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2022年11月12日 (土)

奈良街道2日目

2022年11月8日(火)

朝は早く目覚めたので6時15分過ぎには宿を出た。どこかで朝飯と思ったが、結局コンビニでお握りを買って、6時45分のJRに乗り込んだ。

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7時10分過ぎには山城多賀駅に着いた。

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駅前ではお握りも食べにくいので、とりあえず出発した。

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5分ほど歩くと南部公園と言う小公園が有ったので、そこのベンチで朝食休憩とした。

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7時33分に出発、5分ほど歩くとJRの線路を渡る。渡らず、直進が良いんだが、道が無いらしい。

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線路沿いに10分弱歩くと、跨線橋があった。どうもこれで渡らないと駄目らしいので、坂を登って線路を越えた。

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和って少し行くと、線路沿いの道があったので、その道で玉水駅方面に行くことにした。

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8時頃玉水駅の近くを通過した。

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すると街道は玉川の土手にぶつかる。奈良時代末期、左大臣橘諸兄の別荘が、この辺りにあったそうです。

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15分ほど歩くと高架を潜りますが、これは渋川という小川で、天井川になっています。

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これを潜ると木津川市になります。すぐに以仁王御陵の案内があります。宇治川の合戦で源三位頼政とともに平家と戦い討ち死にしたと伝えられる、後白河法皇の第三皇子です。

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ここに御陵があるとはしりませんでした。隣に高倉神社がありますが、以仁王は京都の三条高倉にお住まいで、三条宮とか高倉宮と呼ばれたからと思われます。なお、以仁王は討ち死にせず、大内宿へ逃れたという説もあります。いずれにせよ、以仁王の平家追討の宣旨が諸国の源氏を決起させたことは事実のようです。

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8時25分頃街道に復帰、辺りに田んぼが広がりました。京を出て、初めての景色ではないでしょうか。

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すぐに天神川を渡ります。堤防を左折すると蟹満寺に行けるようです。今昔物語の蟹の恩返しの縁起で有名だそうです。広い道が南下しています。

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しばらく道なりです。

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8時40分頃、小公園があり、付近の地図など載っています。この辺りでは、奈良街道より山背古道がメインのようです。ここで右に分かれます。

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3分も歩くと不動川の低いトンネルを潜ります。ここも天井川です。潜って10分ほど道なりに歩くと、JRの線路に近づきますが、その一寸手前の細道に右折して入ります。すぐに踏切を渡ると、右手に棚倉駅が見えます。

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渡ってすぐ右折し、棚倉駅の前を通ると、すぐ右側に涌出宮という神社がありました。伊勢神宮に関係深そうですが、よく解りません。でも一寸興味惹かれたので、本殿まで行って参拝しました。

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神社を出て、少し歩くと、街道は右に線路を潜ります。9時10分頃です。

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道なりに5分ほど歩くと、不動川を渡ります。左、神童寺の案内があります。山岳仏教に関連する寺院のようで、愛染明王坐像などが有名だそうです。一寸離れているので行けませんが、別途、南山城のお寺を巡ってみたいものです。

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5分ほど歩くと、左手に春日神社があります。すぎると椿井北代の交差点です。9時25分。

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渡るとすぐ街道は府道70号線と分かれて左に登ります。

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登るとすぐ椿井大塚古墳の案内がありました。9時半頃です。

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古墳の縁を通って南下します。一寸間違ったりしながら細い道を南下します。10分ほどで一寸広い車道に出ました。山城中学の近くです。中学を通り過ぎた所に小公園があり、衣服調整もかねて小休止しました。

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10分ほど休憩して9時57分に出発しました。

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10分で上狛の交差点です。

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渡って5分歩くと、お茶の福寿園の建物がありました。サントリーと組んで伊右衛門を展開していますね。その傍に、山城茶業の碑というのがありました。

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宇治茶の歴史は平安時代に遡るが、江戸時代末期には、ここ上狛に木津川の水運を利用した、茶葉の集散地ができたようです。

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10時20分頃、木津川の堤防に登りました。過ってはここに渡しがあったのでしょう。今は泉大橋を渡ります。

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木津川は子供の頃、泳ぎに来たことがあります。海岸と同じように砂浜が有ったのを覚えています。

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10時32分、渡り終えると、すぐ右折して、堤防道路の下の道で、街道に引き返します。

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赤い鳥居のある交差点を左折します。10時40分です。

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街道らしい道です。

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嬉しいことに、奈良道と案内しています。

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左折して7分で小川の橋を渡りました。小川に沿った道を進みます。

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11時頃、国道163号線の下を潜りました。すると右手に大きな常夜灯がありました。万人講と刻まれていました。

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次に国道24号線との大きな交差点を越えます。超えると街道は、上り坂になります。

ここまでで前半を終えます。11時04分頃です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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