伊勢別街道最終
今年2月に笠置から歩き始めた大和街道は前回関宿で終了し、伊勢別街道に入りました。その伊勢別街道も今回で江戸橋に到着し、今年の山歩会の街道歩きは無事終了しました。
今回は椋本宿から窪田宿を経て江戸橋まで12キロほどです。
2022年10月8日(土)
亀山駅前を9時55分に出るバスに乗ります。亀山駅前は再開発がほぼ完成して、すっきりしました。でも我々旅人に必要な、飲食店やコンビニは無いみたいですね。
椋本のバス停には10時17分の到着です。
前回、椋本の大ムクを見てきたので、今日はここから出発です。
バス停のすぐ近くに、「左さんぐう道」の石標があり、ここを左折します。
突き当りが角屋という古い旅館です。
現在営業されているかどうかは知りませんが、江戸時代の講札が軒に掛かっています。
少し歩くと左手に延命地蔵堂があります。横に置かれた石の手水鉢も江戸時代のものです。
県道10号線に合流する手前に、仁王経の石碑があります。椋本宿の東の入り口に作られたそうです。
県道に合流し、10分一寸歩いて11時過ぎに伊勢道の下を潜りました。いつになく県道が混んでいますが、今日行われている、鈴鹿サーキットのF-1レースの影響かもしれない。
さらに15分ほど歩いて、街道は県道から左に分かれます。
5分ほど旧道を歩くと小さな地蔵堂がありました。
柿がなっていたり、コスモスが咲いて居たり、秋祭りの旗や提灯が下がっていたり、旧道は情緒あふれて続いていきます。
再度県道と合流する手前右手に銭掛けの松があり、お堂もあります。旅の途中で病気になり、伊勢まで行けない旅人が、ここの松に銭を掛けて拝むと、伊勢神宮に参拝したのと、同じご利益が有ったそうです。
また、その銭を、他人が盗ろうとすると、蛇がでてきて守ったそうです。
県道に合流して10分歩くと、また街道は左に分かれます。この交差点は大里〇〇とか名前があるのでしょうか?
12時05分、一寸お腹も空いてきました。12時20分頃、お堂がありました。謂れはよく解りませんが、そろそろこの辺りから、窪田宿に入るのではないでしょうか。
5分ほど歩くと、右手に大きな木がありますが、その下にあるのが、青木地蔵のようです。
12時半頃、昼食予定地の石積神社へ向けて右折しました。地図で見て、この辺りで弁当と決めていました。
石積神社の謂れは知りませんが、山の神を主神とし、窪田の獅子舞で有名だそうです。丁度、境内にベンチがいっぱいあり、助かりました。勿論お参りもしました。
1時頃出発しました。3分で街道に復帰します。
5分一寸で大きな交差点を渡ります。中勢バイパスです。
バイパスから5分、JR紀勢本線の踏切の手前、仲福寺の前の小さな道を右折します。すると大きな常夜灯があります。滋賀県の商人が、伊勢神宮に寄進するため運んできたが、荷車も壊れ、疲労困憊したため、ここに建立したそうです。
街道はすぐ左折してJRを渡ります。線路に沿って右折すると一身田の駅です。高校生が一杯居ました。
駅前を直進するのが街道ですが、高田本山専修寺に参拝するため、駅前を左折しました。
浄土真宗高田派の総本山で、伊勢の国では強大な勢力を誇ります。
皆さんも、三重県に、こんな立派な寺が有ったとは知らなかったと、感心しきりでした。
左から如来堂、通天橋、御影堂です。御影堂の内部も写真撮影が可能です。
ここで記念撮影を行いました。今回は精鋭8人です。
ここで30分位見学したかな、14時前に出発しました。5~6分で、踏切手前で街道に合流しますが、そこに珍しく、伊勢別街道の案内がありました。
案内から12~3分で伊勢鉄道の下を潜ります。
潜ってすぐ右折するのが街道ですが、うっかり直進してしまいました。途中で気づいて街道に復帰しました。近鉄の踏切を渡ります。
もうここは近鉄江戸橋駅の近くです。14時36分でした。5分ほど歩くと江戸橋で、伊勢街道との合流点です。大きな常夜灯と高田本山道という石標があります。
ここで伊勢別街道は終点ですが、1キロ程伊勢街道を歩いて津駅へ向かいました。
15時05分、津駅前に到着しました。幸い、1軒だけ開いている店がありました。
皆さん、1年間お疲れ様でした。
来年は初瀬街道でお会いしましょう。
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