矢倉沢往還その1
皆さん、矢倉沢往還ってご存知でしたか? 私はつい最近知りました。関西の人間なので、どうも関東の情報には疎いです。下図見てください。
上方から東海道を江戸へ下ってきた旅人は、沼津で道が分かれます。東海道は三島から箱根越で小田原へ。そして海岸沿いに江戸に向かいます。一方、沼津から北上して足柄峠を越えて内陸を江戸へ向かう街道がありました。足柄峠を越えた所に矢倉沢の関所があり、矢倉沢往還と呼ばれたそうです。
沼津と江戸の中ほどに伊勢原という宿場が有り、その西北10キロほどの所に大山があり、その大山阿夫利神社にお参りする大山詣でが江戸時代盛んでした。そのため、この道を、大山街道とか大山道と呼ぶようにもなりました。
東海道が大名行列や武士の往来が多かったのに比べ、矢倉沢往還は物資の往来や商人が多かったと言われています。距離的には120キロ程です。
2021年12月5日(日)
朝早い新幹線こだまで小田原に向かいました。途中、富士山が見えるかと期待しましたが駄目でした。
今回は矢倉沢往還の半分、伊勢原から東京を2泊3日で歩く予定です。小田原で乗り換え、東急小田原線で30分、伊勢原に10時半頃着きました。阿夫利神社にお参りしようかと考えましたが、往復6時間掛かるので止めました。ケーブル駅近くの下社往復でも3時間掛かります。又の機会にしましょう。今日はさがみ野駅まで20キロ弱歩く予定です。
伊勢原駅北口に出ます。大山ケーブル行きのバスが出ていますが、私は駅前の阿夫利神社の鳥居を潜って歩き始めました。10時37分でした。
午前中の行程です。愛甲石田駅で昼食休憩しました。
阿夫利神社に行けないので、伊勢原大神宮にお参りして、道中の無事を祈りました。伊勢原大神宮は伊勢神宮と関係が深いようで、社殿も内宮と外宮があります。この日は七五三参りの家族連れが多く来ていました。10時50分。
ここから国道246号線を左折するのが矢倉沢往還の沼津方面です。江戸へは図の赤線のように咳止地蔵さんに向かいます。11時8分に到着しました。
多分これが大山ですね。丹沢でも人気の山だそうです。
ここから歩くとケーブル乗り場まで7キロ程だと思います。ここに矢倉沢往還の説明がありました。江戸から来るとここで大山と足柄方面に分れると説明しています。
11時8分に出て江戸方向へ3分も歩くと、左手に大きなビルが見えます。東海大学の病院のようです。
15分程で国道246号線に帰ってきました。下糟屋の交差点です。渡るとすぐ高部屋神社があります。糟屋庄127ヶ村の総鎮守とありますから、相当な神社だったのでしょうね。
この辺りは糟屋宿と言い、丸山城址が神社の奥の方にあります。下糟屋で左折して、東名高速の下を潜ります。
11時半過ぎに高速を潜り、歌川橋を渡ります。11時40分に白金地蔵がありました。
ここで右折して小田急線に近づきます。小金塚のバス停で線路沿いに国道へ戻ります。11時57分に石田の交差点で国道に出ました。御説して7分、愛甲石田駅近くで右に入って踏切を渡りますが、すぐ向こうに牛丼の吉野家が有ったので、昼食休憩にしました。
速い安い旨い。三拍子そろっているので、牛丼は旅人の強い味方です(笑)。
12時20分には出発しました。
愛甲石田駅に沿って進みます。10分程で庚申塔など石造物が並んで居ます。
ここで右折して、相模川方面に向かいます。高速の下を潜り、12時52分頃、玉川を渡る新宿橋に着きました。橋の手前、左側に道祖神の祠があります。
橋を渡って酒井前田の県道を過ぎ、次の三叉路を左折して、東名高速へ向かいます。三叉路には石仏が3体ありました。13時2分でした。10分程で高速を潜ると、矢倉沢往還の石碑がありました。
すぐにソニーの工場が右手に見えてきますが、その傍を通りながら10分程歩くと、前田一本杉というバス停が有ったので、そのベンチで小休止しました。13時24分です。
15分位休んで出発しました。ソニーの工場を過ぎた辺りに〇〇観世音とか刻まれた石碑がありました。
14時前に小田急の線路を潜ると、渡辺崋山の石碑や厚木神社があります。14時頃です。
相模大橋は渡らずあゆみ橋を渡ります。
渡り切って振り返ると大山が見えました。14時12分。
当時の街道は、もう少し上流に渡し場が有ったそうです。取り敢えず厚木駅近くの県道に突き当たって左折します。
道なりに右折して踏切を渡り、海老名駅の陸橋を登って降ります。海老名駅はJR、小田急、相模鉄道が有るので陸橋も長いです。14時42分。
今日のホテルは、ここ海老名に予約していますが、時間的に早いので、もう1時間ほど歩く予定です。国分坂下の交差点に道祖神の大きな石碑がありました。
その先を左折、登って行くと、相模国分寺跡の案内がありました。街道から一寸外れて見に行きました。2分で国分寺跡です。
礎石付近は子供達で賑わっていました。良いですね(笑)。
史跡を横切って街道に復帰しました。15時04分です。5分程歩くと史跡逆川という小公園が有ったので、小休止しました。
この史跡の謂れは大化の改新まで遡るそうで、日本最古の運河云々の説明がありました。5分程で出発し、道祖神や馬頭観音などの石碑を見ながら坂を登りました。坂を下った所に渡邊崋山縁の道の案内がありました。
渡辺崋山が「あこがれのお銀さま」を訪ねた道とか。15時33分。ここから先は相模鉄道のさがみの駅まで、パブコの工場前を通って1本道です。県道でも無い裏道だと思っていましたが、狭い歩道の無い2車線の道で、苦労して歩きました。
かしわ台駅の近くを通り、さがみ野駅付近に着いたのは16時08分でした。お疲れ様。海老名へ引き返す電車は10分毎に有るし、不便は感じません。ららぽーと前のルートイン海老名に泊りましたが、一人で飲みながらテレビを見るのに最高の部屋でした(笑)。
明日に続きます。
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矢倉沢往還・・・大山街道まで足を伸ばされ凄いですね。小生は落語好きで、大山詣りは、古今亭志ん生のcdも三遊亭円生のdvdも聞きました。江戸っ子は町内で講をつくり先達さんが皆を連れて毎年大山をお詣りする。暴れん坊の熊さんが宿でぐでんぐでんに酔って喧嘩をするので罰として坊主頭にして置いて帰ってしまう。熊さんが計略をして早かごで先に帰り、女房連中に金沢八景に舟に乗ったところ遭難し自分だけが助かった、この通り坊主頭になって供養するというのでこれを信じた女房連中が自分も髪を下ろし供養すると全員坊主頭。そこへ戻った一行が大変怒るところ、先達が「お山は無事済み、皆怪我ない(毛がない)」といって笑うのが落ちです。是非聞いてみて。youtubeでも聞けます。
投稿: 渡邉一平 | 2021年12月13日 (月) 14時55分
渡邊さん、そんな趣味有ったのですか。その落語、探して聞いてみます。ありがとう。
投稿: フミキ | 2021年12月14日 (火) 08時51分
小生は恥ずかしながら中3高1とやっていたラグビー部を落後して落語同好会に入りました。
メンバーは5,6人で非常にうまいのが一人、その次くらいが一人、私は下手な方で高座に出演(学校祭)は無理。
落語を聞く方もかなりのマニアで、志ん生はほとんどの録音を、円生もかなりの録音を、ほかに関西の笑福亭松鶴、桂米朝とか枝雀とか集めています。
ロータリーの挨拶で「芝浜」のさわりをやったこともあります。
投稿: 渡邉一平 | 2021年12月14日 (火) 12時41分