« 二つの美濃路 | トップページ | 美濃街道最終 養老~関ヶ原 »

2021年10月 6日 (水)

美濃街道 駒野~養老

Dscn9927jpgc

2021年10月5日(火)

前回に続き、養老鉄道駒野駅から養老の滝でお馴染みの養老駅まで10キロ弱を歩きました。

Dscn0002jpgc

10時45分頃、駅近くの駐車場に車を停め、駅まで引き返しました。

Komano01jpgc

駅前から真っ直ぐに街道が続きます。

Dscn9933jpgc

養老鉄道を越え、大桑国道も越えて、県道55号線で右折します。この県道は私も養老や関ヶ原に行く際、よく走るので知っています。車が非常に多いので、歩道が無いと歩くのは嫌だなあと思っていました。車で走っていると、歩道が有ったかどうか記憶に無いのです。

Dscn9936jpgc_20211006140601

幸いにも歩道が有ってホッとしました。11時08分です。円満寺霊園を左に見ながら歩きます。ここは40年か50年前にできたと思いますが、田舎の霊園の先駆けだったと思います。これより後に続々と出来た霊園は売れなかったと思います。

すぐに県道25号線が左に分岐します。この上にある庭田山頂公園から「火野正平」が自転車で降りてきて、今日私が行く養老駅付近を訪ねる「こころ旅」の番組を最近見ました。

Dscn9941jpgc

この県道は三重県の北勢町へ通じる険しい道で、私も何回か通ったことがありますが、冬は通行止めになります。11時半過ぎ、離れていた養老鉄道が近寄ってきました。ここからまた離れていきます。工事中のコンクリートは中部循環道だったか・

Dscn9946jpgc

11時42分。旧道が右に分れます。50年前は、この旧道しか無かったので、狭い道に車が乗り入れていました。

Dscn9951jpgc

志津という地域を歩きます。10分程で南谷、すぐに北谷と2本の橋を渡ります。写真は南谷。

Dscn9955jpgc

北谷を過ぎるとすぐ神明神社があります。

Dscn9961jpgc

ここで弁当とも思いましたが、駅のベンチの方が良さそうなので、美濃津屋駅に向かいました。

Dscn9965jpgc

ここのベンチで12時7分から20分ほど休憩しました。歩き出すとすぐ大きな燈籠がありました。大神宮と刻まれていますが伊勢神宮のことでしょうか。

Dscn9971jpgc

すぐ先に津屋城址があります。今は本慶寺となっているが、関ヶ原の合戦で西軍に付いたため没落した。岐阜県では稀な平城の遺構で、全薄井が見られないのは残念ですね。12時36分。

Dscn9973jpgc

ところで、この辺りの地名を下多度と言います。三重県に多度神社があり、多度町があるのは頷けますが、岐阜県に何故下多度町があるのか不思議ですね。

Komano02jpgc

すぐに下多度郵便局がありました。

Dscn9978jpgc

そして津屋城址から10分程で養老町に入りました。12時47分です。

Dscn9981jpgc

境界から10分、ここにも大神宮と刻まれた常夜灯がありました。

Dscn9985jpgc

観音寺を過ぎ、平田9キロと書かれた県道225号線を過ぎると、街道はトンネルを潜ります。天井川のようです。

Dscn9989jpgc

小倉谷隧道と書かれていました。13時07分です。すぐ左には上多度小学校の案内もありました。今度は上多度かと思いながらあるきました。10分程歩くと上多度プラザという案内もありました。

Dscn9993jpgc

13時21分、十三代横綱鬼面山谷五郎生誕地という案内がありました。

Dscn9994jpgc

もうそろそろ養老駅も近いかなと思っていると10分で踏切でした。そこから1~2分で養老駅です。13時35分の到着でした。

Dscn9997jpgc_20211006145801

養老駅の歴史は古く、大正2年に出来たそうです。現在の駅舎になったのは大正8年(1919年)だそうですから、今から100年前ですね。

Dscn0007jpgc

駅前の土産物屋の女将さんに多度の地名の疑問を話したところ、明確に答えが返ってきました。後ろの養老山脈は、昔多度山と呼ばれていたそうです。なので多度山の麓の町ということで、上多度・下多度となったそうです。

養老は養老の滝で有名ですね。孝行息子の物語が背景にあります。

Dscn0001jpgc

駅舎の中には、例の鬼面山の額がありました。岐阜県で唯一の横綱だそうです。

Dscn0008jpgc

葛飾北斎が描いた養老の滝の絵もありました。

Dscn0009jpgc

次回は養老から関ヶ原まで15キロ弱です。

 

 

 

« 二つの美濃路 | トップページ | 美濃街道最終 養老~関ヶ原 »

街道歩き」カテゴリの記事

コメント

養老に上多度があり、南濃町に下多度があり、多度町に多度があるのは一体何故かな、混乱しないのこかと思っていました。
養老山脈そのものが多度山なら上多度も下多度も由緒正しい昔からの地名というわけですね。
今の多度町は更に下多度の下というわけですか。
今の多度山も昔は旧多度山の一部というわけでしょうか。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 二つの美濃路 | トップページ | 美濃街道最終 養老~関ヶ原 »

最近の写真

  • Dscn2129jpgc
  • Dscn2126jpgc
  • Dscn2121jpgc
  • Dscn2110jpgc
  • Dscn2140jpgc_20220614111201
  • Dscn2117jpgc_20220614111201
  • Dscn2144jpgc
  • Dscn2148jpgc_20220614111201
  • Sibusawa00jpgc
  • Sibusawa01jpgc
  • Dscn2154jpgc
  • Dscn2175jpgc