熊野古道伊勢路1回目 栃原から田丸
今年の山歩会の街道歩きは熊野古道伊勢路にしました。伊勢神宮(外宮)から新宮の速玉大社まで180キロが街道沿いに道標として整備されています。2~3年前、山歩会の仲間で伊勢本街道を歩いて、田丸~伊勢間を歩いているので、今回の伊勢路は田丸を出発点にしました。
最近の我々の年齢を考慮すると、以前のように1日20~25キロは辞めて、10~15キロ位に抑えるのが良いようです。その辺を考慮して、2月から11月、途中7月・8月は暑いので止めて8回とすると、田丸~尾鷲の100キロ位がコースとなりました。
で、初回の今回は田丸スタートです。
この間は野中から女鬼峠を越えて栃原まで公共交通機関がありません。仕方なく17キロほど歩くことにしました。ところが栃原駅のある紀勢線ですが、陸の孤島のような時刻表です。13時55分から17時13分まで列車が無いのです。
駅の付近に居酒屋でもあれば、反省会をしながら待てるのですが、適当なお店も見つからなかったので、今回は逆に栃原から田丸へ歩くことにしました。田丸駅のある参宮線は1時間に1本はあります。
昔の巡礼者も伊勢から熊野へ行くと、帰りは西国三十三札所を巡ったり、他の道を通るのが多く、同じ道を引き返す人は少なかったでしょうね。と言うことで、1回目は栃原から田丸です。
2024年2月3日(土)
10時に栃原駅に到着しました。今日の参加者は10名です。
栃原駅を出て正面方向(東)に歩き、国道42号線の手前の道を右折します。
途中に庚申さんなんかありますが、左折して10分ほどで三叉路にでます。ここが熊野街道です。右が新宮方面、左が伊勢方面です。今回はここを左折して田丸に向かいます。10時21分でした。
すぐに国道42号線を渡り、柳原観音に向けて街道を歩きます。バイパスも出来ているので、静かな、しかも真直ぐな旧道です。
お茶畑もあります。この辺は伊勢茶かな、大台茶かな。茶畑の向こうに、風力発電の風車がたくさん見えますが、どこの山でしょうか。
左折してから20分一寸、柳原橋を渡ります。
渡ると左手に「お滝さん」という案内がありますが、滝は見当たりません。水量がすくないようです。右手には宮川が」みえてきます。10時48分柳原に入りました。まだ県道をあるきます。
11時過ぎに左に入る道があり、県道に分かれました。熊野街道伊勢路の幟が立っていました。
次の目標は元坂酒造です。茶畑とソーラー発電の間を5分ほど歩いて、集落が出てきた辺りを右折、すぐ左折すると元坂酒造がありました。この日はお休みのようでした。
道なりに歩いて県道を横断すると、街道は柳原観音の前に到着します。11時14分でした。
ここで小休止して、参拝や御朱印をもらったりしました。お寺の裏手には宮川が流れています。
メンバーの一人が、一寸体調不良で、本人はまだ歩きたい意向でしたが、万一を考え、ここでリタイアしてもらうことにしました。タクシーを呼ぶなどしている内に、お昼も近づいてきたので、ここで昼食休憩としました。
休憩を終え、11時52分に9人で出発しました。一旦県道に出て柳原から千代の集落に入ったあたりで右折して、また集落にはいります。この辺り、特に案内が無いので感が頼りです。田丸から来れば、入り口には案内が有るのですが、逆なので無いのです。
四国巡礼のときも、逆打ちは三倍のご利益があると言われましたが、やはり逆コースは案内が少ないので難しいですね。
まんじゅう屋跡とかの案内を見ながら再度県道へ出ると、私の参考地図には無かった熊野古道の案内がありました。
旧道に入ると深谷観音がありました。こういうのが嬉しいですよね。
またすぐ県道に出て、少し歩くと、今度は左の上に五輪塔がありました。
そこから街道は右に県道と別れます。12時16分です。
この辺りから、ようこそ女鬼峠へとかの幟が迎えてくれます。紅梅をみながら5分ほど歩くと地蔵さんがありました。
そこから6~7分、案内に従って2回ほど折れ曲がると、女鬼峠の入口です。15年ぐらい前に通ったときに比べると、随分親切に案内されています。
12時30分に案内板を読み終えて出発しました。
気持ちよく旧道を5分ほど歩くとため池があります。
池から15分山道を登ると如意輪観音の祠があります。途中、江戸道がありますが、ここで合流するようです。
お堂から1分で展望台への道が右にあります。
急な登りで、いやですが、折角なので登りました(笑)。でも思ったほど景観は無く、木が茂って宮川も見えないので、皆さん不満そうでした。
10分ほどで降りてきました。分岐から1分で女鬼峠の切通しです。
午後1時3分に降り始めました。10分弱で麓の案内板です。
すぐに伊勢自動車道の下を潜ります。
次の目標は野中にある和歌山別街道道標と永昌寺です。
潜って10分ほどのどかな道を歩くと、マメナシの木の案内があり、すぐ県道です。これを横断すると熊野古道の案内図がありますが、やはり逆コースなので、これまで歩いてきた道の図で、これから歩く道の図はありません。
木を取り直して7分、今度は県道へ出ました。ここから野中の集落までは県道歩きですね。
県道を10分一寸歩いて、野中の集落の手前を右折して県道と別れます。西外城田神社への道です。
神社の手前を道なりに左折、大きな灯籠を見ながら進みます。
県道から5分、13時46分に和歌山別街道の道標に来ました。
和歌山別街道はここから丹生大師を通り、飯南町の粥見で和歌山街道と合流します。のどかな道で、何回でも歩いてみたい街道です。
道標から1分で永昌寺です。
ここは紀州の殿様の行列で土下座した旅人が、そのまま眠ってしまい打ち首にされ、村人が祀った眠り地蔵があります。ここで小休止しました。
13時55分に出発。郵便局を過ぎ、國束橋を渡ると、12~13分で國束寺の大きな道標があります。ここを左折します。
この國束寺は伊勢西国9番なので近々参拝するつもりですが、交通の便が悪く弱っています。道標から5分、再度県道に出る手前左側に、巡礼導引観音の碑がありますが、道の反対側には多数の石仏が並んでいます。
14時16分、ここを出て、しばらく県道歩きになります。
東外城田神社、外城田小学校と過ぎて、大きな鳥居の不動院を14時40分頃通過。
京セラの工場を過ぎ、野篠の交差点までが10分、その5分先の道路の左側に接待地蔵があります。
往時はここで行き交う旅人を接待する場があったそうです。今はありません(笑)。
左手奥、高台に田丸城址が見えてきました。そこに何か天守閣のような建物が見えます。そんなもの無かったはずと目をこらすと、なにか骨組みだけのような。
建設中なのでしょうか。玉城町、お金あるんだなと思いました。15時12分、田丸の駅への左折地点に来ました。大きな道標があります。
左折してすぐ橋を渡り、そこを川沿いに左折してすぐに小さなお地蔵さんの祠があります。そこにこの辺りがバンタ屋敷跡だとの説明がありました。バンタとは番田で番所のことだそうです。
15時19分、参宮線の踏切を渡ります。
田丸駅は右手になりますが、少し先に伊勢本街道と熊野街道が分かれる、紀州街道の道標があり、そこが今回の出発点なので、そこまでは行かないといけません。街中にも玉城町は「熊野古道伊勢路出立のまち」と宣伝しています。
15時28分、分岐の道標に着きました。
分岐はこんな風だそうです。この道標は10回以上見てそうです。
お疲れさまでした。15時40分に田丸駅に着きました。駅舎や付近は工事中で新しいモニュメントがありました。
松阪で途中下車して、軽く反省会を行いました。今年一年、無事に道中できますように。
3月に続きます。
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