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2023年3月 7日 (火)

鳥羽街道

私が住んでいる三重県では、鳥羽と言えば伊勢神宮の先の伊勢湾に面した旅館街を思い浮かべます。鳥羽水族館も有名ですね。でも、全国的には幕末の戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見の戦いの方が有名ですかね。

今回はその鳥羽伏見の戦いの舞台、鳥羽街道を歩いてきました。下図を見てください。

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京都の南側の街道です。青い線の街道は、すでに歩いています。今回赤い線を歩きました。茶色の山陰道は、いつか亀岡か園部位まででも歩きたいと思っています。

今回の鳥羽街道は京都駅から京阪淀駅までで13~14キロといったところです。

2023年3月4日(土)

朝9時50分頃、京都駅に到着しました。土日なんで、やはり混んでますね。八条口に出ました。

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トイレに行ったら、こんなマーク。京都は着物姿ですね(笑)。

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鳥羽街道の起点は九条の羅城門前、旧千本通りです。そこへ向かって歩きます。

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駅南側の八条通りを西へ、油小路で左折して、今度は東寺道を右折しました。伏見稲荷さんの御旅所が角にあります。

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東寺にぶつかるので左折して、九条通りを右折して東寺の正門前を通ります。

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そのまま通り過ぎて西へ進むと、九条御土居の案内がありました。先日、御土居跡巡りをしましたが、九条は地名だけ残っていますね。

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そのすぐ先、右側に矢取地蔵尊があります。空海に射かけられた矢を防いだ言い伝えがあります。

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その奥の公園の中に羅城門跡の石碑があります。

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今回は行かなかったのですが、羅城門を挟んで東に東寺、西に西寺がありました。その西寺跡もこの近くにあります。

Saijiato

さてここから九条通りを渡って、旧千本通りに入ります。10時23分でした。

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千本通りの由来は詳しくは知らないが、卒塔婆が千本有ったとかで縁起は良くないみたい。今は新千本通りが1本西にできているが、これも謂れは知らない。ともかく旧千本を南下する。10分ほどで十条通りを渡る。

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一条二条と言った、平安京名残の呼び名はここまでです。十条通りを東に2.5キロ行くと、京阪の鳥羽街道駅があります。随分離れているのに何故鳥羽街道駅と言うのか疑問ですね。

更に10分一寸で久世橋通りを渡りますが、この間特に見るべきものも無いみたいです。ただお地蔵さんは、そこかしこに有ります。久世橋通りを過ぎると上鳥羽に入るみたいです。

10時50分頃、こんな看板に出会いました。アレフ、ここにあるんだ。

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この辺りの街並みです。お地蔵さんはほんとに多い。

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11時頃、道が一寸カーブする所に恋塚浄禅寺がありました。鳥羽地蔵さんが有名らしいですが、恋塚があります。後の文覚上人である北面の武士遠藤盛遠が誤って片思いの人妻を殺害する話です。一寸お参りしました。

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この辺りの街並みです。

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11時10分、小枝橋バス停を過ぎて、名神高速の下を潜ります。

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名神高速の下を潜ると、すぐ鴨川を渡る小枝橋があります。

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今は立派な橋ですが、幕末頃はどんな橋だったのでしょうか。

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渡ってすぐ堤防道路を右折します。そしてすぐ左折するのが城南宮道です。直進すれば城南宮ですが、すぐを右折するのが鳥羽街道です。

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この石碑の裏側に鳥羽伏見の戦い発端の地の石碑があります。

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鳥羽街道を上ってきて小枝橋を渡ろうとした幕府軍と待ち構えた薩摩軍がここで戦端を開いたのが、戊辰戦争の始まりとの説明があります。

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鳥羽街道を南下する前に、昼食と城南宮参拝をすることにしました。城南宮の前を走るのが国道1号線ですが、その国道沿いのまつの屋に入って昼食を食べました。

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11時55分に出て城南宮に行きました。しだれ梅が満開とかで大変な人出でした。

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拝観には長い列ができていて敬遠しました。

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庭の横から見ただけでも、しだれ梅を十分楽しめました。

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鳥居の横に熊野詣で出立の地の案内がありました。よく読めませんが、鳥羽街道沿いに鳥羽離宮を建設し、鳥羽上皇など、そこから熊野詣でに出立したとか。なるほど。

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またその横に、鳥羽伏見の戦いの跡の説明もありました。

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城南宮を出て、鳥羽街道に戻りました。12時14分でした。先ほどの石碑のある場所です。ここから南下する左側に鳥羽離宮があったのです。

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鳥羽離宮跡に入ってみました。

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ここにも鳥羽伏見の戦いの碑がありました。

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ここには鳥羽伏見の戦いの両軍の配置が銅板で表示されていました。

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鳥羽離宮を出ると、すぐ千本通赤池の交差点です。ここも前述の遠藤盛籐の逸話や鳥羽伏見合戦発端の地として有名です。

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赤池を過ぎると下鳥羽に入るようです。交差点から7~8分下ると行者堂があり、お地蔵さんが集められていました。鳥羽街道沿いのお地蔵さんは皆化粧してもらっています。

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さらに7~8分下ると、恋塚寺があります。謂れは恋塚浄禅寺と同じです。なぜ二つあるかは知りません。

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大きな三叉路を超えると、醸造所がありました。月の桂という銘柄のようですが、開いていませんでした。残念。

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過ぎると街道は鴨川の縁に出ます。

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堤防の下に鳥羽の大石と言われる石が3個あります。二条城築城に使われる予定の石だったとか。

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堤防道路は自転車・歩行者の専用道路になっているので、そこを歩きます。

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左下の街道をちらちら眺めながら15分ほど歩くと、街道が堤防から離れます。ただ前方に見える橋の向こうに魚市場跡の石碑があるそうなので、とりあえず堤防を歩きました。

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13時02分、羽束師橋を潜りました。この手前で鴨川と桂川が合流し、桂川となります。

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橋のすぐ南に石碑はありました。この辺り横大路は、昔、草津の湊と呼ばれれ、淀川を三十石船で上ってきた荷物の集積地で、鮮魚商も多かったそうです。明治10年京都に鉄道が敷かれ、集積地は京都駅に換わったのだそうです。

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一寸引き返して街道に復帰しました。なかなか良い感じの街並みです。

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しばらく街道を進みます。13時7分頃です。

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10分弱で街道はまた堤防に登りました。三川合流点から4キロの道標がありました。三川とは桂川・宇治川・木津川で、そこから淀川となって大阪湾に注ぎます。

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一旦堤防を降ります。

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鳥羽伏見戦いの跡を書いている家もあります。子供さんでしょうか。

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また堤防に登り、少し歩くと、今度は戊辰役東軍戦死者を祀る碑がありました。薩長ばかりの碑ではありませんね。

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13時40分頃、また堤防を降りました。今度はもう登らないようです。地蔵堂があり、ここもお化粧していました。

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五番橋という小さな石橋を渡ると、もう目的の納所交差点は近いでしょう。ここにもお地蔵さん。

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13時48分、納所交差点に到着しました。ここで京街道に合流するので、鳥羽街道の終点と言ってよいでしょう。

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ここに唐人雁木跡の碑があります。雁木とは階段のことで、朝鮮通信使などが船で淀川を上ってきて、ここで上陸したようです。

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さてここに淀城跡があります。鳥羽伏見の戦いで敗れた幕府軍が、一旦淀城に入場しようとしたとき、城の家老が、藩主不在なので一存では入場させられないと断り、やむなく幕府軍は大阪城まで退却したと聞きます。

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この城主稲葉氏は春日局の子孫とか聞きました。午後2時に京阪淀駅に到着しました。私が昔、淀の競馬場に来ていた頃からみると、随分きれいになっていますね。

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京都駅に返り、一寸お土産買った後、帰路に着きました。途中、草津で途中下車して草津宿をちらり。

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ここからの草津線は一寸お客も減ってくるので、車中の楽しみもできます。

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柘植経由で亀山へ。個々の駅前再開発は最悪です。以前あった売店類はすべてなくなり、図書館ができました。

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コンビニ位一角に誘致すればいいのに、何もないのでは、我々旅人にとっては最悪です(泣)。でも準備はしてきているので、ここから我家までも楽しいひと時です(笑)。

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お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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