2022年1月25日 (火)

杣街道 その2

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現在11時42分。図の下、甲南駅近くの天満宮で、昼食休憩を終えたところです。歩き出すとすぐ、伊賀街道の石碑がありました。杣街道は琵琶湖から伊賀の国へ至る街道なので伊賀街道と呼ばれるのも頷けます。

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街道は甲南駅の近くを通って、今度は杣川の右岸を進みます。12時頃、長い陸橋の県道127号線の下を潜り、寺庄の街並みに向かいます。

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12時15分頃、右手に古い建物があり、今は使われていませんが、旧寺庄銀行だったと聞きます。

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すぐ先に六角堂という地蔵堂があります。立派な建物で杣の六地蔵巡拝の第一札所だと記されています。トイレも休憩所もあります。

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12時25分頃、ここを出ました。日吉神社を過ぎると前方に山が見えてきます。何度か登ったことがある山で、左が那須ヶ原山、右が油日山だと思います。

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12時41分、新名神高速道路の下を潜りました。草津線の線路に沿って歩いていると、何かを待ち受けている鉄道マニアが居ました。聞いてみると、なにか機関車1台が貨物車1台を引いてくる列車だとか言ってました。

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線路を渡り、一寸回り道して県道に入ります。甲賀市は忍者の町として売っているので、マンホールカバーも忍者です。

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忍者村の案内もあります。

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高野天満宮の案内には、隣の福生寺と並んで建てられた神仏習合の様式だと書かれていた。

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13時05分、県道を離れて右に入りました。大原商店街と書かれています。

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線路を渡るとすぐ田中酒店と書かれた酒造所があります。お店は向かい側にあったので、土産に地酒でも買っていこうと寄りました。

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出てきた若奥さんに杣街道のことを聞いてみたが、余り意識されてはいないようだった。まあ、歩く人も少ないでしょうから。13時23分に甲賀駅前を通過しました。

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鏡があったので一寸自分を写してみました。

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13時30分、再度草津線の下を潜って、県道4号線に出ました。

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ここからは歩道はありません。

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12~3分歩くと県道は油日の集落を避けて左に迂回してくれます。助かります。そこから10分一寸歩くと油日駅の入り口です。

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その一寸先にお酒屋さんと食料品店があるので、兵糧を買いに行きました。引き返して油日駅に着いたのは14時08分でした。

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柘植行は1時間に1本、毎時34分です。買ってきた兵糧で一寸待てば電車が来ます(笑)。

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街道歩きの後、帰りの電車の中で飲むお酒は、本当に美味しいですね(笑)。

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どんどん進んでいきます(笑)。

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ほかに今日は酒の粕も買ってきました。

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なので今日は粕汁に酒粕の焼いたの、そして伊賀越えの漬物、そして地酒の春の峰生原酒を熱燗で(笑)。

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お疲れ様でした。

 

 

杣街道

杣街道(そま街道)は最近知りました。しばらく歩いていないので、どこか近場で街道を探していて見つけました。

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上図のように東海道の三雲から、大和街道の柘植を結んでいます。全長で24キロほどの短い街道です。名前の由来は野洲川の支流、杣川沿いに歩くから付けられたそうです。別名、伊賀街道とも呼んでいるようです。

東海道の土山から油日、そして柘植へ、鹿深の道というのがあります。鈴鹿峠越の東海道が開かれる以前は、この道がメインだったそうです。事実、壬申の乱などでは、この道が行軍されています。この道は2回歩いています。でもその時は、この杣街道は知りませんでした。

杣街道は三雲から柘植で24キロほど、最後の油日から柘植は県道4号線ですが、歩道のない2車線道路で車も多い。鹿深の道を歩いて知っているので、今回は三雲から油日の17キロほどにしました。

2022年1月22日(土)

朝7時前のJR関西線に乗って三雲を目指します。亀山、柘植で乗り換えます。周囲は雪景色になってきて一寸予想以上です。駅のホームも凍っています。

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海道も舗装された道が大部分と思いますが、地道の部分があると心配ですね。9時に三雲に到着。まあまあです。

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北口から街道に入ります。

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駅前の通りが旧東海道です。左折すると京都方面です。何回かここへ来ています。

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今回は逆方向に歩きます。旧東海道は、ここから数百メートル上流で野洲川を渡っていました。横田の渡しと言います。

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現在東海道を歩くと、渡しは無いので、この道は通らず、直接三雲駅前へ出てしまいます。2~3分歩くと、横田の渡しの常夜灯がありました。これは後世、ここに移されたもので、当時はもう少し上流にありました。

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4~5分歩いて野洲川の対岸を見ると、水口側の横田の渡しの常夜灯が見えました。あそこから渡っています。

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更に4分歩いて9時19分、新海道という案内がありました。この杣街道を新海道と呼んだとあります。

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道は草津線の線路沿いを行きます。

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9時半ごろ、線路の向こうに園養寺への石段がありました。境内から渡しを渡る大名行列の装備を観察し、幕府へ伝える隠密寺だったとか。

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どれだけ上に本堂があるか判らないので、お参りはパスして遥拝だけ。10分一寸で甲賀市水口町に入りました。今までは湖南市でした。この辺りで杣川が野洲川に濯いでいるようで、街道は杣川の堤防になりました。

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杣川の看板から3分ほど歩くと十字路があり、街道は右折して線路を渡ります。

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踏切を渡るとすぐ左折します。

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するとすぐ岩坂の十三仏の案内があります。9時50分です。

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登ると立派な石仏です。

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詳細は不明ですが、江戸末期に近在の富豪が寄付したのではないかと言われている。5分ほど歩くと右最勝寺道の石碑があった。

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更に2分ほどで、今度は草津線の下を潜る。

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なんだか心配な道だが進んでいく。

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線路を潜ると杣川の堤防道路に出て、これを歩く。

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5~6分歩くと宇川橋があり、その先を右折する。

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一寸判りにくいが、笠山神社の案内がある。

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また草津線を潜る。

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集落端を歩いて行ったが、途中で集落の中に入るべきだったようです。瘡山神社というのがあったらしい。ともかくまた草津線の方に登ってきた。

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ここにも笠山神社の案内があった。笠と瘡の違いですね。

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また杣川堤防を歩きます。

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10時半ごろ、国道307号線を渡った。但しこれは旧国道らしい。

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街道はこんな雰囲気。

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5分ほど歩くと飯道山登山口があり、石碑に左山上庚申と彫られている。一寸気になった。

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10時40分頃、庚申口という大きな交差点に出た。ここが新国道ですね。そこにも山上庚申道の大きな石碑があった。

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ここから何キロか先の広徳寺というお寺にあるようだ。一度行ってみたいですね。交差点を渡り、今度は信楽高原鉄道の下を潜る。

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ここからしばらく県道4号線を歩きますが、歩道があるので助かります。

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振り返ると飯道山が見えます。12~3分歩くと水口から甲南に入りました。更に10分、11時06分に矢川橋で杣川を渡ります。

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渡った右手に、天保義民メモリアルパークというポケットパークがあり、大きな石塔が建っています。

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すぐそばに矢川神社という立派な神社があったので、一寸お参りしました。立派な太鼓橋と楼門がありました。

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11時20分に参拝を終え、戻ってきました。

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街道に戻って5分ほど歩くと天満宮があり、その境内で昼食休憩としました。

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長くなったので、ここで一旦終わります。後半へどうぞ。

 

 

 

2021年12月14日 (火)

矢倉沢往還その4 最終3日目

2011年12月7日(火)

昨日一寸頑張って二子玉川まで歩いたので、今日は赤坂御門まで15キロ程の行程です。午後遅くから雨の予報ですが、これなら大丈夫でしょう。

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それでも朝早く目覚めたので、昨日買っておいたサンドイッチで簡単に朝食を済ませ、6時半ごろには宿を出た。元町中華街から電車に乗り、7時20分過ぎには二子玉川から歩き始めていた。

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上の写真は二子橋袂にある自転車メーカーGIANTの店です。街道はどうも二子橋の下を潜るようなので、駅から一寸引き返してきました。

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その部分を一寸拡大してみました。GIANTの前を右折して橋を潜ります。道なりに歩くと新二子橋から来る国道246号線の下を潜ります。その辺りから二子玉川商店街で大山道の垂れ幕があります。

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しばらくこの商店街を歩きます。

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7時40分頃、小さな橋を渡りましたが、ここにも大山道と描かれていました。

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瀬田玉川神社を超えて街道は右折します。

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すぐ右手に協会があり、そこを左折していきます。広い自動車道にでるので、ここは信号のある交差点に迂回します。用賀駅方向に進むと、右からの合流点に延命地蔵の祠がありました。

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8時5分頃用賀駅前で二股を左に入ります。

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商店街を抜けて住宅街に入りますが、マンションにも大山道の案内がありました。

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8時18分、陸上自衛隊という交差点を通過。左のビルがそうらしい。

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自衛隊から10分、右手の小公園に江戸時代の旅人の像がありました。

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8時36分、世田谷通りに出て横断、すぐまたUターンして世田谷通りを渡ります。この辺りは世田谷代官おひざ元ということで売っているようです。

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3分歩くと代官屋敷が残っていました。井伊家が世田谷20ヶ村を治めた代官だそうです。重要文化財です。東京にもこんなのが残っているんですね。

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8時53分、世田谷駅前に出て右折、しばらくは世田谷通りを歩きます。15分ほど歩くと環七に出ました。

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環七を覗くと車が居ません。環七って空いているんだ。9時08分。

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更に12~3分で三軒茶屋です。

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ここを渡って左折しました。2時間歩いて疲れたので、ファミマに入って小休止しました。

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9時35分頃出発、池尻大橋を目指します。少し歩いて街道は右に入ります。再度国道に復帰した所が池尻大橋駅です。

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10時に池尻大橋駅を通過。ここからは初日からお世話になった国道246号線です。矢倉沢往還とは246号線なのですね。一寸歩くと左手に氷川神社の石段が見えました。

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氷川神社は厄除け縁結びの神様で、素戔嗚尊を祀り、8代将軍吉宗の信心が篤かったとされます。渋谷では国道から離れ、道玄坂へ廻ります。

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そして忠犬ハチ公の写真を1枚。10時半です。人出も多くなってきました。

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宮益坂を登ります。宮益の謂れは、坂の途中にある御嶽神社の門前で、宮益町と言っていたからです。別名は富士見坂だそうです。国道に復帰し、子供の国、国連大学など見ながら進みます。10時54分、善光寺の前を通りました。

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神宮外苑の前が11時11分。

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赤坂御用地の前を進みます。

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カナダ大使館、高橋是清記念講演を過ぎ、薬研坂と交わる所で右に入ります。

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入るとすぐ弾正坂があり、重要文化財の武家屋敷があります。江戸時代の老中の屋敷だそうで、重文です。先の代官屋敷とか、この武家屋敷とか、東京でも結構残っていると再認識しました。

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この先は牛鳴坂と言って、急坂です。

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国道に出ると、向かい側は豊川稲荷さんです。

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ここまで来れば赤坂御門は目の前です。青山通り(246号線)と国道4号線の合流点を、なんとか弁慶橋方面に渡って

右折すると石垣があります。それが赤坂御門跡とか赤坂見付跡とか呼ばれる、矢倉沢往還のゴールです。

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11時45分の到着でした。お疲れ様。

この後、地下鉄で銀座へ出てみました。しばらく来たことがないので、変化を見に来たのです(笑)。

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まず腹ごしらえと思ったのですが、高級料理店は無理なので、行きなれた牛丼屋さんへ(笑)。でも一寸豪華にすきなべ定食。

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新しいビルだという銀座シックスへ行ってみました。

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中へ入ってみたけど、お呼びでは無いようです。

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こりゃだめだと、今度は私に合った上野のアメ横へ。

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さすがにここは馴染めますね。昼間から飲んでる人も多くいます。

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でもここはぐっとこらえて、帰りの新幹線で飲むことに。これが楽しみですよね。出張の頃から。

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帰りは富士山が一寸、顔を見せてくれました。

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まあ、これぐらいが、身の程ですね。矢倉沢往還の前半、沼津から足柄峠越で伊勢原まで、これはまた来年に企画しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月13日 (月)

矢倉沢往還その3 2日目後半

12時5分ごろ昼食を終え、長谷公園を出発しました。

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すぐ線路に出て左折、江田駅方面を目指します。線路の向こうは国道です。江田駅の前を12時17分ごろ通過し、高速の下を潜って国道に出ました。すぐまた左に国道を離れます。12時半頃、大山街道 荏田宿という案内板があり、ここで右折して国道を潜りました。

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小さな橋の手前を左折すると庚申塔のお堂がある。

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川沿いに少し歩いて鍛冶橋を渡る。12時40分ごろです。渡って左折、川沿いに5分ほど歩いて右に入る。入るとすぐ右手に不動尊をまつられた滝があります。

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住宅街の中を登っていきます。高架を潜りますが地下鉄だそうです。更に登って県道を超えます。更に登ると右側が緑地になってきます。皆川園という植木屋さんがありました。

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一寸進むと4叉路になり右上に入っていきます。

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すると右側が造園用の木が並ぶ長閑な道になりました。13時5分頃です。

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道は下りになり、紅葉した並木道になります。13時15分頃国道に出て右折、すぐ左折するのですが、目印の阿弥陀堂は工事中でありません。でもまあここだろうと左折、また住宅街を登ります。八幡坂と呼んだようです。登りきると鷺沼駅です。13時25分です。

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少し歩いて旧国道と左に分かれます。一寸登るとお題公園、左折して下っていくと宮前平駅近くの高架を潜ります。駅前には八幡神社があります。13時45分でした。

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特に迷うこともない道なりに進んでいくと、紅葉のきれいな並木道が続きます。アップダウンは相変わらずです。

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庚申坂という案内もありました。14時20分頃大きな交差点に出ました。街道は向こうに見えますが、渡る術はありません。歩道橋で大きく回り道しました。

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もう目指す溝の口駅は近いようです。5分ほどで庚申塔のお堂がありました。お参りしている人がいました。

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更に5分ほど歩くと、今度は子育地蔵さんの立派なお堂がありました。

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そこから10分、14時43分に溝の口駅に到着しました。駅前には庚申塔のお堂があります。

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今日は5時半に横浜の中華街近くのホテルで待ち合わせて、ワンゲル仲間の飲み会があります。元町中華街までは自由が丘で乗り換えて、40分ほどで行けます。明日は午後遅くから雨の予報なので、午前中に歩きを終わるのが良いかもしれません。ということで、二子玉川まで3キロほどですが歩いておくことにしました。

で、大山街道踏切を渡って溝の口商店街に入りました。

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14時50分、溝口神社の前を通りました。

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この辺りでは矢倉沢往還というより大山街道または大山道と呼んでいます。また溝口二子宿とも呼んでいます。

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5分で川崎市大山街道ふるさと館です。一寸入ってみました。

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いろいろ展示されていて、観光客も来ていました。

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石川五右衛門を釜ゆでにした釜を展示しているお店がありました。

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15時12分頃二子神社の前を通りました。

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3分で多摩川に出て、二子橋を渡ります。

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15時25分に二子玉川駅に到着、今日の長かった歩きは終わりました。あとは中華料理が待っています。

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中華街では関東に住んでいる60年前の仲間が6人集まりました。毎年どこかで合宿をしていますが、今年はコロナで中止でした。

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料理はなかなかで、話もはずみました。

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帰りに王さんのちまきというのをお土産に買いました。

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明日はいよいよ最終日です。

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月10日 (金)

矢倉沢往還その2 2日目前半

2021年12月6日(月)

今日は一寸長丁場になりそうなので、ホテルの朝食を6時半にして、7時には出発することにした。

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今日は昨日歩き終えた相鉄のさがみ野駅から、25キロほど先の小田急溝の口駅まで歩く予定です。この日は横浜の中華街でワンゲル仲間との飲み会が予定されていて楽しみです。ホテルも横浜に取っています。

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7時20分にはさがみ野駅近くの街道に復帰しました。車の多い昨日からの道ですが、この辺りからは狭いながら歩道が付いているので安心です。

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先ずは大和市の鶴間駅を目指します。

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20分弱歩くと例の国道246号線に出ます。横断は出来ないので交差点へ迂回します。

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本に戻って7~8分歩くと現在の厚木・大山街道にぶつかり左折します。泉の森公園を右に見ながら歩くと、矢倉沢往還の案内もあります。

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8時10分に鶴間駅付近の踏切を通過しました。

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踏切から1分で街道は左に入ります。分かれて15分程、赤い鳥居の神社のある交差点に滝山街道という案内がありました。矢倉沢往還と交差しているようです。

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5分程歩くと厄除地蔵。

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不動明王の階段を見ながら坂を下ると、ふるさと館があります。

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この辺りは下鶴間宿と言ったそうです。高札場が作られています。交差点を渡ると大山阿夫利神社分霊社がありました。

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観音寺前の交差点を渡り、国道に突き当たります。

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一寸右手で国道を潜り、街道は国道に沿って進みます。8時48分でした。10分程歩くと左側に立派な庚申塔がありました。

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9時10分頃、再度国道戻ってきました。町田辻というバス停があったので、町田市に入っているんですね。

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すぐ横浜市緑区に入って、国道を潜って反対側に出たのですが、もう少し右側を歩くと地蔵堂とか有ったようです。9時20分頃、東急田園都市線のすずかけ台駅へ降りる道があり、下ります。

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駅の一寸上を通って、また国道に登ってきます。東京工業大学への入口が右手にあります。そこに左に登る細い道があり、これが旧道だそうです。Dscn8105jpgc_20211210141501

登るとこんな感じです。両側切れ落ちた馬の背になっています。

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すぐまた国道に降りて、そのまま国道を横断していたようですが、今は無理です。一寸離れた歩道橋を渡って引き返すことも可能ですが、またすぎ渡り直すので割愛しました(笑)。9時40分頃、街道は左に国道から離れ、長津田方面に入って行きます。

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10分弱で団地の中に入ってきます。この辺り地図上で解りにくいのですが、この辺りと見当をつけて左折してみました。

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すると運よく当たっていて、旧道の案内がありました。

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階段を登ると、この3日間で唯一の未舗装の道に出ました。

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旧道は2分で終わりましたが、見つけられたのは幸運でした。

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すぐに大石神社です。

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街道は長津田の街を下って行きます。

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大石神社から10分程、街はずれに常夜灯のあるポケットパークがありました。

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長津田という街は、長津田十景とか定めていて、なかなか良い感じの街だと思いました。

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すぐ近くには地蔵様が並んでいました。以前は建屋もあったようですね。10時08分。

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10時13分、国道に出ました。左折して青葉台方向に進みます。10分一寸歩いて恩田川を渡ります。

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渡ってすぐ左に入り、地図に従って、それらしき道を歩きました。お墓の中に、宝篋印塔など有るらしいですが、入りませんでした。情緒の無いアップダウンの道です。

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10時40分、青葉台駅の近くを通過しました。国道の下を潜って左に坂を登り、今度は高架で国道を越えます。ヤマダ電機の裏へ入って行きます。

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この辺りも住宅街ですが、結構アップダウンがあります。今回の道は平坦と思っていたのですが、当て外れでした。

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11時16分頃、医薬神社に着きました。

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落ち着いた雰囲気だったし、公園が隣に有ったので、弁当食べようかと思いましたが、時間的にもう少し歩くことにしました。

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この辺り、一里塚を探しながら歩いたのですが残っていませんでした。11時27分、川間橋を渡りました。10分一寸歩くと地蔵堂があり、前に地蔵さんが並んでいました。

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更に5分、国道に出る一寸手前に、長谷公園と言う児童公園がありました。丁度時間なので、昼食休憩としました。

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昼食は昨夜買ったお惣菜の残りのコロッケです(笑)。

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後半へ続きます。

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月 9日 (木)

矢倉沢往還その1

皆さん、矢倉沢往還ってご存知でしたか?  私はつい最近知りました。関西の人間なので、どうも関東の情報には疎いです。下図見てください。

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上方から東海道を江戸へ下ってきた旅人は、沼津で道が分かれます。東海道は三島から箱根越で小田原へ。そして海岸沿いに江戸に向かいます。一方、沼津から北上して足柄峠を越えて内陸を江戸へ向かう街道がありました。足柄峠を越えた所に矢倉沢の関所があり、矢倉沢往還と呼ばれたそうです。

沼津と江戸の中ほどに伊勢原という宿場が有り、その西北10キロほどの所に大山があり、その大山阿夫利神社にお参りする大山詣でが江戸時代盛んでした。そのため、この道を、大山街道とか大山道と呼ぶようにもなりました。

東海道が大名行列や武士の往来が多かったのに比べ、矢倉沢往還は物資の往来や商人が多かったと言われています。距離的には120キロ程です。

2021年12月5日(日)

朝早い新幹線こだまで小田原に向かいました。途中、富士山が見えるかと期待しましたが駄目でした。

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今回は矢倉沢往還の半分、伊勢原から東京を2泊3日で歩く予定です。小田原で乗り換え、東急小田原線で30分、伊勢原に10時半頃着きました。阿夫利神社にお参りしようかと考えましたが、往復6時間掛かるので止めました。ケーブル駅近くの下社往復でも3時間掛かります。又の機会にしましょう。今日はさがみ野駅まで20キロ弱歩く予定です。

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伊勢原駅北口に出ます。大山ケーブル行きのバスが出ていますが、私は駅前の阿夫利神社の鳥居を潜って歩き始めました。10時37分でした。

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午前中の行程です。愛甲石田駅で昼食休憩しました。

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阿夫利神社に行けないので、伊勢原大神宮にお参りして、道中の無事を祈りました。伊勢原大神宮は伊勢神宮と関係が深いようで、社殿も内宮と外宮があります。この日は七五三参りの家族連れが多く来ていました。10時50分。

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ここから国道246号線を左折するのが矢倉沢往還の沼津方面です。江戸へは図の赤線のように咳止地蔵さんに向かいます。11時8分に到着しました。

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多分これが大山ですね。丹沢でも人気の山だそうです。

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ここから歩くとケーブル乗り場まで7キロ程だと思います。ここに矢倉沢往還の説明がありました。江戸から来るとここで大山と足柄方面に分れると説明しています。

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11時8分に出て江戸方向へ3分も歩くと、左手に大きなビルが見えます。東海大学の病院のようです。

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15分程で国道246号線に帰ってきました。下糟屋の交差点です。渡るとすぐ高部屋神社があります。糟屋庄127ヶ村の総鎮守とありますから、相当な神社だったのでしょうね。

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この辺りは糟屋宿と言い、丸山城址が神社の奥の方にあります。下糟屋で左折して、東名高速の下を潜ります。

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11時半過ぎに高速を潜り、歌川橋を渡ります。11時40分に白金地蔵がありました。

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ここで右折して小田急線に近づきます。小金塚のバス停で線路沿いに国道へ戻ります。11時57分に石田の交差点で国道に出ました。御説して7分、愛甲石田駅近くで右に入って踏切を渡りますが、すぐ向こうに牛丼の吉野家が有ったので、昼食休憩にしました。

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速い安い旨い。三拍子そろっているので、牛丼は旅人の強い味方です(笑)。

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12時20分には出発しました。

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愛甲石田駅に沿って進みます。10分程で庚申塔など石造物が並んで居ます。

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ここで右折して、相模川方面に向かいます。高速の下を潜り、12時52分頃、玉川を渡る新宿橋に着きました。橋の手前、左側に道祖神の祠があります。

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橋を渡って酒井前田の県道を過ぎ、次の三叉路を左折して、東名高速へ向かいます。三叉路には石仏が3体ありました。13時2分でした。10分程で高速を潜ると、矢倉沢往還の石碑がありました。

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すぐにソニーの工場が右手に見えてきますが、その傍を通りながら10分程歩くと、前田一本杉というバス停が有ったので、そのベンチで小休止しました。13時24分です。

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15分位休んで出発しました。ソニーの工場を過ぎた辺りに〇〇観世音とか刻まれた石碑がありました。

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14時前に小田急の線路を潜ると、渡辺崋山の石碑や厚木神社があります。14時頃です。

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相模大橋は渡らずあゆみ橋を渡ります。

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渡り切って振り返ると大山が見えました。14時12分。

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当時の街道は、もう少し上流に渡し場が有ったそうです。取り敢えず厚木駅近くの県道に突き当たって左折します。

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道なりに右折して踏切を渡り、海老名駅の陸橋を登って降ります。海老名駅はJR、小田急、相模鉄道が有るので陸橋も長いです。14時42分。

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今日のホテルは、ここ海老名に予約していますが、時間的に早いので、もう1時間ほど歩く予定です。国分坂下の交差点に道祖神の大きな石碑がありました。

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その先を左折、登って行くと、相模国分寺跡の案内がありました。街道から一寸外れて見に行きました。2分で国分寺跡です。

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礎石付近は子供達で賑わっていました。良いですね(笑)。

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史跡を横切って街道に復帰しました。15時04分です。5分程歩くと史跡逆川という小公園が有ったので、小休止しました。

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この史跡の謂れは大化の改新まで遡るそうで、日本最古の運河云々の説明がありました。5分程で出発し、道祖神や馬頭観音などの石碑を見ながら坂を登りました。坂を下った所に渡邊崋山縁の道の案内がありました。

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渡辺崋山が「あこがれのお銀さま」を訪ねた道とか。15時33分。ここから先は相模鉄道のさがみの駅まで、パブコの工場前を通って1本道です。県道でも無い裏道だと思っていましたが、狭い歩道の無い2車線の道で、苦労して歩きました。

かしわ台駅の近くを通り、さがみ野駅付近に着いたのは16時08分でした。お疲れ様。海老名へ引き返す電車は10分毎に有るし、不便は感じません。ららぽーと前のルートイン海老名に泊りましたが、一人で飲みながらテレビを見るのに最高の部屋でした(笑)。

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明日に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

2021年11月17日 (水)

越美南線と越美北線を繋ぐ その2

石徹白には白山中居神社(ちゅうきょ)という立派な神社がある。イザナギ、イザナミの命の他に白山の神を主神とする。古来、白山信仰が盛んで、昨日参詣した白山長瀧神社から、ここ白山中居神社を経て、石徹白の大杉、一、二、三の峰を経て別山・白山へ向かうのが白山禅定道です。

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銅板の鳥居も立派ですが、その参道や境内の杉の木が素晴らしい。

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本殿は石徹白川の支流宮川を渡る。

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そして石段を登った石徹白川左岸に素朴な社殿が並ぶ。

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本殿に菊のご紋章があるので、皇室とも関係があるのか。

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奈良時代に泰澄大師が白山に登り、白山信仰が広がると、ここ石徹白はその基地となり神仏混交の元ともなった。明治に入り、神仏分離令が出され、仏像などは中在所の大師堂に移された。

その大師堂へも行ってみた。というより、郡上街道はこの大師堂で終わると、例の歴史の道調査報告書には書かれている。

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ここのお堂も同じ菊のご門だった。

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2021年11月14日(日)

今日は越美北線の最終駅、九頭竜湖駅まで17キロほどを歩きます。ただ旅館の有る中在所から中居神社は片道2キロあります。

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午後2時半の電車に乗りたいので、神社を往復して参拝し、大師堂へもと思うと、一寸時間が足りなかった。そこで旅館のご主人と奥さんにお願いして朝7時頃、神社まで送ってもらった。帰りは朝靄の石徹白集落を楽しみながら歩いてきた。

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8時20分頃旅館に帰り、荷物を持って出発しました。

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昨日登ってきた下在所まで引き返し、そこから石徹白川に沿って下って行きます。

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石徹白は昭和33年まで福井県だったそうです。昭和の大合併で福井県大野郡石徹白村から岐阜県郡上郡白鳥町に編入された。なにか事情が有ったのでしょうね。一部は残って大野郡和泉村だそうです。

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振り返ると白い峰が見えます。白山への尾根道でしょうか。

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朝まだ早い性もあって、車も殆ど走らず、快適なウオーキングが続きます。出発して50分程で漁協の境界の看板がありました。ここが編入後の県境でしょうね。

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県境から20分、9時35分に小谷堂を通過しました。ここは縄文遺跡があるそうで、過っては石徹白村の一部集落だったそうです。

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10時に石徹白ダムに着きました。ここで小休止しました。

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5分で出発しました。付近の紅葉は素晴らしいですね。

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10時40分、家族旅行村に着きました。ここまでは福井側からバスが来ています。ただ、旅行村は7月~10月しか営業していないので、シーズンオフの今はバスが有るかどうか判りませんが。

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旅行村から45分ほど、淡々と歩くと天狗岩ファミリーパークがあります。

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ここはオートキャンプ場のようでした。どれが天狗岩か判らなかったのですが、川岸にこんな岩が有るようです。

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ここで昼食休憩としました。11時30分。藤屋旅館さんの弁当は、お握りが3個も有って、食べるのに苦労しました(笑)。

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11時55分頃出発しました。もう、九頭竜湖駅まで1時間ほどでしょう。車が一寸多くなってきたので、対岸の旧道へ避難しました。快適です。

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12時半頃、山原ダムを通過しました。

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また対岸に戻り、中部縦貫道の工事現場を過ぎると、九頭竜湖の鷲ダムが見えてきました。12時50分です。

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右折すると熊野神社があり、九頭竜湖駅まで600mとか。

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13時04分、道の駅九頭竜湖駅に到着しました。ティラノサウルスの親子がお出迎えです。

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すごい人出です。この人たちが電車に乗るのかと心配しましたが、杞憂でした。コンビニで缶ビールを買って、お疲れ様の乾杯をした後、1時間以上時間が有るので、土産を買ったり、資料館へ入ったりして時間を潰しました。資料館のティラノサウルスの模型です。

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九頭竜湖駅も越美北線の最終駅です。哀愁は同じですが、道の駅の人出は北濃に比べて段違いに多いです。

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但し、JRは廃止したがっているとか聞きます。

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1時間半掛かって4時7分に福井駅到着です。福井は戦国時代、柴田勝家の居城北ノ庄が有った所です。秀吉に攻められ、勝家とお市の方は自害しました。残る淀君など三姉妹は数奇な運命を辿ります。

その北ノ庄跡です。三姉妹と後方は勝家。

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勝家像

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近くの蕎麦屋さんで1年間の打ち上げに蕎麦会席を食べました。

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蕎麦は三種類。

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お疲れ様でした。

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2021年11月16日 (火)

越美南線と越美北線を繋ぐ

下図を見てください。越美北線は福井から九頭竜湖まで来ています。また越美南線は美濃太田から北濃まで来ています。越美線の全通は何時断念されたか知りませんが、国鉄民営化の際、越美北線はJR西日本に引き継がれましたが、越美南線は長良川鉄道に変わりました。

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今回我々は岐阜駅近くの加納宿から郡上街道を北上してきましたが、最終目的の一つが、越美南線の最終駅である北濃駅と越美北線の九頭竜湖駅の間30キロほどを石徹白を経由して徒歩で繋ぐことでした。

2021年11月13日(土)

今回は郡上街道の5回目、いよいよ1泊2日の最終回です。長良川鉄道の美濃白鳥駅から北濃、石徹白を経て九頭竜湖駅まで35キロほどを歩きますが、途中の檜峠越が心配の種です。

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というのも、北濃から石徹白は県道314号線が通っていますが、我々は旧檜峠への旧道を歩きます。この旧道の現状が解らないのです。地元の観光協会などへ訊いたのですが、現状把握されていませんでした。ネットで探すと数年前の記録が見つかりましたが、最近の異常気象で、ここ1年ほどゲリラ豪雨とかが多く、どうなっているのか心配でした。

10時過ぎに美濃白鳥駅に到着です。総勢6人、トイレ休憩を済ませて出発です。

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街道は国道を渡って一筋目を右折していくようでした。相変わらず郡上街道の案内は何もありません。岐阜県教育委員会の歴史の道調査報告書の地図が頼りです。それも40年以上前の調査なので、現状変更は止む得ません。

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サイド国道に出て、少し歩きます。そろそろ積雪が近いと見えて、雪かき用のショベルカーの準備が進んでいます。10時45分、道路わきに北条川原の石仏がありました。台座には越前道とか八幡道と刻まれています。

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街道はしばらく国道歩きですが、特に見る物も無さそうなので、国道と並行する農道を歩きました。車に煩わされないので快適です。

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11時10分過ぎ、八幡神社の辺りで国道に出ました。国道を20分程歩くと白山長滝駅があり、白山神社に到着しました。

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これまでも数多くの白山神社を見てきましたが、ここは特に立派です。長瀧寺というお寺も併設され、釈迦三尊像など重要文化財もあるようです。神仏分離令で苦労されたかもしれませんねえ。

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11時40分、ここで昼食休憩としました。

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12時頃出発しました。すぐ道の駅がありますが、素通りして北濃駅に向かいます。15分かそこらで北濃駅に到着します。

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ここで中途から参加のNさんが合流して7人になりました。終着駅と言うのは、なんとなく哀愁があり、多くの人が写真を写しにきているようです。

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我々はここが目的では無く、ここがスタートです。5分程で駅を出て、15分程歩くと、石徹白への県道が国道から左に分かれます。

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入るとすぐ石徹白まで14キロの案内がありますが、これは県道で、くねくね曲がった自動車道です。我々は檜峠まで旧道で直線的に登るので2キロ程少ないと思います。

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12時40分、ここからは登りになります。20分ほど県道を登ると前谷上切のバス停があります。

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その一寸先を左折して旧道に入ります。すぐまた県道に出ますが、またすぐ左に登る細道があります。特に案内はありませんが、これが旧街道のようです。

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登り始めるとすぐカモシカが居ました。我々の姿を見て一旦は逃げますが、遠くへは行かず、後ろを振り返ってじっと見ています。普通の鹿はすぐ逃げますが、カモシカは牛の仲間で、なかなか逃げません。

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ジグザグの道をしばらく登り、平坦で後が開けた場所を過ぎると白山禅定道の案内があります。13時28分でした。ここから先は地道になります。

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ここは十字路になっていて、右折して下って行くと県道にぶつかり、そこに白山信仰歴史街道の案内があるので、こちらが街道かもしれませんが、教育委員会の地図では我々が歩いた道です。かつ、この道のほうが自然だと思います。

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一寸休憩して出発しました。2分で床並社跡の案内があります。

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実はこの道は、私がワンゲルの頃、スキー合宿の下見や本番で何回か荷物を担いで登っています。でもなにせ60年前の話で、記憶は全くありません(笑)。なだらかな、良い感じの登り道です。国道からの分岐点は標高480m弱、旧檜峠が950mほどなので、500m弱の登りです。

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禅定道の案内から20分でアラクラの滝の案内があり、更に5分で茶屋峠です。標高は800mほどです。丁度2時です。

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道は険しくはありませんが、小さな沢を渡ったり、苔むした石畳があったりして古道を偲ばせます。

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道自体は人が歩いた形跡は少なく、周囲のブッシュや倒木も出てきているので、このままだと何年か先には通れなくなるかもしれませんね。14時40分に中の峠です。標高は930m位です。もう少しですね。

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でもここからも一寸てこずります。一旦下って沢を渡り、梯子を登ります。

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15時丁度にようやく旧檜峠に到着しました。ほっと一息です。午後2時半~3時を予定していたので、ほぼ計画通りでした。

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ここから先の古道は、県道やスキー場の工事で消えているので、辿るすべはなく、県道を歩くしかありません。10分程休んで出かけました。5分で県道に合流しました。ここが現在の檜峠でしょう。

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檜峠から25分でスキー場です。昨日がスキー場開きとかで、たくさんの車が来ていました。

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雪はまだですが、人工雪でゲレンデを作り、滑っていました。15時40分。

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ここから後は淡々と車道を下るのみです。幸いなことに車はぐんと少なくなりました。旧道は右手の山側を通っていたそうです。マタタビの水とか桂清水を見ながら4時半頃、石徹白の下在所に着きました。橋を渡って右折し、6分か7分登った郵便局の前が今日の宿藤屋旅館さんです。字は中在所ですね。

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皆さん、お疲れ様でした。

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料理は鮎やアマゴと山菜料理。すっかり満足しました。

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明日はいよいよ九頭竜湖です。

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年10月10日 (日)

美濃街道最終 養老~関ヶ原

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2021年10月9日(土)

今日は養老から関ヶ原の15キロ弱、下図の丸の線内です。養老鉄道は離れてしまうので、どうしても関ヶ原まで歩かないといけません。

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今日は思うところあって、車じゃ無く電車で養老駅に9時半頃着きました。

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築100年の養老駅の駅舎は、いつ見ても趣がありますねえ。

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駅前通りが街道で、右にとるとすぐ上多度橋です。こころ旅で火野正平がここまで来ていましたね。

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大桑国道を横断するとひょうたん屋さんがありました。養老の滝は酒抜きでは語れないし、酒は昔はひょうたんに入れたのですね。近くにひょうたん会館もありました。

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この後一寸判り難いですが、なんとか地図を辿ります。柏尾新田を過ぎると境松跡という新しい石碑がありましたが、謂われは不明です。

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そこから2分で小さな十字路で右折するのですが、そこに道標がありました。いせ道、たき道と刻まれています。関ヶ原方面から来た人に対する道案内のようです。この後もたき道の案内はよくあります。養老の滝が昔から人気なのでしょう。

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右折して下って行くと、途中に常夜灯がありました。

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この辺りは非常に立派な家が多いです。お寺の傍に地蔵堂があり、周りに石仏が並んでいます。説明に長島一向一揆守縁の石地蔵、南北朝から室町時代の石仏、などと書かれていました。10時05分です。

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右手に通称焼肉街道と言われる道が見えます。写真は多分、養老ミートです(笑)。

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この先も解りにくいですが、焼肉街道から離れ気味に左の山手に進みます。神明神社があります。

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その左側の林の中を抜けて行く道を行きます。10時36分に六社神社に来ました。

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一寸休憩したかったのですが、珍しく子供が遊んでいたので、そのまま先へ歩きました。

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10分程で上方を通過。

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この先の桜井という集落に真源寺と常夜灯があるという情報がありました。集落の端の道には何も無さそうなので、1本中に入って見たらありました。道標もあり、左せきがはら右ようろうとか刻まれていました。

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その常夜燈は木製で、きっと往時は素晴らしい飾りがしてあったなと思われます。

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桜井を過ぎ、しばらく直線で進んだ街道は本郷の集落へ左折して回り込みます。その集会所のそばに、同じような常夜灯がありました。

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そのそばの道標は東海自然歩道で、関ヶ原方面の案内がありました。思わず、その方向に歩きかけましたが、いやいや私は美濃街道を歩いているんだと引き返しました。

直ぐに真泉寺というお寺があります。昔はこの辺りで牧田川を渡っていたそうです。

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現在は渡しも橋も無いので、この先の広瀬橋を渡るしかありません。そちらへ歩きます。

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11時45分頃、堤防を走る県道56号線に合流しました。この道は車では十回以上走っている道です。

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11時50分に広瀬橋を渡ります。前方には伊吹山が大きくなり、関ヶ原近しを思わせます。

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橋を渡り切ると九里半街道という道案内がありました。車で走っていると気が付かない標識です。

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九里半街道は知らなかったのですが、伊勢湾の荷物を京・大坂へ送るため、揖斐川を遡って、牧田川に入った辺りの湊で下ろし、この九里半街道で烏江ー牧田ー関ヶ原ー米原と繋いで琵琶湖の舟運で京都を目指したらしい。ともかく、ここから関ヶ原までは美濃路より九里半街道として案内があるようです。

11時57分に素戔嗚神社にきたので、ここの境内で昼食休憩とさせてもらうことにしました。

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今日も手作り弁当です。美濃路は3回とも手作り弁当でした。コンビニ弁当より美味いですね(笑)。

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20分ほどで出発しました。九里半街道です。道は直線で続いているのですが、二又の馬頭観音で左折するらしいので、探しながら歩いたのですが見つからず、適当に左折しました。再度直線の道に合流しました。牧田郵便局があり、小学校があります。小学校の前には、卒業記念の焼き物のオブジェが並んでいました。

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12時45分頃、大きな石の常夜灯がありました。ここを右折するのが街道らしいのですが、通り過ぎて突き当りを右折しました。

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間違いに気づいて再度引き返したりしました。常夜燈は近くにもう一基ありました。

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少し行くと五井家という旧家があります。問屋や郵便局を務めた家柄だそうです。

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この先が九里半街道の牧田宿です。

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13時10分、牧田宿の端でしょうか、木曽神社があります。

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その先に、芭蕉句碑がありました。

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下って行くと馬頭観音のお堂があります。

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お堂の前を通って登りになりますが、この坂が「うとう坂(鳥頭坂)」と言って、関ヶ原の合戦で、敗れた西軍の島津藩が奮戦して薩摩へ逃れた有名な戦場だそうです。藩主の弟島津豊久の墓碑があります。

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13時22分、名神高速の下を潜りました。

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すぐに追分地蔵がありますが、左側の道が旧道です。

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13時35分に新幹線の下を潜ります。

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ここから駅の間に本多忠勝陣跡があるはずなので、注意しながら歩いたのですが、見過ごしてしまいました。13時44分に国道21号線に出ました。ここが中山道と美濃街道の追分です。

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13時51分に大垣行の列車が来るので、急いで駅に向かいました。駅前の土産物店も入る時間がありません。

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13時46分に駅に着きました。

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関ヶ原の西軍・東軍です。

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大垣迄15分、ここで養老鉄道に乗り換えます。その時間を利用して、冷たい飲み物を買いました。

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ちびちび飲みながら電車に揺られる。これが至福の時間ですね。

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今度は九里半街道を歩こうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年10月 6日 (水)

美濃街道 駒野~養老

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2021年10月5日(火)

前回に続き、養老鉄道駒野駅から養老の滝でお馴染みの養老駅まで10キロ弱を歩きました。

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10時45分頃、駅近くの駐車場に車を停め、駅まで引き返しました。

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駅前から真っ直ぐに街道が続きます。

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養老鉄道を越え、大桑国道も越えて、県道55号線で右折します。この県道は私も養老や関ヶ原に行く際、よく走るので知っています。車が非常に多いので、歩道が無いと歩くのは嫌だなあと思っていました。車で走っていると、歩道が有ったかどうか記憶に無いのです。

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幸いにも歩道が有ってホッとしました。11時08分です。円満寺霊園を左に見ながら歩きます。ここは40年か50年前にできたと思いますが、田舎の霊園の先駆けだったと思います。これより後に続々と出来た霊園は売れなかったと思います。

すぐに県道25号線が左に分岐します。この上にある庭田山頂公園から「火野正平」が自転車で降りてきて、今日私が行く養老駅付近を訪ねる「こころ旅」の番組を最近見ました。

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この県道は三重県の北勢町へ通じる険しい道で、私も何回か通ったことがありますが、冬は通行止めになります。11時半過ぎ、離れていた養老鉄道が近寄ってきました。ここからまた離れていきます。工事中のコンクリートは中部循環道だったか・

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11時42分。旧道が右に分れます。50年前は、この旧道しか無かったので、狭い道に車が乗り入れていました。

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志津という地域を歩きます。10分程で南谷、すぐに北谷と2本の橋を渡ります。写真は南谷。

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北谷を過ぎるとすぐ神明神社があります。

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ここで弁当とも思いましたが、駅のベンチの方が良さそうなので、美濃津屋駅に向かいました。

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ここのベンチで12時7分から20分ほど休憩しました。歩き出すとすぐ大きな燈籠がありました。大神宮と刻まれていますが伊勢神宮のことでしょうか。

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すぐ先に津屋城址があります。今は本慶寺となっているが、関ヶ原の合戦で西軍に付いたため没落した。岐阜県では稀な平城の遺構で、全薄井が見られないのは残念ですね。12時36分。

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ところで、この辺りの地名を下多度と言います。三重県に多度神社があり、多度町があるのは頷けますが、岐阜県に何故下多度町があるのか不思議ですね。

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すぐに下多度郵便局がありました。

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そして津屋城址から10分程で養老町に入りました。12時47分です。

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境界から10分、ここにも大神宮と刻まれた常夜灯がありました。

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観音寺を過ぎ、平田9キロと書かれた県道225号線を過ぎると、街道はトンネルを潜ります。天井川のようです。

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小倉谷隧道と書かれていました。13時07分です。すぐ左には上多度小学校の案内もありました。今度は上多度かと思いながらあるきました。10分程歩くと上多度プラザという案内もありました。

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13時21分、十三代横綱鬼面山谷五郎生誕地という案内がありました。

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もうそろそろ養老駅も近いかなと思っていると10分で踏切でした。そこから1~2分で養老駅です。13時35分の到着でした。

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養老駅の歴史は古く、大正2年に出来たそうです。現在の駅舎になったのは大正8年(1919年)だそうですから、今から100年前ですね。

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駅前の土産物屋の女将さんに多度の地名の疑問を話したところ、明確に答えが返ってきました。後ろの養老山脈は、昔多度山と呼ばれていたそうです。なので多度山の麓の町ということで、上多度・下多度となったそうです。

養老は養老の滝で有名ですね。孝行息子の物語が背景にあります。

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駅舎の中には、例の鬼面山の額がありました。岐阜県で唯一の横綱だそうです。

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葛飾北斎が描いた養老の滝の絵もありました。

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次回は養老から関ヶ原まで15キロ弱です。

 

 

 

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