2026年1月14日 (水)

高須街道その3

今日は昨日の続き、八開郵便局から東海大橋で木曽川と長良川を渡り、高須城址まで8キロほどを歩きます。

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2026年1月9日(金)

9時59分発のコミュニティバスに乗るべく、名鉄藤浪駅にやってきました。この駅前にも信長関連の小公園があります。

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10時35分頃八開郵便局に到着しました。

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小学校の傍から郵便局の裏を通って高須街道が残っています。細道ですが、ここから入ります。

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入ってもまだ細道ですね(笑)。

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2分も歩くと街道は消えます。ここを左折して、すぐ右折していきます。

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白百合保育園の辺りでまた街道が現れます。

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保育園から5分弱でお地蔵さんがあり

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すぐにお地蔵さんと道標があります。「左 京 今尾 高須 道」と彫られているそうです。

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すぐ先に神明社があります。

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そして、その裏には2軒のお堂が並んでいます。詳細は不明です。

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この辺りで11時です。ここから木曽川の堤防へ上がります。東海大橋の赤い鉄骨が見えています。

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この東海大橋は車では何回も渡っていますが、歩いて渡るのは初めてです。木曽川と長良川を渡るので1キロ以上あると思います。

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11時7分に渡り始めました。雪をかぶった伊吹山を見ながら渡ります。中央付近に木曽川と長良川を隔てる中提があります。昔は、木曽川と長良川は、もう少し上流で合流していたそうで、両河川の水位が違うため度々氾濫して困っていたそうです。その治水事業に薩摩藩が当たり、多くの犠牲者を出しています。

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上の写真が木曽川と長良川を隔てる中提ですが、これは明治に入ってから、オランダの技師デレーケの指示により作られました。この分流に寄り、ようやく河川の氾濫は収まったそうです。この道路は一般車両通行止めなので、自転車乗りさんの天下です。私も時々、お千代保稲荷さんまでツーリングしていました。

橋を渡るのに18分掛かって11時25分でした。この先の信号で折り返して8号線の下を潜りました。

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江戸時代、この木曾・長良をどうやって渡っていたのでしょうか。ともかく、ここから高須街道だそうです。

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しばらく直進します。前方、養老山脈の右は雪をかぶった伊吹山です。

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一旦ここで高須街道が途切れます。少し先の春日神社の横の50mほどが高須街道だそうです。

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これがそうです。

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その後は地図左端の高須城址の近くまで、街道は消えているようなので、適当に田んぼの中を歩きます。

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12時頃八幡神社の傍にきました。

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一寸お参りして

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境内で昼食休憩させてもらいました。

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15分ほどで出発して、20分ほど適当に歩いて、8号線から分かれる、高須街道にたどり着きました。

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写真前方の分岐がそうです。街道に入るとすぐ大江川を渡る「渡橋」があります。この欄干を見て、ここは普通の道じゃ無いなと思ったのが、この高須街道を調べるきっかけでした。12時40分頃です。

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高須の街に入ると、昔の雰囲気が残っています。提灯やさんも珍しいですよね。

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12時53分、高須城址に到着しました。小公園になっています。

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主水橋という赤い欄干の橋が残っていました。そこから見るとこんなふうです。

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13時15分に、市役所からコミュニティバスに乗ります。引き返す途中、高須別院の大きな屋根が見えました。

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私の近所の人に高須出身の人がいて、この別院の誘致に先祖が尽力していたとの話を聞きました。世間は狭いですね。13時10分に市役所に到着しました。お疲れ様。

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コミュニティバスは養老鉄道の石津駅に着きます。ここには前述の薩摩義士を祀るお寺があります。

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お稲荷さんと並んであります。

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薩摩義士を祀るお寺は桑名市内にもあります。また、愛知・岐阜・三重の県境に有る木曾三川公園センターの隣に、薩摩義士を祀る治水神社があり、そこは毎年初詣に行っています。

石津も古い街です。

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おわり。

 

 

 

 

 

2026年1月12日 (月)

高須街道その2

2026年1月8日(木)

久しぶりの街道歩きです。実は家庭の事情で、長時間家を空け難いので、16キロの街道ですが、2回に分けることにしました。

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上の図で、右下、名鉄津島線の勝幡駅を出発し、8キロ余りの地点に八開郵便局がありますが、そこで愛西市のコミュニティバスに乗れることが解りました。1日2本ですが11時54分で、名鉄の藤浪駅に引き返せます。と言うことで、朝9時06分に勝幡駅に到着しました。

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「かつはた」ではなく「しょばた」と読むようですね。織田信長生誕地が売り物の街のようです。信長の父・織田信秀の銅像が駅前にあります。勝幡城が有ったようです。

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駅を出て少し歩くと津島街道に合流します。緑の線です。

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一度歩いているはずですが、まったく記憶にありません。また歩いてみましょう。

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津島街道を少し歩くと日光川に出て、猿尾という信号があります。

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日光川を渡らず右折すると勝幡城址が有るようなので行ってみました。すぐ右手にありました。

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稲沢市になるのですね。信長生誕地と説明されています。ただ、もう少し先にも勝幡城址が有るみたいなので、そこも行ってみました。

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愛知県の勝幡城址の石碑があり、「織田信長公ご生誕を育む会」とかの説明がありました。城は広いから、二つとも城跡なんだと思いますが、二つ有るのもどうかなと思いますね。近くの橋で日光川を渡り、引き返しました。対岸に勝幡城址の看板がみえますね。

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松下橋を渡って津島街道に復帰しました。支流の領内川沿いが高須街道ですが、ここは一寸だけ左の津島街道へ入ります。9時40分頃です。

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すぐ二股になるので右折、津島街道に別れて領内川の堤防に出ます。ここが高須街道のはずです。

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堤防を6~7分歩くと巡見橋にでます。巡見街道が有ったのでしょうか。この先の堤防は工事中でした。

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左へ降りて、また並行する津島街道に入りました。下の写真で右の道です。

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この先で、津島街道から分かれて、また高須街道に復帰するのですが、一寸勘違いして、津島街道を歩いてしまいました。

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上の写真、直進が津島街道、右折が高須街道へ復帰する道ですが、直進してしまいました。実は、この日、二つ失敗がありました。一つは地形図の2万5千じゃなく5万にルートを描いてきました。そのうえ眼鏡も忘れてきました。なので、細かいルートや文字が見えないのです。

ともかく引き返して小さな川を渡り、

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ハッピーというスーパーの角を曲がって領内川の堤防に出て高須街道に復帰しました。10時12分です。

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8分ほど堤防を歩くと国道155号線と名鉄の線路に阻まれます。ここは迂回するしかありません。

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左折して国道の下を潜るのですが、途中のここは駄目でした(笑)。

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もう少し歩いて車道で国道の下を潜り、名鉄の踏切も渡ります。

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渡ってすぐ右折、領内川の堤防に戻ります。堤防の手前の道が街道なので、ここで左折しましたが失敗でした。もう1本先でした。

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よく地図を確認せず歩いたので、こんな失敗をします。津島社があり、お参りしました。津島社は愛知県津島市にある、牛頭天王を主祭神とする津島神社の末社だと思います。

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この神社の傍で高須街道と分かれて赤目街道というのがあるらしく、私が間違って歩いている道が赤目街道だそうです。10時33分です。少し歩くと造り酒屋さんがありました。

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更に歩いて佐織橋で街道に復帰しました。でも一寸堤防道は荒れています。Dscn8304jpgc_20260111184001

引き返して堤防に並行する道を歩きました。10分ほどで堤防に復帰しました。

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11時に西川端橋を過ぎました。

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時間が掛かりすぎて、11時54分のバスに間に合うか、不安で焦ります。

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すぐに道が二股になり、街道はここで領内川と分かれます。

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ここにも津島社があり、その傍を通ります。

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この道はグーグルマップに高須街道と書かれている道で、祠があったりして安心です。

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でもこの先は道が消えているようです。前掲地図の青線だけが高須街道で、残りは消えているんでしょう。ここが青線の終点です。ここからは適当に歩くのですが、この日、烈風が吹きすさんで、地図もまともに見れず、眼鏡も無くて、苦労しました(笑)。

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風に押し戻されながら、大体の方向へ12~3分歩いて、一寸登った道に出ました。前述の「ビール党」さんのブログで、旧佐屋川の堤防と紹介されていました。佐屋川は江戸時代に木曽川の水を引き込んで作られた人工の川です。一寸下流に佐屋の渡しがありました。

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少し北上して適当に左折したのですが、後から調べると、もう少し先に高須街道の道標が有ったようです。グーグルマップに写真が載っていました。

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11時半頃用水に出ました。佐屋川の跡に作ったのですね。

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グーグルマップに高須街道が載っているので、そこに入ります。堤敷地蔵尊があります。ここが佐屋川の右岸堤防だったのですね。元赤目という所のようです。

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次は県道8号線の八輪小学校の近くに高須街道があります。そこに向かって適当に歩きます。途中、藤丸稲荷大明神がありました。

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11時47分に8号線に出ました。54分には間に合いました。

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小学校のすぐ先が八開郵便局です。

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その前にバス停があります。1日3本でした。

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無事にバスに乗り、12時40分に藤浪駅に着きました。お疲れ様。

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駅の近くにベトナム料理の店がありました。フォーを食べたかったのですが、電車の時間も有り、断念しました。またいつか食べに来ましょう。

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明日また、この駅から残りを歩きに来ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

2026年1月10日 (土)

高須街道その1

高須街道の説明をする前に、皆さん、高須4兄弟ってご存じでしょうか。私も、恥ずかしながら、つい最近まで知りませんでした。名古屋の西、現在の岐阜県海津市に高須藩3万石がありました。高須藩は尾張徳川家の支藩で、尾張徳川家に跡取りが居ない場合、高須藩から出すために作られた藩でした。丁度、江戸徳川家の御三家や御三卿(田安・一橋・清水)のようなものですね。

地理的にはこんな感じです。

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幕末の頃、その高須藩の10代目松平義建は、正室に水戸藩の娘をもらっています。その義建は10人の男子をもうけますが、長男・四男・九男は早世します。次男慶勝は尾張徳川家の藩主となり、五男茂徳は一橋家を継ぎます。七男容保は会津藩・八男定敬は桑名藩の藩主となります。

この慶勝・茂徳・容保・定敬が高須4兄弟と言われ幕末から明治にかけて活躍することになります。容保は京都守護職、定敬は京都所司代となり、新選組を使って、京都の治安維持に働いたのは有名な話です。

大政奉還の後、徳川慶喜の官位と領地を朝廷に返上するよう、朝廷の使者に立ったのは尾張慶勝でした。またその使者を迎えた徳川の代表は一橋茂徳でした。慶喜はこれを拒否し、戊辰戦争へと入って行きます。

明治維新後、会津・桑名両藩の藩主の命乞いをしたのは尾張藩主慶勝で、新政府もその嘆願を断れず、4兄弟は維新後も長生きしました。

こんな重要な高須藩ですが、知ったのは、この風景がきっかけです。

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昨年5月、山仲間のNさんの誘いで、海津市の木曾三川ミュージアムから御千代保稲荷さんへ歩いて、串カツを食べに行きました。そのとき通ったのがこの橋で、これは何かあるとグーグルマップで調べました。

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上の図の「とはし」を渡ったのでした。そして高須街道という名前も初めて知りました。その後、ぼちぼち調べて、名鉄津島線の勝幡駅付近で津島街道と分かれ、高須城まで15キロほどの街道だということも。

そしてネットを調べるうちに、「ビール党」さんのブログを見つけました。そのブログに高須街道を歩かれた記録があり、大いに参考にさせて頂きました。

そして、いつか歩こうと思っているうちに、新年1月を迎えました。12月・1月は山歩会の街道歩きが無いので寂しい月です。ということで高須街道を歩きに行きました。

実際の歩いた記録は、次をご覧ください。

 

2024年4月13日 (土)

竹鼻街道修正

竹鼻街道というのは美濃路のバイパスです。

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上図の左上、中山道の垂井から、右下、東海道の宮宿までを結ぶ青線が美濃街道です。そして美濃街道の大垣から富田を結ぶ、ショートカットの赤線が竹鼻街道と駒塚道です。

この竹鼻街道を2022年8月に歩いたのですが、その記事に対し最近、下記のようなコメントを頂いていました。しばらく気づかなかったのですが、1っか月たって、ようやく気付きました(-_-;)

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それで、そのコメントに従い地図で修正してみました。まず間違いの1番目。竹鼻街道の起点。

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私は上図の問屋場跡を起点として、赤線で歩いたのですが、実際は本町道標が起点ですとの、ご指摘です。全くその通りで、2017年に美濃街道を歩いたとき、写真に撮っていました。

まず問屋場跡の写真。

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次に本町道標の写真

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その説明に、ここが竹鼻街道の起点だと書かれていました。すっかり忘れていました。

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なので、竹鼻街道は上図の紫の線が正しいと思います。言い訳ですが、某サイトに、こんな図が載っていたのです。それで、すっかり間違ってしまいました(笑)。

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次に2番目の間違いです。下図、座頭橋から平の渡しへ至る道筋です。

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私は赤線で歩いたのですが、紫で歩かなければいけなかった。平の渡しは無いので、大垣大橋を渡るのは仕方無いですが。

言い訳ですが、例のサイトで赤線のように案内されていたのです(笑)。

以上が修正ですが、美濃路と竹鼻街道に興味ある方は、下記の記事を見てください。

美濃路 

竹鼻街道

 

 

2024年1月 7日 (日)

奈良街道2回目

昨年12月の六軒から久居までに続き2回目です。2024年の初歩きです。

2024年1月5日(金)

朝8時40分に近鉄津新町駅に到着しました。

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前回は久居で終わっているので、今回は久居から五百野が普通ですが、前回久居駅の浪速のれんという居酒屋が気になっていたので、今回は逆にして、五百野から久居へ、そして久居で昼食がてら、お屠蘇でも飲もうかと思ったのです(笑)。

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上の図で、右上の津新町駅からバスで、青線の伊賀街道に沿って、津市美里町五百野の稲葉口まで行き、そこから右下の久居駅まで10キロ弱の行程です。

津市もいろいろ合併して拡大しているので、こんな所も津市なのという風景の中をバスは行きます。

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9時22分に稲葉口バス停に到着しました。2回来ているはずですが記憶にはありません。

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一寸詳しい地図を掲載します。

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上図中央の茶屋の道標で、江戸時代の街道は分岐していました。緑の伊賀街道は津へ、赤の奈良街道は六軒を経て伊勢方面に向かっていました。バス停は国道163号線沿いに有り、一寸戻って三叉路の交差点を南下します。そこに龍神神社があり、これは見覚えがありました。

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そこを右折して10mも行くと道標があります。これが旧伊賀街道の道標です。

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ここを直進すれば伊賀へ、左折すれば久居方面への街道です。でも、ここの旧道は消滅寸前ですね。

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まあそれでも歩ける所は歩くのが街道歩きでしょう。2分で自動車道に合流します。そこに、是より南一志領とかの石柱がありました。

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そこから4~5分で茶屋の道標です。ここも覚えがありました。津方面への旧道は消滅して田んぼになっています。

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9時32分にここを出て、南下します。10分ほど歩いて、多分、北出というバス停を過ぎると、常夜灯があります。

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ここで拡大図を載せます。

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常夜灯から10分で長野川にぶつかります。ここの稲初橋は渡らず、川沿いに歩きます。

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更に5分ほどで、立派な門があります。ゴルフ場の入口でした(笑)。

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ここを過ぎると道は山の中に入ります。2車線が1車線に変わり、登り道を注意しながら歩きます。車は結構多いのです。10分一寸で山道を抜け、ペットセンターとかの建物があります。10時10分頃です。

3~4分で道は下りになります。

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左手、木々の向こうに湖面がみえます。山田池です。

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池を過ぎると看護協会とかの建物があり、その先は塩見坂の桜とかで、名所らしいのですが、気が付きませんでした。

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10時35分頃、津市久居プールへの案内がある交差点を過ぎ、右手にオークワを過ぎると、国道165号線です。10時42分です。

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ここは伊勢道の久居ICで降りて、ゴルフ場へ向かう道筋なので、何回も通っているはずですが、ここが奈良街道なんて、気が付くはずもありません。渡って左折します。ここは一寸街道の面影あります。

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7~8分歩くと左手に常夜灯と地蔵さんがありました。地域の集会所みたいです。久しぶりに街道の印を見ました。

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3分先で道が二股に分かれ、右側の道は下っています。実は左が本来の街道らしいのですが、途中で消滅しているので、今回は右の道を行きます。

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一旦下って小川を渡り、登りながら久居の市街でしょうか、住宅街に入って行きます。戸木の公民館を過ぎ、11時6分頃味噌蔵がありました。辻岡醸造と言うそうです。

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すぐ左の奥に、蓮蔵寺の大きな屋根が見えます。その先で、何気なく振り返ったら、左奥にお堂が見えました。一寸寄ってみました。中の石造からして、庚申堂のようでした。

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庚申堂から5~6分、11時20分に伊勢自動車道を潜りました。

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潜って30mほど先を左折します。ここまでの道は往時の奈良街道に並行する道だそうです。左折して3分ほどで突き当り、一寸左に曲がりながら旧道になり、久居駅方面に進みますが、この辺の方が街道の面影はありません。

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この辺りの地図です。

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街道のすぐ傍に、木槿(むくげ)塚と子午(とき)の鐘があります。木槿塚は芭蕉句碑で、「道端の木槿は馬に喰われけり」という句だそうですが、この句は野ざらし紀行で、大井川の辺りで詠まれたと思っていたのですが?

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子午の鐘は戦時中の供出から生き延びて帰ってきた貴重な鐘です。

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11時45分頃ここを出ました。これなら丁度12時頃には久居駅へ着いて、お屠蘇が飲めそうだとニコニコでした(笑)。

5分で前回六軒から歩いてきた場所に着きました。これで奈良街道は繋がりました。

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今回も久居八幡宮にお参りしました。初詣の方も来ていました。

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12時03分に久居駅へ着きました。でもお店はシャッターが下りています。まだ正月休みでしょうか。

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前回はこうだったのです。

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泣く泣く他の店を探しました。屋台寿司も午後3時からで、他に開いてそうな店も見当たりません。

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諦めてコンビニ弁当かと思いましたが、正月早々それでは面白く無い。そこで天啓のごとく閃いたのが、以前行った、津駅前の激安焼き鳥やさんでした(笑)。すぐ電車に乗って津へ向かいました。開いていました。

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酒が怖くて伝串が喰えるかということで、お酒も頂き、満足しました。

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帰りの電車の中でもそっとお屠蘇を頂いて、良い歩き初めでした。

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お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

2023年12月26日 (火)

奈良街道1回目

先日、伊勢西国巡りで、近鉄の桃園駅から十三番賢明寺へ向かうとき、奈良街道が通っているのに気づきました。三重県の街道は殆ど歩いたつもりだけど、まだこんなの有ったのか。と、気になったので調べてみました。

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伊勢街道の松阪付近から大和へ向かう道は、六軒から青山峠を越えて阿保宿・名張を経由する初瀬街道と、月本追分から長野峠を越えて伊賀上野を経由する奈良道(伊賀越えならみち)の二つが古くから開けていました。

その奈良道ですが、江戸時代に入り、藤堂高虎が津に入ると、伊賀・伊勢二国を領したため、上野と津を結ぶ往来が激しくなり、伊賀街道として定着しました。その結果、奈良街道は月本から伊賀街道が分かれる五百野までの四里ほどが残るだけとなったようです。

で、伊賀街道の津新町から上野は歩いているので、月本から五百野までを歩いてみることにしました。

2023年12月23日(土)

10時過ぎに六軒駅に着きました。もっと早く出て、五百野まで歩くのも良いんですが、五百野からのバスが2時間に1本なので、今日は久居までの半分にして、次回、時間調整をしながら五百野まで行くことにしました。

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5分ほど歩くと伊勢街道に合流します。今年、初瀬街道の歩き始めは、ここを右折したのですが、今回は左折して月本追分を目指します。変わった常夜灯と道標があります。

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伊勢街道は何回か歩いています。所々に道標や石仏があります。

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形もいろいろですね。

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「右からす」と刻まれた道標です。香良洲道というのも有ったようです。

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ここからすぐ、合流点からだと20分一寸で月本追分に到着しました。10時34分です。Dscn9287jpgc

街道の向かって右に大きな常夜灯、左にこれも大きな道標があります。

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左折して、ここからが奈良街道になります。5分でJRの踏切を渡ります。

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伊勢街道沿いはずっと民家が続きますが、奈良街道に入ると、畑になり、道標や石仏もさびしくなります。左手に松阪の山々がみえます。写真の左側が多分、掘坂山や観音岳でしょう。右の方は台高になるのでしょうか。

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10時55分、中勢バイパスを潜ります。中勢バイパスはたまに走りますが、どこかで途切れているので困りものです。いま、どこまで行ったのかな。

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潜ると辻製油という工場があります。そこに珍しく石仏がありました。山の神ですね。

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通り過ぎて、少し左に入った所に称名寺というお寺があり、一寸休憩させてもらった。

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お寺から15分ほど、11時25分に雲出川を渡る。大正橋です。はるか彼方は青山高原で、風車が見られます。

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この辺りは街道が消えていますが、橋の少し下流に渡しがあったようです。

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橋を渡ると住友電装の工場ですが、街道はその工場の中を通っていたようです。

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工場を迂回しながら歩いて行くと、キャベツ畑が広がり、左手に物部神社があります。

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この辺で思い出したのですが、どうも一度歩いたような気がする。このときは奈良街道を歩いたのか、他の歩きで、たまたまここを通ったのか、はっきりしませんでした。とりあえず、物部神社へお参りしました。11時45分です。

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物部神社の境内にそって左折し、近鉄の線路沿いに北上します。

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線路の向こうにキャベツの郷の看板があります。この看板も見覚えがありました。

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帰って調べてみたのですが、2019年にこの奈良街道を歩いていました。すっかり忘れていました(-_-;)。すこし歩いて近鉄の踏切を渡ります。

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5分ほど田んぼの中を歩いて右折し、久居の市街へ入って行きます。前方の屋根は宝樹寺です。

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一寸登って宝樹寺を参拝しました。ご本尊ではありませんが、鎌倉時代作の石造地蔵菩薩があります。

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時間も12時15分、お寺の前の見晴らしの良い空き地で、昼食休憩しました。

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久居は津藩の藤堂家の支藩で5万石ほど。ただ築城は許されず、陣屋だったそうです。15分弱で休憩を終わり、久居市街に入って行きます。ここを右折です。

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すぐに先日、桃園駅から来た合流点に来ました。

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この道標が目印です。

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左折して久居駅方面に向かいます。5分ほどで、川方天満宮です。今回は境内に入って参拝しました。

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前回は、この近くで奈良街道を外れ、賢明寺へ向かいましたが、今回は当然ですが街道を歩きます。市街の街道は、判り難く折れ曲がっています。地図でご確認ください。

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本屋さんがありました。最近、私も本を読んでいないのですが、町の本屋さんも少なくなりましたね。よく頑張っておられると思います。

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この辺りは本町通りというようです。久居駅も近づいたころ、レストラン伊勢屋という食堂があります。前回はここでランチをしたようです。今日はお休みでした。

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ここから少し歩いて、久居駅に一番近そうな辺りで、今日の歩きを終わりにしました。駅に向かうと、久居八幡宮がありお参りしました。

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13時12分に八幡宮を出て、久居駅には25分頃に到着しました。

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ここは30分毎に電車の便があるので、うまく出発時間を調整して、残り半分を歩こうと思います。正月明けの楽しみですね。

 

 

 

 

2023年11月21日 (火)

初瀬街道最終回 榛原から長谷寺

今年2月、松阪近郊の六軒駅から歩き始めた初瀬街道の最終回です。ただ天気が心配でした。前日が全国的に大荒れの天気で、その余波がまだ残っているのです。影響が軽微なことを祈りながら、風雨覚悟で出かけました。

2023年11月18日(土)

名古屋は晴天ですが、電車が三重県から奈良県に入ると、やはり雨でした。天気予報通りです。写真は三本松の道の駅付近。

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10時に榛原駅に着くと、付近の山は白く覆われていました。初雪だそうです。雪が降るとは想像していませんでした。前途多難です。

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取り敢えず準備した雨具を付けて歩き始めました。幸い今日は山道がありません。10時22分、前回訪れた西峠に到着しました。ここからスタートですね。

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榛原駅からここまでは上り坂ですが、ここから初瀬までは長い下りです。今回はこの西峠から長谷寺を経て、大和朝倉駅位まで歩こうと思っていました。

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でも雨は小降りじゃなく本降りで、霙交じりの様相を呈してきました。雨具、再点検です。

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雨が降ると地図を見るのが、おっくうになりますが、出来るだけ旧初瀬街道を歩くつもりです。この写真の前に短い旧道があるようですが、見逃しています。仕方ないですね。

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最近では3年ほど前に、同じメンバーで大阪から伊勢への伊勢本街道を歩いて、この道を逆に初瀬から登っています。10時40分頃、国道の向こう側に庚申堂が有りました。

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この先に左へ入る旧道があるのですが、今度は見逃さず入れました(笑)。小さな沢まで下って、図の旧道1辺りです。

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少し登って見晴らしも良い旧道2辺り。

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一旦国道に接しますが、国道に出ずに旧道へ。旧道3付近です。

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その先に、吉隠(よなばり)の説明がありました。この辺りの地名で、万葉の時代から初瀬街道の名所として、知られていたそうです。また棚田も有名だったそうです。

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一旦国道に出ます。雨の165号線、交通量も多く、歩道のない国道は危険ですね。でも数十mでまた旧道に入りました。すると道標がありました。「右いせ」という文字ははっきり見えます。

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なかなか街道の面影有る立派な家もあります。旧道4辺り。

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国道に出て、10分弱歩いて、ちょっとした脇道に入ります。11時10分頃。

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再度国道に出る手前に、宝篋印塔みたいな石塔と石の覆いをした地蔵さんがあります。写真は地蔵さんを見ています。11時10分頃、雨も小康状態みたいですね。

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国道に出ると浄水場があります。

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この先少し国道を歩きます。浄水場が切れる手前左にポケットパークがありますが、荒れ果てています。初瀬東の交差点に来ました。11時18分です。

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ここで一寸考えました。前回、伊勢本街道を歩いた時は、国道沿いを登ってきました。でも今回はグーグルマップで国道の北側、山すそに旧初瀬街道を見つけました。奈良県のサイトにも載っていました。なので、それを歩こうと思ったわけです。図の青線がそうです。

でも道が消えているようで自信が無かったので、一寸国道を歩いて右折する、図の赤線を選びました。写真は右折したあぜ道です。

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突き当たると鹿よけの柵があり、扉を開けて入りました。

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すると捕らえた鹿の入った檻小屋があり、一頭入っていました。右から来るはずの道はやはり消えているようでした。

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そこからは舗装された道になり、ほっとしました。11時32分。

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すぐに街道らしい道になってきました。

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鹿小屋から5分で、左手に天満宮がありました。

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そしてその先で道が二つに分かれます。どちらを採っても長谷寺の参道へ出ますが、今回は右側の山道を選びました。興喜天満宮へ行く道ですが、道が荒れているので要注意との案内があります。

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でも、そんなに荒れていません。

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切通しの峠まで3分で来ます。

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5分で天満宮の鳥居に来ました。ここを登れば興喜天満宮へ。

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左に降れば長谷寺の参道です。

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せっかくだから天満宮にお参りしようということになり、急な石段を登りました。

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11時57分、無事にお参りしました。

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時間も時間なので、境内をお借りして、小雨の中、簡単に昼食を済ませました。

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社務所の横から、直接長谷寺へ行く道が有り、12時13分に降り始めました。雨で滑りやすい急こう配の石段を、慎重に下りました。5分で長谷寺を見渡す高台にきました。

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12時25分に仁王門の前でチケットを購入しました。本堂の特別拝観で1300円でした。

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ボタンの長谷寺が有名で、この回廊の周囲が名所のはずですが、その季節には来たことがありません。初瀬街道2回、伊勢本街道2回、西国三十三札所巡りなど、少なくても5回は来ているはずですが。

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でも今日は桜が咲いていました。彼岸桜?

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絶景の舞台ですが、今日は雨です。

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舞台から本堂の十一面観世音が拝めます。木像の観世音としては日本一の大きさだそうです。回廊で結婚式の記念写真を撮っていました。お幸せにどうぞ。

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本堂の特別拝観に行きました。さきほどの巨大観音像の足元を廻れます。足に触れながら願い事を唱えると叶うそうです。本堂を出て、境内をぐるっと見て廻りました。

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宝物殿が無料公開されているので見ようと思っていましたが、時間的に厳しくなったので、長谷寺駅に向かうことにしました。仁王門から1.5キロ、25分位掛かるかなと思います。13時22分です。

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興喜天満宮への参道入り口です。

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前回通った国道への近道です。

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往時は栄えただろうなと思わせる参道の雰囲気です。

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長谷寺駅へは国道の初瀬交差点を渡ります。ここまで15分です。

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ここから上り坂になって、最後は階段を結構登って、交差点から6~7分で長谷寺駅に到着です。仁王門から22分、13時45分の到着でした。

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14時01分の電車に乗るので、雨具などをかたずけて、ホームに登ったころには雨もあがり、天候は回復です。これも予報通りか(笑)。

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名古屋とは逆の大和八木に来ました。この時間に開いている居酒屋は、なかなか無いのです。2時半に予約して、駅前の居酒屋さんに入りました。

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奈良の酒蔵とコラボした居酒屋さんで、高級な日本酒が飲み放題で楽しめる、うれしいお店でした。

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皆さん、お疲れ様でした。また来年、熊野古道でお会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

2023年10月30日 (月)

初瀬街道7回目 室生口大野から榛原

初瀬街道も残すところ今回を入れて2回です。今回は室生口大野駅から近鉄で1駅の榛原です。距離も10キロ弱と短いです。なので集合時間も11時とゆっくり室生口大野駅に来ました。

今日、10月28日は紅葉シーズンの始まりで、駅には臨時の観光案内所ができていました。そこのお姉さんにシャッターを切ってもらいました。

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11時20分頃、駅を後にしました。

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前回、反省会の帰りに通った線路沿いの道を歩いていたら、大神宮常夜灯を見つけました。前回は気が付きませんでした。

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10分弱で近鉄の線路を潜って北側に出ます。

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そのあと気持ちよく旧道を歩いていたのですが、ふと気が付きました。再度近鉄を潜って南側に出るはずだと。あわてて付近の風景と地図を見比べ、それらしき道を下りました。11時34分です。

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線路際の道を通るとトンネルがあり、そこを潜りました。また線路を右側に見ながら10分ほど歩いて、今度は陸橋で線路を渡りました。

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緑川半焼というバス停のある国道に出ました。橋は半焼橋というそうです。国道には、向かい側に四阿的な休憩所と街道地図があります。その向かい側に地蔵堂か祠がありました。

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そこから10分一寸、嫌な国道歩きです。狭いながらもガードレールと壁の間が歩道で助かりました。

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ここも判り難いのですが、歩行時間と右から降りてくる細道で判断して、国道を渡って旧道に入りました。

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近鉄の線路沿いに出て、少し歩くと右手に大きな欅の木が有ります。地図に大楠と書きましたが、ケヤキだそうです。

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すぐに近鉄を潜り、2分歩くと、間違えそうな三叉路にでます。直進しそうですが、右折が正解です。

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良く見ると、道標があります。榛原方面が正解です。12時26分です。

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心配要りません。3分で濡れ地蔵の案内があります。川向うにあります。

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山の向こうから水が引かれ、いつも濡れている地蔵さんだったからとか。

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12時35分、ここ榛原ふれあい公園でランチタイムです。20分弱で出発しました。

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6~7分で近鉄の踏切を渡ります。

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すぐ国道に出ますが、ここからは天満台団地の下を、しばらく国道歩きです。以前、この奥の額井岳に登った時、山部赤人の墓があったなと思い出しました。13時です。幸い国道には歩道が完備しています。

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13時27分、街道は右に国道から離れます。

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ここで地図を新しくします。縮尺を一つ上げて、拡大しました。「右へ」からです。13時27分。

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6~7分、気持ちよく旧道を歩くと、庚申堂の辻にぶつかります。道標もあります。

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右いせみち、左はやまみちとか刻まれています。ここを左折します。風情ある街道筋にはいっていくと、椋下神社がありました。神武天皇東征云々と書かれているので古いですね。

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この辺り、旧街道筋の面影残る街並みです。登録古民家奥田家住宅。

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その他も油問屋さんなど古民家が並びます。13時50分、自動車道を渡ると、あぶらやという古民家にぶつかります。

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この前の左右の道が旧伊勢本街道です。歩いてきた初瀬街道は、ここで伊勢本街道と合流します。

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右の大きな石標が目印です。あずまやは旅館で、本居宣長なんか幕末に泊まったとかききました。

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伊勢本街道は3~4年前に、このメンバーで歩いているので、ここから先は逆方向ですが2回目です。私自身はというと3回目か4回目です。なので、今回の初瀬街道歩きは、ここまでとも思いましたが、せっかく初瀬街道なので、ここから6キロほど先の初瀬まで歩いて、長谷寺にお参りするのが順当でしょう。

あぶらやから10分一寸、伊勢本街道を歩いて、急に左へ細い道を登ります。これは前回歩いて覚えていたので、近所の人に聞きながら、なんとかクリアーしました。

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ここから国道付近の旧道をたどりながら西峠に向かいます。

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国道に出て横断します。渡った先には、村道改修記念碑があります。

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14時18分、西峠に到着しました。今日はここがゴールです。

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榛原の駅に引き返して、近くの寿司屋さんに入りました。ここは前回、伊勢本街道のときも、反省会に使ったようです。

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刺身も酒も旨い、皆さんの評判も良い店です。

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お疲れさまでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年9月26日 (火)

初瀬街道6回目 名張から室生

松阪の近く、六軒から桜井まで90キロ余りを8回に分けて歩いている、初瀬街道の旅も6回目を迎えました。今回は三重県の名張から奈良県に入り、女人高野室生寺の最寄り駅、室生口大野まで12~13キロを歩きました。

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今日はゆっくり11時に近鉄名張駅に着きました。特急も停まるので朝ものんびり9時過ぎに家を出ました。Murou01jpgc

名張は古くからの宿場町で、街道筋は趣があります。10月8日に街道市が行われるとポスターが貼ってありました。秋祭りも行われるようです。

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大和屋さんという和菓子店が有形文化財で、初瀬街道沿いです。

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造り酒屋さんの建物も歴史を感じさせます。

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近くに江戸川乱歩先生生誕地の碑も立っていました。他にもいろいろ歴史的建物が残っています。藤堂家の屋敷跡もあるようです。駅から25分、11時33分に新町橋で名張川を渡りました。

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名張川は北上して京都の月ヶ瀬辺りで木津川となり、八幡市辺りで、宇治川・桂川と合流して淀川となり、大阪湾に注ぎます。橋を渡ると宇陀川にぶつかりますが、その袂に、大きな石の道標があります。

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この宇陀川は、ここで名張川に合流するのですが、初瀬街道は宇陀川の両岸どちらでも良いようです。我々はそのまま宇陀川を渡らず右岸を歩きました。川の右岸・左岸は上流から見て右を右岸、左を左岸と言います。下流側から見るのは、左股・右股という場合に限られます。

20分一寸歩くと、街道は川から一寸離れます。すると左手に阿弥陀寺跡があります。今は阿弥陀像が無いお堂だそうです。

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すぐそばに、大きな道標もありました。そこから3分、右側に丈六寺があります。真言宗のお寺で、三重四国などの巡礼で来たこともあります。

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ここの境内をお借りして、昼食休憩としました。12時半に出発し、3~4分歩くと街並みを抜け、滝川と言う小川を渡ります。そこに水神様の大きな石碑があります。この辺り、赤目口駅が近く、赤目四十八滝ハイキングの最寄り駅です。

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両側になだらかな丘陵地帯がみえる、私の大好きな名張の田んぼ道に入ると、すぐお地蔵さんが有ります。勝運生(しょうけ)地蔵尊と呼び、足の病に効くそうで、多くの草鞋が供えられています。腰にも効くかな(笑)。

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途中で右折して、12時55分に宇陀川を渡って左折しました。

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ここからしばらく宇陀川沿いを歩きますが、街道の雰囲気があります。

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すぐに右手に鹿高神社の参道があります。そこに菅笠日記の石碑もあります。

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左手下に小川が流れているのですが、よく見ると白い花があり、梅花藻のようでした。13時頃です。

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しばらく川沿いを歩きます。義民の石碑が有ったり、連格子の家があったり、雰囲気のある街道歩きです。10分一寸で国道を横断しますが、その手前右に庚申堂があります。

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横断して5分、今度は本格的に国道に合流しました。

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ここからはしばらく嫌な国道歩きです。

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12~3分歩くと奈良県に入りました。宇陀市です。13時30分頃です。

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すぐに近鉄の線路を潜りますが、その手前に六宝地蔵があります。

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近鉄を潜ってすぐ、国道の左裏側に石仏群が有ったはずですが、何も案内が無く、車の通行も半端なく多いので、確かめに行くのを止めました。13時40分、街道は左に分かれます。

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ほっとしながら旧道を3分も歩くと、左にお堂があり、その前に大きな石標があります。女人高野室生山と刻まれています。室生寺へ行く道のようです。一度歩いてみたいですね。

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5分ほどでまた国道を横断し、三本松駅への坂道を登ります。

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三本松駅前に付近の街道案内図があり、小休止しました。ここでは伊勢表街道と書かれていました。

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駅から旧道を10分ほど歩くと、近鉄の下を潜ります。

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街道は等高線に沿って、大きく山側へ迂回しますが、そこに白鳥神社があります。境内のイチョウの巨木が素晴らしいです。黄色く色づくころの眺めは格別で、近鉄の車窓からも、何回眺めたことでしょう。

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神社から10分弱、14時22分頃には三本松の旧宿場町に入ります。旧家がいろいろ残り、旧本陣の表示もありました。

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旧宿場を越え、少し登ると道路が立体交差します。下を潜って、すぐの細道を左折して室生口大野駅へ向かうのが街道になっています。

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初瀬へ向かうなら直進するのが自然ですが、これは多くの旅人が室生寺へも立ち寄ったと解釈しましょうか。下りはじめるとすぐに、北向地蔵がありました。

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最近は歩く人も少ないのか荒れています。

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7~8分で近鉄の線路を潜り、室生口大野駅の近くに出てきます。14時45分頃です。5分ほど歩いて大野寺の前に来ました。摩崖仏が有名ですね。

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線が彫られているだけなので見にくいです。光線の加減で見えます。

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近くの食堂へ3時に予約してあったので、丁度3時に到着しました。お疲れ様でした。

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2023年8月15日 (火)

明治・大正の東海道

地元老人会の会合で、表題の話をすることになったので、原稿をまとめてみました。

東海道と言っても、全体の話ではなく、名古屋の宮から桑名までの、七里の渡しに並行した陸路の話です。七里の渡しは熱田の宮から桑名まで海上を行くのですが、海が荒れると欠航したり、また通常4時間ですがトイレが無く、陸路を選ぶ人も多かったようです。

下図がその概要です。下手な図でごめんなさい(笑)。

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江戸から京へ上ってきた旅人で、陸路を好む人は、熱田の宮から茶色の佐屋街道を行き、佐屋から三里の渡で船に乗り、佐屋川を下って木曽川に出て、現在の長島も船で通り抜け、長良川と揖斐川を渡って桑名へ入りました。

その当時の長島はこんな感じで、充分船で渡れたそうです。

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ところで佐屋街道ですが、なぜそんな北へ遠回りしたかという疑問が残ります。江戸時代初期の地図があります。

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中央下部の赤い部分が七里の渡しで、海に面していました。つまり現在の国道1号線が通る名古屋南部は、この時代まだ海の底か浜辺だったようです。現在の地図に海岸線を入れると、こんな感じだったようです。

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現在の国道1号線は丁度青線の線上になりますね。それと三里の渡の佐屋川ですが、現在は有りません。江戸時代は木曽川を分流した人工の川だったようです。上流の馬飼大橋辺りで木曽川から流入し、津島・佐屋を通って弥富の五明、東名阪辺りで、再度木曽川に合流していました。

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ところが、この佐屋川ですが、木曽川から土砂が流入して、川底がどんどん浅くなり、江戸末期には船の通行は困難になっていました。現在の地図です。上部佐屋駅の近くに三里の渡跡の石碑があり、その下、木曽川近くの東名阪のすぐ上に、明治天皇着船碑があります。

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明治維新後、明治天皇が最初に東下りされるとき、船で佐屋川を上って三里の渡場へ向かわれました。でも川底浅く、五明の河口から1キロほどの焼田で船を降りざるを得なかったそうです。

佐屋付近の写真です。まず代官所跡

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三里の渡跡

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佐屋付近の海道碑、街道でなく海道です。

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明治天皇御着船の焼田湊の石碑です。

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そのころ、つまり江戸末期には、過って海だった名古屋南部は、埋め立てが進み、広く陸地で田んぼに変わっていました。そこで弥富の某氏は、明治政府に対し、佐屋街道より直線的に弥富のふたつやの渡しに行けるルートを東海道とするよう申請したそうです。

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上図で、現在の国道1号線より、少し南になります。前ヶ須街道とも呼ばれました。新政府もこれを承認し、明治5年、前ヶ須街道は晴れて東海道となりました。

調べてみると、弥富市では、この道を旧東海道散策コースとして、ホームページに載せていました。知りませんでした。

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さっそく歩いてみることにしました。

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我家のある長島から、尾張大橋で木曽川を渡り、ふたつやの渡跡がスタートです。尾張大橋は昭和8年完成なので、江戸末期から60年以上この渡しが使われたことになります。

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明治天皇も2回目の東下り(そのまま江戸城に住処を移された)では、佐屋川は使わず、この東海道を使われました。弥富は金魚が有名です。

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愛知こどもの国を過ぎ、宝川の子宝橋を渡ります。

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明治天皇の小休止された石碑がありました。こんな所、通られていたんだと、びっくりしました。

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川合小橋を渡ると弥富市を過ぎて蟹江から名古屋市港区に入ります。でも、もう少し旧東海道を歩きます。

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ここにも明治天皇の小休止跡がありました。地方の有力者の家を、軒並み訪問されたかのようですね。

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新川と庄内川に掛かる日の出橋を渡ると、後は広い東海通になり、旧道の面影も無いので、打ち切ることにしました。

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でも、東海通って、旧東海道の意味だったのですね。初めて知りました。さて、今度は、ふたつやの渡しで木曽川を渡った長島の東海道です。

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尾張大橋を渡った国道1号線沿いに、東海道の石碑があります。明治?五年四月一日と刻まれています。ふたつやの渡しで、ここへ着いたのでしょう。

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しばらく国道を歩き、押付交差点手前で右折していきます。

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直進して農協の前を通ります。一向一揆で通名な願正寺関連の、長島六坊の一つ善明寺の前を通ります。

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昭和の中頃まで、この辺りに遊郭があったとも聞きました。長島城の近くを通ります。写真は跡地に建つ長島中学で、天守閣をイメージしていますね。

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後半の地図です。

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長良川へ続く旧道です。アスファルト舗装の下に、明治時代の道が有ると言われています。

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長良川に来ました。この堤防の向こうに三重県営の渡船があったそうです。

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堤防に登ると、こんな感じです。ここに船着き場があったのですね。

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地元の人に聞くと、昭和30年頃まであったとか。また、ここで子供は泳いでいたそうです。でも昭和9年には伊勢大橋が完成しているので、そこで渡船の使命は終わったでしょうね。

ネットで、こんな写真を見つけました。完成直後の伊勢大橋と、それまで使われた渡船場です。貴重ですね。

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おわり。

 

 

 

 

 

 

 

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