2024年4月6日(土)
4月5日~7日、鈴鹿サーキットでF-1レースが行われている。それで混雑を避けて、亀山経由で多気に向かった。それでも列車が遅れて、多気の9時43分発に間に合わなかったが、待っていてくれた。それで三瀬谷到着は7分遅れの10時21分だった。
ところで今回の三瀬谷から阿曽のルートですが、最初のうちは熊野街道から外れていますね。
上図で青線で来た街道は三瀬の渡しで宮川を渡り、三瀬坂峠を越えていきました。だから前回歩いた青線から三瀬谷駅までと、今回歩く三瀬谷から舟木橋を渡って多岐原神社辺りまでは、熊野街道じゃ無いなと思う訳です。
まあ三瀬の渡しが無いのでしょうがないのですが。20年前に歩いたときは、遠回りが嫌で、茶色のルートで歩きました(笑)。
それはともかく、今回のルートはこんな感じで15キロほどです。
10時27分に三瀬谷駅を出発しました。三瀬谷は大台町役場や道の駅があり、特急も停まるのですが無人駅です。
踏切を渡って42号線に出て、横断して舟木橋を渡ります。国道はすぐそばの舟木大橋を渡りますが、旧の舟木橋は情緒があります。
右には三瀬谷ダムの堰堤、左には宮川の渓谷がきれいです。
渡って左折する宮川沿いの道は県道747号線です。熊野街道では無いかもしれませんが、現在では熊野古道歩きの正式ルートになっていますね。新宮まで130キロの案内もあります。
10時40分頃橋を渡り、紀勢道の高架を右に見ながら、40分位歩くと多岐原神社の案内がありました。
左折して宮川へ下って行くと、新しい白木の神社がありました。ガイドに引率された10人位のグループがいました。
この神社は倭姫の元伊勢伝説があります。
神社から少し下ると宮川の河原にでます。対岸に和船が一艘停めてあり、ここが三瀬の渡跡のようです。
一寸休憩した後引き返しました。多岐原神社入口に戻り、すぐ右手に三瀬坂峠登り口があります。
11時45分頃登り始めました。この辺り標高は100m、峠は270m位なので170mの登りですね。峠で昼食休憩の予定で頑張ります。
峠までは1100mだそうです。200m毎に案内があります。
残り700m辺りから地道に変わってきました。
傾斜も少し出てきて、息が切れます。最近、山登りもしていないので、情けない限りです。
12時22分、登り口から35~36分で峠にたどり着きました。お地蔵さんがありました。
今日のメンバー8人です。
峠は茶屋跡があり、少し広場もあります。弁当には丁度良いです。
20分一寸で下り始めました。下りも多分1キロ位です。
永命ふじツル
7~8分下った所に覗き見という場所があり
この後一寸下った所で、登ってくる団体さんとすれ違いました。このとき悲劇が起こりました。岩で足を滑らし、転倒したのです。誰の性でもなく、私の性です。そして運悪く左足首を捻挫してしまいました。
その場は、何事も無かった振りをして下りました。鹿垣がありました。
ため池のそばを通ります。
そこから4~5分で里側登り口です。13時13分、30分の下りでした。
ここで皆さんに訳を話して、もう歩けないと。阿曾駅近くの反省会の会場で落ち合うことにしました。
さて現在位置は三瀬谷駅と滝原駅の中間で、どちらへも3キロ弱です。今の状態で3キロは無理なので、タクシーを呼ぶことにしました。でも番号が解らないので、すぐ近くのジビエ料理「いとう」さんに入って教えてもらうことにしました。
古くからあるお店ですが、最近リニューアルしたかな。奥さん、旦那さんが親切で、タクシーを呼んで頂けました。滝原宮の前を通って滝原駅に向かいました。
滝原駅も何回か来ていますが、無人駅です。
ここからJRで阿曾駅に行き、1キロ一寸歩くと、反省会場の華屋さんです。でも、その1キロが厳しいので、ママさんに駅まで迎えにきてもらおうと電話しました。すると阿曽へ行くのも滝原へ行くのも変わらないから滝原駅に迎えに行くと。お言葉に甘えて迎えに来てもらいました。
捻挫の貼り薬も頂いて、感謝、感謝です。しばらく待っていると、皆やってきました。さあいつもの反省会です。
ここはカラオケスナックなので、歌も歌えます。皆さん、自慢ののどを聞かせてくれました。
F-1の影響で、帰りの電車も遅れていましたが、痛む足を引きずりながら乗り換え階段を昇降して、なんとか無事帰ってきました。
来月までに捻挫を治さないと。
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