佐屋路から「ふたつや」の渡しへ歩く
佐屋川の水量が減り、船が通行できなくなると、旅人は陸路で佐屋から前ヶ須のふたつやの渡しへ向かいました。その陸路を歩いてみました。
スタートは名鉄尾西線の日比野駅。この近くを佐屋路は通っていたようです。
佐屋路の終点三里の渡跡から前ヶ須へは巡見街道がありました。多分その道かなと、歩いてみました。旧佐屋川の流れにも近いです。
2023年2月11日(土)
朝9時頃日比野駅に到着しました。無人駅ですね。
すぐ近くに由伎神社があり、お参りしました。
旧佐屋路は現在消滅していますが、この付近を通っていたそうです。下図の青線です。
15年ほど前にも、佐屋路を訪ねて、この辺を歩いたのですが、そのとき佐屋海道の石碑を見つけました。県道485号線沿いにあります。
何故ここに有るのか解りませんが、今回も行ってみました。街道でなく海道となっているのが面白いですね。遠く小さく見える白い山は伊吹山です。
近くの信力寺にも寄りました。ここも15年前、イタチが2匹居たので(笑)。今回は居ませんでした。
県道に返って南下します。最初の信号で旧佐屋路と合流します。少し歩くと鈴木家という旧家があります。近くのお地蔵さんは着飾っていました。
須衣の交差点手前に天神社があり、お参りしました。
交差点で右折するのが街道です。落ち着いた町並みです。この辺は佐屋宿なんですね。
水鶏塚への道標がありました。水鶏塚は芭蕉句碑があります。
須衣の交差点から7~8分で信号のある交差点です。ここに三里の渡跡があります。まず手前左手に佐屋舟場道の石碑があります。渡し場への道案内で、近くに有ったものを、ここに移設されています。
その向かい側角が、佐屋代官所跡です。今は石碑のみです。
その角を左折した向かい側の公園横に、三里の渡跡の石碑があります。昔、佐屋川はここを流れていたのですね。
さてここから巡見街道に入ります。さっきの交差点へ引き返し、舟場道の石碑のあった細道が巡見街道だそうです。9時54分でした。すぐ阿弥陀寺という禅宗のお寺の前を通っていきます。通り過ぎてから振り返っていますが、なかなか諏のある小道です。
名鉄佐屋駅から来る、県道にぶつかり、一寸右折して、先ほど三里の渡跡が有った道へ出て左折、南下します。すぐに国道155号線と交差します。写真下。
ここはややこしいですが、渡って直進せず、1本左の細道へ入るのが街道です。すぐに善定坊というお寺があります。
この門は、明治天皇が昼食休憩された佐屋宿本陣の門を移設したのだそうです。少し歩くと県道に出会います。この辺ややこしいので拡大地図を載せます。
一旦県道を渡って斜めの道に入り、すぐ六角地蔵堂で右折して県道に戻り、10mほど歩いてすぐまた左の細道に入ります。六角地蔵堂です。
県道から再度細道に入ると、庭に親鸞聖人の像がある法光寺です。そのすぐ先左手に観音堂が有りました。そこで一寸休憩して、服装も薄着にしました。10時27分でした。
10時35分に出発、5分一寸でまた県道に合流しました。合流してすぐ、ブラジルというカフェの隣に釈迦堂があり、そのすぐ南に地蔵堂がありました。
この辺で愛西市から弥富市に入ります。10時56分です。5分ほど歩くと、右手奥に地蔵堂が見えます。右折して近寄ると「五之三地蔵尊」です。
この奥に、明治天皇が最初の東下りのとき、船が佐屋川を上れず、ここで船を降りられたという焼田湊の石碑があるので一寸見に行きました。
翌年も来られたのですが、そのときは、ここまでも上れず、前ヶ須で下船されたそうです。その前ヶ須へは、引き返して県道を下るのですが、その道は車でよく通る道で、特に見るものも無いので、湊から過っての佐屋川に沿って歩いてみました。
すぐ千代稲荷さんを過ぎて、東名阪の下を潜って行きますが、佐屋川の名残は無いようです。
佐屋川は、この東名阪の先で木曽川に合流していたようです。その先はイオンタウンになっていて、直進は出来ないので、左折してまた県道に戻りました。
時刻も11時半で、空腹になっていたので、バーミアンへ入りました。歩きはもう少しなので、早めにご褒美を頂きました(笑)。
この店は、ウエイトレスとロボットが共存して料理を運んでいました。
一寸買い物もして、12時40分頃出発しました。右カーブする県道から離れて直進し、JRと近鉄の下を潜って行きます。
そして前ヶ須西の交差点で国道1号線を越えます。
12時55分、ゴールの「ふたつやの渡跡」に到着しました。お疲れ様でした。
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