大和街道4回目 新堂から加太
今年2月から歩き始めた大和街道は、京都府の笠置から始まり、三重県の伊賀市を歩いてきました。これから亀山市に入って関までが大和街道です。その後、伊勢別街道で津へ向かう予定です。
2022年5月15日(日)
今回は上図で赤線の新堂から加太まで16キロほどを歩く予定です。9時40分に新堂駅到着です。大阪から参加のOさんが待っています。
近くのオークワで弁当を買って10時頃出発しました。
柘植川の堤防に出て左折すると、すぐ大和街道の道標がありました。
まだ伊賀市なので芭蕉の影響が残っています。
今日歩く柘植川に沿う道は、いわゆるメイン道路では無いので、車の通行は少なく、街道の面影残すような旧道なので、しっとりとした感じで、歩きやすい街道歩きです。上市場辺りの街道。
旧の国道25号線を横断して中柘植に入ります。ここもいい感じです。10時50分頃。
11時頃、野村に横光利一ゆかりの家跡がありました。近所の奥さんが、市が草刈りをしてくれないと嘆いていました。
下町に入ると、史跡小御堂と刻まれた石柱がありますが、謂れは不明です。
鍵型に曲がる角に、大和街道の説明版がありました。また近くには、本能寺の変の際、伊賀越えで三河へ帰る家康を休憩させた徳永寺がある。
11時22分、都美恵神社の前に来ました。立派な神社で、参詣することにしました。
起源は相当古いようですが、難解で不明(-_-;)。倭姫伝説の元伊勢の一つだそうです。15分ほど、お参りしました。柘植駅への道を越えて、12~3分歩いた右手の小川の縁に勧請縄がありました。疫病が集落に入るのを防いでいます。個々の飾りの意味は不明です。
街道沿いに小さな常夜灯があります。伊賀町内、唯一残っているとか。
近くに、大神宮の祠と石灯籠があります。
時刻は12時近くですが、もう少し歩きます。すぐに旧25号線に合流しますが、この辺り、新25号線すなわち名阪国道に車は行くので、旧25号線は歩き易いです。12時15分、鴉山池のほとりで昼食休憩としました。
20分一寸で出発しました。皆さん、やる気満々ですね(笑)。
すぐにJRの線路を潜ります。少し歩くと旧道が残っているので見に行きました。と言うのは、途中で道が消えているので、引き返す必要があります。なので、見に行ったという言い方になります。
また25号線に引き返して、少し歩くと、亀山市に入りました。13時12分でした。
しばらく淡々と歩きます。加太不動滝の案内もありますが、遠そうです。錫杖岳が正面に見えます。
13時45分頃、道端に、上下二つに刀で切られたようなお地蔵さんがありました。
そしてすぐJRの線路を潜ります。このトンネルが赤レンガ造りで、鉄道遺産として有名です。明治23年に当時の関西鉄道によって完成されたそうです。
街道は北在家の集落に入ってきました。なかなかの街道風景です。
ここに以前から気になっていた川俣神社があります。今回、時間も余裕があるので、参詣しました。14時05分。
この神社も歴史は古そうですが、南北朝時代に、この地方は鹿伏兎氏が納めていました。その陣屋を、北畠氏が川俣城と名付け、その跡地に現川俣神社が移ってきたとか。一寸、小休止して、20分ほどで出てきました。
すると本陣跡の案内がありました。加太宿はここ板屋に本陣があり、問屋場がすでに通ってきた市場に置かれていたそうです。
14時半頃、名阪国道の板屋ICを通りました。
この付近は鉄道遺産が多く、街道歩きより鉄道マニアの見学が多いようです。
ICから15分ほどで森林公園があります。ここに大和街道の説明版があり、旧道の案内があります。
梶ヶ坂と言われる地域ですが、貴重な旧道が残っています。すぐに峠?です。
下ってきて民家の横を通り、車道を横断する場所に、また街道の説明版があります。そこを下ると、小川に沈下橋が掛かっています。街道の面影充分ですね。
橋を渡るとお地蔵さんがあり、すぐに旧25号線に出ます。15時04分。そこから5分で加太駅の近くに来ました。缶ビールを買って駅に向かいます。停車場道と言う石標があり、左折すると駅です。
何もない無人駅だと思っていたのですが、この4月から廃駅を避けるため、集落のサロンが作られていました。
反省会は亀山で、ささやかに行いました。
お疲れ様。
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