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2022年5月 7日 (土)

九里半街道

九里半街道をネットで調べると二つ出てきます。下図で左上、若狭の小浜と琵琶湖の今津湊を結ぶ街道。もう一つが米原の朝妻湊と揖斐川の支流、牧田川の船附湊を結ぶ街道です。いずれも距離が38キロ、九里半なので九里半街道と呼ばれています。

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小浜からの街道は若狭の海産物を京へ運ぶ道です。陸路を行く鯖街道が有名ですが、やはり大量に物資を運ぶのは水運が欠かせない訳です。今津から船で大津まで運び、そこから京へ運んだのでしょう。小浜街道とか熊川街道とか呼ばれました。

桑名や尾張の物資を京へ運ぶのも同じことで、東海道や他の陸路で運ぶより、揖斐川と牧田川を船で遡り、船附、栗笠、烏江の湊で陸揚げして、中山道の今須宿経由で米原まで運び、そこから水運で大津へ運んだ訳です。

その今須から船附の九里半街道を歩いてみました。

2022年5月5日(木) 中山道編

8時46分にJR関ケ原駅に降り立ちました。

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ここから今須まで4キロほど旧中山道を歩いて、そこから九里半街道に入ります。今須から船附までは22キロ。船附から最寄り駅の烏江まで2キロ。合計28キロは一寸無理なので、今日は美濃高田駅までのつもりです。

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関ケ原は中山道の宿場ですが、言わずと知れた関ケ原の合戦の舞台です。また今須宿までの間には天下三大関所の一つ不破の関所がありました。壬申の乱の舞台だったのです。それらの史跡が多く、この4キロは街道歩きマニアにはたまらない4キロでしょう。

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駅を出て国道21号線に出て右折、今須を目指します。すぐに西首塚があります。関ケ原の合戦で死亡した、おびただしい数の死者を東西二つの首塚を作って埋葬したものです。

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首塚からすぐ、旧中山道は左に分かれます。以前は無かった関ケ原の合戦の陣地跡の案内が建てられていました。

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国道から6~7分で不破の関跡です。資料館もありますが、今日は九里半街道がメインなのでパスします。

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ここから一寸下って川を渡りますが、関所はこの河岸段丘の地形を利用して作られていました。渡ると矢尻の井という歌枕があります。壬申の乱のとき、大友皇子の軍の兵士が矢尻で井戸を掘ったとか。

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9時27分、再度国道に出て渡ります。

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この辺りは石田方の武将、大谷吉継の陣があった所で、その案内が多いです。

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JRの線路を潜ると、常盤御前の墓があります。東国に逃れた牛若丸の後を追って、ここで山賊に襲われ、死亡したとか。

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9時50分頃、JRの踏切を渡ります。

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5分ほど登ると今須峠です。

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3分下ると国道に出ます。適当に渡ります。

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すぐに今須ですが、手前左側に一里塚跡があります。

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向かい側にあるのは妙応寺でしょうか。

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10時02分に九里半街道への分岐、県道229号線の分岐に到着しました。

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ここからの九里半街道はページを改めます。

 

 

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