北国街道2日目後半
図の興善寺のすぐ先で、海野宿は終わります。9時45分頃です。
そこから15分ほどで街道は千曲川に出ました。
道なりに7~8分歩くと仁王堂の案内で細道へ左折しました。川沿いに小さなお堂がありました。
4~5分で大屋駅前に出てきました。
ここで一寸悩みました。腰の調子がどうも良くないのです。朝から4時間で、13キロほど歩いていますが、無理は止そうかなという感じです。でも、もう少し歩いてみようと、出発しました。10時13分です。すぐに大屋神社の横を通ります。
5分ほどで瀬沢川を渡ると、線路沿いの広い道に出ました。歩道の柵に写真と説明が並びます。
読むと、この歩道には、昔立派な桜並木が有ったそうです。でも交通事故を無くすため、伐採して歩道を作ったとか。
左折すると街道の面影です。
すぐに明治天皇岩下御小休所の手作りのモニュメントがありました。
10時43分に伊波保神社があり、夫婦道祖神などがありました。
ここで休みながら、中断を決めました。無理を続けると、帰ってからの日常生活に差し支えても困ると。次の信濃国分寺駅で終わることにしました。
そう決めると、心も軽くなり、腰も軽くなったような気がします(笑)。10時55分に出発。すぐに川の中に大きな岩がありました。太鼓岩と言って、対岸の小牧山の噴火物だそうです。
少し歩くと、旧北国街道の案内がありました。江戸時代の面影を残すようです。
11時04分、神川を渡りました。その先の三叉路に馬頭観音の大きな石碑がありました。
少し千曲川沿いを歩いて、北陸新幹線の鉄橋を見て、街道から離れて信濃国分寺駅を目指しました。10分ほどで信濃国分寺駅に到着しました。11時20分頃です。
国分寺駅で考えました。街道歩きは辞めるので、予定の無かった信濃国分寺へ行ってみようと。駅前のコンビニで缶ビールを一杯飲んだ後、国分寺に出かけた。
奈良時代聖武天皇の発願で、全国に国分寺と国分尼寺が創建された。平安時代に衰退し、滅びた国分寺も多い。信濃では、推定、平安末期にすぐ近くに、再建された。現在、信濃国分寺跡とほぼ隣接して天台宗の信濃国分寺がある。
駅から5分で、新国分寺の山門がある。本堂は八日堂と呼ばれるらしい。
山門を潜って3分で国分寺境内です。徳川秀忠が真田攻めにてこずって、関ケ原の合戦に間に合わなかった話は有名ですが、その際、ここ国分寺で話し合いが持たれたとか。
なぜかおみくじの元祖、元三大師が関係しているようですね。
しなの鉄道の線路の両側に国分寺跡があります。寄ってみました。まあ礎石だけですが。
これで信濃国分寺の見学を終えて、しなの鉄道で上田市駅に来ました。12時半ごろだったかな。上田は昨年、塩田平・別所温泉・真田本城などを見に、1泊2日で来ています。そのとき泊まった駅前のホテルを今回も予約しています。
午後は熟慮の末、腰の温泉治療にあてることにしました。上田電鉄の「あいそめ湯ったり切符」1340円を購入しました。
13時16分発で30分ほどで到着します。別所温泉駅です。
駅から3分で、日帰り温泉のあいそめの湯があります。昨年も来ました。
露天風呂からは塩田平が見えます。
整形外科の先生からも言われているので、腰を暖めることにしました。寝湯に浸かって、1時間腰を暖めました。
湯上りはやっぱりビールですね。
ゆっくり浸かって、ビールを飲んで、5時前に上田に帰ってきました。上田名物は美味だれ焼き鳥なので、一休みしたら、ここに来ようと、駅の居酒屋さんをパチリ。
ところが、なんということか、ホテルの部屋でそのまま眠ってしまいました。
明日、頑張ります(笑)。
« 北国街道2日目小諸から信濃国分寺 | トップページ | 北国街道3日目 上田・上山田温泉・善光寺 »
「街道歩き」カテゴリの記事
- 竹鼻街道修正(2024.04.13)
- 奈良街道2回目(2024.01.07)
- 奈良街道1回目(2023.12.26)
- 初瀬街道最終回 榛原から長谷寺(2023.11.21)
コメント