駒塚の渡し跡
先日、駒塚道を歩いた時、駒塚在住の友人Wさんから、肝心の渡し場跡を見ていないとの指摘を受けていたので、見に行ってきました(-_-;)
車に愛用の小型折り畳み自転車を積み込みました。
我家から1時間位走って、前回も訪れた駒塚神社に到着。
お昼ごろだったので、車の中で弁当を食べる。
駒塚神社から自転車で木曽川へ向かう。下図で青線は前回歩いた軌跡です。
堤防を下ってきて、駒塚の案内で降りたのが失敗です。もう少し下った左側に渡し跡が有ったのです。駒塚神社からA地点まで来ました。
前回は左から下ってきています。今回は右の道で堤防へ登りました。すると向かい側の堤防の下にお堂がありました。
お堂の中には三面六臂の馬頭観音さまと道祖神みたいなのが祀られていました。
横の説明版には駒塚渡しの跡の文字が。
この先に、船着き場の跡も残っているそうですが、一寸無理そうなので、諦めました。冬なら行けるかもしれません。
堤防に登って引き返すと、反対側はこんな具合で、細い道が下っていますが、これは街道ではなく、先ほど登ってきた車道が街道のようです。
さてここからの街道ですが、地図を見てください。
私が参考にしたネット情報では、渡しからA,そしてCで右折して駒塚神社の傍を通り、D・E・Fという変則的な道になっています。前述のWさんは、Bで右折してGで交差して、そのままHへ行くのが街道ではないかとのことでした。
それで今回両方通ってみることにしました。まずB地点。ここに石標があります。これが前回間違って右折した理由です。
通り過ぎて、資料に従いC地点で右折。こんな感じです。右前方に駒塚神社の鳥居が見えます。
駒塚神社本殿の近くを通ります。そして駒塚の交差点へ。
そこを直進して、前回、復帰したE地点まで来ました。あまり街道の面影しない道筋です。
今度はWさんお勧めの道を尋ねてみようと、H地点に来ました。ここから駒塚神社に引き返します。H地点の左右はこんな感じです。
途中に毛織会館がありました。
その前辺りに地蔵堂があります。
横には、読めませんが、石標があります。
しばらく行くと道標地蔵が。
どうも、こっちの方が街道らしいなと思いながら帰りました。途中に、円空生誕地があり、資料館が有ったので、一寸覗いてみました。
入場料は300円です。作品も豊富だし、説明のアナウンスも丁寧なので、価値はあります。ご本尊です。
お母さんの三十三回忌に彫ったと言われています。中に鏡や形見の品が納められていたそうです。他にも見所はいろいろ。
おわり。
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駒塚に再度おいでいただき有難うございました。駒塚道は一宮市富田で美濃街道から分岐し木曽川を渡り尾張藩家老石河氏の領地駒塚まで通る脇街道で石河氏が名古屋城登城のため開設したと伝えられています。小林さんが通られた道は道標があり地蔵さんがあり古い街道で駒塚道のように思いますが、石河氏の屋敷と離れております。石河氏の屋敷はもう少し東にあり、渡しから堤防を越えて西に降りたすぐを北に向かう道が石河氏屋敷に向かう道です。今は拡幅されており昔の面影はありません。この道を地元では御殿道と呼んでいます。駒塚道と御殿道の関係は年寄りに聞きましたが分かりませんでした。
投稿: 渡邉一平 | 2022年10月10日 (月) 02時27分