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2023年2月 6日 (月)

明治の東海道を歩く

前回、東海道の変遷で書いた明治の東海道を歩いてきました。桑名市の東の端、尾張大橋の西詰から木曽川を渡り、弥富市、蟹江町を経て名古屋市港区のバス停「知多」まで15キロほどです。

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弥富市のホームページにも、明治の東海道散策コースが載っていました。いままで我が家から近すぎて、見たこともありませんでした(笑)。

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2023年2月4日(土)

朝8時過ぎに、尾張大橋にやってきました。東海道の石碑があります。尾張大橋は1キロ近くあります。これを渡っていきます。

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渡ってすぐ右折して、ふたつやの渡跡に来ました。8時半ごろです。

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歩き出したのですが、道を間違えて川沿いを歩きました。気が付いて修正しました。そこに弥富町の道路元標の碑がありました。明治5年、新東海道が熱田から前ヶ須に敷かれ、前ヶ須は宿駅となりました、ここには海西郡の役所が置かれたそうです。

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そのすぐ近くに蓮如堂があります。真宗本願寺中興の祖と言われる蓮如が、いつここへ来たのか知りませんが、ここには新東海道と前ヶ須に尽くした村田惣之助の墓がありました。

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蓮如堂から15分ほど歩くと、村田医院という立派な医院と母屋があります。この近くに山口誓子の句碑などがあるらしく、探したのですが見つかりませんでした。探す所間違えたかも。

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そこから2分ほど歩くと、塀に金魚の絵が描かれていました。そうそう弥富は金魚で有名ですね。

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八幡神社を過ぎ、立派なお寺を見ながら歩きます。十一面観世音菩薩と書いてありました。

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右側に大きな御神木がある神社は六条津島神社のようです。新田が拓かれたとき、守り神様を皆祀ったのでしょうね。

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9時35分、こどもの国北の交差点を左折します。すぐ右手に弥勒寺があります。多分住職とお寺の方が庭を掃除されていました。会釈して一寸休憩させてもらいました。

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ここは樹木葬を営んでおられるようでした。一寸墓地を覗いてみました。弥勒寺から10分弱歩くと、左手に孝女そよ宅跡の石碑があります。

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親孝行で有名な娘さんが居たそうで、さきほどの弥勒寺にお墓もあるそうです。次の交差点で、1本南の道に入るのが街道のようです。

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八大竜王をお祀りした烏の池が右手にあります。江戸時代の洪水でできたため池で、唯一現在に残っているとか。

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その先に秋葉堂があり、阿弥陀像が弥富市の文化財に指定されています。

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10時12分、子宝橋を渡ります。

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渡るとすぐ右折します。この辺りも街道の面影残る街並みです。

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子宝橋から10分弱、左手に明治天皇小休所の石碑があります。通りかかった地元の人が、親切にいろいろ説明して頂きました。

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当時の家屋や庭がそのまま残っているそうです。写真左側の家。諸国の街道を歩いていると、こんなところまで明治天皇は来られていたのかと驚くばかりですが、こんな近くにも有ったのかと、新たな驚きです。

その少し先に「山神社」という珍しい名前の神社があり、そこの老松は、伊勢湾台風で唯一生き残った松だそうです。

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10時38分、尾張中央道を渡りました。東蜆はヒガシシジミと読むようです。10時40分頃です。

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この先も、なかなか風情のある街並みが残っています。

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この付近のお地蔵さんも、大事にされているようです。

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亀ヶ池のバス停を過ぎると、道は直角に左折します。

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道沿いに八剱神社があり小休止しました。11時頃で小腹も空いていたので、非常食に持っていたパンを半分食べました。

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11時10分頃出発しました。5分で善太橋を渡ります。

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続いて日光大橋を渡ります。

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最後に河合小橋です。

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ここまでくると、もう蟹江町に入っていますね。河合小橋を渡るとすぐ右折します。まあ東海道の風情です。

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10分ほどで、今度は福田川を渡ります。

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渡ったすぐ右下に、茶屋後神明社というのがあります。尾張藩に仕えた豪商、茶屋四郎次郎縁の神社だとか。見に行こうと思いましたが、入り口が離れているので止めました(笑)。

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とこどころの地蔵さんを見ながら15分ほど歩くと熱田社があります。

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丁度12時近いので、当初予定では、この辺りで東海通へ出て昼食の予定でした。でも先ほど食べたパンがお腹に残っているのでやめました。最後まで歩くことにしました。3分で戸田川を越えます。

左手の神社の奥に明治天皇の石碑があると思っていたので、探しに行きました。春田野神明社です。

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福田新田開発の責任者だった鬼頭景義が難工事を乗り越えるため、伊勢神宮から分霊を勧請した神社で、この地域の産土神として崇敬を集めています。でも明治天皇碑はここではありませんでした。

さらに一寸行った、高速道路沿いの南陽社の奥に明治天皇行在所の石碑がありました。

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南陽社はこの地域の日清日露戦争の線墓地者を祀っています。石碑の横の建物は、鬼頭義景の邸宅跡だそうです。

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まあこれで、今日見たい史跡は見終わりました。12時20分頃です。名二環の下を潜って西へ進みます。すぐ左に由緒ありそうな地蔵堂があり、その奥に神明社があります。

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12時35分、南知多の交差点に来ました。すぐ左に知多のバス停があります。今日の予定はここまでです。

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実は、ここから新川の堤防に突き当り、左折して日の出橋・明徳橋を渡って明徳橋バス停まで、前回百曲街道を歩いたとき、時間が余ったので歩いておいたのです。

前回の軌跡です。明徳橋のバス停から、明徳橋と日の出橋を渡り、左折して新川沿いに歩き、天王社で右折して東海道に入りました。

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知多南の交差点で右折、日の出橋のバス停から帰りました。明徳橋から見た日の出橋。

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新川沿いの道

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天王社で右折

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なんとなく街道の雰囲気

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ここからは街道はまっすぐ1直線です。

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今日は知多バス停から八田駅行きのバスが有ったので、それで帰りました。

今日のご褒美はこれです(笑)。

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お疲れ様。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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