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2023年2月21日 (火)

初瀬街道1回目

伊勢と京・大阪を結ぶ街道はいろいろあります。少なくとも5・6本はあるでしょう。初瀬街道もその一つです。下図を見てください。

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松阪の近く六軒で伊勢街道と別れて近鉄大阪線に沿って榛原へ、そこで伊勢本街道に合流しています。伊勢本街道は直線で近いのですが、山道が多く、数多くの峠を越える険しい道です。

それに対して初瀬街道は里をつないでいく優しい道です。峠は青山峠位でしょうか。なので女性にも好まれたようです。天皇の名代を務める斎王も、京都への帰路に使ったようです。

2023年2月18日(土)

山歩会仲間との今年の街道歩きは初瀬街道にしました。上の図の大和街道や伊勢本街道はすでに歩きました。第1回目は六軒から近鉄の川合高岡駅まで11キロほどです。以降、7回ほどに分割して歩く予定です。

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朝10時50分にJR紀勢本線の六軒駅に到着しました。今年から歩く距離を大幅に減らしたので、のんびり集合です。

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六軒茶屋は伊勢街道の宿場町で、多くの人で賑わったそうです。また伊勢音頭にも唄われています。

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11時頃、六軒駅を出て東へ少し歩くと伊勢街道に出会います。そこに常夜灯と道標がありました。

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伊勢街道を伊勢方面へ5分も歩くと三渡橋があります。ここ泪川は潮の満ち干で水量が変わるため、渡し乗り場が上流・中流・下流の三か所有ったそうで、三渡橋の名前の由来だそうです。

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渡った右手に大きな道標があります。「いがこへ追分」と刻まれています。ここが初瀬街道の起点ですね。伊勢街道でも最大の道標だそうです。

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その先、伊勢方面へは市場庄の街になりますが、なかなか風情がある街並みです。

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11時17分に出発して上流に向かいます。写真の橋の少し向こうで川を渡っていたようですが、今はこの橋を渡ります。

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渡って、すこし行った1本目の道へ左折して、旧街道に合流して10分ほど歩くと県道580号線にぶつかります。そこに常夜灯があると聞いていましたが、一寸壊れていました。11時36分です。

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左折して踏切を渡りますが、JR名松線です。伊勢奥津が終点のこの路線は秘境線と言われています。松阪と名張を結ぶ予定だったようですが、伊勢奥津で中断しています。先の常夜灯から10分一寸で、また常夜灯があります。

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すぐその隣が中原神社です。謂れもよく知らないのですが、とりあえずお参りしました。

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11時50分頃神社を後にして、12時に須賀領という交差点を渡りました。町並みはなんとなく街道風です。

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一般的に、他の伊勢街道に比べると、この初瀬街道は全体として昔の面影が残っているように感じます。開発がそれほど進んでいないのですね。嬉野グランド付近です。

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12時17分頃、右手にまた常夜灯がありました。

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そろそろ空腹ですが、外で弁当を食べるのは寒いので、もう少し先の、伊勢中川駅付近で食堂に入るつもりです。12時26分、小川神社が見えました。その先を右折すれば伊勢中川駅のはずです。

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神社にお参りして、そのまま通り抜けて駅前に出ました。グループも10人となると食堂も限られます。あまり小さい食堂に入ると、全員の注文ができるまで時間が掛かりすぎます。ファミレスが良いですね。COCO壱番屋に入りました。

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30分で食べて13時10分には店を出ました。街道に復帰すると小さなお堂があり、覗くと役行者のようでした。珍しいですね。

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13時25分、中村川で街道が途切れているので、県道24号線の小川橋で渡ります。

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橋を渡って忘れ井を見に行きました。

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この道筋は天皇の名代として伊勢神宮に仕える斎王が行き帰りに使ったそうです。都を想う心をここで断ち切った井戸だそうです。

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街道に戻るとすぐまた近くに秋葉権現の石造物などが並んでいたので見に行きました。

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あちこちに寄り道しているので、予定の時間から遅れていきます。集落を過ぎた二股に、初瀬街道の案内がありました。この街道は結構案内があります。

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道端にも案内が有ったりします。

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県道を越えて少し歩くと、交差点でもないのに信号がありました。なんだろうと思ったら、交互通行の信号でした。14時03分です。

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伊勢自動車道の下を潜ったのが14時18分。14時28分の川合高岡発の電車に乗ろうと思っていましたが、駄目でした。

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名松線の伊勢八太駅の近くのはずです。この辺りは一寸道が入組んでいます。なんとか小学校へたどり着きました。

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校庭に沿って歩くと、斑光寺跡とかの石碑が有り、そこで左折します。

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この辺り、八太の七曲りというそうです。14時36分。

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右折すると、もう川合高岡駅へは一直線ですね。でもまだ街道の雰囲気は残ります。

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14時42分、一旦集落を出ます。

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すぐ横を名松線が走っています。この辺り、近鉄と名松線は隣接しています。

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14時50分、近鉄、川合高岡駅に到着しました。お疲れさまでした。

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今日のご褒美は、松阪も近いので焼肉にしました。

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よく食べて、よく飲みました。皆さん、まだまだ現役ですね(笑)。

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おわり。

 

 

 

 

 

 

2023年2月13日 (月)

佐屋路から「ふたつや」の渡しへ歩く

佐屋川の水量が減り、船が通行できなくなると、旅人は陸路で佐屋から前ヶ須のふたつやの渡しへ向かいました。その陸路を歩いてみました。

スタートは名鉄尾西線の日比野駅。この近くを佐屋路は通っていたようです。

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佐屋路の終点三里の渡跡から前ヶ須へは巡見街道がありました。多分その道かなと、歩いてみました。旧佐屋川の流れにも近いです。

2023年2月11日(土)

朝9時頃日比野駅に到着しました。無人駅ですね。

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すぐ近くに由伎神社があり、お参りしました。

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旧佐屋路は現在消滅していますが、この付近を通っていたそうです。下図の青線です。

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15年ほど前にも、佐屋路を訪ねて、この辺を歩いたのですが、そのとき佐屋海道の石碑を見つけました。県道485号線沿いにあります。

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何故ここに有るのか解りませんが、今回も行ってみました。街道でなく海道となっているのが面白いですね。遠く小さく見える白い山は伊吹山です。

近くの信力寺にも寄りました。ここも15年前、イタチが2匹居たので(笑)。今回は居ませんでした。

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県道に返って南下します。最初の信号で旧佐屋路と合流します。少し歩くと鈴木家という旧家があります。近くのお地蔵さんは着飾っていました。

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須衣の交差点手前に天神社があり、お参りしました。

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交差点で右折するのが街道です。落ち着いた町並みです。この辺は佐屋宿なんですね。

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水鶏塚への道標がありました。水鶏塚は芭蕉句碑があります。

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須衣の交差点から7~8分で信号のある交差点です。ここに三里の渡跡があります。まず手前左手に佐屋舟場道の石碑があります。渡し場への道案内で、近くに有ったものを、ここに移設されています。

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その向かい側角が、佐屋代官所跡です。今は石碑のみです。

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その角を左折した向かい側の公園横に、三里の渡跡の石碑があります。昔、佐屋川はここを流れていたのですね。

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さてここから巡見街道に入ります。さっきの交差点へ引き返し、舟場道の石碑のあった細道が巡見街道だそうです。9時54分でした。すぐ阿弥陀寺という禅宗のお寺の前を通っていきます。通り過ぎてから振り返っていますが、なかなか諏のある小道です。

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名鉄佐屋駅から来る、県道にぶつかり、一寸右折して、先ほど三里の渡跡が有った道へ出て左折、南下します。すぐに国道155号線と交差します。写真下。

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ここはややこしいですが、渡って直進せず、1本左の細道へ入るのが街道です。すぐに善定坊というお寺があります。

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この門は、明治天皇が昼食休憩された佐屋宿本陣の門を移設したのだそうです。少し歩くと県道に出会います。この辺ややこしいので拡大地図を載せます。

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一旦県道を渡って斜めの道に入り、すぐ六角地蔵堂で右折して県道に戻り、10mほど歩いてすぐまた左の細道に入ります。六角地蔵堂です。

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県道から再度細道に入ると、庭に親鸞聖人の像がある法光寺です。そのすぐ先左手に観音堂が有りました。そこで一寸休憩して、服装も薄着にしました。10時27分でした。

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10時35分に出発、5分一寸でまた県道に合流しました。合流してすぐ、ブラジルというカフェの隣に釈迦堂があり、そのすぐ南に地蔵堂がありました。

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この辺で愛西市から弥富市に入ります。10時56分です。5分ほど歩くと、右手奥に地蔵堂が見えます。右折して近寄ると「五之三地蔵尊」です。

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この奥に、明治天皇が最初の東下りのとき、船が佐屋川を上れず、ここで船を降りられたという焼田湊の石碑があるので一寸見に行きました。

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翌年も来られたのですが、そのときは、ここまでも上れず、前ヶ須で下船されたそうです。その前ヶ須へは、引き返して県道を下るのですが、その道は車でよく通る道で、特に見るものも無いので、湊から過っての佐屋川に沿って歩いてみました。

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すぐ千代稲荷さんを過ぎて、東名阪の下を潜って行きますが、佐屋川の名残は無いようです。

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佐屋川は、この東名阪の先で木曽川に合流していたようです。その先はイオンタウンになっていて、直進は出来ないので、左折してまた県道に戻りました。

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時刻も11時半で、空腹になっていたので、バーミアンへ入りました。歩きはもう少しなので、早めにご褒美を頂きました(笑)。

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この店は、ウエイトレスとロボットが共存して料理を運んでいました。

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一寸買い物もして、12時40分頃出発しました。右カーブする県道から離れて直進し、JRと近鉄の下を潜って行きます。

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そして前ヶ須西の交差点で国道1号線を越えます。

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12時55分、ゴールの「ふたつやの渡跡」に到着しました。お疲れ様でした。

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2023年2月 6日 (月)

明治の東海道を歩く

前回、東海道の変遷で書いた明治の東海道を歩いてきました。桑名市の東の端、尾張大橋の西詰から木曽川を渡り、弥富市、蟹江町を経て名古屋市港区のバス停「知多」まで15キロほどです。

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弥富市のホームページにも、明治の東海道散策コースが載っていました。いままで我が家から近すぎて、見たこともありませんでした(笑)。

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2023年2月4日(土)

朝8時過ぎに、尾張大橋にやってきました。東海道の石碑があります。尾張大橋は1キロ近くあります。これを渡っていきます。

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渡ってすぐ右折して、ふたつやの渡跡に来ました。8時半ごろです。

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歩き出したのですが、道を間違えて川沿いを歩きました。気が付いて修正しました。そこに弥富町の道路元標の碑がありました。明治5年、新東海道が熱田から前ヶ須に敷かれ、前ヶ須は宿駅となりました、ここには海西郡の役所が置かれたそうです。

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そのすぐ近くに蓮如堂があります。真宗本願寺中興の祖と言われる蓮如が、いつここへ来たのか知りませんが、ここには新東海道と前ヶ須に尽くした村田惣之助の墓がありました。

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蓮如堂から15分ほど歩くと、村田医院という立派な医院と母屋があります。この近くに山口誓子の句碑などがあるらしく、探したのですが見つかりませんでした。探す所間違えたかも。

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そこから2分ほど歩くと、塀に金魚の絵が描かれていました。そうそう弥富は金魚で有名ですね。

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八幡神社を過ぎ、立派なお寺を見ながら歩きます。十一面観世音菩薩と書いてありました。

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右側に大きな御神木がある神社は六条津島神社のようです。新田が拓かれたとき、守り神様を皆祀ったのでしょうね。

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9時35分、こどもの国北の交差点を左折します。すぐ右手に弥勒寺があります。多分住職とお寺の方が庭を掃除されていました。会釈して一寸休憩させてもらいました。

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ここは樹木葬を営んでおられるようでした。一寸墓地を覗いてみました。弥勒寺から10分弱歩くと、左手に孝女そよ宅跡の石碑があります。

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親孝行で有名な娘さんが居たそうで、さきほどの弥勒寺にお墓もあるそうです。次の交差点で、1本南の道に入るのが街道のようです。

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八大竜王をお祀りした烏の池が右手にあります。江戸時代の洪水でできたため池で、唯一現在に残っているとか。

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その先に秋葉堂があり、阿弥陀像が弥富市の文化財に指定されています。

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10時12分、子宝橋を渡ります。

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渡るとすぐ右折します。この辺りも街道の面影残る街並みです。

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子宝橋から10分弱、左手に明治天皇小休所の石碑があります。通りかかった地元の人が、親切にいろいろ説明して頂きました。

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当時の家屋や庭がそのまま残っているそうです。写真左側の家。諸国の街道を歩いていると、こんなところまで明治天皇は来られていたのかと驚くばかりですが、こんな近くにも有ったのかと、新たな驚きです。

その少し先に「山神社」という珍しい名前の神社があり、そこの老松は、伊勢湾台風で唯一生き残った松だそうです。

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10時38分、尾張中央道を渡りました。東蜆はヒガシシジミと読むようです。10時40分頃です。

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この先も、なかなか風情のある街並みが残っています。

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この付近のお地蔵さんも、大事にされているようです。

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亀ヶ池のバス停を過ぎると、道は直角に左折します。

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道沿いに八剱神社があり小休止しました。11時頃で小腹も空いていたので、非常食に持っていたパンを半分食べました。

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11時10分頃出発しました。5分で善太橋を渡ります。

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続いて日光大橋を渡ります。

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最後に河合小橋です。

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ここまでくると、もう蟹江町に入っていますね。河合小橋を渡るとすぐ右折します。まあ東海道の風情です。

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10分ほどで、今度は福田川を渡ります。

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渡ったすぐ右下に、茶屋後神明社というのがあります。尾張藩に仕えた豪商、茶屋四郎次郎縁の神社だとか。見に行こうと思いましたが、入り口が離れているので止めました(笑)。

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とこどころの地蔵さんを見ながら15分ほど歩くと熱田社があります。

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丁度12時近いので、当初予定では、この辺りで東海通へ出て昼食の予定でした。でも先ほど食べたパンがお腹に残っているのでやめました。最後まで歩くことにしました。3分で戸田川を越えます。

左手の神社の奥に明治天皇の石碑があると思っていたので、探しに行きました。春田野神明社です。

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福田新田開発の責任者だった鬼頭景義が難工事を乗り越えるため、伊勢神宮から分霊を勧請した神社で、この地域の産土神として崇敬を集めています。でも明治天皇碑はここではありませんでした。

さらに一寸行った、高速道路沿いの南陽社の奥に明治天皇行在所の石碑がありました。

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南陽社はこの地域の日清日露戦争の線墓地者を祀っています。石碑の横の建物は、鬼頭義景の邸宅跡だそうです。

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まあこれで、今日見たい史跡は見終わりました。12時20分頃です。名二環の下を潜って西へ進みます。すぐ左に由緒ありそうな地蔵堂があり、その奥に神明社があります。

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12時35分、南知多の交差点に来ました。すぐ左に知多のバス停があります。今日の予定はここまでです。

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実は、ここから新川の堤防に突き当り、左折して日の出橋・明徳橋を渡って明徳橋バス停まで、前回百曲街道を歩いたとき、時間が余ったので歩いておいたのです。

前回の軌跡です。明徳橋のバス停から、明徳橋と日の出橋を渡り、左折して新川沿いに歩き、天王社で右折して東海道に入りました。

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知多南の交差点で右折、日の出橋のバス停から帰りました。明徳橋から見た日の出橋。

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新川沿いの道

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天王社で右折

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なんとなく街道の雰囲気

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ここからは街道はまっすぐ1直線です。

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今日は知多バス停から八田駅行きのバスが有ったので、それで帰りました。

今日のご褒美はこれです(笑)。

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お疲れ様。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年2月 2日 (木)

国道東海道の変遷

江戸時代以前、東海道を通る旅人は、木曽川、長良川、揖斐川の木曾三川をどこで超えるかが大問題でした。江戸時代に入ると、熱田の宮から船で海へ出て、直接桑名へ渡る七里の渡しが開設されました。およそ4時間で渡ったそうです。

ただ海路は天候に左右され、欠航もしばしば、また船酔いやトイレなど、問題も多く抱えていました。1626年、将軍家光が、上洛からの帰途、この渡しで船酔いしたとの記録もあるそうです。

そこで1634年、熱田から美濃路で北上し、尾頭で美濃路と分かれて、岩塚・万場・神守そして佐屋へ至る佐屋街道が開設されました。

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佐屋からは佐屋川を水路で下り、木曽川から長島の鰻江川の水路を通って桑名へ至る三里の渡しが開設されました。この街道は1666年には幕府道中奉行の管轄となり、五街道並みの扱いとなりました。

この佐屋路は幕末まで結構使われたようです。でも徐々に佐屋川の水量が減少し、船の運航が難しくなっていました。明治元年、明治天皇が1回目の東下りの際、この佐屋路を使われましたが、船が半分ほどの焼田港までしか上れず、そこから陸路を使われました。

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翌年の2回目の行幸では、更に悪化して、佐屋川入口の前ヶ須までしか船は入れませんでした。当時は江戸初期と異なり、現在の名古屋市港区周辺は、遠浅の海が干拓され新田になっていました。したがって、前ヶ須までは佐屋まで遠回りする必要もなく、熱田から直線的に来ることも可能でした。

そこで明治5年に新しく前ヶ須街道が完成し、明治9年に正式に佐屋路に換わって国道東海道となりました。図再掲。

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但し、前ヶ須から桑名へは、まだ陸路は無く、木曽川を「ふたつやの渡」で渡り、揖斐・長良川も渡しがありました。

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この国道東海道は、昭和8年に尾張大橋が完成し、翌9年に伊勢大橋が完成して、現在の国道1号線が東海道となるまで60年余り1級国道として国の幹線道路でした。ふたつやの渡を渡った長島側に明治25年建立の、東海道の石碑があります。

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現在この国道東海道は「東海通」という名前だけで残っています。熱田から庄内川の明徳橋までは旧道は消滅しているようですが、その先は前ヶ須まで、現在の東海通の南側に残っているようです。

近いうちに歩こうと思っています。

 

 

 

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