九里半街道その2 今須から美濃高田駅
2022年5月5日(木)
朝9時前に関ケ原を出発し、10時02分に九里半街道の分岐に来ました。
ここを左折して県道229号線に入ります。
入っていくと5~6分で名神高速道路の下を潜りますが、その手前の資材置き場の中に今須宿本陣跡の説明版がありました。
名神高速から5分で街道は県道と分かれて左に入ります。そして7~8分、左手にカツラの巨木があります。親鸞聖人の杖が芽を出して成長したという木です。
すぐそばには若宮八幡神社、少し離れて親鸞聖人が逗留された聖蓮寺があります。10分ほどで再度県道に合流しました。
20分ほど歩いて、10時56分、関ケ原町から上石津町に入りました。
11時に県道から右に分かれ、平井の集落へ入ります。
獣が多いと見えて、集落全体を網目の柵で囲っていました。
集落を出ると県道に合流し、少し登っていきます。今須川の川底がはるか下に見えます。
集落から20分ほど歩くと、道は里に下りてきます。すると街道は県道から左に分かれます。ふじこがわ橋と言うレトロな橋を渡って堤防を右折しました。時刻も11時40分なので、堤防で昼食にしました。
12時一寸過ぎに出発し、牧田一色の交差点を渡ります。この道は、我が家から関ケ原インターへ行く時、何回も車で通った道です。渡って少し登ると、昨年10月に歩いた美濃街道にぶつかります。その時は、ここを右から左へ歩いて関ケ原へ向かいました。
今日は右折して、しばらく美濃街道と同じ道を歩きます。合流地点の八幡神社です。
この辺りは上石津町牧田でしょうか、街道の風情も残る道です。
12時27分頃、牧田宿で代々問屋を営み、明治時代には郵便局長を務めた五井家の屋敷にきました。大垣市の景観遺産だそうです。
少し行くと大神宮常夜灯があります。
すぐ近くのもう一つの常夜灯で左折。
牧田小学校の前を通りますが、代々の卒業生が記念のモニュメントを作っています。今も存続しているのでしょうか?
12時45分頃、二又の馬頭観音と言う案内が有ったので、探しに行きましたが、見つかりませんでした(-_-;)。
13時頃、前回、美濃街道歩きのとき、昼食休憩した素戔嗚神社を通過しました。もうすぐ、牧田川を渡ります。
牧田川を渡る広瀬橋の袂に、九里半街道の案内があります。前回、これを見て、九里半街道の存在を知ったのでした。
広瀬橋を渡りながら、振り返ると伊吹山が見えました。
渡って左折します。
すぐに上石津町と養老町の町境です。そこで右折して街道に入ります。
入ってしばらく行った所で、前回歩いた美濃街道は右に分かれていきました。この辺りも街道の風情ですね。
ここにも大神宮常夜灯があるのですが、これまでの石灯籠と違って、立派な細工が施された木製です。
13時30分頃、集落を抜けて堤防道路に登ります。この堤防道路は県道で、私も度々関ケ原へ行く時走るので、よく知っています。で、人が歩く道では無いので、並行する田んぼ道を歩きました(笑)。
県道が堤防から離れ、街道がその県道から離れる所で街道に復帰しました。この辺りの県道は養老ミートやロイヤルなど、お値打ちな肉屋さんが多く、私も盆正月とか大量に肉を買うときは、わざわざ来たものです。焼肉屋さんも多く、通称焼肉街道です(笑)。
13時55分に焼肉街道から離れ、15分ほど歩くと中央公園の傍に来ました。
公園や総合体育館を左に見ながら進みます。学校の校舎が見え、出征兵士の慰霊塔?見える辺りで右折して、西町商店街に入ります。14時27分でした。
15分ほど商店街を歩いて、大垣共立銀行を過ぎて細い道を右折するのが街道です。
美濃高田の駅へは、この辺りが一番近いです。今日はこの辺で辞めるのですが、次回の出発を考えて、ややこしい所は通り過ぎておくことにしました。2回ほど曲がると、厚生病院があります。
その前を通って養老鉄道の踏切を渡ります。渡って5分ほど歩いて、金草橋南詰の交差点で、左折して街道から離れ、美濃高田駅へ向かうことにしました。
途中、コンビニに寄って25分ほどで美濃高田駅に到着しました。
15時15分頃なので、烏江まであと2時間歩くこともできそうですが、最近は、無理は禁物です。養老鉄道はサイクル列車で自転車持ち込みも可能です。空いた電車で、のんびり帰りました。
残り8キロは、何日歩こうかなあ。
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