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2023年8月15日 (火)

明治・大正の東海道

地元老人会の会合で、表題の話をすることになったので、原稿をまとめてみました。

東海道と言っても、全体の話ではなく、名古屋の宮から桑名までの、七里の渡しに並行した陸路の話です。七里の渡しは熱田の宮から桑名まで海上を行くのですが、海が荒れると欠航したり、また通常4時間ですがトイレが無く、陸路を選ぶ人も多かったようです。

下図がその概要です。下手な図でごめんなさい(笑)。

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江戸から京へ上ってきた旅人で、陸路を好む人は、熱田の宮から茶色の佐屋街道を行き、佐屋から三里の渡で船に乗り、佐屋川を下って木曽川に出て、現在の長島も船で通り抜け、長良川と揖斐川を渡って桑名へ入りました。

その当時の長島はこんな感じで、充分船で渡れたそうです。

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ところで佐屋街道ですが、なぜそんな北へ遠回りしたかという疑問が残ります。江戸時代初期の地図があります。

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中央下部の赤い部分が七里の渡しで、海に面していました。つまり現在の国道1号線が通る名古屋南部は、この時代まだ海の底か浜辺だったようです。現在の地図に海岸線を入れると、こんな感じだったようです。

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現在の国道1号線は丁度青線の線上になりますね。それと三里の渡の佐屋川ですが、現在は有りません。江戸時代は木曽川を分流した人工の川だったようです。上流の馬飼大橋辺りで木曽川から流入し、津島・佐屋を通って弥富の五明、東名阪辺りで、再度木曽川に合流していました。

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ところが、この佐屋川ですが、木曽川から土砂が流入して、川底がどんどん浅くなり、江戸末期には船の通行は困難になっていました。現在の地図です。上部佐屋駅の近くに三里の渡跡の石碑があり、その下、木曽川近くの東名阪のすぐ上に、明治天皇着船碑があります。

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明治維新後、明治天皇が最初に東下りされるとき、船で佐屋川を上って三里の渡場へ向かわれました。でも川底浅く、五明の河口から1キロほどの焼田で船を降りざるを得なかったそうです。

佐屋付近の写真です。まず代官所跡

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三里の渡跡

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佐屋付近の海道碑、街道でなく海道です。

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明治天皇御着船の焼田湊の石碑です。

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そのころ、つまり江戸末期には、過って海だった名古屋南部は、埋め立てが進み、広く陸地で田んぼに変わっていました。そこで弥富の某氏は、明治政府に対し、佐屋街道より直線的に弥富のふたつやの渡しに行けるルートを東海道とするよう申請したそうです。

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上図で、現在の国道1号線より、少し南になります。前ヶ須街道とも呼ばれました。新政府もこれを承認し、明治5年、前ヶ須街道は晴れて東海道となりました。

調べてみると、弥富市では、この道を旧東海道散策コースとして、ホームページに載せていました。知りませんでした。

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さっそく歩いてみることにしました。

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我家のある長島から、尾張大橋で木曽川を渡り、ふたつやの渡跡がスタートです。尾張大橋は昭和8年完成なので、江戸末期から60年以上この渡しが使われたことになります。

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明治天皇も2回目の東下り(そのまま江戸城に住処を移された)では、佐屋川は使わず、この東海道を使われました。弥富は金魚が有名です。

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愛知こどもの国を過ぎ、宝川の子宝橋を渡ります。

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明治天皇の小休止された石碑がありました。こんな所、通られていたんだと、びっくりしました。

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川合小橋を渡ると弥富市を過ぎて蟹江から名古屋市港区に入ります。でも、もう少し旧東海道を歩きます。

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ここにも明治天皇の小休止跡がありました。地方の有力者の家を、軒並み訪問されたかのようですね。

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新川と庄内川に掛かる日の出橋を渡ると、後は広い東海通になり、旧道の面影も無いので、打ち切ることにしました。

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でも、東海通って、旧東海道の意味だったのですね。初めて知りました。さて、今度は、ふたつやの渡しで木曽川を渡った長島の東海道です。

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尾張大橋を渡った国道1号線沿いに、東海道の石碑があります。明治?五年四月一日と刻まれています。ふたつやの渡しで、ここへ着いたのでしょう。

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しばらく国道を歩き、押付交差点手前で右折していきます。

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直進して農協の前を通ります。一向一揆で通名な願正寺関連の、長島六坊の一つ善明寺の前を通ります。

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昭和の中頃まで、この辺りに遊郭があったとも聞きました。長島城の近くを通ります。写真は跡地に建つ長島中学で、天守閣をイメージしていますね。

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後半の地図です。

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長良川へ続く旧道です。アスファルト舗装の下に、明治時代の道が有ると言われています。

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長良川に来ました。この堤防の向こうに三重県営の渡船があったそうです。

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堤防に登ると、こんな感じです。ここに船着き場があったのですね。

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地元の人に聞くと、昭和30年頃まであったとか。また、ここで子供は泳いでいたそうです。でも昭和9年には伊勢大橋が完成しているので、そこで渡船の使命は終わったでしょうね。

ネットで、こんな写真を見つけました。完成直後の伊勢大橋と、それまで使われた渡船場です。貴重ですね。

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おわり。

 

 

 

 

 

 

 

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