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2026年1月10日 (土)

高須街道その1

高須街道の説明をする前に、皆さん、高須4兄弟ってご存じでしょうか。私も、恥ずかしながら、つい最近まで知りませんでした。名古屋の西、現在の岐阜県海津市に高須藩3万石がありました。高須藩は尾張徳川家の支藩で、尾張徳川家に跡取りが居ない場合、高須藩から出すために作られた藩でした。丁度、江戸徳川家の御三家や御三卿(田安・一橋・清水)のようなものですね。

地理的にはこんな感じです。

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幕末の頃、その高須藩の10代目松平義建は、正室に水戸藩の娘をもらっています。その義建は10人の男子をもうけますが、長男・四男・九男は早世します。次男慶勝は尾張徳川家の藩主となり、五男茂徳は一橋家を継ぎます。七男容保は会津藩・八男定敬は桑名藩の藩主となります。

この慶勝・茂徳・容保・定敬が高須4兄弟と言われ幕末から明治にかけて活躍することになります。容保は京都守護職、定敬は京都所司代となり、新選組を使って、京都の治安維持に働いたのは有名な話です。

大政奉還の後、徳川慶喜の官位と領地を朝廷に返上するよう、朝廷の使者に立ったのは尾張慶勝でした。またその使者を迎えた徳川の代表は一橋茂徳でした。慶喜はこれを拒否し、戊辰戦争へと入って行きます。

明治維新後、会津・桑名両藩の藩主の命乞いをしたのは尾張藩主慶勝で、新政府もその嘆願を断れず、4兄弟は維新後も長生きしました。

こんな重要な高須藩ですが、知ったのは、この風景がきっかけです。

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昨年5月、山仲間のNさんの誘いで、海津市の木曾三川ミュージアムから御千代保稲荷さんへ歩いて、串カツを食べに行きました。そのとき通ったのがこの橋で、これは何かあるとグーグルマップで調べました。

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上の図の「とはし」を渡ったのでした。そして高須街道という名前も初めて知りました。その後、ぼちぼち調べて、名鉄津島線の勝幡駅付近で津島街道と分かれ、高須城まで15キロほどの街道だということも。

そしてネットを調べるうちに、「ビール党」さんのブログを見つけました。そのブログに高須街道を歩かれた記録があり、大いに参考にさせて頂きました。

そして、いつか歩こうと思っているうちに、新年1月を迎えました。12月・1月は山歩会の街道歩きが無いので寂しい月です。ということで高須街道を歩きに行きました。

実際の歩いた記録は、次をご覧ください。

 

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