2022年11月13日 (日)

奈良街道2日目後半

地図再掲します。中央の万人講常夜灯を過ぎ、国道24号線の交差点に来ています。11時04分です。

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渡ると上り坂が続きます。市坂という辺りです。

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12~3分登ると、安養寺の石碑があり、その横に石仏のお堂があります。観音堂・役行者・念仏石が祀られています。

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一寸拝んで通り過ぎると、右に街道が分かれます。11時21分。

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5分ほどでまた元の道に合流します。11時半頃、高架の下を潜りました。そこから10分、11時40分に県道44号線と交わる大きな交差点にきました。

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ここにコンビニがあると調べていたので、ここのイートインでラーメンを食べました。

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12時13分、店を出ました。もう目的の転害門までは2~3キロでしょう。県道754号線です。

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10分ほどで街道は右に分かれます。旧道と呼ばれます。登りはここまでで、ここからは下りのようです。

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右に入るとすぐ右側に高札場跡がありました。

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その横が奈良豆比古神社です。謂れはよく解りません。

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境内には巨大な樟の巨木があります。

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12時35分頃、神社を出ました。5分ほどで般若寺の楼門があります。重文だそうです。入り口は現在、県道側になっています。

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少し南下し右に入ると、旧奈良監獄があります。現在は少年刑務所だそうです。

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旧道に戻って5分、レンガ造りの古い水道施設を越えると、もう奈良市街です。

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坂を下りきると、また県道と合流しますが、京街道の石橋があります。ここでは京街道と言うのですね。

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ここから5分で目的の転害門です。転害門は天平時代の東大寺の伽藍を想像させる唯一の建物だそうです。

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ここは平城京の一条通りに面するそうです。又は佐保通りとも言うようです。奈良に来るときは、JRや近鉄の駅から来るので、どうしても三条通りから来ます。北から来たのは初めてで、転害門も初めてでした。

JR奈良駅へどの道を行こうかと思いましたが、聖武天皇陵がある一条通をあるくことにしました。7~8分で佐保川に架かる蓬莱橋を渡ると、右手に聖武天皇陵の参道があります。

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13時15分に出て、少し西へ歩き、やすらぎの道を奈良女子大のほうへ左折しました。

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近鉄奈良駅の西側を通って三条通りへでました。

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奈良駅到着は13時50分でした。

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14時20分の列車に乗り、今日渡ってきた木津川の流れを見ながら

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ちびちび飲みながら帰りました。お疲れ様。

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2022年11月12日 (土)

奈良街道2日目

2022年11月8日(火)

朝は早く目覚めたので6時15分過ぎには宿を出た。どこかで朝飯と思ったが、結局コンビニでお握りを買って、6時45分のJRに乗り込んだ。

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7時10分過ぎには山城多賀駅に着いた。

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駅前ではお握りも食べにくいので、とりあえず出発した。

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5分ほど歩くと南部公園と言う小公園が有ったので、そこのベンチで朝食休憩とした。

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7時33分に出発、5分ほど歩くとJRの線路を渡る。渡らず、直進が良いんだが、道が無いらしい。

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線路沿いに10分弱歩くと、跨線橋があった。どうもこれで渡らないと駄目らしいので、坂を登って線路を越えた。

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和って少し行くと、線路沿いの道があったので、その道で玉水駅方面に行くことにした。

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8時頃玉水駅の近くを通過した。

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すると街道は玉川の土手にぶつかる。奈良時代末期、左大臣橘諸兄の別荘が、この辺りにあったそうです。

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15分ほど歩くと高架を潜りますが、これは渋川という小川で、天井川になっています。

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これを潜ると木津川市になります。すぐに以仁王御陵の案内があります。宇治川の合戦で源三位頼政とともに平家と戦い討ち死にしたと伝えられる、後白河法皇の第三皇子です。

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ここに御陵があるとはしりませんでした。隣に高倉神社がありますが、以仁王は京都の三条高倉にお住まいで、三条宮とか高倉宮と呼ばれたからと思われます。なお、以仁王は討ち死にせず、大内宿へ逃れたという説もあります。いずれにせよ、以仁王の平家追討の宣旨が諸国の源氏を決起させたことは事実のようです。

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8時25分頃街道に復帰、辺りに田んぼが広がりました。京を出て、初めての景色ではないでしょうか。

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すぐに天神川を渡ります。堤防を左折すると蟹満寺に行けるようです。今昔物語の蟹の恩返しの縁起で有名だそうです。広い道が南下しています。

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しばらく道なりです。

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8時40分頃、小公園があり、付近の地図など載っています。この辺りでは、奈良街道より山背古道がメインのようです。ここで右に分かれます。

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3分も歩くと不動川の低いトンネルを潜ります。ここも天井川です。潜って10分ほど道なりに歩くと、JRの線路に近づきますが、その一寸手前の細道に右折して入ります。すぐに踏切を渡ると、右手に棚倉駅が見えます。

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渡ってすぐ右折し、棚倉駅の前を通ると、すぐ右側に涌出宮という神社がありました。伊勢神宮に関係深そうですが、よく解りません。でも一寸興味惹かれたので、本殿まで行って参拝しました。

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神社を出て、少し歩くと、街道は右に線路を潜ります。9時10分頃です。

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道なりに5分ほど歩くと、不動川を渡ります。左、神童寺の案内があります。山岳仏教に関連する寺院のようで、愛染明王坐像などが有名だそうです。一寸離れているので行けませんが、別途、南山城のお寺を巡ってみたいものです。

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5分ほど歩くと、左手に春日神社があります。すぎると椿井北代の交差点です。9時25分。

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渡るとすぐ街道は府道70号線と分かれて左に登ります。

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登るとすぐ椿井大塚古墳の案内がありました。9時半頃です。

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古墳の縁を通って南下します。一寸間違ったりしながら細い道を南下します。10分ほどで一寸広い車道に出ました。山城中学の近くです。中学を通り過ぎた所に小公園があり、衣服調整もかねて小休止しました。

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10分ほど休憩して9時57分に出発しました。

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10分で上狛の交差点です。

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渡って5分歩くと、お茶の福寿園の建物がありました。サントリーと組んで伊右衛門を展開していますね。その傍に、山城茶業の碑というのがありました。

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宇治茶の歴史は平安時代に遡るが、江戸時代末期には、ここ上狛に木津川の水運を利用した、茶葉の集散地ができたようです。

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10時20分頃、木津川の堤防に登りました。過ってはここに渡しがあったのでしょう。今は泉大橋を渡ります。

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木津川は子供の頃、泳ぎに来たことがあります。海岸と同じように砂浜が有ったのを覚えています。

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10時32分、渡り終えると、すぐ右折して、堤防道路の下の道で、街道に引き返します。

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赤い鳥居のある交差点を左折します。10時40分です。

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街道らしい道です。

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嬉しいことに、奈良道と案内しています。

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左折して7分で小川の橋を渡りました。小川に沿った道を進みます。

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11時頃、国道163号線の下を潜りました。すると右手に大きな常夜灯がありました。万人講と刻まれていました。

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次に国道24号線との大きな交差点を越えます。超えると街道は、上り坂になります。

ここまでで前半を終えます。11時04分頃です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年11月11日 (金)

奈良街道1日目後半

12時半ごろ、公園をでました。

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向島駅のすぐ先で左折します。ここは団地じゃないので、街道の面影です。

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また戻って、今度は京滋バイパスの下を潜ると、団地になりました。

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そこを抜けて府道69号線を越え、街道は南下して、槙に入ってきます。左手に巨椋神社があり、一寸お参りしました。

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お茶屋さんが有ったりして、宇治だなあと思います。

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13時20分頃、井川という小川を渡りました。遊歩道もあります。

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13時27分、再度府道と合流しました。

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13時40分頃、伊勢田駅付近を通過。

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その一寸先で街道は左に分かれ、13時50分頃、新田郵便局に来ました。角に、平成になって建てられた、新しい道標がありました。

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その5分ほど先に皇大神宮社という神社があり、お参りして小休止しました。

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10分ほど休んで、歩き出しました。城陽市に入るちょっと手前に、下水道工事の看板があり、奈良街道と書かれているので、間違っていないと確信しました(笑)。

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14時11分に城陽市に入りました。5分ほど歩くと、右手に古墳らしきものがあり、見に行きました。芭蕉塚古墳でしたが、私有地と見えて、立ち入り禁止でした。

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すぐ先左手には、久津川車塚古墳があります。この地方最大の前方後円墳で5世紀頃らしい。

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この辺り、南山城地区は古墳が一杯です。また少し先の右手に、今度は平川廃寺跡があります。

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8世紀中ごろ、奈良時代中頃のお寺のようです。14時半ごろでした。

街道は久世神社や小学校の前を通って南下します。

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14時43分、城陽駅付近を通過しました。

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左手に水度神社の参道を見ながら、10分ほど歩くと、前方に大きな交差点が見えてきます。14時55分、街道は府道69号線に合流し、更に国道24号線に合流しました。

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10分ほど国道を歩くと、街道は左に離れます。府道70号線のようです。

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またここには昭和3年に建てられたという、長池の道標があります。京都と奈良のほぼ中間で、長池宿がありました。

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後ろの看板は、幕末に伊能忠敬が宿泊したそうです。また、この辺りは山背古道が通っていて、そこは道路がカラー舗装されています。

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ただ、奈良街道は右折しますが、その道はカラー舗装ではありません。下の写真のすぐ先で右折です。カラー舗装に惑わされてはいけません。

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右折して細い道を行くと常楽寺があります。これを見て、間違っていなかったと安心します。

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15時半ごろ、JRの踏切を渡りました。柿の木が秋を思わせます。

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南城陽中学の前を通って、しばらく歩きます。青谷小学校を過ぎると、市辺変電所がありますが、トランスなどは見えず、全体が建物で覆われています。15時42分。

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良い雰囲気の道を7~8分歩くと、青谷橋が見えてきます。

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渡ると城陽市から井手町に入ります。

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京は山城多賀駅までとしているので、もう少しです。今、15時53分、14時10分発に間に合いそうです。逃がすと次は14時40分です。16時に山城多賀駅の案内が有ったので右折しましたが、一寸早すぎたようです。まあいいか。

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山城多賀駅には5分で到着しました。今日は24キロ一寸でした。

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京の宿は奈良市内です。山城多賀から20分ほど。ウガヤゲストハウスというドミトリーです。でも今日は私だけしか客が居なくて独占でした。旅行支援の割引で1泊1500円。それに1000円のクーポンを貰いました。

なので、夕食はまずクーポンの使える居酒屋へ。奈良地酒の店ですが、熱燗は丹波の酒でした。しっかり2合入燗徳利で、しっかり酔いました。

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次に3年前行った居酒屋を探していきました。ここでは話がすっかりはずんで、10時の門限がぎりぎりでした。

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明日も元気で歩きましょう。

 

 

 

 

 

2022年11月10日 (木)

奈良街道1日目、その1

今回は京都から奈良です。京都側から言うと、伏見までは伏見街道とも言います。奈良側から言うと、京街道とも言うようです。まあ、古来、奈良道と呼んだようです。

京都の五条本町から、奈良の東大寺転害門まで約40キロです。昔の人なら1日コースですね。でも今の私には当然1泊2日のコースです。

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2022年11月7日(月)

四日市からの高速バスは9時頃五条京阪に到着しました。いまは清水五条と言うらしいですね。

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その一寸東より、多分、本町通りが奈良街道の起点ですね。

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ここを右折して、伏見へ南下していくのが伏見街道です。9時05分でした。

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今は普通の住宅街のような通りです。車は北行の一方通行なので、通行量は多いのですが、後ろからの車を気にしなくても良いので助かります。少し歩くと、左手に本町公園があり、お地蔵さんが並んでいました。

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ここのお地蔵さんは化粧していません。覚えておいてください(笑)。五条から5分ほどで、豊国神社の正面参道の広い道に出ます。一寸左折して南側に耳塚があります。

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秀吉の朝鮮戦争で、討ち取った敵の、首の代わりに耳を持ち帰ったそうで、その耳が供養されているとか。

すぐに七條通りを越えます。左折すれば国立博物館や三十三間堂ですが、今日は素通りです。9時25分頃、塩小路通りの五差路を通過。振り返っています。南下する道は、写真には逆光で不向きですね。

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すぐにJRの線路にぶつかりますが、陸橋で超えていきます。

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この辺りは、京都生まれの私も、来たことが無いのですが、街並みは街道の面影充分ですね。この辺りは本町10丁目でしょうか。

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東山から流れ下る川を伏見街道が渡りますが、その橋が一の橋から四の橋まであったそうです。この辺りに一の橋が有ったそうで、この辺りの地名に残っています。

常盤御前ゆかりの宝樹寺や大丸の創業家が再建した瀧尾神社など興味深い名所があります。写真は瀧尾神社。

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9時38分、東福寺駅を通過。府道143号線が上を横切りますが、その高架下に、さきほどの二の橋が残っています。

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昔は伏見街道を伏水街道と書いたのですね。紅葉で有名な東福寺は左奥です。この辺りの街道風景です。にしんそばが京都ですね。

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9時48分、三の橋が有りました。

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まだこの辺りの左側奥は東福寺の境内です。酒屋さんも東福寺御用達の看板を挙げています。

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太古の土器や土偶、その流れで生まれた土人形の元祖が伏見人形だそうです。その技術を伝える伏見人形の丹嘉が街道沿いにありました。」

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10時05分頃、伏見稲荷大社の前を通過しました。焼き鳥すずめで有名ですね(笑)。

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JRの稲荷駅の傍に、旧東海道線のランプ小屋があります。JR東海道線は当初、滋賀県の膳所から伏見を通るルートだったそうです。

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街道はJRの踏切を越えて、更に南下して伏見桃山を目指します。街道は五条からずっと両側住宅で、長閑な田園風景などは有りません。

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10時22分、左手に協会があり、聖母女学院がありました。

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前方には名神高速道路が見えます。

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名神高速を潜ると、右手に親鸞聖人ゆかりの西岸寺があります。

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そのすぐ南に最後の四の橋がありました。10時31分でした。

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3分ほどで藤森神社に来ました。勝運と馬の神様だそうです。つまり競馬の神様でしょうか(笑)。そういえば、淀の京都競馬場はすぐ近くですよね。

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墨染駅の先で右折して踏切を渡ります。10時42分。

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墨染寺の先で左折するのですが、一寸不安で、地元の方に、「この先に橦木町の廓入り口はありますか」と尋ねました。あるけど、そのまえに欣浄寺の大仏を見て行けと言われていってみました。本堂は閉まっていましたが、隙間から写真を写して、一寸休憩しました。

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廓入り口もすぐ先でした。

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一寸入ると、大石内蔵助遊興の地の石碑がありました。たしか山科に住んでいたはずなので、ここまで遊びに来るのは遠いのになあと思いました。

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それで思い出したのですが、秀吉が作った、大阪城からの京街道が、丁度ここを通って山科まで伸びています。その街道を、何年か前歩いたことを思い出しました。地図の薄青の線です。

廓跡にあった地蔵さんですが化粧をしています。これは廓だからという訳でなく、この地方の風習のようです。京都市内でも結構あります。

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11時過ぎに廓を後にしました。国道24号線を渡り、近鉄の下を潜って京阪の丹波橋駅の前を11時15分頃通過しました。その京阪の踏切を4分後に通過します。

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いよいよ伏見桃山地区で、京の酒どころです(笑)。中心の東西の通りが大手筋通りです。左に近鉄の桃山御陵前駅、右に京阪の伏見桃山駅です。写真は左を見ています。11時23分。

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街道の右手奥に月桂冠をはじめとする伏見の酒蔵が二十何軒あるはずです。街道筋にある立派な建物は、鳥羽伏見の戦いで被災して再建された斎藤酒造の建物だそうです。今は料理屋さんになっています。

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街道は宇治川の手前で左折して近鉄を潜り、観月橋へ向かいます。その道筋に有ったお地蔵さんです。

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11時40分頃、観月橋を渡り終えました。

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ここからはいわゆる宇治茶の産地になるのでしょう。

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渡り終えるとすぐ、斜めの道に入りますが、すぐ左手の立派な御茶屋さんの前に、太閤堤の案内がありました。

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巨椋池の東に築いた小倉堤だそうですが、秀吉は非常に多くの土木工事を、その短い天下の間にやっているなと感心します。大阪市内の下水道・京都の御土居・京街道・新大和街道等などです。

すぐ先に、明治天皇が来られた製鉄所跡の碑がありました。

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電気の無かった時代は、水力でモーターを回していたんだなあと思わせられます。この付近の街道風景です。

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11時50分頃、向島駅近くの団地に出てきました。街道の雰囲気はなくなりました。そこにコンビニが有ったので、お握りを買いました。駅前に中央公園が有るのを調べていたので、そこで弁当休憩しました。

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小午後の歩きは後半でご覧下さい。

 

 

 

 

 

 

2022年10月10日 (月)

伊勢別街道最終

今年2月に笠置から歩き始めた大和街道は前回関宿で終了し、伊勢別街道に入りました。その伊勢別街道も今回で江戸橋に到着し、今年の山歩会の街道歩きは無事終了しました。

今回は椋本宿から窪田宿を経て江戸橋まで12キロほどです。

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2022年10月8日(土)

亀山駅前を9時55分に出るバスに乗ります。亀山駅前は再開発がほぼ完成して、すっきりしました。でも我々旅人に必要な、飲食店やコンビニは無いみたいですね。

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椋本のバス停には10時17分の到着です。

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前回、椋本の大ムクを見てきたので、今日はここから出発です。

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バス停のすぐ近くに、「左さんぐう道」の石標があり、ここを左折します。

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突き当りが角屋という古い旅館です。

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現在営業されているかどうかは知りませんが、江戸時代の講札が軒に掛かっています。

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少し歩くと左手に延命地蔵堂があります。横に置かれた石の手水鉢も江戸時代のものです。

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県道10号線に合流する手前に、仁王経の石碑があります。椋本宿の東の入り口に作られたそうです。

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県道に合流し、10分一寸歩いて11時過ぎに伊勢道の下を潜りました。いつになく県道が混んでいますが、今日行われている、鈴鹿サーキットのF-1レースの影響かもしれない。

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さらに15分ほど歩いて、街道は県道から左に分かれます。

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5分ほど旧道を歩くと小さな地蔵堂がありました。

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柿がなっていたり、コスモスが咲いて居たり、秋祭りの旗や提灯が下がっていたり、旧道は情緒あふれて続いていきます。

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再度県道と合流する手前右手に銭掛けの松があり、お堂もあります。旅の途中で病気になり、伊勢まで行けない旅人が、ここの松に銭を掛けて拝むと、伊勢神宮に参拝したのと、同じご利益が有ったそうです。

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また、その銭を、他人が盗ろうとすると、蛇がでてきて守ったそうです。

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県道に合流して10分歩くと、また街道は左に分かれます。この交差点は大里〇〇とか名前があるのでしょうか?

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12時05分、一寸お腹も空いてきました。12時20分頃、お堂がありました。謂れはよく解りませんが、そろそろこの辺りから、窪田宿に入るのではないでしょうか。

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5分ほど歩くと、右手に大きな木がありますが、その下にあるのが、青木地蔵のようです。

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12時半頃、昼食予定地の石積神社へ向けて右折しました。地図で見て、この辺りで弁当と決めていました。

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石積神社の謂れは知りませんが、山の神を主神とし、窪田の獅子舞で有名だそうです。丁度、境内にベンチがいっぱいあり、助かりました。勿論お参りもしました。

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1時頃出発しました。3分で街道に復帰します。

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5分一寸で大きな交差点を渡ります。中勢バイパスです。

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バイパスから5分、JR紀勢本線の踏切の手前、仲福寺の前の小さな道を右折します。すると大きな常夜灯があります。滋賀県の商人が、伊勢神宮に寄進するため運んできたが、荷車も壊れ、疲労困憊したため、ここに建立したそうです。

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街道はすぐ左折してJRを渡ります。線路に沿って右折すると一身田の駅です。高校生が一杯居ました。

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駅前を直進するのが街道ですが、高田本山専修寺に参拝するため、駅前を左折しました。

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浄土真宗高田派の総本山で、伊勢の国では強大な勢力を誇ります。

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皆さんも、三重県に、こんな立派な寺が有ったとは知らなかったと、感心しきりでした。

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左から如来堂、通天橋、御影堂です。御影堂の内部も写真撮影が可能です。

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ここで記念撮影を行いました。今回は精鋭8人です。

Takada

ここで30分位見学したかな、14時前に出発しました。5~6分で、踏切手前で街道に合流しますが、そこに珍しく、伊勢別街道の案内がありました。

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案内から12~3分で伊勢鉄道の下を潜ります。

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潜ってすぐ右折するのが街道ですが、うっかり直進してしまいました。途中で気づいて街道に復帰しました。近鉄の踏切を渡ります。

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もうここは近鉄江戸橋駅の近くです。14時36分でした。5分ほど歩くと江戸橋で、伊勢街道との合流点です。大きな常夜灯と高田本山道という石標があります。

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ここで伊勢別街道は終点ですが、1キロ程伊勢街道を歩いて津駅へ向かいました。

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15時05分、津駅前に到着しました。幸い、1軒だけ開いている店がありました。

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皆さん、1年間お疲れ様でした。

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来年は初瀬街道でお会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

2022年9月26日 (月)

駒塚の渡し跡

先日、駒塚道を歩いた時、駒塚在住の友人Wさんから、肝心の渡し場跡を見ていないとの指摘を受けていたので、見に行ってきました(-_-;)

車に愛用の小型折り畳み自転車を積み込みました。

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我家から1時間位走って、前回も訪れた駒塚神社に到着。

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お昼ごろだったので、車の中で弁当を食べる。

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駒塚神社から自転車で木曽川へ向かう。下図で青線は前回歩いた軌跡です。

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堤防を下ってきて、駒塚の案内で降りたのが失敗です。もう少し下った左側に渡し跡が有ったのです。駒塚神社からA地点まで来ました。

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前回は左から下ってきています。今回は右の道で堤防へ登りました。すると向かい側の堤防の下にお堂がありました。

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お堂の中には三面六臂の馬頭観音さまと道祖神みたいなのが祀られていました。

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横の説明版には駒塚渡しの跡の文字が。

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この先に、船着き場の跡も残っているそうですが、一寸無理そうなので、諦めました。冬なら行けるかもしれません。

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堤防に登って引き返すと、反対側はこんな具合で、細い道が下っていますが、これは街道ではなく、先ほど登ってきた車道が街道のようです。

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さてここからの街道ですが、地図を見てください。

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私が参考にしたネット情報では、渡しからA,そしてCで右折して駒塚神社の傍を通り、D・E・Fという変則的な道になっています。前述のWさんは、Bで右折してGで交差して、そのままHへ行くのが街道ではないかとのことでした。

それで今回両方通ってみることにしました。まずB地点。ここに石標があります。これが前回間違って右折した理由です。

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通り過ぎて、資料に従いC地点で右折。こんな感じです。右前方に駒塚神社の鳥居が見えます。

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駒塚神社本殿の近くを通ります。そして駒塚の交差点へ。

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そこを直進して、前回、復帰したE地点まで来ました。あまり街道の面影しない道筋です。

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今度はWさんお勧めの道を尋ねてみようと、H地点に来ました。ここから駒塚神社に引き返します。H地点の左右はこんな感じです。

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途中に毛織会館がありました。

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その前辺りに地蔵堂があります。

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横には、読めませんが、石標があります。

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しばらく行くと道標地蔵が。

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どうも、こっちの方が街道らしいなと思いながら帰りました。途中に、円空生誕地があり、資料館が有ったので、一寸覗いてみました。

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入場料は300円です。作品も豊富だし、説明のアナウンスも丁寧なので、価値はあります。ご本尊です。

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お母さんの三十三回忌に彫ったと言われています。中に鏡や形見の品が納められていたそうです。他にも見所はいろいろ。

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おわり。

 

 

 

2022年9月12日 (月)

大和街道から伊勢別街道へ

2月、笠置から歩いてきた大和街道は、5回目の今日で、起点である東海道関宿の西の追分に着きます。我々の歩きはそこで終了では無くて、関宿の東の追分まで2キロ弱東海道を歩き、東の追分から伊勢別街道に入ります。

伊勢別街道は伊勢街道と東海道を結ぶ20キロ弱の短い街道です。関宿を起点に津の江戸橋付近で伊勢街道に合流します。今日はその途中、椋本宿まで歩きました。

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9時22分に関西線の加太駅に到着しました。今回は9名です。

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9時35分ごろから歩き始めました。

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柘植から関に至る大和街道は、歴史街道と言うより、鉄道遺産見学の道としての方が有名のようです。

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加太駅のすぐ近くにある市場川橋梁です。

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とはいえ、歴史街道なので道端に石仏も多く残っています。これはその一つ端山の地蔵さん。

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街道は加太川に沿って続く旧国道25号線です。

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9時50分頃通った坊谷隧道。これも鉄道遺産かな。

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次は歴史遺産で栗の木地蔵。何やら刻まれていますが、一寸読めません。

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金場トンネルの手前で旧国道に分かれて、踏切を渡り、集落に入ります。字名は多分金場でしょう。10時12分頃です。

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5分ほどで集落を抜けて、また踏切を渡って国道に復帰します。10時37分、鈴鹿川との合流地点を通過。

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この傍に東屋があり、小休止しました。東屋から5~6分で国道1号線に着きます。陸橋で渡りました。

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渡った所が東海道関宿・西の追分です。南無妙法蓮華経の大きな石碑があり、そこに「ひだりいか やまとみち」と刻まれています。江戸から上ってきた旅人は、ここで京か奈良に分かれたのですね。

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11時頃、東海道の関宿に入りました。ここは何十回も来ていると思いますが、電柱のない街並みは、いつ来ても気持ちが良いですね。

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関宿は結構東西に長く、2キロ弱はあると思います。その中ほど、やや西寄りに、関の地蔵さんとして有名な地蔵院があります。一時期住職を務めておられた尼さんが、経営手腕に優れて、資金集めも上手く、寺院の再建に尽くされて有名でした。

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11時半過ぎ、東の追分に到着しました。ここから伊勢参宮道なので大きな鳥居があります。桑名の七里の渡し、日永追分の伊勢街道入口にも大きな鳥居があります。多分、すべて、伊勢神宮のどこかの鳥居を式年遷宮のときに譲り受けるのではないかと思います。

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さてここからは伊勢別街道に入ります。南下して国道1号線を渡り、鈴鹿川を勧進橋で渡ります。

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渡るとすぐ、鈴鹿駅跡という馬や人足を供給した役場跡があり、左折します。

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急な坂を登って、名阪国道の下を潜ります。

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潜るとすぐ、関ドライブインです。ここは伊勢や熊野方面の観光バスが、帰りに必ず立ち寄る休憩所です。11時56分でした。

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ここで昼食休憩にしました。食堂でゆっくりとはいかず、フードコートです。

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12時半に出発、県道10号線に沿って歩きます。石山観音への道を過ぎ、楠原へ入ると、伊勢別街道の案内があって感動しました(笑)。Dscn2844jpgc_20220912113601

これまで大和街道では案内が少なかったので。出発して10分、県道の左側に庚申塚があります。通行量が多いので危険ですが、見に行くと、青面金剛像や地蔵さんなどがあります。

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その前で、街道は県道から分かれて右に入ります。楠原宿の街並みは、結構残っています。

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10分弱で楠原宿の街並みを通り過ぎると県道に出ます。

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そこに楠原宿の案内図もありました。力入っていますね。

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県道を渡って右折、2分で左折して県道から離れます。

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10分ほど歩いて右折するのですが、そこが間違えやすい。以前歩いたときは直進して、なかなかのお寺を見て気づいたりしました。左奥に、元役場の建物で、今は資料館になっているところを右折です。

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右折して7~8分で県道と交差しますが、そこに石灯籠があります。右さんぐう道、左京道と刻まれています。

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前方に見える山は経ヶ峰のようです。渡って7~8分で横山池の堤防に突き当たります。左折して行きます。

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横山池は椋本宿の旅籠屋、駒越五郎八が資材2万両で築いたそうです。

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この辺り200町歩の田畑を潤したそうです。

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椋本宿の入り口に仁王経碑があります。疫病の予防を祈願して宿の両入口に建てられたそうです。13時40分。

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椋本宿も面影は残っています。

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特に大クスはこの宿場のシンボルです。

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宿場の中ほど、バス停の近くに、道路元標があり、自然石の道標には大きく「左さんぐう道」と刻まれています。

経の行程はここまでです。14時10分のバスで亀山に戻りました。そこで恒例の反省会です。

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我家に帰って、関ドライブインで買ったお土産で一寸一杯。

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今夜は中秋の名月でしたね。

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お疲れ様。

 

 

 

 

 

 

 

2022年9月 5日 (月)

駒塚道(岐阜県から愛知県)

先日歩いた竹鼻街道の続きです。前回は大垣駅から羽島市役所前駅まで歩いたのですが、今回は愛知県の名鉄尾西線萩原駅から木曽川を渡って、羽島市役所前まで13キロほどを歩きました。

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2022年9月3日(土)

今日は午前中の涼しいうちに歩きを終えようと、早起きして、朝8時に萩原駅に着きました。

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萩原は旧尾西市、現一宮市になるのでしょうか? 美濃路の萩原宿というのも観光資源にしているようです。

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今日の目的の駒塚道は、図の中央上部、富田の一里塚のそばの駒塚道道標から左へ木曽川を渡りに行きます。近くに駅が無いので、萩原駅から美濃路を3キロほど歩いて行くことにしました。図の青線が美濃路です。

萩原宿は現在こんな感じです。商店街が一寸寂れているのは全国どこも同じですね。

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こんな古い町屋が残っていました。何年か前、美濃路は歩いているはずですが、やはり記憶からは消えています。

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歩いているとちょうちん屋さんがあったりします。正端寺の前で右折。民家の前に馬頭観音と地蔵菩薩が祀られていました。

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問屋場跡とか本陣跡の案内だけがありました。

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左折して稲荷神社の前を通り、日光川を渡ります。右折しようとすると、きれいなトイレが目につきました。見ると、婦人運動で有名な市川房江生家跡となっていた。有難く使わせていただきました。

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8時半頃、名神高速道路の下を潜った。そこから淡々と20分ほど歩くと、五叉路か六叉路の複雑な場所に来る。

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街道はほぼ直進ですが左右の道は軌道の跡かもしれませんね。

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そこから3分、郵便局の向こうに、富田の一里塚が残っています。これだけ完全な形で残っているのも珍しいですね。

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手前を左折している道は駒塚道ではありません。一里塚のすぐ先に、大きな石の道標があります。船渡しまで五丁の文字も見えます。

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大きな文字で駒塚道と彫られた道標を左折するのが、今日の目標の駒塚道です。左折しました。8時58分。

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街道の面影残る細道を歩いて、すぐ左折すると、もう面影のない新興住宅街の道です。

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道標から10分で車道を渡り、一寸右の道を入っていくと堤防が目の前です。

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階段を登りますが、その先は無理なようです。渡し場跡とかも見当たりません。まあ諦めて、上流の濃尾大橋へ向かうことにしました。

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歩道と車道が分かれているのがありがたいですね。歩道のない堤防道路は地獄ですね(笑)。

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堤防道路を歩くこと20分、9時半に濃尾大橋の近くまできました。

そこに船橋跡という大きな石碑がありました。美濃路の石碑ですね。説明文が破れて不明ですが、将軍や朝鮮通信使など、特別な人が通るときのみ、270隻の船を並べて橋を作ったらしい。

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この付近で河原へ出て、小休止しました。10分ほど休んで、9時43分に濃尾大橋に着きました。

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橋を渡るのに12分掛かりました。横断歩道は無いのですが、強引に渡って、今度は堤防道路を下ります。

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尾張側の堤防道路は歩道が有ったのですが、美濃側のほうは歩道がありません。まさに地獄道を17分歩きました(笑)。

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ようやく駒塚への道路標識がありました。ここで駒塚道に復帰したようです。

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この辺りに、駒塚の渡し跡の何かが有ったかもしれませんが、見当たりませんでした。

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駒塚の集落に入ってきました。

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駒塚というので、馬の墓とか有るかもしれないなと思いながら歩きましたが、それは見当たりませんでした。お地蔵さんはたくさんありました。

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一寸読めませんが道標もあります。

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ここで道を間違えました。地図をしっかり見ないで、「駒塚神社の傍を通る」これだけを思いながら歩いていました。また道標を見つけ、文字を読んでいると、地元の人が通りかかりました。

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「駒塚神社は何処でしょう」と尋ねたのが失敗でした。「この道の先に鳥居が見えますね。あそこです。」と言われて、すっかりここで曲がると思ってしまいました。実際は、もう少し言って右折でした。

駒塚神社の前に来て、一寸参詣して休憩しました。

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10分ほど休憩して10時35分に出発しました。途中の地蔵さんには竹ヶ鼻の文字が。

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大通りを渡っても気が付きませんでした。

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次の大通りが、なかなか無いので、おかしいと思い、地図を確認して間違いに気づきました(泣)。ですが、私の友人で、駒塚在住のWさんが、昔の駒塚道は、こうではないかと送って頂いた推測地図では、私が歩いた道が駒塚道になっていました(笑)。

でも私が頼りにしていた資料は、図の青線だったので、修正して合流しました。合流地点から振り返った駒塚道です。11時10分。

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逆に、これから歩く駒塚道です。

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眞修寺というお寺の前を11時20分に通過。

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大通りを横断して、逆川に架かる竹鼻橋を渡ったのが11時26分です。

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この後、竹鼻の街は、詳しい地図を載せてみます。

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竹鼻橋を渡って直進し、小さな稲荷神社を過ぎると、インターロッキングブロックで舗装された道があります。そこを右折して千代菊酒造を目指しました。そこでお酒の試飲や販売をしているかと思ったのですが、残念でした。他でやっているのかもしれません。

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そのまま歩くと、歴史資料館入り口や札ノ辻があります。

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もう少し行くと、円空ロードになります。そこで引き返しました。

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歴史資料館は映画資料館にもなっているみたいで、面白いですね。

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反対側の入り口が竹鼻城址の案内になっていました。

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竹鼻城は関ケ原の合戦で西軍に属し、落城したらしい。すぐ傍が、竹鼻別院です。

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ここは藤の花も有名だそうです。

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その前で昼食休憩にしました。11時53分です。午前中に歩きを終わるという目標は、一応達成しました。

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ここには宝暦の治水の薩摩義士の墓もありました。

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本堂でお参りして、今日の街道歩きは終わりました。

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2022年8月31日 (水)

竹鼻街道

中山道と東海道を結ぶ街道として美濃路がある。美濃路は中山道の垂井から大垣を経て、清州などを通りながら熱田の宮で東海道に合流する。その美濃路の脇往還として竹鼻街道がある。

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竹鼻街道は大垣で美濃路と分かれ、揖斐川を渡って安八町に入る。そして長良川を渡って竹鼻(現在の羽島市)に至る13キロほどの短い街道です。竹鼻からは駒塚道が接続し、木曽川を渡って富田で再度美濃路に合流します。駒塚道は7キロ程でしょうか。ただ現在は木曾三川に渡し船は無く、県道に架けられた橋に迂回するので、歩く距離としては30キロ近くになります。

2022年8月29日(月)

11時ちょっと前に大垣駅に着きました。竹鼻街道に入る前に、大垣城址や奥の細道の遺跡を見るつもりです。

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上図の緑の線は美濃路です。赤い線は私が歩いた軌跡です。大垣駅から、まっすぐ南下して10分弱、郭町に来ました。11時頃です。

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この辺に大垣城址への案内があり右折します。

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大垣城は関ケ原の合戦のとき西軍の石田三成が入った城です。

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遺跡は殆ど残っていません。通り抜けて市役所の傍の水門川に来ました。過っては大垣城の外堀だったとか。

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ここから水門川に沿って10分ほど下っていくと奥の細道結びの地で芭蕉の像があります。

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この先の東西の通りが美濃路です。

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ここから一寸美濃路を歩いていきます。Uターンして水門川を上ります。ここ船町の住吉灯台です。芭蕉は奥の細道の旅を終えた後、ここから船で長島へ降ったそうです。

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船町の大きな石の道標です。

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美濃路は大垣では大事にされていて、あちこちに親切な道案内があります。

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歴史ありそうな和菓子屋さん。

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大垣宿の本陣跡です。資料館になっているみたいですね。

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そこからすぐ問屋場跡があり、美濃路は左折して行きます。

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そこを直進していくのが竹鼻街道です。

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美濃路は前述のように大切にされていますが、竹鼻街道は現在、知る人も歩く人も少ないでしょうから、道案内は何もありません。頼るのは地図と感だけです(笑)。11時43分です。

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感を頼りに右折すると、割烹屋さんの前に石塔が建っていました。珍しいですね。

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この辺りはお寺が多く、寺町のようです。左折すると微妙に道が曲がっています。街道らしいですね。

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呉服屋さんの関係も多いですね。まあ、過去の話でしょうけど。

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大桑国道と県道が交差する大きな交差点に来ました。禾森(のぎのもり)という難しい名前です。11時54分。

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斜めに横断します。すぐに料理屋さんが左手にあります。ここは大垣の自噴水巡りをしたとき、来たのを思い出しました。大垣は地下水が非常に豊富で、十何か所か自噴水があります。

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道案内はありませんが、お地蔵さんはあります。このお地蔵さんの後背には右〇〇左竹ヶ鼻とか刻まれているようです。

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竹鼻町は江戸時代竹ヶ鼻村と呼ばれていたそうです。12時を過ぎて空腹になってきたので、街道近くの神明神社の境内で昼食休憩させてもらいました。

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15分ほど休憩して12時25分に出発しました。すぐに水路があり、水路に沿って南下していきます。

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水路の傍にもお地蔵さんがあり、その横に道案内の石標があります。読めません(笑)。

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広い自動車道を信号で越へ、新幹線の下を潜ります。12時45分。

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すぐに川を渡りますが、その橋が「座頭橋」です。何か謂れがありそうですね。

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右手に奥伊吹でしょうか、山並みを見ながら、しばらく田んぼ道を進みます。左折すると郵便局がありました。郵便局も街道の証です。明治時代は、大切な国の財産である切手を預けるので、地方の名士しか郵便局は出来ませんでした。その傍にもお地蔵さんがありました。

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覗いて見ると、お地蔵さんに「左大がき、右竹ヶ鼻」と彫られているようでした。

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すぐ近くにたばこ屋さんが有ったようです。今では禁煙が常識ですが、昔は街道に煙草屋さんは必需品だったでしょう。

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13時過ぎ、揖斐川の土手が見えてきました。

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その手前のお寺が「峠越 バ 養樂寺」とか一寸気になりました。

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揖斐川の土手に登ってきました。昔はここに渡し船が有ったのでしょうね。

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土手の水神様は渡し船の安全祈願でしょうか。

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現在は県道18号線の大垣大橋に迂回します。13時16分です。

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橋を渡って右折、堤防に降ります。新幹線のほうへ歩いていくと、堤防の上に石碑が見えました。近づくと常夜灯でした。

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平町常夜灯と言うそうで、揖斐川を上下する船や平の渡しの安全を祈願したとあります。また、竹鼻街道という言葉も唯一ここだけで見ました。大いに勇気づけられる案内でした。

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堤防を下り、新幹線に沿って街道を行きます。13時40分過ぎ、暑いのでドラッグストアで身体を冷やしてから県道18号線を渡ります。

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10分ほど歩くとセブンイレブンがあり、そこを右折すると安八町の役場です。

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これは中央公民館らしいです。

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通り越してまた新幹線を潜ります。

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潜って7~8分歩くと運動公園があり、左折します。

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ここの野球場のスタンドで小休止しました。6~7分休憩して出発すると、新幹線のすぐ向こうに、パナソニックの大きなソーラーパネルが見えました。14時18分。

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大森の交差点で再度県道18号線を渡ります。渡ってすぐ、下の写真の辺りで右折して、長良川に向かいます。

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ここから長良川への短い距離の間にも3~4体のお地蔵さんがありました。

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長良川の堤防に登り、ここも渡し船は無いので、県道18号線の羽島大橋で渡ります。ところがこの大橋ですが、歩道が手前になく県道を渡らねばなりません。そして歩道は新幹線と自動車道の間を歩きます。何か変ですね。14時40分。

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10分ほどかけて橋を渡ると、左側、車道の向こうに小公園があり、謂れありそうな石碑もありますが、見に行く術がありません。わずかに、一つだけ、石碑の文字が「薩摩義士・・・」と読めそうです。宝暦の治水がここにも有るのですね。

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少し下って信号でようやく左折して、長良川の堤防の下へ戻ってきました。

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ここを右折して街道に復帰するのですが、一寸焦って道を間違えました。下の写真で右折したのですが、早かったようです。

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福寿小学校の傍を通って、街道に復帰しました。15時10分です。

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ここもなんとなく街道の面影はします。

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大西の交差点は地下道で渡ります。

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この辺りも結構お地蔵さんが多いです。

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15時31分に、名鉄竹鼻線、羽島市役所前駅に到着しました。

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駅前は思ったより鄙びていて、宛にしていた缶ビールもありませんでした(泣)。電車の本数は結構あるので、近くの佐吉大仏を見に行きました。美濃の聖人と言われた永田佐吉翁が建立したとか。

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次回はここから駒塚道を歩こうと思います。

 

 

 

 

 

 

2022年6月14日 (火)

矢倉沢往還 足柄峠越その4

2022年6月9日(木)

旅館の部屋から見下ろすと、目の前に数個の石碑がある。五百円とか刻まれている。宿の女将さんに訊くと「最乗寺さんに参詣者が寄付した証だ」とか。

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今日は昨年歩いた伊勢原まで歩きたいところです。でも30キロほど有るし、アップダウンや道の状況も定かでは無い。でもまあ前半の渋沢駅まで15キロほど歩けば、後半は小田急の線路沿いなので、時間切れ時点で切り上げられるので気は楽です。

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でもまあ、できるだけ歩こうと、朝食を6時半にお願いして7時に宿を出た。昨日終わった龍福寺交差点に向かいます。大雄山駅には金太郎が居ました。

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7時20分頃、交差点に到着、街道に復帰しました。

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交差点から西は2車線の車道ですが、東はこんな街道らしい道になります。

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10分弱歩くと向田の石仏です。右へ降ると富士フイルム前の駅があります。

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石仏から5分で車道にぶつかりますが、これは小田原からの甲州道だそうです。すぐ右にある福田寺へ行く道が矢倉沢往還です。福田寺と刻まれた大きな石碑の横にある、小さな石が貴重な道標だそうです。

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「右おおやま、左ふじ」と刻まれているそうです。福田寺に一寸寄って、藪通りと呼ばれる道を下りました。石仏が有ったりして趣のある道を2回ほど左折右折します。橋場橋を渡ってから5分ほど車道を歩いて細道を右折します。すぐ水路が有るので、渡らずに左折しますが、その水路の向こうに道祖神など石仏が何体か並んでいました。

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すぐに2車線の車道に出るので、そこを右折します。3~4分歩いて交差点があり、左を見ると道の駅の看板がみえました。この辺りで南足柄市から開成町へ入るようです。

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交差点から3分ほど、左手に宮台の地蔵さんがあります。小さなお堂が作られ、中に、立派な厨子があり、その中に収められていました。7時56分です。

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8時頃要定川を渡り、5分で牛島交差点ですが、その手前右手の自治会館に矢倉沢往還の説明がありました。

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そこから5分ほど歩くと、大きな石碑、庚申塔だそうです、が4基建っていました。

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3分ほど歩くと、前方に踏切が見えてきます。小田急です。その手前の整備された歩道へ左折するのが往還だそうです。

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県道78号線の下を潜りながら、余り街道の雰囲気が無い道を10分ほど北上すると大きな建物が見えてきます。新築された大長寺の納骨堂だそうです。徳川家の帰依も受けた曹洞宗のお寺です。境内で一寸休憩しました。8時半頃。

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大長寺の横には多くの石仏が並んでいました。

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石仏から5分で交差点が有り右折します。20mほどで左手に大きな道祖神の石碑があり、そこを右折します。

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変な道ですが酒匂川の堤防に登ります。この辺りに当時渡しがあったようです。

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今は十文字橋を渡ります。8時44分でした。

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渡り切って左手に郵便局がありますが、その向こうの細い斜めの道を登るのが往還だそうです。

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この辺りは小田急の新松田駅とJR御殿場線の松田駅が隣接するところです。住所も松田町です。

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小学校の前を通りながら5分ほど登るとJRの線路に阻まれます。お堂のような建物の前に、往時の往還のルートが説明されていました。

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現在は右折して踏切を渡ります。この踏切の名前は矢倉沢踏切だそうです。

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踏切を渡って県道72号線に合流します。9時07分でした。この辺りで一寸足に違和感を覚えました。左足、膝頭の裏側の筋が一寸傷んだのです。まだ歩き出して2時間ですが、昨日の下りで痛めていたのかもしれません。最近ではチョットしたことで、あちこちが痛くなり、情けないことです。

延命寺の前に来ました。前途の安全を祈りに参拝しました。

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鎌倉時代の仏像がある立派なお寺のようです。ここまで8キロ弱。ここを出ると渋沢駅まで7~8キロは交通手段がありません。一寸悩みましたが、昼までならなんとか持つだろうと出かけることにしました。お昼には冷たいビールを飲ませるからと、励ましました(笑)。

籠場橋で酒匂川支流の川音川を渡って、すぐに東名高速道路の下を潜ります。この少し南に大井町があり、大井松田インターがありますね。

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江戸時代の矢倉沢往還は、この川音川沿いに北上し、途中で右折して渋沢に至るルートだったそうです。でも今は道が無くなって辿れないそうなので、ここから渋沢までは鎌倉・平安時代の道を辿ります。

東名高速の下を潜ってすぐ、県道77号線は右折します。その県道に入ってすぐ、県道が再度高速を潜る手前で往還は左に分かれます。それらしき石碑のある道が有ったので、左に入りかけましたが違いました。

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往還はその先の、東名のすぐ手前でした。そこは神山神社の入り口であり、矢倉沢往還の説明もありました。

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ここを左折して往還に入り、やれやれと油断したのが失敗です。入ってすぐ細い道を左折しなければいけないのですが、直進してしまいました。

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一寸おかしいとすぐ気が付いたので、事なきを得ました。すぐ引き返して往還に入りました。薄暗い道を5分ほど登ると視界が開けました。

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道はミカン畑の中を行きます。

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神山神社から15分、一寸下りになった所で三叉路になり、道案内がありました。この道は、鎌倉・平安の古い道ですが、近年ハイキングコースとして整備されたようですね。助かります。富士見塚を目指します。

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道標から10分弱で古道の案内がありました。

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古道の雰囲気がありますねえ。

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道案内から18分掛かって富士見塚に到着しました。ここは一応、名所と見えて、車で来ている方が一人居ました。10時08分です。

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この辺りは矢倉沢往還の一里塚であり、源頼朝が富士の巻狩りを行う際、ここから富士を眺めたと伝わるそうです。

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この少し上に展望広場があります。一寸、休憩しました。

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残念ながら富士山は雲の中でした。でも相模湾から伊豆半島が、うっすらと見えていました。

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15分ほど休憩して出発しました。5~6分下ると、大きな椎の木があります。三嶋神社です。

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この辺りから篠窪という集落に入ります。住所も大井町です。

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篠窪には地福寺というお寺があり、一寸参拝しました。

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地福寺を出て登っていくと小さな道祖神がありました。

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道祖神から5分登って、小さな案内のある往還へ左折します。

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ここは古道ですが舗装されています。10分登ると車道に合流し、展望も開けました。

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そこから4分、11時02分に弘法の硯水という、全国どこにもある弘法伝説の湧水がありました。

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そこから7分、11時10分頃、道標のある二股にでました。どちらへ行っても渋沢駅まで3キロほどと案内されています。ハイキングコースの案内のようです。往還は右です。

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2分も歩くと、多分渋沢方面でしょう、市街地が見えてきました。

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途中にいろいろ道案内があります。ハイキングコースとしての案内や、矢倉沢往還の案内もあります。

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平安・鎌倉時代の幹道と案内していますね。二又から15分、11時24分頃、市街地に降りてきました。

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3分でバス通りに降りてきました。

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バス通りを15分下って、國栄稲荷神社の交差点に来ました。ここも矢倉沢往還と甲州道の交差点です。江戸時代の往還は、この交差点を左右に通っていました。私が歩いてきた道は甲州道とされていたようです。

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膝の痛みは治っていましたが、ビールがちらついているので、ここで辞めることにしました。11時45分です。続けるなら、この交差点を右折です。交差点のすぐ北に國栄稲荷神社があり、その前に矢倉沢往還の説明がありました。

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古道解説では、今歩いてきた道を逆に辿ると小田原へ出ると説明しています。

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渋沢駅に向かいながら食堂を探しました。昼は食堂の居酒屋さんが駅前にありました。

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約束通りビールを一杯飲んで労をねぎらいました(笑)。渋沢から小田急で小田原に出て、小田原土産を購入しました。

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帰りの新幹線の中は、いつもの楽しみがあります。小田原産の竹輪ではありません(笑)。

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富士山は最後まで顔を見せてくれませんでした。

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お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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