奈良街道2回目
昨年12月の六軒から久居までに続き2回目です。2024年の初歩きです。
2024年1月5日(金)
朝8時40分に近鉄津新町駅に到着しました。
前回は久居で終わっているので、今回は久居から五百野が普通ですが、前回久居駅の浪速のれんという居酒屋が気になっていたので、今回は逆にして、五百野から久居へ、そして久居で昼食がてら、お屠蘇でも飲もうかと思ったのです(笑)。
上の図で、右上の津新町駅からバスで、青線の伊賀街道に沿って、津市美里町五百野の稲葉口まで行き、そこから右下の久居駅まで10キロ弱の行程です。
津市もいろいろ合併して拡大しているので、こんな所も津市なのという風景の中をバスは行きます。
9時22分に稲葉口バス停に到着しました。2回来ているはずですが記憶にはありません。
一寸詳しい地図を掲載します。
上図中央の茶屋の道標で、江戸時代の街道は分岐していました。緑の伊賀街道は津へ、赤の奈良街道は六軒を経て伊勢方面に向かっていました。バス停は国道163号線沿いに有り、一寸戻って三叉路の交差点を南下します。そこに龍神神社があり、これは見覚えがありました。
そこを右折して10mも行くと道標があります。これが旧伊賀街道の道標です。
ここを直進すれば伊賀へ、左折すれば久居方面への街道です。でも、ここの旧道は消滅寸前ですね。
まあそれでも歩ける所は歩くのが街道歩きでしょう。2分で自動車道に合流します。そこに、是より南一志領とかの石柱がありました。
そこから4~5分で茶屋の道標です。ここも覚えがありました。津方面への旧道は消滅して田んぼになっています。
9時32分にここを出て、南下します。10分ほど歩いて、多分、北出というバス停を過ぎると、常夜灯があります。
ここで拡大図を載せます。
常夜灯から10分で長野川にぶつかります。ここの稲初橋は渡らず、川沿いに歩きます。
更に5分ほどで、立派な門があります。ゴルフ場の入口でした(笑)。
ここを過ぎると道は山の中に入ります。2車線が1車線に変わり、登り道を注意しながら歩きます。車は結構多いのです。10分一寸で山道を抜け、ペットセンターとかの建物があります。10時10分頃です。
3~4分で道は下りになります。
左手、木々の向こうに湖面がみえます。山田池です。
池を過ぎると看護協会とかの建物があり、その先は塩見坂の桜とかで、名所らしいのですが、気が付きませんでした。
10時35分頃、津市久居プールへの案内がある交差点を過ぎ、右手にオークワを過ぎると、国道165号線です。10時42分です。
ここは伊勢道の久居ICで降りて、ゴルフ場へ向かう道筋なので、何回も通っているはずですが、ここが奈良街道なんて、気が付くはずもありません。渡って左折します。ここは一寸街道の面影あります。
7~8分歩くと左手に常夜灯と地蔵さんがありました。地域の集会所みたいです。久しぶりに街道の印を見ました。
3分先で道が二股に分かれ、右側の道は下っています。実は左が本来の街道らしいのですが、途中で消滅しているので、今回は右の道を行きます。
一旦下って小川を渡り、登りながら久居の市街でしょうか、住宅街に入って行きます。戸木の公民館を過ぎ、11時6分頃味噌蔵がありました。辻岡醸造と言うそうです。
すぐ左の奥に、蓮蔵寺の大きな屋根が見えます。その先で、何気なく振り返ったら、左奥にお堂が見えました。一寸寄ってみました。中の石造からして、庚申堂のようでした。
庚申堂から5~6分、11時20分に伊勢自動車道を潜りました。
潜って30mほど先を左折します。ここまでの道は往時の奈良街道に並行する道だそうです。左折して3分ほどで突き当り、一寸左に曲がりながら旧道になり、久居駅方面に進みますが、この辺の方が街道の面影はありません。
この辺りの地図です。
街道のすぐ傍に、木槿(むくげ)塚と子午(とき)の鐘があります。木槿塚は芭蕉句碑で、「道端の木槿は馬に喰われけり」という句だそうですが、この句は野ざらし紀行で、大井川の辺りで詠まれたと思っていたのですが?
子午の鐘は戦時中の供出から生き延びて帰ってきた貴重な鐘です。
11時45分頃ここを出ました。これなら丁度12時頃には久居駅へ着いて、お屠蘇が飲めそうだとニコニコでした(笑)。
5分で前回六軒から歩いてきた場所に着きました。これで奈良街道は繋がりました。
今回も久居八幡宮にお参りしました。初詣の方も来ていました。
12時03分に久居駅へ着きました。でもお店はシャッターが下りています。まだ正月休みでしょうか。
前回はこうだったのです。
泣く泣く他の店を探しました。屋台寿司も午後3時からで、他に開いてそうな店も見当たりません。
諦めてコンビニ弁当かと思いましたが、正月早々それでは面白く無い。そこで天啓のごとく閃いたのが、以前行った、津駅前の激安焼き鳥やさんでした(笑)。すぐ電車に乗って津へ向かいました。開いていました。
酒が怖くて伝串が喰えるかということで、お酒も頂き、満足しました。
帰りの電車の中でもそっとお屠蘇を頂いて、良い歩き初めでした。
お疲れ様でした。
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