北国街道初日 信濃追分~小諸
2023年6月27日(火)
名古屋7時発のしなの1号に乗るため6時半過ぎに名古屋駅に来ました。懐かしいきしめん屋さんが開いていました。でも今日は朝ご飯を食べてきました。次回はきしめんにしましょう(笑)。売店も6時40分に開くみたいです。
今回は北国街道を信濃追分から長野の善光寺まで3泊4日で歩く予定です。北国街道は軽井沢近くの信濃追分で中山道と分かれ、善光寺を経て越後高田で日本海に出て、富山・金沢を経て岐阜県の大垣に至ります。
京都から中山道を下ってきて木曽路を過ぎると、塩尻の手前に洗馬宿があります。そこで中山道と分かれて松本から善光寺へ向かう道があり、西善光寺街道と呼ばれます。
今回、私が歩く予定の北国街道も、善光寺街道とも呼ばれるそうですが、今回歩いてみると、道標や説明はすべて北国街道でした。
しなの1号は木曽路に入り、8時20分頃寝覚ノ床を通過しました。
9時45分頃には日本三大車窓と言われる姥捨付近を通過します。一寸残念な天気ですが。
10時前に篠ノ井に着き、しなの鉄道に乗り換えます。
今回の3泊4日は、すべてこのしなの鉄道沿いで、距離は75キロほどです。今日の行程も、しなの鉄道の信濃追分駅から小諸駅です。
距離的にはざっと15キロでしょうか。11時過ぎに信濃追分駅に着くので、まあ良い行程ではないでしょうか。
11時15分に信濃追分駅を出発しました。昼食は車内で済ませました。標高は955mだそうです。
実は10年前に中山道を歩いています。その時は西からきて信濃追分を通り、軽井沢・碓氷峠と歩いていますが、この駅の一寸北側を通っています。なのでこの駅は初めてです。
駅から中山道までは2キロ弱でしょうか、その間は別荘地帯で、ここも軽井沢なんだと思わせます。
国道18号線の下を潜るとすぐ中山道です。11時40分頃です。10年前と比べるとアスファルトが石畳に変わっていました。
この辺りは中山道の追分宿です。
他に堀辰雄文学記念館や明治天皇追分行在所の石碑などがあります。10分ほどで一旦国道に合流します。ここが西から来た場合、追分宿の入口になります。写真は振り返っています。
このすぐ先で北国街道が右に分かれます。ここが分去れ(わかされ)で石碑があります。
石碑や常夜灯がいろいろ建っています。これは10年前も同じです。そのとき、何時かはこの道を歩いてみたいと思ったのですが、10年ぶりに実現して感無量です。
北国街道に入るとすぐ右手に広場があり、庚申塔や馬頭観音などの石碑が立ち並んでいます。処刑場跡だそうですが、その奥にシャーロックホームズの石像があります。
なんの関係がと思ったのですが、日本の翻訳家が、ここ追分で全訳をしたのだそうで、ホームズ誕生100周年を記念して建てられたそうで丁度12時に再度国道18号線に合流しました。
この辺りの標高は970~980mと思いますが、ここから街道は下って行きます。
国道歩きと言っても、広い歩道があり、右手に浅間山をちらほら見ながら、のんびりした街道歩きです。15分ほどで軽井沢町から御代田町に入りました。標高は929mとか。
12時半頃、左手に松の木がありました。街道名残の松でしょうね。
そこから5分弱下ると、街道は左に分かれます。工場団地の看板があります。
10分ほど歩くと、左手に、石臼を利用した石灯籠がありました。
浅間山から流れる鉄分の多い水が、濁川となって街道を横切ります。馬瀬口付近から浅間山を見ています。
天明の噴火の際には、北国街道や中山道の麓の宿場も大きな被害を受けたらしいですね。ここから5~6分、明治天皇間瀬口御小休所の石碑があった。付近の街並みも街道の面影をとどめている。
ここから15分、街道はまた国道18号線に合流する。
そしてすぐ小諸市に入る。標高は780mとか。
ここから8分、十石坂を下って行くと、上信越道を高架で超える。そして2分で街道は左に分かれる。すぐ左手に平原の一里塚跡があった。
信濃追分の駅からここまで2時間一寸だが、実は腰に違和感を覚えていた。元来脊柱管狭窄症で、医者からは歩けるのが不思議と言われているが、10キロ20キロ歩いても特に問題は無かった。
ただ今回は3泊4日なので着替えとか、雨具とか、飲み物などいろいろで5~6キロの荷物にはなっている。その5~6キロが応えているらしい。そばの空き地で一寸休憩していると、農家の方がキャベツをくれるという。見るとひどく大きい(笑)。こんなもの貰ったら、ますます腰に応えると、固くお断りした。
今にも痛み出しそうな腰をいたわりながら出発しました。3分ほどで左手に一遍上人の大きな碑があった。
そばに「迎え講」に関する説明があったが、よく理解していない。この平原の集落も、なかなか落ち着いた街道の面影を残している。
14時07分、街道はまた国道18号線に合流するが、その前に141号線の下を潜った。
そして18号線ですが、今日初めての登りです。腰に負担かも。
登りは6~7分でほっとする。街道は小諸市街へ18号線と離れて141号線で進む。そして四ツ谷交差点で、乙女駅方向へ14位号線からも離れて小道に入る。
その小道はすぐ小諸市街方向へ向かう県道139号線にぶつかるが、その3叉路を右折する。その三叉路の交差点に古い道標がある。
三叉路から20分ほど、また国道141号線に合流して、すぐ先の右手に平和公園がある。追分節の源流、小室節発祥の地の石碑もあった。追分節とは「小諸出て見よ」のあの歌詞かな。
この頃には腰もだいぶ痛くなって、ゴールの小諸懐古園まで3キロも無いことは解っていたが、ここで10分ほど休憩せざるをえなかった。
14時50分に出発して、2分で唐松の一里塚がある。ここは両側に残っているが、片方しか見なかった。
左の道を直進します。10分ほどで荒堀の交差点に来ます。もう小諸市街に入っています。浅間山の石碑やここは多良街北国街道の大きな柱が立っています。
町並みもなんとなく街道風です。
すぐ左手に元庄屋小山家の立派な邸宅があります。現在もお住まいで非公開ですが。
この辺まで来ると、腰痛も忘れて元気が出ます(笑)。15時17分頃、江戸中期から続くという味噌屋さんの前を通りました。
突き当たって左折するあたりにある、つたやとつるやは共に江戸時代からの旅籠です。
街道の一寸左に有る小諸城の大手門を一寸見に行きました。
右手に脇本陣があり、次に本陣跡と思ったら修理中でした。
今日はここまでです。これから千曲川旅情の詩で有名な懐古園を見に行きます。ここは多分4回~5回は来ています。
いつも行くのは一番奥の水の手展望台です。ここに藤村の碑もあります。
ここから千曲川を眼下に見て、岸近き宿で濁り酒を昼間から飲みたいと思う訳です。最初来たときは、ダムが見えて、情緒を壊していましたが、最近は木が大きくなってダムも見えなくなりました(笑)。
16時35分頃、小諸駅前に来ました。目の前が今日のホテルです。
部屋に入って、取り敢えず、風呂に浸かりながら、冷たいものを頂きました。
それから近くの居酒屋へ行き、取り敢えず信州の馬刺しを頂きました。でも馬刺しの醤油は熊本産だった(笑)。
それから近くのスーパーで明日の朝食と一寸不足分を買い足し部屋に帰りました。
今日はなんとか終わったけど、明日はどうなるか心配です。でも寝ました。
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