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2022年9月 5日 (月)

駒塚道(岐阜県から愛知県)

先日歩いた竹鼻街道の続きです。前回は大垣駅から羽島市役所前駅まで歩いたのですが、今回は愛知県の名鉄尾西線萩原駅から木曽川を渡って、羽島市役所前まで13キロほどを歩きました。

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2022年9月3日(土)

今日は午前中の涼しいうちに歩きを終えようと、早起きして、朝8時に萩原駅に着きました。

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萩原は旧尾西市、現一宮市になるのでしょうか? 美濃路の萩原宿というのも観光資源にしているようです。

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今日の目的の駒塚道は、図の中央上部、富田の一里塚のそばの駒塚道道標から左へ木曽川を渡りに行きます。近くに駅が無いので、萩原駅から美濃路を3キロほど歩いて行くことにしました。図の青線が美濃路です。

萩原宿は現在こんな感じです。商店街が一寸寂れているのは全国どこも同じですね。

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こんな古い町屋が残っていました。何年か前、美濃路は歩いているはずですが、やはり記憶からは消えています。

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歩いているとちょうちん屋さんがあったりします。正端寺の前で右折。民家の前に馬頭観音と地蔵菩薩が祀られていました。

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問屋場跡とか本陣跡の案内だけがありました。

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左折して稲荷神社の前を通り、日光川を渡ります。右折しようとすると、きれいなトイレが目につきました。見ると、婦人運動で有名な市川房江生家跡となっていた。有難く使わせていただきました。

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8時半頃、名神高速道路の下を潜った。そこから淡々と20分ほど歩くと、五叉路か六叉路の複雑な場所に来る。

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街道はほぼ直進ですが左右の道は軌道の跡かもしれませんね。

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そこから3分、郵便局の向こうに、富田の一里塚が残っています。これだけ完全な形で残っているのも珍しいですね。

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手前を左折している道は駒塚道ではありません。一里塚のすぐ先に、大きな石の道標があります。船渡しまで五丁の文字も見えます。

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大きな文字で駒塚道と彫られた道標を左折するのが、今日の目標の駒塚道です。左折しました。8時58分。

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街道の面影残る細道を歩いて、すぐ左折すると、もう面影のない新興住宅街の道です。

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道標から10分で車道を渡り、一寸右の道を入っていくと堤防が目の前です。

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階段を登りますが、その先は無理なようです。渡し場跡とかも見当たりません。まあ諦めて、上流の濃尾大橋へ向かうことにしました。

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歩道と車道が分かれているのがありがたいですね。歩道のない堤防道路は地獄ですね(笑)。

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堤防道路を歩くこと20分、9時半に濃尾大橋の近くまできました。

そこに船橋跡という大きな石碑がありました。美濃路の石碑ですね。説明文が破れて不明ですが、将軍や朝鮮通信使など、特別な人が通るときのみ、270隻の船を並べて橋を作ったらしい。

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この付近で河原へ出て、小休止しました。10分ほど休んで、9時43分に濃尾大橋に着きました。

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橋を渡るのに12分掛かりました。横断歩道は無いのですが、強引に渡って、今度は堤防道路を下ります。

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尾張側の堤防道路は歩道が有ったのですが、美濃側のほうは歩道がありません。まさに地獄道を17分歩きました(笑)。

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ようやく駒塚への道路標識がありました。ここで駒塚道に復帰したようです。

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この辺りに、駒塚の渡し跡の何かが有ったかもしれませんが、見当たりませんでした。

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駒塚の集落に入ってきました。

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駒塚というので、馬の墓とか有るかもしれないなと思いながら歩きましたが、それは見当たりませんでした。お地蔵さんはたくさんありました。

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一寸読めませんが道標もあります。

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ここで道を間違えました。地図をしっかり見ないで、「駒塚神社の傍を通る」これだけを思いながら歩いていました。また道標を見つけ、文字を読んでいると、地元の人が通りかかりました。

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「駒塚神社は何処でしょう」と尋ねたのが失敗でした。「この道の先に鳥居が見えますね。あそこです。」と言われて、すっかりここで曲がると思ってしまいました。実際は、もう少し言って右折でした。

駒塚神社の前に来て、一寸参詣して休憩しました。

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10分ほど休憩して10時35分に出発しました。途中の地蔵さんには竹ヶ鼻の文字が。

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大通りを渡っても気が付きませんでした。

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次の大通りが、なかなか無いので、おかしいと思い、地図を確認して間違いに気づきました(泣)。ですが、私の友人で、駒塚在住のWさんが、昔の駒塚道は、こうではないかと送って頂いた推測地図では、私が歩いた道が駒塚道になっていました(笑)。

でも私が頼りにしていた資料は、図の青線だったので、修正して合流しました。合流地点から振り返った駒塚道です。11時10分。

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逆に、これから歩く駒塚道です。

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眞修寺というお寺の前を11時20分に通過。

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大通りを横断して、逆川に架かる竹鼻橋を渡ったのが11時26分です。

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この後、竹鼻の街は、詳しい地図を載せてみます。

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竹鼻橋を渡って直進し、小さな稲荷神社を過ぎると、インターロッキングブロックで舗装された道があります。そこを右折して千代菊酒造を目指しました。そこでお酒の試飲や販売をしているかと思ったのですが、残念でした。他でやっているのかもしれません。

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そのまま歩くと、歴史資料館入り口や札ノ辻があります。

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もう少し行くと、円空ロードになります。そこで引き返しました。

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歴史資料館は映画資料館にもなっているみたいで、面白いですね。

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反対側の入り口が竹鼻城址の案内になっていました。

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竹鼻城は関ケ原の合戦で西軍に属し、落城したらしい。すぐ傍が、竹鼻別院です。

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ここは藤の花も有名だそうです。

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その前で昼食休憩にしました。11時53分です。午前中に歩きを終わるという目標は、一応達成しました。

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ここには宝暦の治水の薩摩義士の墓もありました。

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本堂でお参りして、今日の街道歩きは終わりました。

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ここはもう一回見に行かないといけませんね。機会を見て行ってきます。

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