初瀬街道5回目青山町~名張
初瀬街道の5回目です。そろそろ夏になり、熱中症の心配もあるので、初瀬街道の前半は今日で終わりです。7月・8月は休んで、次回は9月です。
今日は近鉄青山町駅から名張まで12キロ~13キロの行程です。間には伊賀神戸、美旗、桔梗が丘の駅があります。
6月17日(土)
朝10時42分に青山町駅に到着です。今回は10名と、参加者も多いです。
青山町駅は阿保宿があります。「あお」と読みます。伊勢に向かう旅人は、青山峠越を控えて、ここで宿をとったので、初瀬街道の中でも大きな宿場だったようです。
前回はここ伊勢慶さんで反省会、若戎のお酒とともに、値段は安くないけど、皆さん満足のようでした。
青山町の駅を出て、まっすぐ南下、木津川を渡って街道に入ります。橋を渡った所に菅笠日記の大きな石碑があり、初瀬街道の案内もあります。
ここは阿保宿(あお)で、街道の中でも、往時の面影がよく残った街並みです。右手の伊勢慶さんが、江戸時代から続く料理旅館とかで、前回の反省会場です。
ここからが今回のスタートになります。11時頃です。5分ほど歩くと右手に洒落た洋館がありました。意外と宿場町に馴染んでいますね(笑)
すぐに常夜灯があります。
この三叉路を左折すると、頓宮跡があるようなので、一寸寄ってみました。雑草をかき分けて一寸登るとありました。もう少し宣伝してもいいのにと思いました。
向かい側に垂仁天皇の皇子の墓があり一寸見に行きました。大きな古墳です。
11時25分頃、街道に復帰しました。木津川の支流に出ると庚申碑があり、川ではアユ釣りが解禁のようでした。
安楽寺の手前に多分地蔵さんの石仏が並んでいました。ここ阿保宿は本当にいろいろ残っていますね。
11時40分頃、川を渡って右折します。ここにも常夜灯があります。国道に合流する手前にも常夜灯があり、そこには旧初瀬街道の道案内もありました。11時45分です。
この道が本来初瀬街道で七見峠という峠を越えるようです。でもゴルフ場が出来て、街道は寸断され、地形図をいろいろ調べたのですが、確信が持てる道が見つかりませんでした。
それで、三重県の街道地図に載っている、ゴルフ場の縁を廻る道を選びました。国道165号線に出て、3分ほどで右に入りました。11時50分頃です。
林間の車道を15分位歩くとゴルフ場のネットがあり、クラブハウスへの裏口もありました。
空腹なのですが、弁当を食べる適当な場所がありません。ため池の傍も期待したのですが、3か所ともいまいちでした。
青山町駅から6キロほどの場所に福田神社跡というのがあり、そこは良さそうだと狙いを付けていました(笑)。12時35分頃そこに着くと、観阿弥ふるさと公園になっていました。
ここは伊賀の小波多で、観阿弥が初めて猿楽の座を設けた場所だそうです。ともかく期待通り弁当が食べられました。
予定通り13時にここを出ました。右手前方に桔梗が丘団地を見ながら、田んぼの中を歩きました。
団地近くの山すそに近づくと、小さなお地蔵さんが有ったり、大きな岩がご神体なのか、岩ごさんと呼ばれるらしい、小さな祠が有ったりしました。
岩ごさんを右折して団地の入口、国道165号線の桔梗が丘3の交差点に13時25分頃出てきました。
団地を横断して歩きますが、この間は史跡はありません。
桔梗が丘駅からの道に交差する、桔梗が丘1の交差点に来たのが13時45分頃。そこを左折して旧道を探しましたが見つからず、引き返しました。交差点から200mほど進んで右に入るのが旧道です。
大きな団地開発で奇跡的に残った旧道ですね。地蔵さんや山の神などがあります。
国道368号線を渡り、少し歩くと延命地蔵堂がありました。14時10分頃です。
すぐに車道を渡って旧道は続きます。すぐまた立派な常夜灯があります。
14時18分、近鉄の線路を潜りました。
この辺りは名張の中心部に近いのですが、まだ鄙びた雰囲気が残っています。
14時30分、名張川にぶつかり、県道57号線に合流しました。ここには南無妙法蓮華経の大きな石碑がありました。
すぐに左側に八幡宮があります。東町の交差点です。一寸お参りして、ここまでの無事をお礼しました。
ここで県道と別れて左に入って行くのが街道です。5分も歩くと、梅田家住宅と言う、蔵の立派な建物がありました。
さらに10分ほど、大きな鳥居が道路を跨いでいます。近くに有る宇流富志禰神社の一の鳥居だそうです。
この辺り、暑くてビールが目にちらついています(笑)。鳥居を潜って南下、14時56分に丁子屋という呉服屋さんを通過しました。
ここを右折して、名張川を渡っていくのが旧初瀬街道です。次回はここからスタートします。
ここから名張駅までは10分ほどです。駅前の居酒屋さんが今日の反省会場です。
お疲れ様でした。次回は9月です。
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