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2022年11月10日 (木)

奈良街道1日目、その1

今回は京都から奈良です。京都側から言うと、伏見までは伏見街道とも言います。奈良側から言うと、京街道とも言うようです。まあ、古来、奈良道と呼んだようです。

京都の五条本町から、奈良の東大寺転害門まで約40キロです。昔の人なら1日コースですね。でも今の私には当然1泊2日のコースです。

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2022年11月7日(月)

四日市からの高速バスは9時頃五条京阪に到着しました。いまは清水五条と言うらしいですね。

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その一寸東より、多分、本町通りが奈良街道の起点ですね。

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ここを右折して、伏見へ南下していくのが伏見街道です。9時05分でした。

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今は普通の住宅街のような通りです。車は北行の一方通行なので、通行量は多いのですが、後ろからの車を気にしなくても良いので助かります。少し歩くと、左手に本町公園があり、お地蔵さんが並んでいました。

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ここのお地蔵さんは化粧していません。覚えておいてください(笑)。五条から5分ほどで、豊国神社の正面参道の広い道に出ます。一寸左折して南側に耳塚があります。

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秀吉の朝鮮戦争で、討ち取った敵の、首の代わりに耳を持ち帰ったそうで、その耳が供養されているとか。

すぐに七條通りを越えます。左折すれば国立博物館や三十三間堂ですが、今日は素通りです。9時25分頃、塩小路通りの五差路を通過。振り返っています。南下する道は、写真には逆光で不向きですね。

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すぐにJRの線路にぶつかりますが、陸橋で超えていきます。

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この辺りは、京都生まれの私も、来たことが無いのですが、街並みは街道の面影充分ですね。この辺りは本町10丁目でしょうか。

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東山から流れ下る川を伏見街道が渡りますが、その橋が一の橋から四の橋まであったそうです。この辺りに一の橋が有ったそうで、この辺りの地名に残っています。

常盤御前ゆかりの宝樹寺や大丸の創業家が再建した瀧尾神社など興味深い名所があります。写真は瀧尾神社。

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9時38分、東福寺駅を通過。府道143号線が上を横切りますが、その高架下に、さきほどの二の橋が残っています。

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昔は伏見街道を伏水街道と書いたのですね。紅葉で有名な東福寺は左奥です。この辺りの街道風景です。にしんそばが京都ですね。

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9時48分、三の橋が有りました。

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まだこの辺りの左側奥は東福寺の境内です。酒屋さんも東福寺御用達の看板を挙げています。

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太古の土器や土偶、その流れで生まれた土人形の元祖が伏見人形だそうです。その技術を伝える伏見人形の丹嘉が街道沿いにありました。」

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10時05分頃、伏見稲荷大社の前を通過しました。焼き鳥すずめで有名ですね(笑)。

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JRの稲荷駅の傍に、旧東海道線のランプ小屋があります。JR東海道線は当初、滋賀県の膳所から伏見を通るルートだったそうです。

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街道はJRの踏切を越えて、更に南下して伏見桃山を目指します。街道は五条からずっと両側住宅で、長閑な田園風景などは有りません。

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10時22分、左手に協会があり、聖母女学院がありました。

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前方には名神高速道路が見えます。

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名神高速を潜ると、右手に親鸞聖人ゆかりの西岸寺があります。

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そのすぐ南に最後の四の橋がありました。10時31分でした。

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3分ほどで藤森神社に来ました。勝運と馬の神様だそうです。つまり競馬の神様でしょうか(笑)。そういえば、淀の京都競馬場はすぐ近くですよね。

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墨染駅の先で右折して踏切を渡ります。10時42分。

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墨染寺の先で左折するのですが、一寸不安で、地元の方に、「この先に橦木町の廓入り口はありますか」と尋ねました。あるけど、そのまえに欣浄寺の大仏を見て行けと言われていってみました。本堂は閉まっていましたが、隙間から写真を写して、一寸休憩しました。

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廓入り口もすぐ先でした。

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一寸入ると、大石内蔵助遊興の地の石碑がありました。たしか山科に住んでいたはずなので、ここまで遊びに来るのは遠いのになあと思いました。

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それで思い出したのですが、秀吉が作った、大阪城からの京街道が、丁度ここを通って山科まで伸びています。その街道を、何年か前歩いたことを思い出しました。地図の薄青の線です。

廓跡にあった地蔵さんですが化粧をしています。これは廓だからという訳でなく、この地方の風習のようです。京都市内でも結構あります。

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11時過ぎに廓を後にしました。国道24号線を渡り、近鉄の下を潜って京阪の丹波橋駅の前を11時15分頃通過しました。その京阪の踏切を4分後に通過します。

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いよいよ伏見桃山地区で、京の酒どころです(笑)。中心の東西の通りが大手筋通りです。左に近鉄の桃山御陵前駅、右に京阪の伏見桃山駅です。写真は左を見ています。11時23分。

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街道の右手奥に月桂冠をはじめとする伏見の酒蔵が二十何軒あるはずです。街道筋にある立派な建物は、鳥羽伏見の戦いで被災して再建された斎藤酒造の建物だそうです。今は料理屋さんになっています。

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街道は宇治川の手前で左折して近鉄を潜り、観月橋へ向かいます。その道筋に有ったお地蔵さんです。

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11時40分頃、観月橋を渡り終えました。

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ここからはいわゆる宇治茶の産地になるのでしょう。

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渡り終えるとすぐ、斜めの道に入りますが、すぐ左手の立派な御茶屋さんの前に、太閤堤の案内がありました。

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巨椋池の東に築いた小倉堤だそうですが、秀吉は非常に多くの土木工事を、その短い天下の間にやっているなと感心します。大阪市内の下水道・京都の御土居・京街道・新大和街道等などです。

すぐ先に、明治天皇が来られた製鉄所跡の碑がありました。

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電気の無かった時代は、水力でモーターを回していたんだなあと思わせられます。この付近の街道風景です。

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11時50分頃、向島駅近くの団地に出てきました。街道の雰囲気はなくなりました。そこにコンビニが有ったので、お握りを買いました。駅前に中央公園が有るのを調べていたので、そこで弁当休憩しました。

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小午後の歩きは後半でご覧下さい。

 

 

 

 

 

 

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