2022年6月14日 (火)

矢倉沢往還 足柄峠越その4

2022年6月9日(木)

旅館の部屋から見下ろすと、目の前に数個の石碑がある。五百円とか刻まれている。宿の女将さんに訊くと「最乗寺さんに参詣者が寄付した証だ」とか。

Dscn2110jpgc

今日は昨年歩いた伊勢原まで歩きたいところです。でも30キロほど有るし、アップダウンや道の状況も定かでは無い。でもまあ前半の渋沢駅まで15キロほど歩けば、後半は小田急の線路沿いなので、時間切れ時点で切り上げられるので気は楽です。

Sibusawa00jpgc

でもまあ、できるだけ歩こうと、朝食を6時半にお願いして7時に宿を出た。昨日終わった龍福寺交差点に向かいます。大雄山駅には金太郎が居ました。

Dscn2117jpgc_20220614111201

7時20分頃、交差点に到着、街道に復帰しました。

Sibusawa01jpgc

交差点から西は2車線の車道ですが、東はこんな街道らしい道になります。

Dscn2121jpgc

10分弱歩くと向田の石仏です。右へ降ると富士フイルム前の駅があります。

Dscn2126jpgc

石仏から5分で車道にぶつかりますが、これは小田原からの甲州道だそうです。すぐ右にある福田寺へ行く道が矢倉沢往還です。福田寺と刻まれた大きな石碑の横にある、小さな石が貴重な道標だそうです。

Dscn2129jpgc

「右おおやま、左ふじ」と刻まれているそうです。福田寺に一寸寄って、藪通りと呼ばれる道を下りました。石仏が有ったりして趣のある道を2回ほど左折右折します。橋場橋を渡ってから5分ほど車道を歩いて細道を右折します。すぐ水路が有るので、渡らずに左折しますが、その水路の向こうに道祖神など石仏が何体か並んでいました。

Dscn2140jpgc_20220614111201

すぐに2車線の車道に出るので、そこを右折します。3~4分歩いて交差点があり、左を見ると道の駅の看板がみえました。この辺りで南足柄市から開成町へ入るようです。

Dscn2144jpgc

交差点から3分ほど、左手に宮台の地蔵さんがあります。小さなお堂が作られ、中に、立派な厨子があり、その中に収められていました。7時56分です。

Dscn2148jpgc_20220614111201

8時頃要定川を渡り、5分で牛島交差点ですが、その手前右手の自治会館に矢倉沢往還の説明がありました。

Dscn2154jpgc

そこから5分ほど歩くと、大きな石碑、庚申塔だそうです、が4基建っていました。

Dscn2157jpgc

3分ほど歩くと、前方に踏切が見えてきます。小田急です。その手前の整備された歩道へ左折するのが往還だそうです。

Dscn2163jpgc_20220614134401

県道78号線の下を潜りながら、余り街道の雰囲気が無い道を10分ほど北上すると大きな建物が見えてきます。新築された大長寺の納骨堂だそうです。徳川家の帰依も受けた曹洞宗のお寺です。境内で一寸休憩しました。8時半頃。

Dscn2165jpgc

大長寺の横には多くの石仏が並んでいました。

Dscn2170jpgc

石仏から5分で交差点が有り右折します。20mほどで左手に大きな道祖神の石碑があり、そこを右折します。

Dscn2175jpgc

変な道ですが酒匂川の堤防に登ります。この辺りに当時渡しがあったようです。

Dscn2177jpgc

今は十文字橋を渡ります。8時44分でした。

Dscn2182jpgc

渡り切って左手に郵便局がありますが、その向こうの細い斜めの道を登るのが往還だそうです。

Dscn2190jpgc

この辺りは小田急の新松田駅とJR御殿場線の松田駅が隣接するところです。住所も松田町です。

Sibusawa02jpgc

小学校の前を通りながら5分ほど登るとJRの線路に阻まれます。お堂のような建物の前に、往時の往還のルートが説明されていました。

Dscn2191jpgc

現在は右折して踏切を渡ります。この踏切の名前は矢倉沢踏切だそうです。

Dscn2199jpgc

踏切を渡って県道72号線に合流します。9時07分でした。この辺りで一寸足に違和感を覚えました。左足、膝頭の裏側の筋が一寸傷んだのです。まだ歩き出して2時間ですが、昨日の下りで痛めていたのかもしれません。最近ではチョットしたことで、あちこちが痛くなり、情けないことです。

延命寺の前に来ました。前途の安全を祈りに参拝しました。

Dscn2201jpgc

鎌倉時代の仏像がある立派なお寺のようです。ここまで8キロ弱。ここを出ると渋沢駅まで7~8キロは交通手段がありません。一寸悩みましたが、昼までならなんとか持つだろうと出かけることにしました。お昼には冷たいビールを飲ませるからと、励ましました(笑)。

籠場橋で酒匂川支流の川音川を渡って、すぐに東名高速道路の下を潜ります。この少し南に大井町があり、大井松田インターがありますね。

Dscn2207jpgc

江戸時代の矢倉沢往還は、この川音川沿いに北上し、途中で右折して渋沢に至るルートだったそうです。でも今は道が無くなって辿れないそうなので、ここから渋沢までは鎌倉・平安時代の道を辿ります。

東名高速の下を潜ってすぐ、県道77号線は右折します。その県道に入ってすぐ、県道が再度高速を潜る手前で往還は左に分かれます。それらしき石碑のある道が有ったので、左に入りかけましたが違いました。

Dscn2211jpgc

往還はその先の、東名のすぐ手前でした。そこは神山神社の入り口であり、矢倉沢往還の説明もありました。

Dscn2214jpgc

ここを左折して往還に入り、やれやれと油断したのが失敗です。入ってすぐ細い道を左折しなければいけないのですが、直進してしまいました。

Dscn2220jpgc

一寸おかしいとすぐ気が付いたので、事なきを得ました。すぐ引き返して往還に入りました。薄暗い道を5分ほど登ると視界が開けました。

Dscn2225jpgc

道はミカン畑の中を行きます。

Dscn2227jpgc

神山神社から15分、一寸下りになった所で三叉路になり、道案内がありました。この道は、鎌倉・平安の古い道ですが、近年ハイキングコースとして整備されたようですね。助かります。富士見塚を目指します。

Dscn2229jpgc

道標から10分弱で古道の案内がありました。

Dscn2230jpgc

古道の雰囲気がありますねえ。

Dscn2233jpgc

道案内から18分掛かって富士見塚に到着しました。ここは一応、名所と見えて、車で来ている方が一人居ました。10時08分です。

Dscn2238jpgc

この辺りは矢倉沢往還の一里塚であり、源頼朝が富士の巻狩りを行う際、ここから富士を眺めたと伝わるそうです。

Dscn2242jpgc

この少し上に展望広場があります。一寸、休憩しました。

Dscn2243jpgc_20220614150801

残念ながら富士山は雲の中でした。でも相模湾から伊豆半島が、うっすらと見えていました。

Dscn2246jpgc_20220614150801

15分ほど休憩して出発しました。5~6分下ると、大きな椎の木があります。三嶋神社です。

Dscn2253jpgc_20220614150801

この辺りから篠窪という集落に入ります。住所も大井町です。

Dscn2258jpgc

篠窪には地福寺というお寺があり、一寸参拝しました。

Dscn2262jpgc

地福寺を出て登っていくと小さな道祖神がありました。

Dscn2266jpgc

道祖神から5分登って、小さな案内のある往還へ左折します。

Dscn2269jpgc

ここは古道ですが舗装されています。10分登ると車道に合流し、展望も開けました。

Dscn2274jpgc

そこから4分、11時02分に弘法の硯水という、全国どこにもある弘法伝説の湧水がありました。

Dscn2276jpgc

そこから7分、11時10分頃、道標のある二股にでました。どちらへ行っても渋沢駅まで3キロほどと案内されています。ハイキングコースの案内のようです。往還は右です。

Dscn2279jpgc

2分も歩くと、多分渋沢方面でしょう、市街地が見えてきました。

Dscn2282jpgc

途中にいろいろ道案内があります。ハイキングコースとしての案内や、矢倉沢往還の案内もあります。

Dscn2287jpgc

平安・鎌倉時代の幹道と案内していますね。二又から15分、11時24分頃、市街地に降りてきました。

Dscn2292jpgc

3分でバス通りに降りてきました。

Dscn2294jpgc

バス通りを15分下って、國栄稲荷神社の交差点に来ました。ここも矢倉沢往還と甲州道の交差点です。江戸時代の往還は、この交差点を左右に通っていました。私が歩いてきた道は甲州道とされていたようです。

Dscn2296jpgc

膝の痛みは治っていましたが、ビールがちらついているので、ここで辞めることにしました。11時45分です。続けるなら、この交差点を右折です。交差点のすぐ北に國栄稲荷神社があり、その前に矢倉沢往還の説明がありました。

Dscn2300jpgc_20220614182801

古道解説では、今歩いてきた道を逆に辿ると小田原へ出ると説明しています。

Dscn2301jpgc_20220614182801

渋沢駅に向かいながら食堂を探しました。昼は食堂の居酒屋さんが駅前にありました。

Dscn2306jpgc

約束通りビールを一杯飲んで労をねぎらいました(笑)。渋沢から小田急で小田原に出て、小田原土産を購入しました。

Dscn2315jpgc_20220614185501

帰りの新幹線の中は、いつもの楽しみがあります。小田原産の竹輪ではありません(笑)。

Dscn2316jpgc

富士山は最後まで顔を見せてくれませんでした。

Dscn2318jpgc

お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年6月11日 (土)

矢倉沢往還 足柄峠越 その3

13時頃、昼食を終えて広場から降りてきました。足柄城址の石碑と足柄峠の説明板がありました。標高は759mと書かれていました。

Dscn1929jpgc_20220611090301

足柄峠には、いろいろ史跡がある。八幡太郎義家の弟、新羅三郎義光が兄の奥州征伐の応援に駆け付ける際、ここで露営し笛を吹いた。

Dscn1930jpgc_20220611090301

足柄聖天堂は、年をとっても下(しも)の世話にならなくても良くなるそうです。

Dscn1934jpgc_20220611090301

足柄峠の関所は平安時代に作られ、鎌倉時代に箱根道が開かれるまで、東海道の要衝であったそうです。

Dscn1938jpgc_20220611090301

さて、そろそろ峠を下ろうと思います。

Asigara01jpgc_20220611090401

関所跡のすぐ下に足柄古道の入り口があるので、それを下ります。

Dscn1946jpgc_20220611090301

すぐに足柄明神跡への道が左に分かれるので見に行きました。足柄明神は倭建命伝説に出てきますが、麓の足柄神社の元になった神社です。

Dscn1949jpgc_20220611090301

天気が良ければ矢倉岳など見えそうですが、今日は雲の中でした。引き返して足柄道を下ります。13時15分頃です。石畳などは近年改修されたものでしょう。

Dscn1954jpgc

自動車道を何回か横断しながら15分ほど下ると、見晴らし台へ来ました。バス停もあります。

Dscn1961jpgc_20220611093201

さらに古道で下ります。

Dscn1965jpgc

車道を何回か横断します。

Dscn1967jpgc

13時45分。いったんここで古道は終わり、車道を歩きます。

Dscn1975jpgc

ヘアピンカーブのような車道を7~8分下ると相の川橋のバス停があります。その先、右に登っているのが足柄道です。前方の山は矢倉岳です。

Dscn1982jpgc

この足柄道は古道ではなく、舗装された車道で、県道に並行して進みます。10分ほど歩くと地蔵堂に着きました。ここからは文明社会みたいで、バスの本数も増えます(笑)。

Dscn1988jpgc

鎌倉時代の作と言われる足柄地蔵尊が祀られています。ここで一寸休憩しました。10分ほど休憩して14時15分に出発しました。ここからも、県道は進まず、足柄道を進みます。4~5分歩くと、金太郎の遊び石がありました。金太郎広場とか。

Dscn1996jpgc

すぐ近くには金太郎の生家跡もあります。ここで足柄道は左折します。直進は夕陽の滝とか。この足柄道も古道ではなく、しっかり舗装された自動車道です。

Dscn2007jpgc

14時40分頃、矢倉沢定山城跡の案内がありました。古道の名残としては、これくらいですか。

Dscn2012jpgc_20220611093201

ハイキングコースなのに車がよく通るなと思ったら、自動車道として作られたようでした。

Dscn2014jpgc

まだ少し金太郎ラインを歩きます。

Asigara02jpgc

14時55分、県道に合流しました。逆に登ってきた場合、こんな感じです。足柄古道入口とは言って欲しくないなあ(笑)。

Dscn2027jpgc

すぐに県道の左側に足柄道と書いてあったので入りました。でもおかしいと気が付いて引き返しました。紛らわしいですね。

Dscn2028jpgc

そこから5分先に足柄古道の入り口がありました。道は舗装されていますが、雰囲気のある良い道です。

Dscn2034jpgc

獣よけの扉を開け閉めしたりしながら10分ほどでまた県道に出ますが、すぐ横断して矢倉沢の集落に入っていきます。15時15分です。入って3~4分すると、道は二つに分かれますが、右下へ降りていきます。

Dscn2043jpgc

この辺りに関所跡が有るはずと注意しながら歩いたのですが、通り過ごしました。地元のおばさんに尋ねて、ようやく解りました。小さな案内だけなのです。

Dscn2048jpgc

矢倉沢にはこの表関所の他に裏関所が有ったそうです。すぐに県道に合流します。その向かい側に坂を登る道がありますが、それが足柄みちだそうです。でも、ウオーキングガイドには県道が矢倉沢往還だと記されているので、県道を歩きます。

合流するとすぐ石仏群や芭蕉句碑があります。その上のガードレールの道が足柄道です。15時32分。

Dscn2050jpgc

10分ほど歩くと日蓮上人縁のマンダラ石があります。

Dscn2057jpgc_20220611102101

謂れはよく解りませんが、道端にはいろんな石碑が建っています。

Dscn2061jpgc

マンダラ石から20分、足柄神社の入り口を通過しました。

Dscn2065jpgc

入口から5分ほどで足柄道が県道に合流してきます。そこから1分で、白地地蔵とか化粧地蔵とか言われるお地蔵さんがあります。安産と授乳のご利益があり、お礼に小麦粉を塗る風習があるそうです。

Dscn2069jpgc_20220611102101

弘済寺の入り口を過ぎ、日蓮上人ゆかりの弘行寺に一寸寄りました。16時25分。

Dscn2079jpgc

もう目的の大雄山は近いでしょう。この辺りは関本というのが地名らしく、関本地蔵さんもありました。

Dscn2083jpgc_20220611105801

16時45分に竜福寺の交差点に着きました。矢倉沢往還は直進ですが、今日はここまでです。

Dscn2088jpgc

交差点の名前にもなっている竜福寺へ一寸お参りしました。

Dscn2079jpgc

交差点から4分で伊豆箱根鉄道の大雄山駅です。

Dscn2096jpgc

この大雄山駅から3キロほど南西に大雄山最乗寺があります。天狗伝説もある曹洞宗のお寺です。参詣客も多く、過っては相当賑わったみちのようです。その途中に今夜の宿があります。

Dscn2101jpgc_20220611105801

この付近に旅館が何軒かあるよなので、過っては最乗寺さんの参詣客が目当てだったのでしょうか。

Dscn2107jpgc

今日の疲れをゆっくり癒させてもらいました。

明日へ続きます。

 

 

 

 

2022年6月10日 (金)

矢倉沢往還 足柄峠越その2

矢倉沢往還は沼津から伊勢原まで75キロほどありますが、今回はそのさわりの部分、足柄峠を歩こうと、JR御殿場線の足柄駅から歩くことにしました。1日目は足柄駅から足柄峠を越え、伊豆箱根鉄道の大雄山駅まで18キロほどの行程です。

Asigara00jpgc

2022年6月8日(水)

足柄駅までは4時間ほど掛かるので、朝は6時半頃家を出ました。雨が心配でしたが名古屋付近は晴れています。これなら富士山も見られるかもと期待が膨らみます。

Dscn1810jpgc

でも関東に近づくにつれ雲が多くなり、御殿場線の車窓からは富士山は無く、雨の心配になってきました。

Dscn1819jpgc

10時34分に足柄駅に到着しました。

Dscn1828jpgc

ここは静岡県小山町です。駅舎に役場の支所があったので、一寸入って足柄峠への道筋や宝鏡寺さんへの道を尋ねました。

Asigara01jpgc

宝鏡寺は聖徳太子作のお地蔵さんを本尊とし、今日の目的地大雄山にある最乗寺と縁深く、大雄山宝鏡寺と称しています。

Dscn1838jpgc

引き返して足柄駅近くの馬喰坂から足柄峠へ登り始めました。10時55分です。

Dscn1839jpgc_20220610155901

急坂を5分登ると嶽之下神社です。源頼光はこの地で坂田金時を召し抱え、向かい側の富士浅間神社の木花開耶姫命を迎えられた?

Dscn1843jpgc

金太郎伝説は、ここ小山町、峠の向こうの南足柄市のほかに滋賀県、新潟県など、いろいろあるようですね。ここからさらに登っていきますが、道はすべて舗装されています。

Dscn1855jpgc

神社から20分弱登った自動車道との合流点に竹之下一里塚が残っていました。

Dscn1861jpgc_20220610161301

この辺り標高は458mと出ていますが、足柄駅が350m位なので100m登ってきたことになります。足柄峠までは後300mの登りですね。一里塚から更に20分弱登ると大きな石碑があります。唯念上人の銘号碑です。

Dscn1871jpgc_20220610184301

そのすぐ先が赤い欄干の伊勢宇橋です。11時44分です。

Dscn1879jpgc_20220610184301

伊勢宇橋から10分一寸で赤坂古道の入り口に来ました。矢倉沢往還というのは平安時代頃の足柄道を元にしているそうです。その道は近畿と関東を結ぶ道だったそうですが、相模の国から駿河湾の海産物を甲州へ送るのにも使われたとか。その中で、この辺りでは陶磁器用の赤土が取れたので赤坂道とも言われたとか。

Dscn1885jpgc

このまま車道を進んでも足柄峠に着くのですが、出来れば古道を歩きたいと思っていたら、通行止めの案内です。一寸がっかりしながら、すぐ目の前の馬頭観音を見に古道へ入りました。11時56分。

Dscn1886jpgc_20220610184301

古道を見ているうちに、どこが危険で歩けないのか見に行くことにしました。まあ荒れてはいるものの、危険と言う箇所が無く登っていきました。

Dscn1892jpgc

20分弱登ると林道の工事現場に来ました。これが通行止めの原因だったのですね。

Dscn1897jpgc

完全に削られているため、古道の痕跡も全くありません。地形図を見て方向を定め、一寸登って古道を発見しました。それを辿るとすぐ自動車道でした。12時19分。

Dscn1902jpgc_20220610184301

車道を渡って、次の古道に入ります。7分で次の車道に出ました。12時26分です。

Dscn1906jpgc_20220610184301

目の前に芭蕉句碑があります。

Dscn1907jpgc

すぐ上に八体の地蔵さん。

Dscn1910jpgc

そのまたすぐ上に上の六地蔵があります。そんなに古そうにも見えませんでしたが。

Dscn1912jpgc

もう峠は近いでしょう。峠近くにはいろいろ石碑が立っています。

Dscn1918jpgc_20220610192401

12時36分。石段が有ったので登ってみました。

Dscn1919jpgc

上は広場になっていて石碑や東屋がありました。ガスの中に入ったようで展望はありません。

Dscn1921jpgc

この広場で静岡県小山町と神奈川県南足柄市が、年1回綱引きをして、勝った方が来年まで、この広場を領有すると書いてありました。前回は足柄市が勝ったようで、相模の国になっていました。駿河の国は残念でしょうね(笑)。

Dscn1922jpgc_20220610192401

ここの東屋で昼食休憩することにしました。

後半へ続きます。

 

 

矢倉沢往還 足柄峠越 その1

矢倉沢往還とは沼津から江戸までの東海道のバイパス(脇往還)です。東海道が箱根峠を超えるのに対し、矢倉沢往還は沼津から北へ40キロほどの足柄峠を越えました。標高は箱根が850m、足柄が750mほどです。共に峠に関所がありました。矢倉沢の名前の由来は足柄峠を神奈川県側に降っていくと矢倉沢という集落があるからでしょうか?矢倉沢には関所が二つあったそうです。一つは街道沿いに、裏関所は山越えの道に。

Yakura00jpgc_20220610150101

東海道は大名行列などが通る表街道だったのに対し、矢倉沢往還は商人や旅人が多く使ったようです。なので、街道の宿場に見られる本陣や脇本陣の跡などは、余り見かけません。

昨年12月に矢倉沢往還の北半分、伊勢原から東京の赤坂まで歩きました。この間は大山街道の一つで、江戸時代は頻繁に庶民が歩きました。江戸庶民の信仰というか楽しみというか、伊勢講、富士講などが人気で、伊勢参り、富士山登山などが行われました。

でも、伊勢参りには最低でも1っか月、富士登山も相当日数が必要でした。もう少し簡単に楽しめたのが大山詣でで、行は矢倉沢往還で伊勢原へ、そこから大山の阿夫利神社を往復し、帰りは江の島・鎌倉・金沢八景などを巡って東海道で帰る5~6日の行程が人気だったようです。

なのでその大山街道は資料も豊富でしたが、南半分の沼津~伊勢原間は資料も乏しかったですね。でも昨年暮れ、南足柄市の文化スポーツ課から下のガイドブックを送ってもらいました。

Dscn2332jpgc

これでルートの解明も一気に運んで、コロナも下火になって、今回の歩きとなったわけです。

歩きの実際は、次の「矢倉沢往還 足柄峠越その2」でご覧ください。

 

 

2022年5月16日 (月)

大和街道4回目 新堂から加太

Dscn1069jpgc

今年2月から歩き始めた大和街道は、京都府の笠置から始まり、三重県の伊賀市を歩いてきました。これから亀山市に入って関までが大和街道です。その後、伊勢別街道で津へ向かう予定です。

Kabuto04jpgc

2022年5月15日(日)

今回は上図で赤線の新堂から加太まで16キロほどを歩く予定です。9時40分に新堂駅到着です。大阪から参加のOさんが待っています。

Dscn1065jpgc

近くのオークワで弁当を買って10時頃出発しました。

Kabuto02jpgc_20220516144101

柘植川の堤防に出て左折すると、すぐ大和街道の道標がありました。

Dscn1068jpgc

まだ伊賀市なので芭蕉の影響が残っています。

Dscn1070jpgc_20220516144001

今日歩く柘植川に沿う道は、いわゆるメイン道路では無いので、車の通行は少なく、街道の面影残すような旧道なので、しっとりとした感じで、歩きやすい街道歩きです。上市場辺りの街道。

Dscn1074jpgc_20220516144001

旧の国道25号線を横断して中柘植に入ります。ここもいい感じです。10時50分頃。

Dscn1079jpgc_20220516144001

11時頃、野村に横光利一ゆかりの家跡がありました。近所の奥さんが、市が草刈りをしてくれないと嘆いていました。

Dscn1083jpgc

下町に入ると、史跡小御堂と刻まれた石柱がありますが、謂れは不明です。

Dscn1087jpgc

鍵型に曲がる角に、大和街道の説明版がありました。また近くには、本能寺の変の際、伊賀越えで三河へ帰る家康を休憩させた徳永寺がある。

Dscn1089jpgc

11時22分、都美恵神社の前に来ました。立派な神社で、参詣することにしました。

Dscn1096jpgc

起源は相当古いようですが、難解で不明(-_-;)。倭姫伝説の元伊勢の一つだそうです。15分ほど、お参りしました。柘植駅への道を越えて、12~3分歩いた右手の小川の縁に勧請縄がありました。疫病が集落に入るのを防いでいます。個々の飾りの意味は不明です。

Dscn1117jpgc

街道沿いに小さな常夜灯があります。伊賀町内、唯一残っているとか。

Dscn1120jpgc

近くに、大神宮の祠と石灯籠があります。

Dscn1124jpgc_20220516151801

時刻は12時近くですが、もう少し歩きます。すぐに旧25号線に合流しますが、この辺り、新25号線すなわち名阪国道に車は行くので、旧25号線は歩き易いです。12時15分、鴉山池のほとりで昼食休憩としました。

Dscn1127jpgc_20220516151801

20分一寸で出発しました。皆さん、やる気満々ですね(笑)。

Kabuto03jpgc

すぐにJRの線路を潜ります。少し歩くと旧道が残っているので見に行きました。と言うのは、途中で道が消えているので、引き返す必要があります。なので、見に行ったという言い方になります。

Dscn1140jpgc

また25号線に引き返して、少し歩くと、亀山市に入りました。13時12分でした。

Dscn1145jpgc_20220516151801

しばらく淡々と歩きます。加太不動滝の案内もありますが、遠そうです。錫杖岳が正面に見えます。

Dscn1150jpgc_20220516155101

13時45分頃、道端に、上下二つに刀で切られたようなお地蔵さんがありました。

Dscn1154jpgc_20220516155501

そしてすぐJRの線路を潜ります。このトンネルが赤レンガ造りで、鉄道遺産として有名です。明治23年に当時の関西鉄道によって完成されたそうです。

Dscn1157jpgc_20220516160001

街道は北在家の集落に入ってきました。なかなかの街道風景です。

Dscn1164jpgc

ここに以前から気になっていた川俣神社があります。今回、時間も余裕があるので、参詣しました。14時05分。

Dscn1170jpgc_20220516185401

この神社も歴史は古そうですが、南北朝時代に、この地方は鹿伏兎氏が納めていました。その陣屋を、北畠氏が川俣城と名付け、その跡地に現川俣神社が移ってきたとか。一寸、小休止して、20分ほどで出てきました。

すると本陣跡の案内がありました。加太宿はここ板屋に本陣があり、問屋場がすでに通ってきた市場に置かれていたそうです。

Dscn1182jpgc

14時半頃、名阪国道の板屋ICを通りました。

Dscn1184jpgc

この付近は鉄道遺産が多く、街道歩きより鉄道マニアの見学が多いようです。

Dscn1189jpgc

ICから15分ほどで森林公園があります。ここに大和街道の説明版があり、旧道の案内があります。

Dscn1196jpgc

梶ヶ坂と言われる地域ですが、貴重な旧道が残っています。すぐに峠?です。

Dscn1200jpgc

下ってきて民家の横を通り、車道を横断する場所に、また街道の説明版があります。そこを下ると、小川に沈下橋が掛かっています。街道の面影充分ですね。

Dscn1204jpgc_20220516155501

橋を渡るとお地蔵さんがあり、すぐに旧25号線に出ます。15時04分。そこから5分で加太駅の近くに来ました。缶ビールを買って駅に向かいます。停車場道と言う石標があり、左折すると駅です。

何もない無人駅だと思っていたのですが、この4月から廃駅を避けるため、集落のサロンが作られていました。

Dscn1215jpgc

反省会は亀山で、ささやかに行いました。

Dscn1229jpgc

お疲れ様。

 

 

 

 

 

 

 

2022年5月 8日 (日)

九里半街道その3 美濃高田から烏江

2022年5月6日(金)

昨日残した九里半街道の残り8キロを歩くため、今日は車で美濃高田駅へやってきました。駅と街道の中間にあるスーパー、バローの駐車場に車を停めさせてもらいました。代わりにお弁当を買わせてもらいました(笑)。

10時50分頃、昨日の金草橋南詰交差点にやってきました。養老山脈が真近に見えます。

Dscn0995jpgc_20220508182701

ここを左折して船附湊へ向かいます。

Karasuejpgc

ここからは金草川の堤防を歩くようです。

Dscn0998jpgc

10分ほど歩くと、右下に神社がありました。多分、八幡神社ですね。

Dscn1000jpgc

前方に東海環状自動車道が見えてきます。

Dscn1002jpgc_20220508182701

その下を潜ると、瓢箪がモニュメントの橋がありました。11時13分。

Dscn1003jpgc

まだまだ土手道が続きます。

Dscn1004jpgc

すぐに県道30号線の下を潜ります。そうそう今日は珍しく女房と一緒でした。

Dscn1006jpgc_20220508182701

下を潜った県道を、今度は上から眺めています。

Dscn1009jpgc

左手は湿地帯で、鴨が休んでいました。

Dscn1011jpgc

11時36分、なにか石柱が有るなと思ったら、「九里半街道」の道標でした。珍しいです。

Dscn1013jpgc

道標に力付けられて歩くと、一寸集落に入ります。栗笠の福地神社だと思います。

Dscn1016jpgc

集落を抜けると牧田川の堤防に出ます。

Dscn1018jpgc

堤防道路は車が来ると嫌なので、下に降りたりしながら15分ほど歩いて、12時過ぎに堤防の土手で昼食にしました。多分、女房はこんな場所で食べるのは初めてでしょう(笑)。

Dscn1024jpgc

20分ぐらいで出発しました。12時25分。

Dscn1026jpgc

5分でR258の養老大橋の手前、船附に着きました。ここが過っての湊で栄えたのですね。

Dscn1028jpgc

今現在、過っての湊の跡は残っていないみたいでした。常夜灯が多分、湊に有ったものが残されているのかなと思います。大正時代までは、船附、栗笠、烏江が濃州三湊として栄えたそうです。

Dscn1033jpgc_20220508184401

この辺り、一寸昔の面影が有りそう。

Dscn1037jpgc

12時37分頃船附を後にして、養老鉄道の烏江駅に向かいました。30分ほどで駅のすぐ手前まで帰ってくると、思いがけず烏江湊の石碑がありました。

Dscn1051jpgc_20220508184401

石碑から3分で、高架駅の烏江に到着しました。お疲れさまでした。

Dscn1063jpgc_20220508184401

 

九里半街道その2 今須から美濃高田駅

2022年5月5日(木)

朝9時前に関ケ原を出発し、10時02分に九里半街道の分岐に来ました。

Dscn0836jpgc

ここを左折して県道229号線に入ります。

Kurihan01jpgc

入っていくと5~6分で名神高速道路の下を潜りますが、その手前の資材置き場の中に今須宿本陣跡の説明版がありました。

Dscn0843jpgc

Dscn0841jpgc_20220507152301

名神高速から5分で街道は県道と分かれて左に入ります。そして7~8分、左手にカツラの巨木があります。親鸞聖人の杖が芽を出して成長したという木です。

Dscn0854jpgc

すぐそばには若宮八幡神社、少し離れて親鸞聖人が逗留された聖蓮寺があります。10分ほどで再度県道に合流しました。

Dscn0863jpgc

20分ほど歩いて、10時56分、関ケ原町から上石津町に入りました。

Dscn0874jpgc_20220507152301

11時に県道から右に分かれ、平井の集落へ入ります。

Dscn0875jpgc_20220507152301

獣が多いと見えて、集落全体を網目の柵で囲っていました。

Dscn0881jpgc_20220507152301

集落を出ると県道に合流し、少し登っていきます。今須川の川底がはるか下に見えます。

Dscn0884jpgc_20220508124101

集落から20分ほど歩くと、道は里に下りてきます。すると街道は県道から左に分かれます。ふじこがわ橋と言うレトロな橋を渡って堤防を右折しました。時刻も11時40分なので、堤防で昼食にしました。

Dscn0897jpgc_20220508124101

12時一寸過ぎに出発し、牧田一色の交差点を渡ります。この道は、我が家から関ケ原インターへ行く時、何回も車で通った道です。渡って少し登ると、昨年10月に歩いた美濃街道にぶつかります。その時は、ここを右から左へ歩いて関ケ原へ向かいました。

今日は右折して、しばらく美濃街道と同じ道を歩きます。合流地点の八幡神社です。

Dscn0905jpgc_20220508124101

この辺りは上石津町牧田でしょうか、街道の風情も残る道です。

Dscn0912jpgc

12時27分頃、牧田宿で代々問屋を営み、明治時代には郵便局長を務めた五井家の屋敷にきました。大垣市の景観遺産だそうです。

Dscn0917jpgc_20220508124101

少し行くと大神宮常夜灯があります。

Dscn0923jpgc

すぐ近くのもう一つの常夜灯で左折。

Dscn0925jpgc

牧田小学校の前を通りますが、代々の卒業生が記念のモニュメントを作っています。今も存続しているのでしょうか?

Dscn0928jpgc

12時45分頃、二又の馬頭観音と言う案内が有ったので、探しに行きましたが、見つかりませんでした(-_-;)。

Dscn0932jpgc

13時頃、前回、美濃街道歩きのとき、昼食休憩した素戔嗚神社を通過しました。もうすぐ、牧田川を渡ります。

Dscn0938jpgc

牧田川を渡る広瀬橋の袂に、九里半街道の案内があります。前回、これを見て、九里半街道の存在を知ったのでした。

Dscn0940jpgc

広瀬橋を渡りながら、振り返ると伊吹山が見えました。

Dscn0944jpgc

渡って左折します。

Kurihan02jpgc

すぐに上石津町と養老町の町境です。そこで右折して街道に入ります。

Dscn0946jpgc_20220508142101

入ってしばらく行った所で、前回歩いた美濃街道は右に分かれていきました。この辺りも街道の風情ですね。

Dscn0950jpgc

ここにも大神宮常夜灯があるのですが、これまでの石灯籠と違って、立派な細工が施された木製です。

Dscn0954jpgc_20220508142601

13時30分頃、集落を抜けて堤防道路に登ります。この堤防道路は県道で、私も度々関ケ原へ行く時走るので、よく知っています。で、人が歩く道では無いので、並行する田んぼ道を歩きました(笑)。

Dscn0956jpgc_20220508142101

県道が堤防から離れ、街道がその県道から離れる所で街道に復帰しました。この辺りの県道は養老ミートやロイヤルなど、お値打ちな肉屋さんが多く、私も盆正月とか大量に肉を買うときは、わざわざ来たものです。焼肉屋さんも多く、通称焼肉街道です(笑)。

Dscn0960jpgc_20220508142101

13時55分に焼肉街道から離れ、15分ほど歩くと中央公園の傍に来ました。

Dscn0967jpgc

公園や総合体育館を左に見ながら進みます。学校の校舎が見え、出征兵士の慰霊塔?見える辺りで右折して、西町商店街に入ります。14時27分でした。

Dscn0972jpgc

15分ほど商店街を歩いて、大垣共立銀行を過ぎて細い道を右折するのが街道です。

Dscn0979jpgc

美濃高田の駅へは、この辺りが一番近いです。今日はこの辺で辞めるのですが、次回の出発を考えて、ややこしい所は通り過ぎておくことにしました。2回ほど曲がると、厚生病院があります。

Dscn0980jpgc_20220508142101

その前を通って養老鉄道の踏切を渡ります。渡って5分ほど歩いて、金草橋南詰の交差点で、左折して街道から離れ、美濃高田駅へ向かうことにしました。

Dscn0982jpgc

途中、コンビニに寄って25分ほどで美濃高田駅に到着しました。

Dscn0986jpgc

15時15分頃なので、烏江まであと2時間歩くこともできそうですが、最近は、無理は禁物です。養老鉄道はサイクル列車で自転車持ち込みも可能です。空いた電車で、のんびり帰りました。

Dscn0993jpgc_20220508144901

残り8キロは、何日歩こうかなあ。

 

 

 

 

2022年5月 7日 (土)

九里半街道

九里半街道をネットで調べると二つ出てきます。下図で左上、若狭の小浜と琵琶湖の今津湊を結ぶ街道。もう一つが米原の朝妻湊と揖斐川の支流、牧田川の船附湊を結ぶ街道です。いずれも距離が38キロ、九里半なので九里半街道と呼ばれています。

Kurihan04jpgcc

小浜からの街道は若狭の海産物を京へ運ぶ道です。陸路を行く鯖街道が有名ですが、やはり大量に物資を運ぶのは水運が欠かせない訳です。今津から船で大津まで運び、そこから京へ運んだのでしょう。小浜街道とか熊川街道とか呼ばれました。

桑名や尾張の物資を京へ運ぶのも同じことで、東海道や他の陸路で運ぶより、揖斐川と牧田川を船で遡り、船附、栗笠、烏江の湊で陸揚げして、中山道の今須宿経由で米原まで運び、そこから水運で大津へ運んだ訳です。

その今須から船附の九里半街道を歩いてみました。

2022年5月5日(木) 中山道編

8時46分にJR関ケ原駅に降り立ちました。

Dscn0760jpgc

ここから今須まで4キロほど旧中山道を歩いて、そこから九里半街道に入ります。今須から船附までは22キロ。船附から最寄り駅の烏江まで2キロ。合計28キロは一寸無理なので、今日は美濃高田駅までのつもりです。

Kurihan01jpgc

関ケ原は中山道の宿場ですが、言わずと知れた関ケ原の合戦の舞台です。また今須宿までの間には天下三大関所の一つ不破の関所がありました。壬申の乱の舞台だったのです。それらの史跡が多く、この4キロは街道歩きマニアにはたまらない4キロでしょう。

Dscn0768jpgc

駅を出て国道21号線に出て右折、今須を目指します。すぐに西首塚があります。関ケ原の合戦で死亡した、おびただしい数の死者を東西二つの首塚を作って埋葬したものです。

Dscn0773jpgc

首塚からすぐ、旧中山道は左に分かれます。以前は無かった関ケ原の合戦の陣地跡の案内が建てられていました。

Dscn0775jpgc_20220507141101

国道から6~7分で不破の関跡です。資料館もありますが、今日は九里半街道がメインなのでパスします。

Dscn0783jpgc_20220507141101

ここから一寸下って川を渡りますが、関所はこの河岸段丘の地形を利用して作られていました。渡ると矢尻の井という歌枕があります。壬申の乱のとき、大友皇子の軍の兵士が矢尻で井戸を掘ったとか。

Dscn0791jpgc

9時27分、再度国道に出て渡ります。

Dscn0796jpgc_20220507141101

この辺りは石田方の武将、大谷吉継の陣があった所で、その案内が多いです。

Dscn0807jpgc

JRの線路を潜ると、常盤御前の墓があります。東国に逃れた牛若丸の後を追って、ここで山賊に襲われ、死亡したとか。

Dscn0817jpgc

9時50分頃、JRの踏切を渡ります。

Dscn0825jpgc

5分ほど登ると今須峠です。

Dscn0828jpgc

3分下ると国道に出ます。適当に渡ります。

Dscn0832jpgc_20220507144601

すぐに今須ですが、手前左側に一里塚跡があります。

Dscn0833jpgc

向かい側にあるのは妙応寺でしょうか。

Dscn0835jpgc

10時02分に九里半街道への分岐、県道229号線の分岐に到着しました。

Dscn0836jpgc

ここからの九里半街道はページを改めます。

 

 

2022年4月10日 (日)

大和街道3回目 上野市駅から新堂駅

山歩会仲間との大和街道歩きの3回目です。1回目が笠置駅から月ヶ瀬口駅、2回目が月ヶ瀬口駅から上野市駅。そして今回が3回目で、上野市駅から新堂駅です。次が新堂駅から加太駅、そして5回目が加太駅から大和街道の起点東海道関宿を経て、伊勢別街道へ入ろうと思っています。

Sindo01jpgc

2022年4月9日(土)

いつもの列車で亀山に着き、加茂行に乗り換えます。なんとほぼ満員です。柘植で乗り換えて京都方面に出かける人が多くなったのですね。

Dscn0085jpgc

ところでその列車で気になる表示が。

Dscn0084jpgc_20220410153101

なんか小動物が居るみたいですね。小動物って何かな?

伊賀上野で乗り換え、伊賀鉄道で上野市駅へ。伊賀鉄道も忍者一色ですね。でもカッコいい「くノ一」ですね。

Dscn0087jpgc

10時に上野市駅に到着し、まず上野城址を見に行くことにしました。

Sindo02jpgc

上野城公園は丁度桜が満開でした。2~3日前に満開と聞いていたので、もうちょっと散っているかと思っていました。芭蕉の俳聖殿です。芭蕉の旅姿を表していると聞いたような。

Dscn0092jpgc_20220410153101

天守閣は明治に入ってから作られたとか。

Dscn0098jpgc_20220410153101

上野城はこの石垣の高さが有名なのだそうです。

Dscn0096jpgc_20220410154501

10時45分に駅前に戻ってきました。大和街道に復帰して歩き始めました。8分ほどで上野天満宮です。神社ですが、お寺の門のようですね。

Dscn0107jpgc_20220410153101

皆さん、取り敢えず、この歩き旅の無事を祈って。

Dscn0113jpgc_20220410153101

伊賀鉄道の広小路駅を過ぎると、ここで伊賀街道が、ここで分かれます。伊賀街道は藤堂高虎が、津と伊賀上野を結ぶ重要な街道として整備したと思いますが、最近では通行少なく、消えかかっている街道です。

Dscn0118jpgc_20220410182501

このすぐ近くに、すき焼きで有名な金谷があります。ここで左折して、北へ向かうのが大和街道です。大和街道という名称は、明治以降につけられたそうで、江戸時代には「加太(かぶと)越え奈良道」と呼ばれました。

少し北上すると芭蕉生家があります。老朽化のため改修で4年間閉鎖されていましたが、この4月から公開されました。一寸覗いて見ました。町家の町屋のような造りです。裏庭に若き日の芭蕉の書斎であった釣月軒が復元されていました。

Dscn0123jpgc

11時14分、10分ほどで芭蕉生家を出て街道に戻り、割烹旅館三田清を過ぎると大きな道標があります。「東海道関宿道」とか書かれているようです。

Dscn0129jpgc

突き当りを左に降りて、すぐ右折して地蔵堂の前を降りていきます。11時23分です。

Dscn0132jpgc_20220410182501

ここから10分ほど北上すると服部川の堤防に出ます。昔はここで川を渡ったと思われますが、現在、橋も渡しも無いので右折して、国道25号線の服部橋を渡ります。

Dscn0137jpgc_20220410182501

橋を渡って5分ほど、右手に小宮神社があります。この境内をお借りして昼食休憩としました。11時45分です。

Dscn0142jpgc

今日は愛妻弁当です(笑)。

Dscn0145jpgc

20分ほどで出発しました。15分ほど歩いて右折、国道を離れてほっとします。5分ほど歩くと、左手に清安寺という小さなお寺があります。

Dscn0151jpgc_20220410182501

この境内に昔の道標が残っています。やはり東海道関宿道とか刻まれています。

Dscn0153jpgc_20220410182501

清安寺から3分ほどで左折して北上、5分ほどで街道は右に曲がっていきますが、その角に地蔵堂があります。そこから6分程で街道は一旦国道25号線に出ます。

Sindo03jpgc

出て2~3分でまた左に分かれますが、その角に、孝子留松の碑があります。Dscn0161jpgc

一寸雰囲気のある旧道を15分ほど歩くと外山地区へ入る小さな橋が柘植川に架かっている。

Dscn0170jpgc

この橋を渡って福仙寺の摩崖仏を見に行くことにしました。川岸は桜が満開でした。

Dscn0190jpgc

線路を渡り、少し登ると石仏群がありました。

Dscn0181jpgc

その辺りを左折していくと福泉寺です。摩崖仏というので、崖に彫られているかと思ったのですが、崖は無いので、お墓の一角にあった、この石仏が、そうだろうということにしました(笑)。

Dscn0186jpgc_20220410191101

13時28分、街道に復帰しました。この佐那具は宿場町だったそうで、府中神社の近くに本陣や脇本陣がありました。17年前に歩いたときは、その脇本陣が経営する「本陣こんにゃく」という料理屋さんがありました。今回、そこで昼食と思ったのですが、電話すると、「火災に会い閉店した」と言われました。残念ですね。

13時50分頃、円徳院橋を渡りました。渡ってすぐ右折して、堤防沿いを歩くのが大和街道です。ここも桜並木が素晴らしく、結構、花見客が来ていました。

Dscn0199jpgc

10分ほど堤防を歩いた辺りで、我々もたまらず、お花見休憩としました(笑)。

Dscn0202jpgc

10分ほど桜の木の下で英気を養い、出発しました。すぐに大和街道という案内がありました。本日、唯一の大和街道という文字です。

Dscn0208jpgc

更に13分ほど歩いた14時27分。道端に「ミニ奥の細道」という句碑がありました。俳句も盛んなようですね。

Dscn0213jpgc_20220410191101

14時40分頃、御代橋付近を通ります。専念寺を過ぎ、一寸変わった常夜灯を過ぎます。

Dscn0228jpgc

橋本酒造という造り酒屋さんが有り、皆さん、地酒をお土産に購入しました。

Dscn0230jpgc

そこから、少し歩いて左折し、今日の目的地新堂駅へ行く前に、スーパーオークワで缶ビールを購入します(笑)。ここ新堂駅前は何もないので、ささやかな乾杯を駅前で、しようというのです。

Img_5845

皆さん、お疲れさまでした。亀山で途中下車して、やはり反省会を催しました。

Iga02_20220410194201

再度、お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年3月29日 (火)

大和街道2回目 月ケ瀬口から伊賀上野

山歩会の大和街道歩き2回目です。今回も前回と同じく12キロ程ですが、難所で知られた与右衛門坂などアップダウンが相当あるようです。また目的の上野市にある鍵屋の辻は、天下三大仇討の一つに数えられ、荒木又右エ門で有名です。

Tukigase00jpgc

当初予定日の26日が雨で27日(日)に順延して実施しました。また私は右足動脈のカテーテル手術の4日目なので一寸心配しながらの実施でした。

2022年3月27日(日)

10時12分にJR関西線月ヶ瀬口到着です。無人駅です。

Dscn9620jpgc

月ヶ瀬は梅林で有名ですが、ここは月ヶ瀬口、梅林ははるか南で、7~8キロはあるのかな。ここはまだ京都府山城村です。

Tukigase01jpgc

駅から一寸下って線路沿いに引き返します。なかなかいい感じの街道です。

Dscn9622jpgc_20220328185501

少し歩くと、珍しく大和街道の案内がありました。前回、笠置から月ケ瀬口までは大和街道の案内がほとんどありませんでした。京都府は観光資源が多いから、大和街道なんて目じゃないんだなと思っていました。

Dscn9624jpgc

駅から15分、登坂の途中に、10時35分県境に着きました。山城の国から伊賀の国へ入ります。

Dscn9629jpgc

10分ほど先には関所跡の碑がありました。三重県に入ると急に親切な案内になりますね。

Dscn9635jpgc

すぐ近くには北向不動の祠があります。

Dscn9638jpgc_20220328185501

この辺り、山菅という集落のようですが、今も街道の面影残す町並みです。

Dscn9643jpgc_20220328185501

11時5分頃、国道が下に見えてきます。町の交差点で国道を横断するのですが、実は手前に右に入る道があり、行者堂の案内がありました。無視して下へ降りたのですが、間違いでした。その行者堂への道を行くと、歩道橋で国道を横断する。それが大和街道なのでした。

Dscn9645jpgc_20220328185501

下まで降りても横断歩道もありませんでした。ともかく国道を渡りました。渡ってすぐ右折します。3本の道の真ん中を行くのが街道です。11時10分頃です。10分ほど歩くと、左側に大きな石灯籠がある公民館がありますが、その隣が島ヶ原宿の本陣だったそうです。

Dscn9654jpgc

そこから5分で木津川に出ます。その辺りに過っては渡しがあったようですが、今は一寸上流の島ヶ原大橋を渡って引き返します。

Dscn9659jpgc_20220329144501

橋を渡り終えたのが11時30分頃、引き返して川筋から左へ曲がっていくと、大和街道・与右衛門坂の案内があり、そこを左折して、細い道を山側に入っていきます。11時36分です。街道は山へ入っていきます。

Dscn9668jpgc

ここからが与右衛門坂と言われる難所みたいです。名前の謂れは藤堂高虎の幼名が与右衛門だったからとか。

Dscn9674jpgc

この与右衛門の石碑が11時45分。少し行くと大和街道の説明板があり、それを読みながら林に入る。11時53分頃、左に地道が分かれる。それが旧大和街道ですが、先頭がすでに先へ進んでいたので、そのまま進んで、途中で左折して旧街道に復帰した。

Dscn9682jpgc_20220329144501

12時6分に旧街道に復帰し、3分歩くと3本松池だった。ここで昼食休憩とする。

Dscn9685jpgc_20220329144501

15分ほどの休憩で出発した。感じの良い林間コースです。

Dscn9688jpgc

この先私は「みえ歴史街道」のマップを辿っているのですが、現場の案内は違っていました。いつの間にか地形図に載っていない道に入って、芭蕉句碑の先で合流しました。その間も決して悪路ではありませんが、昨日の雨や倒木で一寸苦労しました。

Dscn9694jpgc

12時42分に合流したのですが、どちらも街道だったようですね。

Dscn9696jpgc

12時50分頃、三軒家の自動車道に出ました。歩道が無いので嫌な道です。

Dscn9701jpgc_20220329144501

10分弱で国道163号線との交差点に着きました。大和街道の石標があります。角にファミマもあります。

Dscn9704jpgc_20220329152501

行程は残り4キロ~5キロだと思います。

Tukigase02jpgc

国道には歩道があり、やれやれと思ったのですが、少しだけでした。すぐ無くなってしまいました。2車線の歩道のない国道は嫌ですね。

Dscn9708jpgc_20220329152501

笠地蔵等見ながら15分ぐらい国道を歩くと、右側に勧請縄がありました。勧請縄というのは、村と村の境界などに張られ、疫病などが入らないようにしたものです。京都府南部や伊賀・大和地方に多く残っている風習だそうです。

Dscn9709jpgc_20220329152501

13時20分頃、島田の付近で街道は国道から右に分かれます。ほっと一息です。

Dscn9713jpgc_20220329152501

島田橋の手前で街道は左に曲がります。曲がるとすぐ道標があります。

Dscn9717jpgc_20220329152501

木津川の堤防の向こうに上野城の天守閣がちらっと見えます。往時はここから川を渡ったようですが、今は島田橋を渡ります。13時35分頃です。

Dscn9724jpgc

渡って10分ほど道なりに歩くと鍵屋の辻です。大きな石の道標があります。

Dscn9729jpgc_20220329152501

ここは日本三大仇討の一つとしても有名ですね。暁の三十六人切りとか、映画にもなっています。ここで一寸休憩しました。

Iga02

鍵屋の辻を出ると、一寸坂を上りながら上野市街へ入っていきます。登り切って国道368号線を横断して本町通へ入っていくのが大和街道です。写真は国道から本町通を見ています。14時06分。

Dscn9741jpgc_20220329183701

街道筋の面影が残る街並みですね。

Dscn9744jpgc_20220329183701

10分弱国道から歩くと上野市駅前のアーケード街があり、左折して駅前広場に出ました。14時17分でした。

Dscn9746jpgc

駅前で反省会なのですが、この時間帯は殆どの店が休憩に入っています。1軒だけ開いている店は満席でした。30分近く待って、ようやく入れました。忍者の店で、椅子にも百地三太夫や藤林長門守と伊賀流や甲賀流の忍者がでてきます。

Dscn9748jpgc

伊賀上野の名物なので久しぶりに田楽を頼みました。

Dscn9751jpgc

15時半ごろ店を出ました。広場には芭蕉の像があります。芭蕉の生誕地です。

Dscn9753jpgc

伊賀鉄道は上野市駅を忍者市駅に名称変更しました(笑)。

Dscn9754jpgc_20220329183701

どこもかも忍者で一杯です。

Dscn9756jpgc_20220329183701

帰りの列車では、コーヒーのボトルに入れた〇〇を飲みながら帰りました。

Dscn9765jpgc_20220329183701

お疲れさまでした。

 

 

 

 

 

 

 

より以前の記事一覧

最近の写真

  • Dscn2129jpgc
  • Dscn2126jpgc
  • Dscn2121jpgc
  • Dscn2110jpgc
  • Dscn2140jpgc_20220614111201
  • Dscn2117jpgc_20220614111201
  • Dscn2144jpgc
  • Dscn2148jpgc_20220614111201
  • Sibusawa00jpgc
  • Sibusawa01jpgc
  • Dscn2154jpgc
  • Dscn2175jpgc