに右手に地蔵堂があります。謂れは知りませんが「甕釜冠地蔵堂」です。屋根に甕が乗ってますねえ。

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15分弱歩いて千里駅の横を通り、再度国道を渡ります。11時15分です。

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渡るとすぐ街道の風情で、また地蔵堂があります。今度は田中地蔵堂で、甕は被っていません(笑)。

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田中川を渡ると、ここも街道の風情が残る街並みです。上野宿と呼ばれ、本陣・脇本陣、旅籠が十三軒有ったそうです。

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中心部の拡大地図を載せます。

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10分ほど街道を歩くと、右手に上野小学校があります。なかなか立派な学校ですね。

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すぐに右手高台にお寺が見え、その横を上野神社の参道が通っています。

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街道沿いには立派な松があったり旧家があったりします。

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上野神社から3~4分、弘法井戸がありました。弘法大師が杖で地面を叩くと水が湧き出したという井戸は全国にありますねえ。

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すぐ先が桝形になっています。

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桝形を越えてすぐ、11時43分頃ですが、右手奥の上野城址へ登って行けそうな道を見つけました。案内も無く不安ですが登りました。

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3~4分で公園に出ました。一安心です。

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ここは本城山青少年公園になっています。ここで昼食休憩にしました。

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過って本丸があった所に展望台が作ってありました。

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登ると伊勢湾が見えました。

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逆側は関宿、錫杖岳、経ヶ峰などが見えます。

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12時23分頃出発して、円光寺という江姫縁の寺とかを見に行きました。図の青線です。

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12時半に到着しました。雰囲気あるお寺です。後に徳川家光の母となる江姫は、一時期、上野城で過ごしたのだそうです。

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住職さん(多分)が沙羅双樹の話をして頂きました。花は六月です。

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また円光寺は津の七福神にも入っています。先を急ぐので10分も滞在せず、出発して、街道に復帰しました。先ほど登った細道の一寸先に、上野城登り口の案内があり、石段が見えました。こちらが正式な道のようですが、石段よりさっきの道の方が良いかも(笑)。

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その先左側に上野宿の道路元標がありました。12時45分頃です。

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そこから10分弱で、上野城主の菩提寺だった光勝寺の参道があります。

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13時、国道23号線に出て、また地下道を潜りました。そこからも街道の雰囲気は残ります。

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街道を10分弱歩くと八幡神社があります。

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それを痔神社と勘違いして、見に行きました(笑)。痔神社はもう一寸先でしたが、そのときは気づきませんでした。

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13時17分頃国道に出て、10分一寸国道を歩きます。上小川というバス停を過ぎて右に分かれます。

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分岐点には水準点があります。また一寸行くと、地蔵さんの祠がありました。

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この辺りも街道の風情があり、右手前方に高田本山の大きな屋根が見えたりします。

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13時43分、近鉄の踏切を渡りました。踏切から2分で逆川神社です。式内神社で、境内の川が海と逆に流れているのが名前の由来だそうです。

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逆川神社の一寸先に、寒紅梅酒造と言う酒蔵があります。酒蔵見学などできればと思ったのですが、やってないそうです。

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すぐに国道に出ますが、一寸国道を歩いて左に入るのが街道です。国道から分かれて6分ほど、先に分かれた巡礼道との合流点があります。常夜灯があり、松も植えられて風情があります。通り過ぎて振り返った写真です。左が伊勢街道、右が巡礼道です。

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その先、国道へ出る手前に大きな常夜灯があります。

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国道に出て、歩道橋を渡ります。14時15分です。

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国道を歩いて5分、三重大学の前を過ぎると、国道と分かれ、右の江戸橋を渡ります。

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渡り終えたところが伊勢別街道との合流点です。京・大阪方面から来る旅人は、関宿で東海道と分かれて、ショートカットして、ここ江戸橋へくるのです。

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ここから国道と並行して街道は津駅へ向かいます。途中、阿部喜商店(醤油屋さん)や小丹神社遥拝所など見ながら7~8分歩くと津駅のビルが見えてきます。

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そのまま直進すると道は急に広くなります。でもそこに伊勢参宮街道の道標が有ったり、伊勢街道の案内板があったりします。

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ここから3~4分進むと津駅前の道路に出ます。今日の行程はここまでです。14時45分頃です。

跡は駅地下に新しく出店した居酒屋さんで打ち上げを行いました。

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皆さん、お疲れさまでした。

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また来月お会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年3月11日 (火)

伊勢街道2回目 鈴鹿駅から磯山駅

伊勢街道2回目は伊勢鉄道の鈴鹿駅から近鉄磯山駅です。10キロ弱の行程ですが、実際は12キロほど歩いたようです。

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2025年3月8日(土)

10時20分に鈴鹿駅に集合しました。伊勢鉄道の駅ですが、名古屋から快速みえに乗ると、四日市から伊勢鉄道に乗り入れているので、乗り換えなしで行けます。ただ、JRじゃ無いのでICカードが使えず、皆苦労します。四日市・鈴鹿・津と三重県の三大都市を結ぶ線がJRじゃ無いのは納得できませんね。JRは何考えて、そうしたのでしょうね。

今日の参加者は13名。内、一人が間違えて近鉄に乗ったということで、12名が集合(笑)。歩き出しました。

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出てすぐ、広い交差点を渡って街道に入ります。そこに山神さんがあります。

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山神さんって何でしょうね。山の民と農民の間で山の神の性質は違うそうですが、いずれも女神であることは共通し、きれいな女性と一緒に行くと、ヤキモチを焼くらしい(笑)。この辺が、自分の女房を山の神と呼ぶ由来らしい。

5分も歩くとまた山神さんがあった。

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10時40分頃、23号線を渡る。すると街道らしい風情になる。右の森は天白神社。

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ここで先の近鉄に乗ったメンバーから連絡があり、この先の彌都加伎神社で待ち合わせることにする。少し歩いた正信寺の角に道標がある。

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ここを右折してすぐ左折して行くのが街道らしい。再度23号線に接した辺りにも道標があった。以前、東海道を歩いたときもそうでしたが、鈴鹿市は旧街道の案内が全くない。あまり重視してないようです。なので、この道標が由一の頼りです。

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左折するとすぐ、彌都加伎神社です。無事合流。

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今日はお札が配られるとかで、氏子の方たちでしょうか、並んでいました。内宮に麹を奉納する神社だそうで、醸造業者の信仰が厚い神社だそうです。一寸、小休止。11時15分頃出発。

7~8分歩くと、また、山神さんがありました。今度は赤い鳥居です。

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そこから5分ほど歩くと、きれいに刈り込まれた芝生の土塀があった。フジクラ電線の工場です。以前はエレベーターの会社だったと思ったが、変わったかもしれない。

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工場を過ぎ、菅原社の石碑を左に見ながら歩くと、右手に大きな石碑があった。

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説明を読むと、水原翁とかで、三重県農事試験場の場長で農業振興に功績のあった人らしい。

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11時51分、近鉄の踏切を渡りました。

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渡るとすぐ左に地蔵堂があります。北の端地蔵とか六体地蔵とか呼ばれます。

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ここから先、一寸街中に入り、見どころや道もややこしいので、拡大地図を載せます。

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地蔵さんの由来は難しいので、説明をみてください。

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ともかくお参りしました。

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近くに、役行者の像が有ったみたいですが見落としました。11時58分でお昼時です。街道はこの辺り、鋸刃のようにギザギザになっています。武者隠しの役目でしょうか。

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そして江島本町信号の手前が桝形です。城下町のようですね。

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手前を左折して江島若宮八幡神社へ向かいました。

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海上安全の神様だそうです。その先、海岸が江島公園になっています。この海岸は昔、本能寺の変の後、堺に居た徳川家康が、明智光秀の軍に見つからぬよう、伊賀越えでここまで来て、ここから船で対岸に渡ったと言われています。

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そう言えば、意外に対岸は近いかもしれませんね。

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ここで昼食休憩しました。

 

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12時40分に出発、街道に復帰しました。ここは江島村、隣が白子村だそうですが、紀州藩の代官所が置かれ、港がありました。伊勢の産物や伊勢型紙などの商人は、紀州藩の保護の元、この港から全国に荷物を送ったようです。

その栄えた宿場の面影が残っています。

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明治になっても安芸郡役所が置かれたようです。

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街道から一寸寄り道して伊勢型紙資料館を見に行きました。

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伊勢型紙はそれ自体が非常にきれいなため、海外で芸術品扱いされ、日本でも逆輸入で、それ自体が珍重され、額に入れたり、照明器具に使われたりしています。

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でも本来の用途は染物です。私の生まれた京都西陣では近所に染物屋さんも結構ありました。有名な京友禅も、手書き友禅と型友禅があります。手書きは手間がかかり、型は量産が効きます。最近は機械やデジタルとか有るようですが、詳しくは知りません。

要するに、その型紙を全国の呉服屋や染物屋に売ったようです。この資料館も、その型紙問屋さんだったそうです。儲かったみたいですね。彫師さんが1000人も居たと言っていました。その問屋さんの蔵です。

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13時30分頃出て、街道に復帰しました。久留真神社と言う神社がありました。当て字ですが車に通じるということで、自動車関連の信者が多いとか。

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この辺り、街道は曲りが多いです。やはり迷う人も多かったと見えて、曲がり角の住民の方が、私費で建てた大きな道標がありました。

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この辺りは、同心屋敷とか目付屋敷とか、いろいろ有ったようです。

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小さな橋を渡ったのが13時53分。その先を右折して子安観音寺へ向かいます。このお寺は伊勢西国や三重四国など、いろんなグループにも入っているし、何より参宮道の有名な名所でもあるので、私も4~5回は来ています。

参道の手前に別のお寺が有り、その壁が石臼入りで一寸面白い。全国で、時々見かけます。

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立派なお寺です。ご本尊の白衣観音は、海中から現れたとか。

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ここに有名な不断桜があります。一年中、どこかの枝に花を咲かせているということで、国の天然記念物に指定されています。その前で記念写真を撮ったのですが、どこか咲いていますかねえ。

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この後、狭い道が街道らしいです。辿ると道標があり、間違っていなかったなと、ほっとします。

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少し歩いて堀切川へ出ると、鼓ヶ浦の大きな石碑があります。ここで橋を渡らず、川に沿って右折します。

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23号線の下を潜り、堀切橋を渡って右折します。水仙の咲く堤防沿いに歩いて、左折するのが街道です。

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ここまで来れば、今日の目的地磯山駅は近いです。14時28分頃です。

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14時45分の近鉄で白子へ引き返したかったので、少し急ぎました。5分も余裕で駅に到着しました。

白子へ引き返したのは反省会のためです。磯山駅付近に適当な場所が見つからなかったのです。白子では10分弱歩いて、国道沿いの和食のさとへ行きました。この時間に開いているのはファミレス頼みです。

ファミレスもタッチパネルとかロボったが導入されて、我々も近代化しないといけませんねえ(笑)。

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お疲れ様でした。

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また来月、お会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年2月23日 (日)

伊勢街道1回目 日永追分~鈴鹿駅

2025年2月22日(土)

今日も寒波が来て雪が心配でしたが、なんとか歩けました。今日は下図、あすなろう鉄道追分駅から伊勢鉄道鈴鹿駅まで8キロ一寸です。

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近鉄四日市駅に10時20分に集合し、10時半のあすなろう鉄道に乗りました。追分駅に10時42分到着。旧東海道を5分も歩けば日永追分に着きます。

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伊勢街道は、ここ日永追分で東海道と分かれて伊勢に向かいます。

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大きな道標が立っています。

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また、大きな鳥居も立っていて、桑名の七里の渡しの鳥居が一の鳥居とすれば、これは二の鳥居でしょうか。その鳥居の下で記念撮影です。

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ここには湧水があって、地元の人がよく汲みに来ています。10時55分に出発、しばらく県道を歩きます。

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20分一寸で県道と分かれ、内部川の堤防にぶつかります。ここはまた県道に戻って橋を渡ります。

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渡って右折すると、旧道らしき入口があります。

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ここからは街道の風情です。

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街道に入ると、旧河原田村里程標がありました。大正初期のものだそうです。

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11時35分頃、河原田神社の前に来ました。

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一寸早いですが、ここで昼食休憩にします。実は神社の上に、忘帰処という展望所があるからです。

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一寸木が大きくなりすぎてますが、伊勢湾や知多半島が見えます。雲が無ければ御嶽山も見えるでしょう。ここで昼食休憩です。

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私は久しぶりにカップラーメンを持ってきました(笑)。

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食後、河原田神社を皆でお参りしました。今年の伊勢街道の無事完歩を祈りました。

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神社の近くの道端に、庚申塚群があります。

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12時15分、街道に復帰しました。6~7分で県道を横断し、すぐ関西線の踏切を渡ります。

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渡ってまた県道の鈴鹿橋の下を潜ります。高岡神社の案内があります。この辺りはもう四日市市から鈴鹿市になっています。

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潜ったところです。

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鈴鹿川の堤防に登り、高岡橋を渡ります。

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渡って右折、一寸堤防道路を歩くと、常夜灯があります。そこで堤防を降ります。

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梯子が付けられているのが、珍しいと思ったのですが、平成の作でした。下って、神戸宿へはいるまでの田んぼの中の道は、縄手道と呼ばれる、真直ぐな道です。写真は振り返っています。

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13時頃、常夜灯を見ながら市街に入ってきました。7~8分で、神戸宿の入口、「神戸の見附」に着きました。

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道の両側に石垣があり、その間に大木戸があって、時間に閉められたようです。ここで一寸小休止。桜はまだですが、紅梅が咲いていました。

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13時17分、出発しました。神戸宿に入って行きます。宿場の雰囲気は残っています。6~7分で、踏切があります。近鉄、鈴鹿市駅近くの踏切です。

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渡って大橋という古そうな橋を渡りました。神戸城の堀だったのでしょうか。そのまま少し行くと、古そうな旅館がありました。

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ここを左折するのが街道だそうです。途中、街道から外れて、神戸城址を見に行きました。古くから、名門北畠氏の居城ですが、織田信長の三男だったか織田信孝を養子に迎えて和睦しましたが、豊臣秀吉に滅ぼされました。

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鈴鹿駅に近づくと大きな常夜灯があります。

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次の交差点を右折して、今日の反省会「さがみ」へ行きました。鈴鹿駅はもうすぐのはずです。

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2時間ほど、ゆっくり反省して、鈴鹿駅に向かいました。皆さんリラックスして、このありさま。道一杯に広がって歩いています。ご迷惑かけたかたあれば、ごめんなさいm(__)m。

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無事、伊勢鉄道の鈴鹿駅に到着しました。

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お疲れ様でした。久しぶりに歩いて、楽しかったです。

 

 

 

 

 

2025年2月15日 (土)

伊勢参宮街道

久しく、ここに記事を書いていない。昨年の初瀬街道以来、どこも歩いていないので仕方がない。今年の山歩会では伊勢街道を歩くことにしている。本来、1回目を2月8日に歩く予定だったが、雪で直前に中止しました。リベンジは2月22日(土)の予定です。

で、伊勢街道ってどこ? っということになるんですが、下図を見てください。

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右端の太い青線がそうです。伊勢参宮街道と書いています。三重県にはいろんな街道が通っています。上から、東海道、大和街道、伊賀街道、初瀬街道、伊勢本街道、和歌山街道などですが、東海道と伊勢本街道以外はすべて三重県側の呼び名ですね。逆から見れば、皆 伊勢街道で、実際そう呼ばれていたようです。

なのでまあ、伊勢参宮街道というのが解りやすいかなと。東海道を四日市の日永追分で分かれて伊勢神宮まで85キロ程の街道です。これを8回に分けて、1日10キロほどを歩こうとしています。

以前は20キロ以上歩いたのですが、年齢もとったし、半分にしました。その代わり、以前は素通りしていた神社仏閣や資料館など、面白そうな名所旧跡は、ゆっくり見学しようかと思っています。

反省会は欠かさず、やろうと思っています(笑)。

では2月22日を今度こそ歩きます。

 

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