名古屋 百曲街道
名古屋に百曲街道というのがあるのを知った。とあることから、下記の本を入手し、読んでいるうちに見つけた。
江戸時代、名古屋の港区や南区は干拓によってできたそうです。それら熱田新田の縁を通る道が自然にできて百曲街道となった。その新田は一番から三十三番に分けられ、各番には観音像が祀られたそうです。番割観音と言います。
明治に入ると、この百曲街道が名古屋の中心部、大須の門前町と東海道を経由して伊勢方面を結ぶ重要な街道となり、庄内川を渡る明徳橋で東海道に接続しました。
一寸待ってくれ、そんな所に東海道が有ったか?と言われるのは尤もですが、その話は長くなるので、後日、項を改めます。ともかく今回は、その百曲街道を歩いてみました。
2023年1月28日(土)
まだ冬型の気圧配置で寒い日ですが、朝9時半には大須観音に入りました。
骨董市みたいなのが開かれていました。懐かしいですね。子供のころ、父に連れられて、東寺の弘法さんへ行ったことを思い出しました。
9時40分頃、境内を出ました。
本町通へ出て右折、六番町方面に向かいます。
百曲街道は図の青線のように進むと本には書いてありますが、下街道と言われる本町通を南下する方が自然なので、そのまま直進しました。この付近は、西本願寺や東本願寺の別院があり、通りは仏壇屋さんで埋められています。
10分ほど南下すると、古い看板の掛かった酒屋さんがあります。
その傍に、橘町の大木戸跡の説明がありました。
百曲街道も、この大木戸を潜って行ったと考えるのが自然ですよね。すぐに国道19号線です。ここを斜めに横断します。古渡稲荷の前を通って南下します。
3分で正木公園があり、その角を右折しました。時代を思わせる家並があり、その前を行きます。
10時13分、古渡橋で堀川を渡りました。
道を間違えてすぐ左折しましたが、気が付いて引き返しました。名古屋高速の下を潜って左折します。尾頭橋駅のすぐ南側辺りの下を潜る道があり、それを潜って行くのが百曲街道街道です。
低いトンネルを潜った先は、少し街道の面影が出てきます。この辺りからは、確かに百曲街道とグーグルマップにも記載があります。
そうは言っても普通の街並みで、古い面影があるわけではありません。10時24分頃です。
10分ほどで八熊通りの交差点を越え、更に10分ほど、左手に雷鳴座という芝居小屋らしい建物がありました。
近くに出し物のポスターもありました。名古屋にも芝居が有るんだと、ほのぼのしました。
さらに13分ほど、11時一寸前に、細い路地を斜めに入っていくのが百曲街道のようです。この辺り、街道の案内も何も無いので、地図と感だけが頼りです。
ところでこの辺り、先に書いた熱田新田に入ってきて、番割観音様が祀られた辺りです。今もこの辺りの地名には、一番町から十一番町まで残っていますね。そのそれぞれに祀られた番割観音様が残っているというので、探してみることにしました。
なかなか見つからず苦労しましたが、街道沿いに一つ観音堂がありました。特に説明はありませんが、十番・十一番の観音が祀られているはずです。
11時22分、十一番町の交差点に出ました。
国道1号線です。中川運河を昭和橋で渡ります。
渡ってすぐ左折し、一本目を右折します。するとここも、一寸街道らしい町並みです。
この辺りにも番割観音堂が有りそうですが判りません。太平通りにぶつかって、横断できないので国道1号線に迂回します。この辺り、図の青線が旧街道らしいです。道を探して、うろうろしている内に12時近くのなったので、そこに有った喫茶店に入りました。
焼きそばと御飯がサービス定食でした。栄養のバランスが悪いですね(笑)。まあ、お腹は膨れて、12時22分に店を出ました。
10分ほどであおなみ線を潜りますが、その手前の道を左折して、一本南側の通りで神明社を見つけました。その横に二十番の番割観音堂がありました。
ここには初めて番割観音の説明がありました。
12時35分に出て、他の観音堂を探したりしながら、12~13分で荒子川を渡った。
地下鉄高畑駅に通ずる広い車道を渡り、少し行った右奥に、空雲寺という禅宗のお寺があり、一寸見に行った。ここには熱田新田を開拓した、豪農の鬼頭景義の墓があります。またクロマツが見事です。
13時頃ここを出て、道は南西に斜めに続きます。自然にできた百曲街道が残っているのですね。
13時15分、明正一丁目の広い交差点を斜めに横断しました。この辺りも、かすかに街道の面影です。
交差点から3分で、左側の観音堂がありました。
やはりここも隣には神明社があります。ここは二十九~三十三番まで五体の観音が祀られているそうです。また百曲街道の説明もありました。
13時24分に出発しました。この辺り、百曲街道の名前のように、道は曲がりくねっています。
今日初めて百曲街道の案内がありました。
観音堂から10分ほどで庄内川の堤防に到着しました。
堤防に登りました。明徳橋が見えます。
13時40分、明徳橋に着きました。今は東海通、昔は東海道だったのです。バス停は、左へ5分ほど戻った所にあります。
右へは旧東海道が、弥富の前ヶ須まで続いています。そのうちに歩いてみましょう。
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